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2018/01/08

芥川龍之介 手帳7 (19) 明十三陵

 

○途中 南口ホテル 机の上に造花のバラ 外に驢馬 川原を渡る 村 男女とも分らぬ子供耳環にて女と知る クリスチヤンは耳環をせぬ 羊 黑羊 馬にのりし滿洲夫人 仔馬從ふ page 一人

[やぶちゃん注:「南口ホテル」前に途中とあるから、芥川龍之介が泊まっていたホテルではないようだ。北京駅の「南口」の「ホテル」という意味なら、この辺りとなる(グーグル・マップ・データ)。

「川原」北京駅東側を曲がる「通惠河」の河原か。【2018年1月12日:取消線附加及び追記】私の勝手な推測注を読んだ北京在住の教え子からの確かな情報を掲げる。

   《引用開始》

「南口ホテル」……やはりわかりません。わかりませんが、北京駅の近くのホテルではないような気がします。そもそも北京城内から十三陵[やぶちゃん注:次の次の条が明らかに明の十三陵のメモとなっている。]まで、龍之介はどのような交通手段で向かったのでしょうか。鉄道でしょうか……。もし、彼が宿を置いた東単牌楼近辺(私の推理が正しければ、です)から北京駅に向かい、そこから汽車に乗るなら、北京駅の南口ホテル(あったとすれば、です)に立ち寄るかしら。立ち寄ったかもしれないし、そうでないかもしれない。その頃の北京駅は、正陽門楼閣と箭楼の中間地点の東側にありました。今も鉄道博物館としてその外観は残されています。古写真の印象からの想像でしかありませんが、駅は西側にコンコースがありました。南口というのはなかったような気がします。また、東単はそこから北東の方角です。北東から来た龍之介が、わざわざ南に回り込むだろうか……。たしかに汽車を待つ間、南側のホテルで一服するかもしれまん。しかし、わかりません。

「川原を渡る」……これは北京城の周辺の河、お濠の水ではない気がします。十三陵へ向かう途中の郊外の浅い流れではないか。北京城の周辺なら、城門の前に濠にかかる橋がありましたから……。

「村」……十三陵へ向かう途上の景物ではないか。北京の城壁周辺の集落を、村とは呼ばないような気がするのです。

   《引用終了》

どれも明らかに腑に落ちた。この条は既に十三陵見学のアプローチのメモであったと考えてよいようである。

page」は「召使い」の意。]

 

○石牌樓 大理石 丹碧かすかにのこる 端方の碑あり 赤壁の家 驢二匹土にころがる 柳幹より芽をふく 子供多し 轎休む 曇天 白光ある雲山端にあり

[やぶちゃん注:「石牌樓」現在の北京の天安門広場と毛沢東紀念堂の南の、正陽門外にある前門大街にあった前門五牌楼か。北京駅と南口のホテルに寄り、そこから西に移動したとすると、無理がない位置ではある(北京駅からは二・五キロほどしかない)。場所はここ(グーグル・マップ・データ)。但し、一九五八年に都市改造のために取り壊されて存在しない。【2018年1月12日:取消線附加及び追記】私の勝手な推測注を読んだ北京在住の教え子からの確かな情報を掲げる。

   《引用開始》

「石牌楼」……正陽門南の大きな牌楼は石ではありません。古写真を見ても、大理石ではありません。ここで感じた違和感が出発点です。石の牌楼で思い出されるのは、明十三陵にある中国最大の石造牌楼です。龍之介はこのことを言ったのではないでしょうか。[やぶちゃん注:合わせて明十三陵の石造牌楼の写真を送って呉れたが、ネット上のもので著作権侵害となるので、カットした。]

   《引用終了》

どれも前条同様、これで明らかに腑に落ちた。やはりこの条も既にして十三陵へのアプローチのメモであったと考えてよい。

「轎」(きょう(現代仮名遣))は中国で用いられた、一人座席型になった駕籠。両側に附いた棒の前後を担ぎ手(通常は二人。四人持ちのものもある)が背に載せて運ぶもの。]

 

○秣陵殿前古松摧 殿中驢馬三頭 埃の臭 蝙蝠の糞 屋上草長ず ○陵前カシハ多し 松檜もあり 陵のトンネル 漆喰をぬる 成祖父皇帝之陵は紅斑大理石の碑 燕とぶ無數

[やぶちゃん注:「秣陵」不詳。皇帝の墳墓か?

「成祖父皇帝」「成祖」は明の第三代皇帝永楽帝(姓は、諱は棣(てい)、廟号は太宗であったが、嘉靖帝の時に成祖と改称された)であるが、「父皇帝」というのが気になる。文字通りなら、永楽帝の父で明の始祖初代皇帝朱元璋(しゅ げんしょう)となるのだが、彼の陵墓は南京玄武区紫金山南麓の明孝陵であるからおかしい。ここはやはり永楽帝のことか。彼の墓なら、北京市昌平区天寿山南麓にある(長陵。徐皇后の合葬で明十三陵の一つ。ここ(グーグル・マップ・データ))。【2018年1月12日:追記】私の勝手な推測注を読んだ北京在住の教え子からの確かな情報を掲げる。

   《引用開始》

「秣陵」……先生ご指摘の通り、どう考えても皇帝陵という意味でしょう。清代の納蘭性徳が十三陵を歌った詩に「秣陵懐古」というのがありますから。

「成祖父皇帝之陵は紅斑大理石の碑」……「成祖父皇帝」という言い方は、「父たる成祖永楽帝の墓」という意味ではないかしら。十三陵の筆頭であり、最古である永楽帝の墓――他の皇帝から見れば父祖に当たり、とりわけ西隣に眠る仁宗から見れば父に当たります。それをこう呼んだものではないでしょうか。[やぶちゃん注:合わせて永楽帝墓の碑石の写真を送って呉れたが、ネット上のもので著作権侵害となるので、カットした。]

   《引用終了》

取り敢えず、ここでは私のいい加減な推測は結果としては当たっていた。ほっとした。]

 

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