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2018/02/06

芥川龍之介 手帳12 《12-5/12-6》 

《12―5》

Morris

Mは畫に

Forget six centuries……と云へど彼自ら之を忘れ得さりき

[やぶちゃん注:「さりき」はママ。「ざりき」の誤記であろう。

Morris」芥川龍之介が単にこう書く時は、彼の卒業論文の対象であったイギリスの詩人でマルクス主義者でもあったウィリアム・モリス(William Morris 一八三四年~一八九六年)と考えてよい。なお、芥川龍之介の卒論は「ウイリアム・モリス研究」であるが、関東大震災で草稿も含めて焼失し、現存せず、それを読むことは哀しいかな、出来ない。

「Mは畫に」削除しているが、モリスは絵画は描かなかったが、若き日は広義の芸術家志望であり、インテリア装飾や、沢山の出版物の優れた装幀を終生行っており、「モダン・デザインの父」とも呼ばれている。ウィキの「ウィリアム・モリス」によれば、『ヴィクトリア朝のイギリスでは産業革命の成果により工場で大量生産された商品があふれるようになった。反面、かつての職人はプロレタリアートになり、労働の喜びや手仕事の美しさも失われてしまった。モリスは中世に憧れて、モリス商会(Morris & Co.)を設立し、インテリア製品や美しい書籍を作り出した(植物の模様の壁紙やステンドグラスが有名)。生活と芸術を一致させようとするモリスのデザイン思想とその実践(アーツ・アンド・クラフツ運動)は各国に大きな影響を与え』、二十世紀のモダン・デザインの『源流にもなったといわれ』ている、とある。また、一八五九年に彼が結婚したジェーン・バーデン(Jane Burden 一八三九年~一九一四年)はモリスの年長の友人であった、かのイギリスの画家で詩人でもあったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti 一八二八年~一八八二年:詩人クリスティーナ・ジョージナ・ロセッティ(Christina Georgina Rossetti 一八三〇年~一八九四年)の実兄)をはじめとするラファエル前派画家たちのモデルでもあった。というより、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティのミューズであり、彼の知られた女性像(「プロセルピナ」(Persephone or Proserpine 一八七四年・「ベアトリーチェ、ジェーン・モリスの肖像」(Beatrice, a Portrait of Jane Morris 一八七九年)は彼女がモデルであった。さらに言えば、実は実際には、モリスと結婚した後のジェーン・モリスとダンテ・ロセッティは恋仲であり続けたのであった。

Forget six centuries……これはモリス自身の著作か、或いは、モリスの研究書一節かも知れぬ(少なくとも、検索を掛けると、モリスの複数の研究書の一節に、このフレーズは実際に出てくる)。モリスが生きた時代から六百年も前のことを皆、忘れてしまったが、モリスは中世の美を生涯、愛し続けた。彼の生きた時代から六百年前は一二〇〇~一三〇〇年前後となり、それはまさにヨーロッパ中世の最盛期で、ルネッサンス興隆の時期とも重なるのである。]

 

Byron, Scott & Morris

Byron Morris との Poem より Prose へうつり方

[やぶちゃん注:「Byron」イギリスの詩人ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron 一七八八年~一八二四年)。

Scott」スコットランドの詩人で小説家のウォルター・スコット(Walter Scott 一七七一年~一八三二年)であろう。

Prose」プロゥズ。散文。]

 

