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2018/02/07

芥川龍之介 手帳12 《12-9~12-10》 

 

《12―9》

酋長の笛ふく春の日なかかな

海なるや長谷は菜の花花大根

雲ひくし風呂の窓より瓜の花

[やぶちゃん注:以上の最初の句の体(てい)を成している三句は葛巻義敏の「芥川龍之介未定稿集」にも所収し(但し、三句の順序が真逆である。やぶちゃん版芥川龍之介句集 二 発句拾遺を参照)、大正六(一九一七)年から翌年頃の作で、未発表という編者による注がある。]

《12―10》

水8―10 垣内

 火13 藤

 火8―10 芳

 水13 笠谷

 水10―12 Syntax & Prosody

 火10―12 H of E.L.

 土10―12 S

 木―1010―12 K & B

 金89 松

 木8―10 松

 金―― 太

 木―― 

 土10―12 桑

[やぶちゃん注:「」は判読不能字。冒頭注で述べた通り、この曜日と時間と人名らしき物(注は省略するが、総て不詳)及び「Syntax」「Prosody」(他の英文略字は総て不詳。同前)というメモは明らかに、横須賀の海軍機関学校教官(教授嘱託・英語)当時の即時的な授業のメモランダである(但し、その意味するところは不明である。しかし、彼の海軍機関学校時代の資料から見て数字は授業の開始時間と終了時間と見てよい)。因みに、再掲しておくと、芥川龍之介の、

海軍機関学校就任 大正五(一九一六)年十二月一日

軍艦金剛に乗艦しての横須賀から山口県由宇までの航海見学 大正六(一九一七)年六月二十日~二十四日

海軍機関学校退職 大正八(一八一九)年三月三十一日(最終授業:三月二十八日)

である。

Syntax」構文。

Prosody」作詩術。韻律法。]

 

John Harris

 金をかす

○雷門    >Johns

 愛國心

[やぶちゃん注:「>」の開いた方はそれぞれ「金をかす」と「愛國心」の下まで伸びて、以上の三点を総括する。後に述べるように、「雷門」の上の丸は私が新たに打った

John Harris」不詳。

Johns新全集編者は後の三行を前の不詳の「John Harris」とセットにしているが(底本では「」は「John Harris」の頭にしかない)、ここは「Johns」であって「John」ではないという点で、新しい柱(則ち、「John Harris」(ジョン・ハリス)なる不明の人物と「Johns」(ジョーンズ:カタカナ音写は後で詳述する)は全くの別人ととってよい、とるべきだと私は思っている。そこで恣意的にを附した

 そうした上で(即ち、John Harris」を無関係な記載として切り離して)考えてみると、

・この「Johns」に芥川龍之介が金を貸したかも知れないこと、或いは、「Johns」が誰かに金を貸した(がそれっきり戻ってこないというような話を芥川龍之介にしたかも知れないこと。

・この「Johns」は有意に「愛國心」の旺盛な人物であった可能性が高いこと。

・東京の浅草雷門界隈で芥川龍之介はこの「Johns」と初めて逢ったか、或いは「Johns」がその近くに住んでいたか、或いは「Johns」は雷門が好きだったのかも知れないこと。

を可能性として挙げることが出来る。そうして、こうした事実が芥川龍之介が知り得る、こうした事実関係と芥川龍之介が関わるということは、芥川龍之介とその「Johns」なる人物が相応に近しい人間であることを意味することは言を俟たない。

 さてそこで、本手帳記載推定閉区間(大正四(一九一五)年年初か前年末~大正八(一九一九)年四月(下限は私の独時の推定))に「Johns」或いはその発音に近い外国人の知人がいないか、以上の条件を満たし得る人物がいないかという点を述べるなら、これが、確かに、いるのである。

 但し、綴りは違って「Johns」ではなく、「Jones」ではある

 ネイティヴの発音を聴くと、「Johns」はカタカナ音写で「ヂャーンズ」或いは「ヂョンズ」、「Jones」の方は「ヂョォゥンズ」と、ある意味、明確に違って聴こえはする。しかし、これらは現行のカタカナ音写では概ね、孰れも同じく「ジョーンズ」と書かれている事実があり、外人に多い「ジョーンズ」という名の場合に英文学専攻の芥川龍之介であっても普通に思わず「Jones」を「Johns」と筆記してしまうことはあり得ることだし、少しも不審ではないと私は思う(因みに私の姓「藪野」の「藪」の字を一発で正しく書ける人間は極めて稀れで、大きく手書きして見せても、それを写し間違える人もきわめて多い。しかも私の名は「直史」であるが、これを正しく一発で読んだ人間は私は生涯でたった一人(それは教えていた生徒であった)しかいない。因みに、これで「ただし」と読む)。

 而して彼は誰か?

