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2018/01/22

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 隱れ里 七

 

     

 

 自分が徒らに話を長くする閑人で無いことは、大急行の話し振りでも御諒察が出來るであらう。何分問題が込み入つて居るので今少し他の方面から𢌞つて見ぬと趣意が立たぬ。椀貸と無言貿易との關係を窺ふ爲に、是非とも考へて置かねばならぬのは、貸主に關する各地色々の言傳へである。愛媛縣溫泉郡味生(みぶ)村大字北齋院の岩子山の麓の洞穴には、昔異人此中に住んで居て村の者に膳椀を貸したと云ふ話がある。是も前日に洞の前に往き口頭または書面にて申し入れて置くと、翌朝は數の如く出してあつたと言ひ、又橫着な者が返辨を怠つてから貸さなくなつたと傳へて居る。異人と聞くと何となく白髮の老翁などを聯想するが、他の地方には越中の家具借の池のやうに、美しい女神を説くものが多いのである。例へば信州木曾の山口村の龍ケ岩は、木曾川の中央に立つ巨岩で、上に松の樹を生じ形狀怪奇であつた。吉蘇志略には此事を記して「土人云ふ靑龍女あり岩下に住す、土人之に祈れば乃ち椀器を借す、後或其椀を失ふ、爾來復假貸せず、按ずるに濃州神野山及び古津岩頗る之と同じ、是れ風土の説なり」とある。古津岩と云ふのは今の岐阜縣稻葉郡長良村大字古津の坊洞一名椀匿し洞のことで、村民水の神に祈り家具を借るに皆意の如し、その後黠夫あり窺い見て大いに呼ぶ、水神水に沒して復見えずと濃陽志略に見えて居る。神野山とあるのは同縣武儀郡富野村大字西神野の八神山(やかいやま)で、是も同じ書に山の半腹にある戸立石と云ふ大岩、下は空洞にして水流れ出で、其末小野洞の水と合し津保川に注ぎ入る。神女あり此岩穴の奧に住み椀を貸しけるが、或時一人の山伏椀を借らんとて神女の姿を見たりしかば、後終にその事絶ゆとある。九州では宮崎縣東臼杵郡北方村荒谷の百椀とどろと呼ぶ谷川の潭にも、水の中から美しい女の手が出て百人前の椀を貸したと云ふ處がある。この淵も亦龍宮へ續いて居ると云ふことであつた。或時馬鹿者が椀拜借に來て、その美しい手を引張つて見てから以後、爰でも永く椀を貸さなくなり、しかも今以て其水で不淨を洗へば祟りがある。

[やぶちゃん注:「愛媛縣溫泉郡味生(みぶ)村大字北齋院の岩子山」現在の愛媛県松山市北斎院町の岩子山(いわこさん)緑地附近。(グーグル・マップ・データ)。

「信州木曾の山口村の龍ケ岩」旧長野県南西部にあった旧長野県木曽郡山口村。島崎藤村の出生地である馬籠宿で知られ、古来より関係の親密であった岐阜県中津川市と県を超えた合併をし、現在は岐阜県中津川市山口である。附近と思われる(グーグル・マップ・データ)が、「龍ケ岩」の現在位置は不詳。識者の御教授を乞う。

「吉蘇志略」尾張藩士で儒学者・地理学者であった松平君山(くんざん 元禄一〇(一六九七)年~天明三(一七八三)年)が宝暦七(一七五七)年に著わした木曾地方の地誌。

「岐阜縣稻葉郡長良村大字古津」現在の岐阜市長良古津(ふるつ)。長良川北岸に位置する。(グーグル・マップ・データ)。

「黠夫」「かつふ」と読む。悪賢い男。

「濃陽志略」先に注した松平君山が宝暦六(一七五六)年に著わした美濃国の地誌「濃州志略」の別称。

「同縣武儀郡富野村大字西神野の八神山(やかいやま)」既出既注であるが、再掲する。現在の岐阜県関市西神野地区内であろう。(グーグル・マップ・データ)。但し、「八神山(やかいやま)」は地図上では見出せない。「津保川」は同地区の南端を流れる。