《12―6》

○葦 芋 紙(珪艸) 甘庶 ミルクバナヽ 馬鈴薯 人參

[やぶちゃん注:「珪艸」珪藻土(けいそうど:diatomite:ダイアトマイト:藻類の一種である水生生物である珪藻(オクロ植物門 Ochrophyta カキスタ亜門 Khakista 珪藻綱 Diatomea)の殻の化石よりなる堆積物(堆積岩)。珪藻の殻は二酸化ケイ素(SiO2)から成るので、珪藻土もこれを主成分とする。多くは白亜紀以降の地層から産出される)を紙状に薄くしたものか。現在は、各種フィルターや自然環素材の新建材の壁紙として確かに「珪藻を加工した紙」として現に実用化されてはいるものの、大正期にそれが出来ていたとは思われないので、やや不審ではある。しかし、実は、珪藻土自体は、『耐火性と断熱性に優れているため建材や保温材として、電気を通さないので絶縁体として、また適度な硬さから研磨剤としても使用されている。建材としては、昔から』、『その高い保温性と程よい吸湿性を生かして壁土に使われていた』ウィキの「珪藻土」に拠る。下線やぶちゃん)から、珪藻で出来た壁「紙」様のものとして認識されていた可能性はある或いは、この一条は、この後の、先にも多量のメモが出現した、小説「猿」と関係した条々と同じで(次の条の私の注を参照)、軍艦が航海の際に備品・食糧として積み込む物品のリストではないかと私は思っている。そこには猿に与える食い物として「人參」「芋」が出るからである(後の私の注の「猿」の引用の太字下線を参照のこと)

「甘蔗」サトウキビ(単子葉植物綱イネ目イネ科サトウキビ属サトウキビ Saccharum officinarum)の漢名。「かんしよ(かんしょ)」は慣用読みで「かんしや(かんしゃ)」が本来は正しい。しかも「カンショ」の発音は「甘藷」(サツマイモ)と同音で、まずいことにサトウキビの産地とサツマイモの産地が重複していることから、紛らわしいので現在はあまり使われない。因みに、中国語のカタカナ音写では「ガンジャ」である。

「ミルクバナヽ」このメモ群の中にあって、これだけが我々の知っている加工飲料の「バナナ・ミルク」であるとは私には思われない。バナナ(単子葉植物綱ショウガ目バショウ科バショウ属 Musa の中で、果実を食用とする品種群の総称、或いはその果実)類の原種やその多くは甘くないものも多い(熟さないものには毒性がある種さえある)から、これは或いは、当時、改良されて出回っていた、実がよりミルクのように白く、又はミルクのようにある種の仄かな甘さを持つバナナ(その果実)を指しているのではなかろうか?

 

○カンガール――I don’t know.

[やぶちゃん注:「カンガール」これは、後の手書きの図の中に「カンガルー」と出るように、かの有袋類のそれではなく、周囲のキャプションから見て、何か船の甲板上の器具の名称(舷側に飛び出た巻き上げ機か?)のようだが、遂に判らなかった。識者の御教授を乞う。]

 

16――水面迄

[やぶちゃん注:「16尺」「16」は正立縦書。四メートル八十五センチメートル弱。]

 

○鳥二十羽 ペリカン 猿 犬(4)

{上甲板の Beam Hook

{砂箱grey

[やぶちゃん注:二つの「{」は底本では大きな一つの「{」。この記載で、この見開きページは総てが、芥川龍之介の小説「猿」(大正五(一九一六)年九月発行の『新思潮』)の構想用メモであることが判明するのである。まさに「猿」の小説展開の狂言回しの素材(但し、実際の猿がメイン・ストーリーに登場するわけではない。「青空文庫」の本文で確認されたい)として語られる本物の猿の話のパートにかなりの部分が出てくるからである。岩波旧全集から引く。下線太字は私の仕儀である。

