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2018/01/18

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 隱れ里 五

 

     

 

 また諸國の峠路には往々にして中宿と云ふものがあつた。雙方麓村から運んで來る荷物を爰に卸して、隨時に向から釆て居る荷物を運び歸り夫々名宛先へ屆ける風習が近頃まであつた。これも鳥居氏は自説に引き込まれるか知らぬが、やはり明白に勞力の節約を目的として始まつた文明的の運送契約である。その中宿の在つたと云ふ地は澤山あるが、秋田縣ではこれを易荷(かへに)と稱し、砂子澤から大杉湯の臺へ越える山路、また生保内(おぼない)から岩手縣の橋場へ行く峠にも、このために無人の小屋が設けられて、單に下から運んで荷物を置いて還るのみらず、椀小鍋等の食器迄が一通り備へてあつた。小安村から仙臺領へ越える道にもこの中宿があつた。關東では野州日光町の人が栗山方面の山民に味噌や油を送り、彼から木地や下駄材を取るにもやは此中繼法を採用し、最近までも安全に交易が行はれて居た。甲州東山梨郡の奧から北都留郡の小菅村へ越える上下八里の峠、及び多摩川水源の日原(につぱら)から秩父の大宮へ越える六十里越などにも、共に百年前までは道半分の處にこの種の中宿があつた。信仰の力を以て相手の不正直を豫防せんとしたものか、後者には道祖神の宮があつて荷物は皆その宮の中へ入れて置き、前者も亦其地に雙方の村から祭る妙見大菩薩の二社があつて、そのために峠の名を大菩薩阪と呼んで居た。既に此の如く信仰までが彼此共通であつた位で、これを異民族間に始まつた無言貿易と同視し得ないのは分明なことである。

[やぶちゃん注:「中宿」一応、「なかやど」と訓じておく。ちくま文庫版全集でもルビはない。

「砂子澤から大杉湯の臺へ越える山路」現在の秋田市上北手猿田砂子沢((グーグル・マップ・データ))の北西に上北手大杉沢という地名がある。それほど高くない丘陵を挟んではいるが、ここか。

「生保内(おぼない)から岩手縣の橋場へ行く峠」現在の秋田県仙北市田沢湖生保内((グーグル・マップ・データ)以下同じ)から秋田街道を、東の岩手県岩手郡雫石町橋場()への峠越え。これはかなりきつい山越えである。

「小安村」現在の秋田県湯沢市皆瀬(小安峡・小安温泉などの名が残る。から南東に宮城県栗原市へと山越えするルートか。これは相当、きつそうだ。

「栗山」栃木県日光市日向(東照宮の北方十三キロメートルほどの山中)の附近か(地図上に「日光市立栗山小中学校」の名を確認出来る)。

「東山梨郡の奧から北都留郡の小菅村へ越える上下八里の峠」山梨県北都留郡小菅村は。後に出る「大菩薩阪」(嶺・峠)はだから(山梨県甲州市塩山上萩原)、現在の甲州市の塩山の東北部からそこに抜けて、東京都の奥多摩町へと向かうルートである。

「多摩川水源の日原(につぱら)から秩父の大宮へ越える六十里越」東京都西多摩郡奥多摩町日原は。「秩父」「大宮」則ち、現在の埼玉県秩父大宮は

「妙見大菩薩」北極星を神格化した菩薩(道教の北極星信仰と結びついたもの)で、国土守護・除災厄除・招福長寿を司るとされる(仏教では実際には天部に配する)。本邦では特に眼病平癒を祈り、密教と日蓮宗に於いて祀られるケースが多いが、民間で単独で信仰されたことも多かった。]

 

 中宿に膳椀の類を備へて人の使用に任せると云ふことも例の多いことである。會津から越後の蒲原へ越える六十里越八十里越にも近い頃まであつた。いわゆる日本アルプスの山中の小屋にも、一通りの食器を備へたものがあつたと云ふ話は登山者から聞いた。丹後田邊の海上三里の沖にある御島、又は北海道の奧尻島のごとき、ともに食器・炊器とともに若干の米さへ殘してあつて、誰も管理する人はいなかつた。これは風波の難を避けて寄泊する船人のために存する舊慣で、丹後の方ではやはりその地に祭神不明の神社があつて、その社の中に藏置してあつたと云ふ話である。

[やぶちゃん注:「會津から越後の蒲原へ越える六十里越八十里越」ルート

「日本アルプスの山中の小屋にも、一通りの食器を備へたものがあつたと云ふ話は登山者から聞いた」これは当たり前ですよ、柳田先生。

「丹後田邊の海上三里の沖にある御島」「丹後田邊」は現在の舞鶴であるが、この島は不詳。識者の御教授を乞う。

「奧尻島」。]

 

 要するに通例人がいて管理すべき取引を、何かの都合で相手次第に放任して置いたとても、其㋾以て直に窮北未開民族の間に存する奇異なる土俗と同系のものと見ることは速斷である。但し今一段とその根源に遡つて、後世我々の間に行はれた人なし商ひも、最初は觸接を憎んだ異民族間の貿易方法を、學んだものだらうと云ふ假定は立ち得るかも知らぬ。しかも之を確實にする爲には別に證據材料が無くてはならぬ。府縣に散布して居る所謂椀貸傳説が、殘念ながらその證據には些ともならぬことは、是から自分がまだ言ふのである。鳥居氏がこんなあやふやな二つの材料を以て、日本にも曾て無言貿易の行われた論據とせられ、二つも材料があるからは殊に確かだと云ふ感じを、與へんとせられたのは宜しくないと思ふ。

[やぶちゃん注:「些とも」「ちつとも(ちっとも)」。]

 

  家具を貸したと云ふ諸傳説において、最も著しい共通點は報酬のなかつたことである。唯一つの例外と言つた駿州大井川の楠御前でも、竹筒に二つの神酒は單に感謝の表示で、借料とは到底考へられぬのである。然らばこれ明らかに恩惠であつて對等の取引では無い。第二に注意すべきは文書を用いたと云ふ例である。小學教育の進んだ當節では、如何なる平民同士の間にも文書は授受せられるが、農人の大部分が無筆であつた前代に於ては、是は或智力の勝れた者の仲介を意味して居る。相手も亦手紙の讀めるえらい人又は神であつたと云ふことを意味して居る。語を換へて言へば、啻に今日の人の目にさう見えるのみでなく、この話を半ば信じて居た昔の田舍人に於ても、此不思議を以て信仰上の現象又は少なくとも呪術の致す所と考へて居たのである。從つて次々に尚述べるやうに、椀類の貸主に關する多くの言傳へは、無言貿易の相手方などゝは大分の距離がある。水の神と云ひ龍宮からと云ふ説明も、偶然ながら此傳説の成立ちと、其後の變化とに關する消息を漏らして居るやうに思はれる。

[やぶちゃん注:「啻に」「ただに」。「唯に」と同じい。]

 

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