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2018/02/22

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(30) 禮拜と淨めの式(Ⅷ) 一年神主

 

 起原の上から、淨めの式と關聯して、神道の種々な禁慾的な行ひがある。神道は必らずしも本來禁慾的な宗教てはない。則ち神々に肉と酒とを掠げる位である。そしてその定めたる克己の形は、たまたま古來の慣習と普通の品位とが要する位の程度のものに過ぎない。が、それにも拘らず、信者の中には、特別な場合に、非常な峻嚴な事を行ふものもある、――峻嚴とはその内に冷水浴の事が多く包藏されて居るのである。熱心なる禮拜者が、裸體で、冬の最中に氷の如くに冷い瀧の下に立つて、神に祈るといふやうな事は決して珍らしい事ではない……。併しこの神道の禁慾主義の尤も不思議な點は、今なほ邊阪の地方に行はれて居る慣習に依つてよく解る。この慣習に依ると社會の組合は年每にその市民の一人を選び、其者をして他のものに代つて、全然身を神々に捧げさすのである。その獻身の期間、此仲間の代表者は、その家族から分かれ、婦人に近づかず、戲れ、慰みの場所を避け、神の火を以て料理された食物のみを食ひ、酒を禁じ、一日幾囘も新鮮な冷い水の中に浴し、或る時間の間特別な祈禱をあげ、或る夜には徹宵祈願をしなければならないのである。そのものが特殊の時期の間、上記のやうな禁慾と淨めの務を果たし終ると、それは宗教上自由の身となり、つづいて別の人がそれに代って選ばれる。それでその地方の繁榮はその代表が、定められたる務を正確に守るに依ると考へられて居り、若し何か公共の不幸が起る事があれば、その代表者が誓を破つたのてはないかと疑はれる。昔は共同の不幸の起つた場合、代表者は殺されたものである。私が此慣習を始めて聞いたのは、美保關の小さな町に於てであつたが、その地方の代表は Ichinen gannushi 『一年願主』 one-year god-master. と呼ばれて居り(ガンヌシならば願主と考へられるが、ゴッド・マスタなれば神主である、暫くそのままにして置く)、その代表となって贖ひをする期間は十二箇月である。私の聞いた處に依ると、この務に選ばれるものは、通例年長者てあつて――靑年は減多に選ばれないさうである。古代にあつてはこの代表者は『禁慾者』といふ意味をもつた名を以て呼ばれて居た。この慣習に關する説話は、日本についての支那の記錄の内にあつて、それは日本の有史以前に始まつた事であるといふ。

[やぶちゃん注:丸括弧部分は訳者戸川(秋骨)明三の割注。非常に正しい疑義で、これは「一年神主」である。なお、「である」の後の読点はママである。これは別に「当屋」「頭屋」などとも称し、八雲も微かに、民俗社会的な合理的好意的解釈として「昔は共同の不幸の起つた場合、代表者は殺された」と仄めかしているように、古代に於いては、或いは、地域によっては、祭祀が終了した時点で、追放されたり、殺されたりしたケースも多々あったと考えてよい。実際、「一年神主」にはそういう属性を本質として持った場合が私は多かったと考えており、そうした生贄としての結末を用意する時には、共同体の内部からその人物を選ぶのではなく、外界から訪れた放浪者や異邦人を特に選び(その殆どは賤民として差別された階級に属すると見做される者)、それが生贄であることを神は無論、共同体内の誰が見ても一目瞭然であるような処理を施した。それが例えば、片眼を潰すスティグマであったのであろう。柳田國男もそうした識別的行為が古えにあったことを「一目小僧その他」で(リンク先は私の同著作の電子化注〈作業中)の一部)、微かにシンボライズして述べているし、実際、近世及び近代初期の地方の祭祀の中には、そうした形で「一年神主」ならぬ、即席の消耗品としての生贄用の代替人を作って、村落の境界(現実とは異なり、日常とは無関係な異界へのトバ口に相当)である橋や河原に於いて無残に突き落したり、暴行を加えて半殺しにして置き去りにしたブラッキーな祭りが、現に行われていた。或いは、心優しい八雲にそれらを語ることを彼の周囲の誰彼は遠慮したかも知れず、また、八雲自身もそうした残虐性を肯定し得ないであろうから、幸いにもそうした言及には至っていないが、しかし、塞(さい)の神の古形ともされる(私は寧ろ、さらに溯ったごくごく古形のアニミズム信仰と思われる)ミシャグジウィキ記載には、『この神を祀っていた神社では、神官に憑依して宣託を下す神とされた。また』一『年毎に八歳の男児が神を降ろす神官に選ばれ、任期を終えた神官が次の神官が決まると同時に』、『人身御供として殺されるという「一年神主」の伝承も残る』ともする。八雲は「一年神主」には「靑年は減多に選ばれない」と記している。四歳で母と生き別れ、父方の大叔母の下で厳格なカトリック教徒として強いて育てられた孤独な彼が、この伝承を知ったら、きっと卒倒したのではないかとも私は想像するのである。

「私が此慣習を始めて聞いたのは、美保關の小さな町に於てであつた」昭和五〇(一九七五)年(四十七版)東京堂出版刊柳田國男監修「民俗学辞典」の「神役(カミヤク)」の項に、『今日では神主は單なる職員の一人ということになつているが、出雲美保神社の一年神主の如き、祭祀の中樞におかれて忘我の境に入り、時に託宣を傳えるというのが本來の神主である』とある。

「古代にあつてはこの代表者は『禁慾者』といふ意味をもつた名を以て呼ばれて居た」相当する呼称は確かではないが、前に引いた「民俗学辞典」の同じ「神役」の項に出る、「日本書紀」の「神代記」や「神武記」に出る「齋主」(いはひぬし(いわいぬし))・「齋(いはひ(いわい))の大人(うし)」を指すか。

「日本についての支那の記錄」不詳。卑弥呼の妖しい宗教的祭儀を記した「魏志倭人伝」を指すとしても、ここに記された内容とは一致しない。]

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