Thomas Jones(一八九〇年~一九二三年)

芥川龍之介の参加した第四次『新思潮』同人らと親密な関係にあったアイルランド人で、大正四(一九一五)年に来日し、大蔵商業(現在の東京経済大学)で英語を教えた。芥川との親密な交流は年譜等でも頻繁に記されてある(以上は岩波版新全集書簡に附録する関口安義らによる人名解説索引等に拠った)。

芥川龍之介には実に彼をモデルとした優れた小説「彼 第二」(大正一六(一九二七)年一月一日(実際には大正天皇の崩御によって、このクレジットは無効となり、昭和元年となる)の『新潮』に「彼・第二」の題で掲載。なお、この時、トーマス・ジョーンズは亡くなっていた。彼は三十三歳の若さで天然痘に罹患し、上海で客死、同所の静安寺路にある外人墓地に埋葬された)があり、私はそこ(上記リンク先の私の電子テクスト)で、モデルとなったこのトーマス・ジョーンズに就いてかなり詳しい注を附しているので、是非、見て戴きたいのであるが、その注で私は小説のロケーションから、芥川龍之介とジョーンズの邂逅を大正五(一九一六)年の冬と考えた(当時の芥川は大学を七月に卒業、十二月一日に海軍機関学校教授嘱託となって、同時に塚本文と婚約している。但し、これは小説であるから、事実に即しているとは限らぬので私の推定は実は無効であるとも言える)。鷺只雄氏の年譜(一九九二年河出書房新社刊「年表読本 芥川龍之介」)では、大正五年の項の頭に『このころ、トーマス・ジョーンズと知り合う』とあり、新全集の宮坂覺氏の年譜では、初会時を記さずに、大正五年九月六日の条に『夜、トーマス・ジョーンズを訪ねる』(書簡による)とある。この宮坂氏の記載から見て、この大正五(一九一六)年九月六日以前に芥川龍之介はトーマス・ジョーンズと知り合っていたことは確かなようである。]

 

○エレヴエータアと死と

――Dilettante 世事を輕んす 和泉式部を ancient love の對象として思ふ

[やぶちゃん注:「かろんす」はママ。削除されたそれは、大正六(一九一七)年一月二十九日発行の『大阪朝日新聞』夕刊に発表した掌編小説「道祖問答」のメモである。

「僧」「道祖問答」では天王寺別当の道命阿闍梨(どうみょうあじゃり(芥川龍之介の「道祖問答」では『あざり』とルビ) 天延二(九七四)年~寛仁四(一〇二〇)年)である。ウィキの「道命」によれば、『父は藤原道綱。母は源近広の娘。阿闍梨、天王寺別当。中古三十六歌仙の一人』。『若くして出家し、天台座主・良源の弟子となった』。長和五(一〇一六)年に天王寺別当に就任している。『花山上皇と親しく、上皇の死を悼む歌が残されている』。「宇治拾遺物語」(巻頭を飾る「卷第一」の「一 道命於和泉式部許讀經五條道祖神聽聞事」(一 道命、和泉式部の許に於いて經を讀み、五の道祖神、聽聞する事)で、芥川龍之介はこれを主素材として「道祖問答」を書いている、初出文末には「附記」があり、そのことを明記している。「宇治拾遺物語」の原文は「やたがらすナビ」のこちらで読める(新字正仮名))『などには、和泉式部と親しかったという説話がある』。「後拾遺和歌集」(十六首入集)『以下の勅撰和歌集に』五十七首が採られている。家集に「道命阿闍梨集」があり、また、彼は『読経の声に優れていたという』とある。「道祖問答」は多情の女和泉式部と一夜を過ごした彼が暁に床を抜け出して不浄極まりないままに「法華経」を誦経するシーンから始まる。「青空文庫」のこちらで読める(新字新仮名)。

Dilettante」(しばしば軽蔑的意味合いを以って)学問・芸能などを趣味として愛好する人。好事家。ディレッタント。もとはイタリア語で「~に喜びを見い出す人」の意。

ancient love太古の愛。人間の原初の形の愛。]

 

○師の死待つ安息

[やぶちゃん注:これは大正七(一九一八)年十月一日発行の雑誌『新小説』に掲載された枯野抄」の内藤丈草(事実は漱石の臨終の床での芥川龍之介自身がモデルと考えられる)の内心のメモと読める(リンク先は私の古い電子テクスト)。]

 

 {戰爭

○{鳩の子 鼠

 {Christian ―― etwas があつた

[やぶちゃん注:三つの「{」は底本では大きな一つの「{」。底本の編者は前の「師の死待つ安息」を以上とセットにしており、柱の「○」はないが、前のそれとこれらは、私は別物と判断し、特異的に「○」を附した

etwas」ドイツ語。エトゥワス。(何かあるもの・何かあること)に相当する不定代名詞。「何もない」のではなく、何らかは「ある」状態を指す語である。]

 

 {⑴看の爲  番人

○{⑵人と接觸 侍

 {⑶病的   醫

[やぶちゃん注:三つの「{」は底本では大きな一つの「{」。底本の編者は前の「戰爭」「鳩の子 鼠」「Christian ―― etwas があつた」を以上とセットにしており、柱の「○」はないが、前のそれとこれらは、私は別物と判断し、特異的に「○」を附した。これも枯野抄」の構想メモと推断出来る。それは「看の爲」「番人」が「看」病の「爲」めにのみ、病床の芭蕉の傍に「番人」のように寄り添っていた小説中の「老僕の治郎兵衞」(事実は青年。芥川龍之介が基本素材とした文暁著「芭蕉翁終焉記 花屋日記」(文化八(一八一一)年刊)が実は偽書(創作)であったことによる誤り)のことと考えられること、「病的」「醫」は芭蕉の門人で最期を看取った主治医木節の心内を意味していると読めるからである。]

 

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