   *

 このと云ふのは、遠洋航海で、オオストラリアへ行つた時に、ブリスベインで、砲術長が、誰(たれ)かから貰つて來た猿の事です。それが、航海中、ウイルヘルムス、ハフエンへ入港する二日前に、艦長の時計を持つたなり、どこかへ行つてしまつたので、軍艦(ふね)中大騷ぎになりました。一つは、永(なが)の航海で、無聊に苦(くるし)んでゐたと云ふ事もあるのですが、當の砲術長はもとより、私たち總出で、事業服のまま、下は機關室から上は砲塔まで、さがして步く――一通りの混雜ではありません。それに、外(ほか)の連中の貰つたり、買つたりした動物が澤山あるので、私たちが駈けて步くと、が足にからまるやら、ペリカンが啼き出すやら、ロオプに吊つてある籠の中で、鸚哥(いんこ)が、氣のちがつたやうに、羽搏(はばた)きをするやら、まるで、曲馬小屋で、火事でも始まつたやうな體裁です。その中に、猿の奴め、どこをどうしたか、急に上甲板へ出て來て、時計を持つたまま、いきなりマストへ、駈け上(あが)らうとしました。丁度、そこには、水兵が二三人仕事をしてゐたので勿論、逃がしつこはありません。すぐに、一人が、頸すぢをつかまへて、難なく、手捕(てど)りにしてしまひました。時計も、硝子(がらす)がこはれた丈で、大した損害もなくてすんだのです。あとで猿は、砲術長の發案で、滿二日、絶食の懲罰をうけたのですが、滑𥡴ではありませんか、その期限が切れない中に、砲術長自身、罰則を破つて、猿に、人參を、やつてしまひました。さうして、「しよげてゐるのを見ると、猿にしても、可哀(かあい)さうだからな」と、かう云ふのです。――これは、餘事ですが、實際、奈良島をさがして步く私たちの心もちは、この猿を追ひかけた時の心もちと、可成(かなり)よく似てゐました。

   *

下線太字の語は悉く、この見開きページに記されたメモに出てくる(「砲塔」は図のキャプションにある)に書き入れられており、「鸚哥」は出ないものの「鳥二十羽」とあるのである。]

 

「ペリカン」鳥綱ペリカン目ペリカン科ペリカン属 Pelecanus を指す。私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鵜鶘(がらんちょう)〔ペリカン〕」を参照されたい。

Beam」既出既注だが、再掲する。ビーム。海事用語。甲板・梁(りょう)。船の両肋材(ろくざい)の上部を左右に走る横材で、甲板を支えるものを指す。「猿」で士官候補生の「私」が贓品を探すシーンに『こんな事をするのは軍艦に乘つてから、まだ始めてでしたが、ビイムの裏を探すとか衣囊をのせてある棚の奥をかきまはすとか、思つたより、面倒な仕事です』と出る。

Hook」フック。引っかけるため先の曲がった鉤(かぎ)。或るいは留め金。

「砂箱」ネット上のQ&Aサイトの答えに、軍艦が戦闘状態になって被弾し、負傷者や戦死者が多く出た場合、大量の血や肉片で甲板が濡れ汚れ、それに足をとられて動作に支障をきたさないようにするため、或いは、転倒して新たな怪我をしないようにするため、さらには、負傷兵は傷口からの感染を防ぐための消毒した砂を使った、という事実が日露戦争当時にはあったらしいから、そうしたものとしてこれがあると考えられる。]

 

○副長の許可

{士官室の Hatch の上り口(上甲板)

{竹のすのこをしく(簀)   臭ひ

{箱 ★

 

126

 

[やぶちゃん注:三つの「{」は底本では大きな一つの「{」。★の部分に上記の絵図が示されてある。キャプションは「開き戸」か。

「副長」は「猿」の中で重要なバイ・プレイヤーとして登場する。

「箱」不詳。見る限りでは、何か動物を捕捉するためのもののように見える。猿か鼠か?]

 

7月12

 8日       獨領      3

Brisbane ―→ Rabaul(New Britain) ―→

 3日  7   6日(石炭つみ)  4

Wilhemshaven  ―→  Frake  ―→

1日 3日   3

Jap. ―→パラオ(ぺリュー)―→小豆島――返る

[やぶちゃん注:以上は底本では総て繋がっている。ブログでのブラウザ上の不具合を考えて改行した。数字はすべて縦書正立。この日程通りならば、この軍艦は八月十九日にパラオを出港して日本へ向かったことになる。

Brisbane」現在のオーストラリア連邦クイーンズランド州南東部(サウス・イースト・クイーンズランド地域)に位置する州都ブリスベン。シドニー・メルボルンに次ぐオーストラリア第三の都市。オーストラリア英語の発音は「ブリズベン」が正しい。ここ(グーグル・マップ・データ)。

