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2018/01/18

芥川龍之介 手帳8 (16) 《8-18》

《8-18》

○甲人噓をつかぬ教育をうけ、乙人噓をつく教育をうく 甲いろいろ苦しみ後安し 乙いろいろ苦しみ後安からず 同樣同情するやうにする

○特殊部落の人その輕べツサルルハ父母ノ所爲ノ下等ノ爲卜思フ 父母ヲニクミソノ家ヲ去ル 立身シソノ素性を知ラレ輕蔑サレ父母ノモトヘカヘル

[やぶちゃん注:「特殊部落」差別用語であるので以上の条は批判的に読まれたい。平凡社の「特殊部落」から引いておく(コンマを読点に代えた)。『明治後期から今日まで、被差別部落とその出身者に対して用いられてきた差別呼称。被差別部落問題への無理解と深刻な部落差別意識を根底に潜めた差別語であり』使用は『避けられるべきであるが、近代における部落問題の歴史と部落差別意識を解明する』上で、『きわめて重要な言葉である。この言葉は』明治四〇(一九〇七)年の政府が行った『全国部落調査の際に用いられたように、日露戦争後の部落改善政策の中で行政機関が使い、新聞記事などによって民衆の間にも広まったが、主として被差別部落の起源を異民族に求め、部落の人々の祖先を古代の朝鮮半島からの〈渡来人〉や律令国家の征服した〈蝦夷(えぞ)〉などとする誤った歴史認識に』基づいた、とんでもないものであった。]

 

○松南 山本梅叟の弟子

[やぶちゃん注:「松南」画家牛田松南(明治三(一八七二)年~昭和二〇(一九四五)年)。知多郡豊浜町山田生まれ。名は円空。幼い頃に僧籍に入り、傍ら、山本梅荘に画を学んだ。仏門修業のために大阪に移ったが、還俗して金沢に長く住み、画家として一本立ちが出来るようになったことから、上京したが、戦災で負傷、それが悪化して亡くなった(ブログ「松原洋一・UAG美術家研究所」の「南画の衰退、そして近代日本画へ」に拠った)。

「山本梅叟」山本梅荘(弘化三(一八四七)年~大正一〇(一九二一)年)の号の誤り前注のリンク先から引く。碧海郡新川鶴ケ崎村(現在の愛知県碧南市新川)に生まれ、後に半田に出た。通称は倉蔵で、別号に半村・半邨・楳荘がある。書画骨董を商う養父公平から特殊な教育を受けて画術を独修、後に京都に出て、『貫名海屋に学び、さらに三谷雪えんに従って画を修めた。帰郷後、元明清の古蹟を臨模し、王石谷に私淑し、山水を最も得意とした』。明治一五(一八八二)年の『第一回内国絵画共進会で金牌を受け、南宗水墨画では梅荘に及ぶものがないといわれた。晩年には彩色の花鳥画も多く描き、大正元年には中部からはじめて文展委員となり』、同三年からは『審査員をつとめ、旧派の代表だった』とある。]

 

○口から人魂の出た話 古川先生

[やぶちゃん注:芥川龍之介は怪奇談採集が趣味であった。私の古い電子テクストで、私の偏愛する芥川龍之介怪談採録椒圖志異を参照されたい。

「古川先生」不詳。]

 

○壬申の亂 民衆の力

[やぶちゃん注:考えてみると、芥川龍之介には神話古代や王朝物、中世・近世(江戸)物が数多あるが、この時期のものは、まず見当たらない。]

 

○⑴淸長ノ豆男江戸見物(3vol) 天明二 市場通笑 ⑵魂膽色遊懷男(榮花遊び出世男)(寶永正德) ⑶榮花娘 ⑷風流三代枕(5册) ⑸快談夜の殿 ⑹百鬼夜行 ⑺男色比翼鳥(6册)

