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2018/01/20

芥川龍之介畏友井川恭著「翡翠記」(芥川龍之介「日記より」含む) 「二十四」

 

    二十四

 

 鉄漿蜻蛉(おはぐろとんぼ)飛ぶ小川に沿うて、曼珠沙華(ひがんばな)咲く径を暫く辿って行き、流れに架けた土橋を渡ると、灌木と雑草とに蔽われた山の裾が僕たちの行方に塞(ふさが)り立っていた。

 露滋(しげ)い[やぶちゃん注:ママ。]草叢を分けながら僕は先頭に立って山をのぼり始めた。含み切れない程雨の気をふくんだ雲の塊りが日の光をぬすみながら急ぎ足して頭上の空を過ぎて行った。

 緑りさびしい秋艸(あきくさ)はのぼって行く三人を取り巻いて山一面に茂りしげっていた………萩、なでし子、女郎花(おみなえし)の花など、山蔭を吹く秋かぜに馴染んで色淡(うす)くかたち仄かに咲く艸の花が、右にも左にも前にも背後(うしろ)にも咲きみちていた。山帰来(さるとりいばら)の長い蔓にはつぶらな果(み)が鈴(すず)生って居り、蓋(さら)をかぶったどんぐりは青い葉かげに黙って隠れていた。[やぶちゃん注:太字「どんぐり」は底本では傍点「ヽ」。]

 微かに蒸れる草の葉のかおり、木の葉の芳(かお)りにまじって、短い生命(いのち)のせつなさを歌う虫の声が静かな谷から谷へひゞいて行くのを聴きながら山を蔽う艸のはなのそれ此れに眼路(めじ)を移してはかなく覚束なげな色どりを眸(ひとみ)が映したとき、稚い頃から胸に刻まれている「秋」という季節の観念ははっきりと心に喚(よ)びさまされた。

 春や夏や冬やの訪れよりも「秋が来たな」と思わせる自然の物象の暗示のなかにこそ、季節の推移の底にひそむ或るものの意味は一層切実に語られているように思われる。勿論そうした心持のうちには因襲的な分子も少からず含まれているには相違無いが、あの華麗な光と豊満な熱とにかゞやき誇っていた夏の栄えが凋落(ちょうらく)と頽廃と静寂とを交えた火炉(かろ)の中へ投げ込まれて亡びて行くと云う――不可抗の運命律の基調の年々(ねんねん)の繰返しを経験するところの心が、自分自身の存在の反省からおのずと涌いて来る不安の情(こころ)に浸りながら、鋭敏な感触の眼(まなこ)を徐(しず)かに穏かにながれて行く萬象(ばんしょう)の推移の裡(うち)に潜ませているのではあるまいか。

 繊細な軽微な刺戟が心に伝えられたとき、或る複雑な原因からして、例えば鋭く尖った針のさきを揉(も)み込んだように、その刺戟が心の深い暗い窪みを穿って、そこにながい間懶(ものう)い眠りをつゞけている人生観に剃那的の痛覚を与えることがある。

 「秋だな」と云う感じの反面にはそれに類した心の揺(うご)きがあった。瞬時撹(か)きみだされた心の底が再び沈潜の状態に復(かえ)ったとき、其処に「秋」は細微の一点の痛みの痕(あと)と成って宿っていた。

 山の襞(ひだ)を縫うて登って、山の脊梁の一部分にたどり着くと、そこから路は丹(あか)い土の肌の露出している上を次第に山の脊梁の高い部分へと導いている。ねずみ槇(まき)だの黄楊(つげ)だの筑波根(つくばね)うつぎだのと云ったような灌木が裸かな山の胸にしがみ付いて匍匐(はらば)うているあいだには、古びた毛氈(もうせん)を敷きつめたように乾からびた羊歯(しだ)の葉がぎっしり茂っていた。

 「この山は簡単(てがる)に高山(こうざん)に登ったような気のする山だね。なんだか山の相(すがた)がばかに高山染みていて」と龍之介君が微笑した。

 「麓までが近くて、わけ無くのぼれて、それでいて眺めが佳いんだからね」と僕は自分の有(も)っている物を誇るような口調で云った。

 

[やぶちゃん注:「鉄漿蜻蛉(おはぐろとんぼ)」トンボ目イトトンボ亜目カワトンボ上科カワトンボ科カワトンボ亜科アオハダトンボ属ハグロトンボ Calopteryx atrataウィキの「ハグロトンボ」によれば、成虫の体長は五十七~六十七ミリメートル、後翅長は三十五~四十四ミリメートルほどで、『トンボとしてはやや大型。雌の方が雄より若干大きいが、大差はない。翅が黒いのが特徴で、斑紋はなく、雄は体色が全体的に黒く緑色の金属光沢があるのに対し、雌は黒褐色である。他のトンボのように素早く飛翔したりホバリングしたりせず、チョウのようにひらひらと舞うように羽ばたく。その際、パタタタ……と翅が小さな音を立てる。どこかに留まって羽根を休める際もチョウのように羽根を立てた状態で、四枚の羽根を重ねて閉じるという特徴がある』とある。グーグル画像検索「Calopteryx atrataをリンクさせておく。

「山帰来(さるとりいばら)」「さるとりいばら」というルビに拠るならば、単子葉植物綱ユリ目サルトリイバラ科シオデ属サルトリイバラ Smilax china となる。果実は直径七ミリメートル程の球形の液果で、秋に熟すと、赤くなる。これ(リンク先はウィキの「サルトリイバラ」の実の画像)。「山帰来」という漢字表記に拘ると、ユリ目サルトリイバラ科シオデ属ドブクリョウ(土茯苓)Smilax glabra を指すが、同種は本邦に植生しない(中国南部、台湾に自生する多年生草本。この塊茎は「山帰来(サンキライ)」という生薬で、「日本薬局方」にも収録されている。吹出物・肌荒れなどに効果があるとし、古くは梅毒の治療薬ともされた)から違う。同属のサルトリイバラを「山帰来」と呼称することもある、とウィキの「ドブクリョウ」にあるので、前者でとってよく、井川の誤りでもない。

「眼路(めじ)」「目路」とも書く。目で見通した範囲・視界の意。

「ねずみ槇(まき)」裸子植物門マツ綱マツ目マキ科マキ属イヌマキ(犬槇)Podocarpus macrophyllus の異名か。ウィキの「イヌマキ」によれば、ニンギョー(山口県)・ニンギョノキ(大分県・長崎県)・ネンネンゴ(静岡県)・ヤゾーコゾー(静岡県)・サルモモ(静岡県・福井県・島根県・山口県)・サルミノ(大阪府・山口県)・サルノキンタマ(山口県)という異名が記されてあるが、別種かも知れぬ。識者の御教授を乞う。ともかくも、グーグル画像検索「Podocarpus macrophyllusをリンクさせておく。

「黄楊(つげ)」被子植物門双子葉植物綱ツゲ目ツゲ科ツゲ属 Buxus microphylla 変種ツゲ Buxus microphylla var. japonicaグーグル画像検索「Buxus microphylla var. japonicaをリンクさせておく。

「筑波根(つくばね)うつぎ」双子葉植物綱マツムシソウ目スイカズラ科ツクバネウツギ属ツクバネウツギ Abelia spathulataグーグル画像検索「Abelia spathulataをリンクさせておく。]

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