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2018/01/08

芥川龍之介 手帳7 (22) 大同・雲崗石窟

 

○大同 土ヤネの Hotel. 廣キ庭 三犬 黃先生(ホワンセンシヨン) 英日語ニ通ズト云フ 鳩とぶ 滿目泥色 星明朗 天の河斑々 東花棧 瓦の床 南京虫 蚊なし

[やぶちゃん注:「(ホワンセンシヨン)」はルビではなく、本文。「黃先生」“huáng xiānshēng(ホアン シィエンシヲン)。

「大同」現在の山西省北部に位置する大同市で、省都の太原市に次ぐ山西省第二の都市である。北京の西二百キロメートル以上。

「黃先生」不詳。

「東花棧」不詳。後の叙述から大同の旅館の名か。]

 

○土 石 grey. 草疎 水稀 ゲンゲ風の花――香草(シヤンツアオ) 馬糞ニ甲虫ムラガル 稀ニタンポポ 所々の神道碑 植樹 ○臺頭(右) 念佛(左)(門は鼠色レンガ) 門前傾面大樹アリ 楊柳(ヤンリユ)ナリト云フ

[やぶちゃん注:「(シヤンツアオ)」はルビではなく、本文。「香草」“xiāngcǎo”(シィアンツァオ)。セリ目セリ科コエンドロ属コエンドロ Coriandrum sativum。中華料理や東南アジア料理で用いられる、あれ。学名で判る通り、コリアンダーのこと。花は確かに遠目にはゲンゲマ(マメ目マメ科マメ亜科ゲンゲ属ゲンゲ Astragalus sinicusに似るが、全くの別種である。

「神道碑」(しんどうひ)は中国の文章の種類の一つで、墓前に立てた石碑に刻して、墓主を記念する文章。通常は散文で書く伝記部分である「序」と韻文で頌する「銘」とから成る。「神道」とは墓の南東方のこととも、墓穴に通ずる羨道(えんどう)のこととも言われるが、孰れにしても石碑は実際には墓前に立てられる。唐制では碑を立てることの出来るのは五品以上の官に限られ、それ以下の者は同様の文章を「墓碣銘(ぼけつめい)」又は「墓表」と呼び、区別する(以上は平凡社の「世界大百科事典」に拠る)。

「(ヤンリユ)」はルビで、「楊柳」“yángliŭ”(ヤンリォゥ)。本邦では専ら、キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属 Salix のシダレヤナギ Salix babylonica を指すが、大陸では多様な種が植生する。]

 

○戲臺 門前の石獅上をむく 石佛古寺(群靑へ金) 雲崗堡第六學區區立國民學校の札 右に鐘樓 左に鼓樓 門 堂ノ屋瓦靑 佛籟洞 棺(3) 藁 馬糞 入口のアアチの女 庫裡ノ壁中央マデ黃ニヌリ靑ニテ花ヲ描ク「山西獨特ダヨ」 ○穴の中に鳩あり 麥ひき場となり石臼あるあり 民家ノ一部トナルアリ 犬盛ニ吠ユ 碧霞觀アリ 煉瓦の門を二つ三つくぐる 石をつみし塀 枯茨をのせる ○山は皆頂平なり 畑は粟多し 「地しばり」の黃花

[やぶちゃん注:「戲臺」中国で劇場の舞台を指す。唐代では各種の芸能の演ぜられた戯場は大寺院の境内や周辺に集中したが、宋代になると、都市の盛り場に常設され、中には数千人を入れる大規模なものもあって,「勾欄(こうらん)」と呼ばれた。方形の舞台を欄干で囲んで観客席と仕切った。また、元代には地方巡業の一座が廟に戯台を設けたり、空地に小屋掛けしたりしており、この様式は現在までも続いている(平凡社「世界大百科事典」に拠る)。

