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2018/01/25

芥川龍之介 手帳9 (1)

 

芥川龍之介 手帳9

 

[やぶちゃん注:現在、この原資料は不明で、岩波新全集は旧全集を元としているので、底本は岩波旧全集第十二巻の「手帳(九)」に従った。なお、ここまで手帳ナンバーは新全集と同じアラビア数字を使用してきた関係上、それを使う。先の《8-1》というような通し番号は附せないので用いない。但し、今まで通り、旧全集の句読点は旧全集編者がほどこしたものであることは明白(これまでの芥川龍之介の手帳の癖及び新全集の本手帖の原資料からの活字化様態から)なので総て除去した。除去の跡は基本一字空けとしたが、私の判断で除去して詰めた箇所もある。「○」は項目を区別するために旧全集編者が附した柱であるが、使い勝手は悪くないのでそのままとした。但し、中には続いている項を誤認しているものもないとは言えないので注意が必要ではある。判読不能字は底本では□が記されているが、ここでは「■」で示した。また、「×」があるが、これは本当に「×」であるのか、旧全集編者による伏字かは明瞭ではない。前の「手帳8」では編者の政治的判断で「×」とした箇所が存在することが新全集の再判読で判明したからである

 適宜、当該箇所の直後に注を附したが、白兵戦の各個撃破型で叙述内容の確かさの自信はない。私の注釈の後は一行空けとした。

 新全集の「後記」では、メモされた内容の中で確定出来るものとして最も古い関連作品は「大導寺信輔の半生」(大正一四(一九二五)年一月『中央公論』)で、その後は「河童」「歯車」「侏儒の言葉」と続き、「カルメン」(大正一五(一九二六)年七月『文藝春秋』)を挙げている。]

 

○庭つちに皐月の蠅のしたしさよ

○サイダアにて口を火傷す 小僧

○この寺はただ木石の夜寒かな

○印刷屋の二階 下のリンテンキ鳴る 小さい汽船中にゐる如し ねられる(大和のりのレツテル インクのレッテル 縮刷朝日)

[やぶちゃん注:「ねられる」は「ねられぬ」の誤記か誤判読であろう。]

 

○ジムバリスト航海中の作曲を送る

[やぶちゃん注:ヴァイオリニストのエフレム・ジンバリスト(Efrem Zimbalist:ロシア語名:Ефре́м Алекса́ндрович (Аро́нович) Цимбали́ст:エフレム・アレクサンドロヴィチ(アロノヴィチ)・ツィンバリスト 一八八九年~一九八五年)。指揮や作曲・編曲も手がけた。ロシアのロストフ・ナ・ドヌにてユダヤ系音楽家の家庭に生まれ、指揮者であった父の楽団で八歳になる頃にはヴァイオリンを弾いていたという。十二歳でペテルブルク音楽院に入学、卒業後、ベルリンでブラームスの協奏曲を弾いてデビュー、一九〇七年にはロンドンで、一九一一年にはボストン交響楽団と共演してアメリカでもデビューし、その後はアメリカに定住した。古い時代の音楽の演奏によって、大いに人気を博した。大正一一(一九二二)年の初来日以来、四度に亙って来日した。(以上はウィキの「エフレム・ジンバリスト」に拠った)。]

 

○外にチヤルメラ吹き來る 方々へむける故 音かはる

○室外の日光は室内の光よりも百倍つよし 卽室外の一年は室内の百年に當る

[やぶちゃん注:紫外線による皮膚癌等のリスクの上昇やDNAの重大な損傷を考えれば、この芥川龍之介の言は医学的生物学的正しい感じがする。]

 

○電車にとび上らんとし 落ち 人事不省になる 住所を英語にて言ふ それより自信を生ず

[やぶちゃん注:大正一六(一九二七)年一月発行の雑誌『文藝春秋』に発表した「貝殼」の以下の章の素材メモ(リンク先は私の古い電子テクスト)。

   *

 

       十三 「いろは字引」にない言葉

 

