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2018/02/25

進化論講話 丘淺次郎 第十二章 分布學上の事實(8) 七 津輕海峽と宗谷海峽 / 第十二章 分布學上の事實~了

 

     七 津輕海峽と宗谷海峽

 

[やぶちゃん注:標題の「津輕海峽」は底本では『輕津海峽』と転倒している。訂した。また、『【】』から本章の最後『【】』までは底本とした国立国会図書館デジタルコレクションの画像では、原資料自体のページが欠損しているので、国立国会図書館デジタルコレクションの一番底本直近であ開成館底本東京開成社名る)大正一九一四)十一発行修正十一の当該部を参考にし、講談社学術文庫版とも校合して推定復元した。]

 

 終りに我が國の動物分布の有樣は如何と見るに、全體からいへば無論アジヤ産のものに似たものばかりであるが、本州・四國・九州産の動物には日本固有のものが頗る多い。狸・熊・穴熊などは支那・チベットの方に産するものと極めて似て居て、之を同種と見倣す人もある位であるが、日本の猿・猪・羚羊・鹿・狐・鼬等の如きは、日本以外には何處にも産せぬ。然るに津輕海峽を越えて北海道に渡ると、鳥類・獸類ともに大に異なり、日本[やぶちゃん注:差別的な謂い方である。本州以南とすべきであろう。後の「内地」というのさえも私は厭だ。]に固有なものは大に數が減じ、こゝに居るものの中にはシベリヤ地方に産するものと同種のものが幾つもある。熊も日本固有の月輪熊でなくて、北方に普通な熊であり、鼬も蝦夷鼬といふ冬は白くなる種類であるが、之はシベリヤからヨーロッパまでも普通なものである。鳥類に就いていへば、雉子・「やまどり」などは日本固有の鳥であるが、北海道には産せず、北海道に産する鳥類は皆シベリヤ地方と共通なものばかりで、その多數は内地にも居るが、津輕海峽以南には全く産せぬ種類も七種ばかりある。斯くの如く本州・四國・九州産の動物には、日本固有のものが頗る多いが、北海道のみに固有な動物といふては一種もない。また日本固有のものはどこの産に最も似て居るかと尋ねると、北海道産のものに似るよりは、遙に朝鮮・支那産の方に善く似て居る。また北海道から宗谷海峽を超えて樺太へ行つて見ると、馴鹿や、麝香鹿の如き北海道には決して居ぬ獸類が居て、蛇・蜥蜴・蛙の類も全く違ひ、北アジヤと共通のものばかりである。北海道には本州・四國・九州と共通の種類も相應にあるが、樺太にはかやうなものは殆どない。これ等のことも動物各種が皆その場所に別々に造られ、少しも變化せずに今日まで續いたものとしたならば、たゞ何の意味もないことであるが、進化論から見れば頗る興昧のあることで、且明瞭にその意味が解る。日本が極昔にアジヤ大陸の一部であつたことは疑もないが、後に至つて、津輕海峽・宗谷海峽などが生じて、大陸と離れ、樺太も之と同じく大陸から離れたと假定すれば、動物分布の模樣は是非とも今日の通りにならざるを得ぬ次第で、最初大陸と連絡のあつた間は、各部ともに大陸と共同種類の動物が居たが、連絡が絶えてからは、獨立に進化して固有の種類が出來たのであり、また南方から移り來つた種類は、本州だけに止まるものと、北海道まで進み住するものとがあり、北方より入り來るものには、樺太で止まつて北海道までは移り得ぬもの、宗谷海峽を渡つて北海道まで達したもの、稀には津輕海】[やぶちゃん注:以下、本章の最後【】まで底本は頁欠損している。冒頭注参照。]峽をも渡つて本州まで入り込んだものもあつて、今日見る如き分布の狀態を呈すべき筈である。北海道の鳥獸と内地の鳥獸とが、この樣に違ふことは、前年函館に住んで居たブレキストンといふ英國人が初めて調べた故、津輕海峽に於ける動物分布の境界線を往々ブレキストン線と名づけるが、同じ一列をなせる日本群島が動物分布學上此の線によつて判然と南北二組に分かれるといふ事實は、進化論によれば、以上の如くに想像して、一通りその理を解することが出來る。當今の所では、此の外には説明の仕樣もない樣であるから、先づ之を取るの外はなからう。日本に限らず、何處の國でも詳に調べさへすれば、この類の事實は幾らもあるが、進化説によれば、是が總べて説明が出來るに反し、進化説を認めなければ、是が皆偶然のこととして少しも理窟が解らぬ。