「石佛古寺」雲崗石窟(うんこうせっくつ)のこと。(グーグル・マップ・データ)。山西省大同の西十五キロメートルの、武州川の北岸の断崖に造られた北魏の石窟寺院。全長は約一キロメートルにも及び、敦煌石窟、竜門石窟とともに「三大石窟」と称され、大同石仏として知られる。大小五十三窟があり、東方・中央・西方石窟群の三箇所に分かれる。開削は四六〇年、沙門統(しゃもんとう)曇曜(どんよう)が時の皇帝文成帝に石窟五所を営みたいと奏上したのに始まり、この最初期の五窟(西方石窟群に含まれる)が完成したのは四六五年頃で、これを「曇曜五窟」と呼称する。それぞれの石窟内部に十数メートルもある本尊像が立ち並ぶさまは壮観で、これを取り巻く仏・菩薩・天人などの群像は、いずれも素朴で力強い作風を示し、遊牧部族だった北魏の拓跋(たくばつ)族のたくましいエネルギーを感じさせる。太武帝の時代に厳しい仏教弾圧を経験した直後だけに、仏教を永遠不滅なものにしたいという願いがここに凝集したかのようである。文成帝が崩ずると、十三歳の献文帝が立ち、ついで五歳の孝文帝が即位するが、政治の実権は文成の皇后、馮太后(ふうたいごう)の手に握られていた。彼女は熱烈な仏教信者で、側近の元老たちも仏教に熱心であったことから、北魏の仏教は繁栄した。雲崗石窟の造営も活発を極め、石窟の造営は東方から西方部分へと広がっていった。涼州出身の僧である曇曜は四八〇年代まで、二十年余も沙門統の地位にあって活躍したが、彼の率いる北涼系の工人集団が、石窟の造営、仏像の制作などの主流を占めていたものと考えられている。雲崗の仏像様式が西方の影響を強く受けていることは、シバやビシュヌ神のようなインドの神々、牛や金翅鳥(ガルーダ)にのる多面多臂(たひ)像の存在によって明らかであるが、釈尊の生涯を描いた仏伝図、その前生の物語である本生(ほんしょう)図をはじめ、盧遮那仏(るしゃなぶつ)。阿弥陀仏・多宝仏・弥勒菩薩・観音菩薩・維摩(ゆいま)や文珠など、造像の種類も豊富である。創建当初は極彩色に輝いていたが、今日残る彩色は近世の補修である。以上は小学館の「日本大百科全書」に拠った。芥川龍之介は北京滞在中の六月二十五日から七月九日の間に雲崗石窟を見学している。この雲崗石窟は六月二十四日に訪問する予定であったが、列車のストライキにより行けなかったことが分かっている

「雲崗堡第六學區區立國民學校」不詳。

「佛籟洞」雲崗石窟東方石窟群の中の第八窟。私も見たが、「棺」の記憶はない。に画像がある。

「山西獨特ダヨ」案内してくれた人物の解説の記録。

「碧霞觀」これは道教の女神で泰山信仰で最も人気のある女神碧霞元君(へきかげんくん)を祀る道観であろう。別名を「天仙聖母碧霞玄君」「泰山老母」「泰山玉女」「天仙娘々(てんせんにゃんにゃん)」などとも称し、出世・結婚・豊作など、広範な祈願成就の対象とされる。参照したウィキの「碧霞元君によれば、『特に華北地方では、西王母を凌ぎ、女神としてはもっとも信仰を集めている』。『そのルーツは、泰山の守護神・東岳大帝の娘・玉女大仙あるいは、後漢の明帝の時代の石守道という人の娘・玉葉との二説が有力』で、また、『泰山の碧霞宮に奉られて、泰山三郎(炳霊公)や泰山四郎の姉か妹に』当たるとされる。『他にも観世音菩薩の生まれ変わりなど』、『複数の説が存在する』。『碧霞元君は、どんなに信心薄い者の願いでも聞いてくれ』、『神々の中でも、もっとも優しい女神であるとされ』ている。『その神格も商売繁盛・子宝祈願・夫婦円満・病気治療の祈願や人々にお告げをもたらしてくれるなど、非常に幅広いご利益があるとされ』、現在でも『多くの信仰を集めている、とある。

「地しばり」キク亜綱キク目キク科タンポポ亜科ニガナ(苦菜)属イワニガナ Ixeris stolonifera の別名。地面を這うように伸びて広がる根の様子が、地面を縛っているように見えることに由来する。]

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