 彼はエデインバラに留學中、電車に飛び乘らうとして轉げ落ち、人事不省になつてしまつた。が、病院へかつぎこまれる途中も譫語(うはごと)に英語をしやべつてゐた。彼の健康が恢復した後、彼の友だちは何げなしに彼にこのことを話して聞かせた。彼はそれ以來別人のやうに彼の語學力に確信を持ち、とうとう名高い英語學者になつた。――これは彼の立志譚である。しかし僕に面白かつたのは彼の留守宅に住んでゐた彼の母親の言葉だつた。

 「うちの息子は學問をして日本語はすつかり知り悉してしまひましたから、今度はわざわざ西洋へ行つて『いろは字引』にない言葉を習つてゐます。」

 

   *]

 

○カツパ語の語原 たとへばBAPRR(莫迦)はBAP(莊嚴)より來るが如し 又カツパには月光も日光なり

[やぶちゃん注:「BAPRR(莫迦)」「BAP(莊嚴)」は河童世界の架空言語と考えてよいが、英語の“Bap.”“Baptist”(バプテスト派(浸礼派):幼児洗礼を認めず、成人して信仰告白をした者にのみ全身洗礼を行なうべきと主張する、聖書主義の保守派)の意があるから、それを芥川龍之介は皮肉に掛けているように私には思われる。これは昭和二(一九二七)年三月発行の『改造』に発表された「河童」を書くに当たって、「Kappa」語(実際に作中にアルファベットで示される)についての言語学的体系及び文化的言語感覚をそれなりに芥川がしっかりと考えていた証しと言える(リンク先は私の草稿附き電子テクスト。他に私は別ページ仕立ての「芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈」や、『芥川龍之介「河童」決定稿原稿の全電子化と評釈』等、多彩な変わり種テクストを用意してある。お尋ねあれかし。]

 

○少年 禁煙 もろこしの毛を煙管につめてのむ

○樺太 ギリアアク犬 教導犬 二匹分一匹につとめる 氷の穴の中にて子をうむ 橇は他種の犬 ○黑百合あり ○氷の上を自動車にて走る シベリアとつづく 自動車を八十圓(トラツク)にて賣る 買ひ手なし ○鑵づめ三年分 ○海豹の敏感 七八町先にて人間を感ず ○ギリアアク犬五頭小樽は通り函館にてかへす 食糧人間よりかかる ○橫須賀へつき蛙をきく なつかし 東京ではなかず ○氷やけ 潮風を感ずる手

[やぶちゃん注:「ギリアアク犬」ここは所謂、シベリアからカナダ北極圏にかけてのツンドラ地帯を原産地とするシベリア犬(Siberian Husky:シベリアン・ハスキー:祖先はスピッツと同系とされる)ではなく、樺太及び千島列島で作り出された樺太犬(からふとけん: Sakhalin Husky:サハリン・ハスキー)であろう(樺太犬の剥製や写真を見るに、シベリアン・ハスキーとはかなり違う)。ウィキの「樺太犬」によれば、アイヌやニヴフ『などの北方の民族が犬ゾリ・猟犬に使っていた(いる)犬種』で、明治四三(一九一〇)年から二年、『白瀬矗を隊長とする南極探検隊に同行し』、『犬ぞり用の犬として活躍し、戦後の南極地域観測隊第一次越冬隊でも犬ぞり用の犬として採用された』『タロとジロのエピソードにより』、『有名な犬種。北海道では昭和』四十『年代くらいまで、車や機械にとって替わられるまで漁業、木材の運搬、電報配達、行商などに使役犬として働いていた。車社会の到来とともに使役犬として必要のなくなった樺太犬は他犬種と混血して雑種化したり、野に放されたものは』、時折しも、『エキノコックス症の発生とも時期が重なって』、野犬狩りに遇うなどし、一九七〇年『代頃にはほぼ絶滅してしまった』とある(涙)。以上に出たニヴフは、樺太中部以北及び対岸のアムール川下流域に住むモンゴロイドの少数民族で、古くは「ギリヤーク」と呼ばれた。アイヌやウィルタと隣り合って居住していたが、ウィルタ語の属するツングース諸語ともアイヌ語とも系統を異にする固有の言語であるニヴフ語を持っている。

「二匹分一匹につとめる」これは二匹で一頭分の仕事をこなすというのではなくて、社会性が非常に高く、分業や割当に於いて高度な調教と効率の良い実労働が可能であることを指しているように思われる。]

 