Rabaul(New Britain)」ラバウル。現在のパプアニューギニア独立国(英語表記:Independent State of Papua New Guinea)の島嶼地方の東ニューブリテン州(英語表記:East New Britain)の都市。一九一〇年にドイツが建設した街で、第一次世界大戦まではドイツの統治下にあったが(傍注の「獨領」はそれである)、一九一四年九月にオーストラリア軍が占領し(注意すべきは、このメモにある軍艦の航海は「獨領」から一九一四(大正三)年九月以前であることが確定するという点である)、その後、オーストラリアによって統治(国際連盟が認めた委任統治領)されていた(後、太平洋戦争中の一九四二年一月二十三日にオーストラリア軍と戦った日本軍が占領、東南方面への一大拠点基地が築かれ、ラバウル航空隊が置かれた。戦後、オーストラリア委任統治領に戻り、一九四九年パプアニューギニア自治政府とされ、一九七五年九月十六日に独立を果たした)。ここ(グーグル・マップ・データ)。

Wilhemshaven筑摩書房版全集類聚版の「猿」では、ドイツ本国の北海岸にあるそれを注しているが、どう考えたって、位置的におかしいだろ! これはドイツが領していた「ドイツ・ニューギニア」(Deutsch-Neuguinea)にあった「フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ハーフェン」(Friedrich-Wilhelm-Hafen)の誤りだ。現在のニューギニア島の北岸に位置するパプア・ニューギニアのモマセ地方のマダン州の州都マダン(英語表記:Madang)である。ここ(グーグル・マップ・データ)。 ラバウルのほぼ西南西百七十キロ強。

Frake」不詳。後のパラオから考えて、ニューギニア島の西部辺りの旧地名かと思われるのだが。識者の御教授を乞う。

Jap.」思うにこれは「Yap」の誤りか誤判読ではなかろうか? ミクロネシア連邦のヤップ州の州政府が置かれているヤップ島である。ここ(グーグル・マップ・データ)。地図で判る通り、次のパラオの東北四百キロ強の位置にある。

「パラオ(ぺリュー)」現在のパラオ共和国(パラオ語: Beluu ęr a Belau/英語:Republic of Palau)にあるペリリュー島(Peleliu)。パラオ諸島の主要な島の一つで、パラオの主要諸島の南西部に位置し、ペリリュー州に属する。一八九九年、国力が衰退の一途を辿っていたスペインは「ドイツ・スペイン条約」によって、グアムを除くスペイン領東インドを四百五十万ドルでドイツ帝国に売却した。パラオもこれに含まれ、これ以降、「ドイツ領ニューギニア」(Deutsch-Neuguinea)の一部となった。当時、ラバウルがドイツ領である以上、やはりここもドイツ領であった。ところば、一九一四年年七月二十八日に第一次世界大戦が開始されると、連合国の一国であった日本が海軍を派遣し、数少ないドイツ守備隊を瞬く間に降伏させて、これを占領、同年中に赤道以北のドイツ領ニューギニア全域を占領した。日本海軍は臨時南洋群島防備隊と軍政庁をトラック諸島夏島(現在のチューク諸島トノアス島)に設置し、占領地である南洋諸島を軍政下に置いている。戦後のパリ講和会議(一九一九年一月)によってパラオは日本の委任統治領になった。コロールには南洋庁及び南洋庁西部支庁(パラオ支庁)が置かれ、パラオは周辺諸島の中核的な島となり、多くの日本人が移住、パラオ支庁管内の住民の四人に三人は日本人となった、とウィキの「パラオにあるから、さらにこの軍艦の航海は、一九一四年七月二十八日よりも前となるが、日程が七から八月に跨っていることから、一九一四年は含まれなくなり、一八九九年以降で一九一三年以前の閉区間であったことか明らかとなる。さらに言えば、軍事関係に詳しい方ならば、この軍艦(士官候補生用の練習艦と思われる)が何で、この航海が何年の夏であったかを、この航路からも必ずや、特定出来ることと思われる。是非、その方面の方の御教授を仰ぎたく思う。よろしくお願い申し上げる。]

 

○事業服――色裝

[やぶちゃん注:「事業服」海軍軍装の一種の正式呼称。正装の軍服ではないが、作業服の一ランク上のものであったらしい。ミリタリーグッズ・革ジャンの専門店「中田商店」のこちのようなものかと思われる。「襟(えり)の紐(ひも)」が確かにあるのが判る。]