[やぶちゃん注:「案上の書」(大正一三(一九二四)年六月『新小説』)及び「案頭の書」(翌月の同誌)の後半(「二」の部分)に「豆男江戸見物」「魂膽色遊懷男」の書名が出る。以上(単に分割公開したもので、未完に終わった)の二篇を合わせて、現行の全集では「案頭の書」として載せる。芥川龍之介の蔵書から江戸時代のものを二冊(「古今實物語」と「魂膽色遊懷男」)を紹介し、寸評した随筆。「青空文庫」のこちらで読める。因みに「案上」も「案頭」も「机上」の意。

「豆男江戸見物」(まめおとこえどけんぶつ:現代仮名遣。以下同じ)は「天明二」(一七八二)年板行の、「市場通笑」作・鳥居「清長」の黄表紙。ウィキの「豆男江戸見物」によれば、『山科の里の大豆(まめ)』(二字で「まめ」)『右衛門という男が、仙女から豆男に変身する秘薬をさずけられ、京都、大坂、江戸をめぐり歩き、好色的歓楽を経験する』という荒唐無稽な好色本。芥川龍之介は「魂膽色遊懷男」の原型とするが、これ自身が、元禄六(一六九三)年の西鶴の「浮世栄花一代男」、元禄八年の桃林堂蝶麿の「好色赤烏帽子」の模倣作でしかない。絵本版の一部が酔いどれ親父サイトの「浮世絵」で見られる。

「魂膽色遊懷男」(こんたんいろあそびふところおとこ)は江島其磧(きせき 寛文六(一六六六)年~享保二〇(一七三五)年)作の浮世草子。西川祐信画。宝永年間(元禄の後で一七〇四年から一七一一年まで。「正德」その次で、芥川龍之介は刊行が不確かであったから添えたのであろう)に板行された。後に改題して「色道假寢枕(しきどうかりねのまくら)」となった。五冊で一巻四話二十篇から成る。内容は先にリンクさせた「青空文庫」の芥川龍之介の「案頭の書」を参照されたい。

「榮花娘」漁柳作「潤色榮娘」(じゅんしょくえいがむすめ)。明和七(一七七〇)年成立か。豆男譚を模倣した豆女版。

「風流三代枕」作者不詳。菊川秀信画。明和二(一七六五)年序。これも豆男を主人公とした、春画集らしい。

「快談夜の殿」不詳。ちょっと新しいが、似たような名のものに、二世烏亭焉馬作で歌川国貞画になる「繪本開談夜之殿(えほんかいだんよるのとの)」(色摺半紙本三冊・文政九(一八二六)年)がある。「春画を見る・艶本を読む」展を参照されたい。但し、『亡魂となったお半が長右衛門の局部を引きちぎって暗い空へと昇り挙がる』とある通り、絵は強烈にエログロなので、自己責任で見られたい

「百鬼夜行」これやこれに類した名の図や絵巻は、複数、存在し、これだけでは具体的にどの作品を指しているのか判らない(ほど多い)。江戸時代で知られたものとしては、安永五(一七七六)年刊の烏山石燕作になる「畫圖百鬼夜行」(夜行は「やこう」とも「やぎょう」とも読む)であるが、これは妖怪を単発で描いたもので、文字通りの「百鬼夜行」図ではない。江戸に拘らなければ、室町時代の百鬼夜行絵巻などが個人的には正統な「百鬼夜行」であると考えており、それらはウィキの「百鬼夜行絵巻を見られたく、また他の作ならば、同じくウィキの「百鬼夜行などを参照されたい。因みに、私はこの手の絵巻のフリークで、近年出版のものは概ね所蔵している。ただ、前後の作品が好色本であるからには、これもその手の特殊な猥雑な「百鬼夜行」本なのかも知れぬ。私はその手の絵への興味がないので(私は猥褻な男としては人にひけをとらないが、どうもその手の春画は見ているうちに気持ちが悪くなっていけないのだ)、流石に所持していない。その手の〈好色百鬼夜行物〉を御存じの方は、是非、御教授を乞うものである。

「男色比翼鳥」(なんしょくひよくどり)東の紙子他作で奥村政信画。宝永四(一七〇七)年刊。前で紹介した、酔いどれ親父氏のサイトの「浮世絵」のこちらで全篇見られる。]

 

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