○婆曰 うちの旦那はえらい 日本語はすつかり覺えてしまつて外國へ行つて辭引きにない字を學つてゐる

[やぶちゃん注:先に注した「貝殼」の『十三 「いろは字引」にない言葉』と同内容のメモ。]

 

○釜に金魚 植ごみ

○家中にて動物園へ行く 象談出る(子供たち) 姉曰 象強し 鐵砲にも打たれぬ いざと言へば釘を足の裏へさせばよし(皆默つてゐる) (突然) 豚の尻尾は柿の蔕だね ○妹曰、あれは猪 母曰 いつか駱駝に紙をやつたね 妹曰 あれは羊だ(笑ふ) 母曰 福島中佐の馬ゐるか? 末弟 末妹曰 馬なんかゐなかつた 福島中佐つて何だ? 母曰 シベリアをぬけた人だ(ボンヤリ) ○虎談出る(男の子たち) 牛を手でころす話 いざとなればヤツと氣あひをかけ虎の口ヘ手をつつこめば殺すことを得べし 猫をこはがる少年 一つ上の姉送つてやる 中學三年にもなつていかれぬやつはない 姉 妹と思はる 中學生もトシ子トシ子と言ふ お前は子供にかへつたか おしろいなどつけてゐる(コノ間末弟虎のまねをして步く)

[やぶちゃん注:「トシ子トシ子」の後半は底本では踊り字「〱」。思うに、これは高い確率で盟友の画家小穴隆一が語った話をメモしたものではなかろうか? 私の『小穴隆一「鯨のお詣り」(56)「遠征會時代」』を読まれたい。酷似したシーンが登場するのである。

「談」二箇所とも「ばなし」と訓じておく。

「蔕」「へた」。

「福島中佐」日本陸軍軍人福島安正(嘉永五(一八五二)年~大正八(一九一九)年)。ウィキの「福島安正」によれば、信濃国松本城下(現在の長野県松本市)に松本藩士福島安広の長男として生まれ、慶応三(一八六七)年に江戸に出、『幕府の講武所で洋式兵学を学び、戊辰戦争に松本藩兵として参戦』、明治二(一八六九)年には『藩主・戸田光則の上京に従い、開成学校へ進み外国語などを学』んだ。その後、明治六(一八七三)年四月に明治政府に仕官、司法省から文官として明治七(一八七四)年に陸軍省へ移った。二年後の明治九年には七月から十月までアメリカ合衆国に「フィラデルフィア万国博覧会」への陸軍中将西郷従道(つぐみち)に随行、明治一〇(一八七七)年の西南戦争では福岡で征討総督府書記官を務めた。明治二〇(一八八七)年、陸軍少佐に昇進した彼はドイツのベルリン公使館に武官として駐在し、公使西園寺公望とともに情報分析を行い、ロシアのシベリア鉄道敷設情報などを報告しているが、明治二五(一八九二)年の帰国に際して、『冒険旅行という口実でシベリア単騎行を行い、ポーランドからロシアのペテルブルク、エカテリンブルクから外蒙古、イルクーツクから東シベリアまでの』約一万八千キロを一年四ヶ月『かけて馬で横断し、実地調査を行う。この旅行が一般に「シベリア単騎横断」と呼ばれるものである。その後もバルカン半島やインドなど各地の実地調査を行い、現地情報を』日本陸軍に齎したことで知られる。福島の「シベリア単騎横断」については、未完ながら、こちらに詳しい解説がある。この馬は幸せにも本邦に戻って動物園で余生を暮し、その動物園は伊勢雅臣氏のこちらの記事によって上野恩賜動物園であったこと、馬は一頭ではなく、三頭であったことが判る。]

 

○兄妹 レモン――父は縣會議員 兄は早稻田に入り ソシアリストとなる よびかへされる カンキンさる カンキンされし所は島なり ××部屋 ××感激ス 長崎の新聞に入り 又東京へ來り 或新聞に入る 又長崎へかへる 妹病にて死にさうなり 妹レモン食ひたいと云ふ故長崎をさがしてもなし レモンを送つてくれと東京へ手紙を出す

[やぶちゃん注:この話、二人とも長崎から上京して芥川龍之介に弟子入りした、蒲原春夫(かもはらはるお)或いは渡辺庫輔(くらすけ)辺りからの聞き書きではあるまいか。]