 

○航海中

○サガニアン――トーキヨーニアン

[やぶちゃん注:「サガニアン」佐賀人か。そう思ったのは、海軍基地のある佐世保が佐賀に近いからだけのことなのだが。]

 

○候補生室 chart(3尺2間十人)

[やぶちゃん注:「候補生」実習終了後に海軍将校に任ぜられる資格を持った者。

chart」海図(台)であろう。

「3尺2間」九十一センチメートル×三メートル六十四センチメートル。海図の大きさか。

「十人」は士官候補生の人数か。]

 

○丹窯色――水平線は入道雲

[やぶちゃん注:「丹窯色」陶磁器を焼成する窯(かま)の灼熱した赤い色か。夕陽の色を言っているように読める。]

 

○長い periodic rolling

[やぶちゃん注:文字通り、船の波長の長い周期的な横揺れのこと。]

 

○夕方短し

[やぶちゃん注:南洋からの帰路航海は当然、そうなる。]

 

○をびの紐

○藤椅子(新衣服)

400米 from Barber

1261_3

[やぶちゃん注:ここに上記の図が縦に条と条との間にタイトに入っている。ナイフのように見えるが、何だかよく判らない。

400米 from Barber」「Barberは軍艦内の床屋であろうが、そこからどこまでの距離なのか、意味不明。]

 

handrail――將官室の skylight

[やぶちゃん注:「handrail」デッキの手摺り。

skylight」天窓。]

 

Vemtilater(1) mushroom

1262

[やぶちゃん注:ここに上記の手書きの図が入る。

Vemtilater」ベンチレーター。通風孔・換気装置・通風機・換気扇。

mushroom」「mushroom anchor」のことか。海事用語で、半永久停泊の際に用いる、キノコ形のアンカー(錨)を指す。

 以上の絵の指示キャプションは、右上から下へ、

 

   カンガルー

   
stantion

   一丈二尺(海中おろす)

   桟  of Brurs

中央附近に上から下へ、

 

   格納

   砲塔

   
wirestopper

   後

   
Bridge

 

左上から下へ、



   
Bollard-head

   
mast pendant

 

である。以上は私が判読したのではなく、底本で絵図の下に底本の編者によって活字化してあるものを転写したものである。

stantion」スタンション。現行では「stanchion」の綴りが一般的。甲板の舷側等にある墜落防護用の、間に鎖やレール等を渡す柱・支柱のこと。

「一丈二尺」三メートル六十四センチ弱。

「桟  of BrursBrurs」は新全集の活字起しに従ったのだが、こんな単語自体が英語に存在しない(新全集は英語の綴りの誤りは勝手に訂しているはずなんだが?)。指示線で示しているのが、船(軍艦)の舳であることは判るから、これは思うに「Bows」の芥川龍之介の書き誤りではなかろうか。研究社の「新和英中辞典」を見ると、“the bows of a warship”という風にあって『bows と複数形になることが多い』とあるからである。とすれば、これは、非常に狭く細い「艦首の」側面に巡らした「桟」、落下保護用のガードレールのことではあるまいか?

wirestopper」ワイヤー・ストッパー。位置から見て、アンカー(錨)用のワイヤー・ストッパーであろう。

Bridge」艦橋。

Bollard-head」「Bollard」はボラードで、桟橋・埠頭・波止場などに設けられた船舶繋留用の繋柱(けいちゅう:「繋船(けいせん)柱」「係柱」及び形状から「双繋柱」などとも呼ぶ)のことで、「bitt」(ビット)とも呼ぶ。添えられた絵からもそれと判る。

mast pendant」マスト・ペンダントは船の帆桁(ほげた)やマストに掲げる旗のこと。平凡社の「世界大百科事典」商船の旗旒(きりゆう)信号では、「国際信号書」によって、旗の大きさ・信号符字の構成・信号法などが定めてあるとあるから、ここはそれに準じた軍艦用のそれであろう。]

 

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