「宮崎縣東臼杵郡北方村荒谷」現在の宮崎県延岡市北方町の荒谷(あらだに)地区。附近(グーグル・マップ・データ)と思われる。

「百椀とどろ」「とどろ」は「滝」のことで、「轟く」が原義か。]

 此等の話だけを粗末に見ると、故坪井先生の珍重せられたコロボツクルの少女の手を窓越しに振つてから、アイヌとの交通が絶えたと云ふ北方の言傳へと、一寸似て居るやうにも思はれるが、日本で水の神を女體とすることは古く且弘い俗信であつた上に、浦島子傳より更に以前の神話から考へても、佛教並に支那の思想の附添へから推して見ても、龍宮は寶の國如意の國、最も敬虔にして且幸運なる者が、僅かに稀に通ふことのできる國と定まつて居たので、さてこそ斯樣な此方にばかり好都合な交通が、處々の水際に於て行はるゝものと考へ得るに至つたのである。是をしも譬へば蝦夷の妻娘でもあつたかのように想像することは、恐らくは當世の新人物と雖も、尚好い感じを起さぬであらうと思ふ。

[やぶちゃん注:「故坪井先生」自然人類学者坪井正五郎(文久三(一八六三)年~大正二(一九一三)年)。理学博士。ウィキの「坪井正五郎によれば、『蘭方医・坪井信道の孫として江戸に生まれた(父は信道の女婿、幕府奥医師坪井信良』)。明治一〇(一八七七)年に『大学予備門に入り』明治一九(一八八六)年、『帝国大学理科大学動物学科』を卒業すると、そのまま『帝国大学大学院に進学』、『人類学を専攻、修了後の』明治二一(一八八八)年、『帝国大学理科大学助手』となったが、翌年より三年間、『イギリスに留学』、三年後に帰国すると、『帝国大学理科大学教授』となった。『日本の人類学の先駆者であり、日本石器時代人=コロポックル説を主張したことで知られている』。明治三六(一九〇三)年の第五回内国勧業博覧会では学術人類館に協力した』。第五回万国学士院大会出席のために『滞在していたロシア・サンクトペテルブルクで、急性穿孔性腹膜炎のため客死』した。『人類学の創始者として鳥居龍蔵などを育て』、また、『柳田国男と南方熊楠を結びつけ』た人物でもある。

「コロボツクルの少女の手を窓越しに振つてから、アイヌとの交通が絶えたと云ふ北方の言傳へ」こんちゃん氏のブログ「こんどう史科医院の裏ブログ」の「錬金術ともののけ姫 第3回 借りぐらしのアリエッティ」によれば、宗谷地方の伝説とある。それによれば、『その昔』、『アイヌとコロボックルが共存していたころ、コロボックルはアイヌに姿を見せることなく、アイヌの家の窓を通して鹿肉や魚などを置き、アイヌがそれをとって同じ場所に代価となる品物を置く、という形で交易をおこなっていた。ところがあるアイヌの男がどうしてもコロボックルを見たくなり、窓から品物が差し入れられたところで、それを持つ手を思い切り引っ張った。こうして、その手の主がたちまち家の中に引きずり込まれた。男が見るとそれはとても美しい少女だった』。『コロボックルたちはこの男の背信を怒り、もはやアイヌとは一緒に住めないと北の海の彼方に去って行ってしまった』とあるではないか! これはまさに精霊族と人間との無言交流・無言貿易の神話に他ならないではいか! 柳田國男は鳥居龍蔵の無言貿易という概念を民俗学的に排除するために、それをわざと問題にしていないのだとしか、私には思えない。こういう小手先でうやむやに逸らすのは、実に糞アカデミストの常套手段でしかないと私は強く思う。

「蝦夷の妻娘でもあつたかのように想像することは、恐らくは當世の新人物と雖も、尚好い感じを起さぬであらうと思ふ」柳田國男の差別意識の底が知れる、持って回った厭な言い回しではないか。]

 

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