 

○ワクラバニワガ見出ツルナメクジリ硝子ノ箱ニカヒニケルカモ

○子セムシ 親辯士にせむとす 樂屋うちの使にせられ 喜劇などのツマ辯士に使はる 辯士は前借を重ね 素人の座主に抑へられず 逃げられればその辯士につきし客も去る 辯士仲間に組合あり (河岸人 座主も河岸人)

[やぶちゃん注:この話、何か読んだ気がするのだが、どうしても、思い出せない。思い出したら、追記する。]

 

○樂の菓子鉢を sweets 入れに使はむとす しかし郊外にすむ 日本の炊事婦煮豆などを作り それを入れる爲に樂の色よくなる(海外談)

[やぶちゃん注:「樂」楽焼。素人が趣味などとして作る、低い温度の火で焼く陶器。]

 

○向うで二人並んで顏を洗ふ(ホテル) ひとりの腰より何か落つ 他の一人の何かと思ふ 一人あわててそれをしまふ 他の一人何かと言ふ 一人出して見せる バツトの箱位の布に木綿糸にてクリストの像 上に聖書の文句あり 二人とも外交官 一人の前任地にてつくる

[やぶちゃん注:「バツト」「ゴールデンバット」日本産煙草の銘柄(Golden Bat)のこと。ウィキの「ゴールデンバット」をどうぞ。]

 

○寫眞に畫の具があるんだよと一人言ふ 一人曰領事につかまり一畫帖を出さる 畫の具なしと言へば畫の具持ち來る その畫の具シヤシンの畫の具なり 卽ち茄子を書く 向ふにも茄子あるかねと一人言ふ 一人曰あるさ

[やぶちゃん注:私が馬鹿なのか、一部、意味が判らぬ。]

 

○服はシヤツのやうにつくれと言ふ(ハイカラ)洋服屋の作り來る洋服シヤツの如くにしてシヤツを着ては着られず

○兎屋の母 信州の溫泉へ行き 東京へ行く男に河鹿 櫻實 笹餅をとどけさす 土瓶の中に河鹿あり 男六十二匹 女二匹 女を別にしないと皆男を食ふ 河鹿は死ぬ時合掌して死す

[やぶちゃん注:「兎屋」現在も東京都台東区上野広小路に営業する大正二(一九一三)年創業の和菓子屋。岩波新全集に人名索引によれば、東京生まれの当主谷口喜作(明治三五(一九〇二)年~昭和二三(一九四八)年)は『俳人としても活躍し、多くの文化人と交流を持つとともに「海紅」「碧」などの俳句雑誌に句やエッセイを載せていた』とし、『甘いものが好きな芥川は、この店の「喜作もなか」が大好物であった』とある。これはかなり有名な話で、日経の「Bunjin東京グルメ」の第三回、我妻ヒロタカ氏の記事「『うさぎや』~喜作最中がつむいだ"思い"~(前編)」同(後編)でどうぞ、ご賞味あれかし! なお、実は芥川龍之介の全集版の遺書の「芥川文あて」には(リンク先は私の旧全集版の方の遺書電子テクスト)、自作の出版権の下りで謎の『谷口氏』なる人物が登場するのであるが、比定候補の一人が、なんと、この店主なのである。芥川龍之介の葬儀実務も彼が取り仕切った。

「河鹿」「かじか」。無尾目ナミガエル亜目アオガエル科カジカガエル属カジカガエルBuergeria buergeri。美しい鳴き声を楽しむため、江戸時代から贈答にされた。青蛙(アオガエル科 Rhacophoridae類は性的二型で♀の方が♂よりも有意に大きい。但し、蛙で鳴くのは♂のみ。

「櫻實」「さくらんぼ」。]

 

○漆の師匠をとふ 留守 鄰にて聞けば手紙があるさうです 師匠もお上さんもるす 上りて手紙を見れば午頃まで待てと言ふ手紙なり そこへ半玉二人來る 手紙がありますよと言へば上りてよみ 笛 鼓などをいぢりて待つ

○女優募集の看板を出して女を釣る そこへ女たづねて來る 男はその女にこんな所へ來るなと言ふ そこへ刑事來り 二人ともつかまる

 

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