[やぶちゃん注:「ブレキストン」イギリス出身の軍人・貿易商で、探検家・博物学者でもあったトーマス・ライト・ブレーキストン(Thomas Wright Blakiston 一八三二年~一八九一年)。ウィキの「トーマス・ライト・ブレーキストンによれば、『幕末から明治期にかけて日本に滞在した。津軽海峡における動物学的分布境界線の存在を指摘、この境界線はのちにブラキストン線と命名された。トマス・ブラキストンとも表記する』。『イングランド、ハンプシャーのリミントンに生まれる。少年時代から博物学、とりわけ鳥類に関心をもつ。陸軍士官学校を卒業後、クリミア戦争にも従軍した』一八五七年から一八五八年に『かけてパリサー探検隊に参加し、カナダにおける鳥類の標本採集やロッキー山脈探検などを行な』い、一八六〇年には『軍務により』、『中国へ派遣され、揚子江上流域の探検を行な』った。一八六一年(万延元年十一月二十一日から万延二年二月十八日までと、文久元年二月十九日から文久元年十二月一日に相当)、『箱館で揚子江探検の成果をまとめた後、一旦帰国』した。翌年には『揚子江の調査の功績に対して、王立地理学会から金メダルを贈られ』ている。彼はこの時の帰国の後に、『シベリアで木材貿易をすることを思い立ち、アムール地方へ向かうが、ロシアの許可が得られなかった。そのため、彼は蝦夷地へと目的地を変更』し、一八六三年(文久二年十一月十二日から文久三年十一月二十一日相当)に『再び箱館を訪れ、製材業に従事、日本初となる蒸気機関を用いた製材所を設立した。ただし、蝦夷地では輸送手段が未開発であったために、大きく頓挫することとなった。箱館戦争』(慶応四・明治元(一八六八)年~明治二(一八六九)年)『などの影響もあり、事業の成果ははかばかしくなかったが、そこで、貿易に力を入れることにした彼は』『友人とともにブラキストン・マル商会を設立』(設立自体は一八六七年)、『貿易商として働いた。彼は』二十『年以上にわたって函館で暮らし、市の発展に貢献した。函館上水道や、函館港第一桟橋の設計なども手がけ、また、気象観測の開始に寄与し、福士成豊が気象観測を受け継いだ(日本人による最初の気象観測)』。『この間、北海道を中心に千島にも渡り、鳥類の調査研究を行なった』。明治一七(一八八四)年に『帰国、のちにアメリカへ移住し』、『カリフォルニア州サンディエゴで肺炎のため』に没した。彼は一八八〇年(明治十三年相当)に『共著で「日本鳥類目録」を出版』しており、一八八三年には、『津軽海峡に分布境界線が存在するという見解を発表、お雇い外国人教師ジョン・ミルン』(John Milne 一八五〇年~一九一三年:イギリス・リバプール出身の鉱山技師で地震学者・人類学者・考古学者。東京帝国大学名誉教授。日本に於ける地震学の基礎を作った人物として知られる。明治九(一八七六)年に工部省工学寮教師に招かれて来日、明治二八(一八九五)年に帰国している。なお、彼は明治一一(一八七八)年にモースやブラキストンらとともにに函館の貝塚を発掘し、根室市の弁天島では貝塚を発見している。この時のことは私の日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 23 丘からの眺め、及び日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十四章 函館及び東京への帰還 2 函館にて(を参照されたい。以上は主にウィキの「ジョン・ミルンに拠った)『の提案でこれをブラキストン線と呼ぶこととした。『ブレーキストンが北海道で採集した鳥類標本は開拓使に寄贈され、現在は北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園(北大植物園)』に所蔵されている。

ブレキストン線」Blakiston Line。私はやはり「ブラキストン線」の表記が親しい。ウィキの「ブラキストン線より引く。『ブラキストン線(ブラキストンせん)とは、動植物の分布境界線の一つで』、『津軽海峡を東西に横切る』ことから、『津軽海峡線』とも称する。『この線の提唱者は』前に注したトーマス・ブレーキストンで、『彼は日本の野鳥を研究し、そこから津軽海峡に動植物分布の境界線があると』見て、『これを提唱した。また、哺乳類にも』、『この海峡が分布境界線になっている例が多く知られる』。『この線を北限とする種はツキノワグマ、ニホンザル、ムササビ、ニホンリス、ニホンモモンガ、ライチョウ、ヤマドリ、アオゲラなどがある。逆にこの線を南限とするのがヒグマ、エゾモモンガ、エゾヤチネズミ、エゾリス、エゾシマリス、ミユビゲラ、ヤマゲラ、シマフクロウ、ギンザンマシコなどである』。『また、タヌキ、アカギツネ、ニホンジカ、フクロウは』、『この線の南北でそれぞれ固有の亜種となっている』。但し、『エゾシカとホンシュウジカはかつては別亜種と見られていたが、近年の遺伝子研究では、どちらもニホンジカの東日本型に属するとされ、地域個体群程度の差でしかないとされるようになってきている』。『その他、現在でも北海道の一般家庭ではゴキブリがほとんど見かけられないことから、かつてはゴキブリもブラキストン線を境界に北海道に棲息していないと言われていた』(現在は侵入してかなり繁殖している)。『最終氷期』(約七万年から一万年前)『の海面低下は最大で約』百三十メートル『であり、最も深い所で』は百四十メートル『の水深がある津軽海峡では中央に大河のような水路部が残った。このため、北海道と本州の生物相が異なる結果となったと考えられている』。一九八八年の『青函トンネルの開通により、動物が歩いて津軽海峡を渡ることが可能となり、北海道と本州北部の生態系に変化があることが懸念されて』おり、『事実』、二〇〇七『年には青森県でキタキツネの棲息が確認されている』とある。

 因みに、講談社学術文庫版はこれを以って上下二巻の上巻が終わっている。やっと本「進化論講話」藪野直史附注は半分まで辿りついた。]

 

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