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2018/02/19

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 隱れ里 一〇

 

     一〇

 

 椀貸の穴が水に接すれば龍宮と云ひ乙姫と云ひ、野中山陰に在るときは隱里と云ひ隱れ座頭と云つたのは、自分には格別の不一致とも思はれぬ。龍宮も隱里もともに富貴自在の安樂國であつて、容易く人間の到り得ぬ境であつた。浮世の貧苦に惱む者の夢に見うゝつに憧れたのは、出來る事なら立ち歸りにでも一寸訪問し、何か貰つて歸つて樂しみたいと云ふに在つたこと、兩處共に同樣である。否寧ろ龍宮は水中に在る一種の隱里に外ならぬ。話が長くなつたが此事を今些し言はうと思ふ。

 三河の渥美半島福江町の附近、山田の鸚鵡石と云ふ石は亦昔膳椀を貸したさうである。人の惡い者が返さなかつた爲に中止となつたこと例の通りである。鸚鵡石は人の言語を答へ返す故に起つた名で、是又國々に多い話であるが、椀を貸したのは爰だけかと思ふ。人のよく知る鸚鵡石は伊藤東涯翁の隨筆で有名になつた伊勢度會郡市之瀨の石であるが、此附近にも尚二三の同名の石があつた外に、江州の蒲生郡、越前敦賀の常宮浦、東國では伊豆の丹那村、武州御嶽の山中等にもあり、飛彈の高原郷で鳴石、信州伊那の市之瀨同じ更級の姨捨山で木魂石(こだまいし)、福島縣白河附近の小田倉村でヨバリ石、さては南津輕の相澤村でホイホイ石、西部にあつては、土佐の穴内の物言石、備後安藝山村に多い呼石の類、或は言葉石と云ひ答へ石と云ひ、又は三聲返しの石と云ふが如きも皆同じ物である。元は恐らく反響をコダマ卽ち木の精と信じた如く、人の口眞似するのを鬼神の所爲としたのであらうが、其はあまり普通の事と分つてから後は、いやコダマではなく返事をするのだとか、又は一度呼べば三度呼び返すとかいつて、強ひて不思議を保持せんとして居る。甚しきに至つては和漢三才圖會に、會津若松城内の鎭守諏訪明神の神石、八月二十七日の祭の日に限り、人がこれに向つて「物もう」と言へば「どうれ」と應へるなどゝいつて、醴酒と芒の穗を供へたとさへも傳へて居る。

[やぶちゃん注:「三河の渥美半島福江町の附近、山田の鸚鵡石」現在の愛知県田原市福江町ではなく、その東方の愛知県田原市伊川津町(ここ(グーグル・マップ・データ))であろう。サイト「おでかけトヨタ」のこちらに『愛知県伊川津の山中にある岩石』とし、『岩が音を反響させる様子がおうむの人まねに似ていることから名づけられ』たもので、高さ・幅ともに約十五メートルほどあるという。『昔、この地方の郡司であった渥美大夫重国の娘玉栄(たまえ)には婚約者がい』たが、『婚約者の心が次第に離れてしまい』、『玉栄には憎しみの気持ちが芽生え』、『やがて』、『玉栄は母の形見の唐竹でできた横笛とともに岸上から投身自殺を図り、それ以来』、『この岩は笛の音だけは反響しないという昔からの言い伝えがあ』るとする。また、サイト「東三河を歩こう」の「鸚鵡石(おうむせき) 愛知県田原市伊川津町鸚鵡石」では画像で当地が見られる。

「伊藤東涯」(寛文一〇(一六七〇)年~元文元(一七三六)年)は江戸中期の儒学者。名は長胤(ながつぐ)、東涯は号。知られた儒学者伊藤仁斎の長男で、その私塾古義堂二代目。古義学興隆の基礎を築き、父仁斎の遺した著書の編集・刊行に務め、自らも「訓幼字義」などを刊行した。中国語・中国制度史・儒教史などの基礎的な分野の研究にも力を入れ、また、新井白石・荻生徂徠らとも親交が深かった。彼の随筆は「秉燭譚」が知られるが、ざっと見たところでは見当たらない。発見し次第、追加する。

「伊勢度會郡市之瀨の石」現在の志摩市磯部町恵利原にある鸚鵡石(ここ(グーグル・マップ・データ))であろう(ここは旧度会郡域である)。「伊勢志摩きらり千選」のこちらこちらで詳しく説明されてある。

「越前敦賀の常宮浦」この附近(グーグル・マップ・データ)。

「飛彈の高原郷」岐阜県北西部。現在の飛騨市神岡町・高山市上宝町・奥飛騨温泉郷附近に該当する。

「信州伊那の市之瀨」現在の長野県伊那市長谷市野瀬(はせいちのせ)か。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「福島縣白河附近の小田倉村」福島県西白河郡西郷村小田倉。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「南津輕の相澤村」青森県浪岡町大字相沢か。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「土佐の穴内」高知県安芸市穴内(あなない)。この附近(グーグル・マップ・データ)。

「和漢三才圖會に、會津若松城内の鎭守諏訪明神の神石……」「卷第六十五」の「陸奥」にある以下。原本より訓読して引く。一部読みを歴史的仮名遣で補った。但し、「ものも(う)」のルビは原典のママ。【 】は割注。

   *

諏訪大明神 會津若松に在り【城内の鎭守と爲す。】

祭神 健御名鋒命(たけみなかたのみこと)【大巳貴(おほむなちの)命の子(みこ)。信州の諏訪と同じ。】

社の傍(かたはら)に神石有り。髙さ六尺、幅三尺許(ばかり)。籬(いかき)をを以つて之を圍ふ。八月二十七日、祭の日に限り、人、之れに向(むかひ)て、「物申(ものも)う」と謂へば、石、答へて、「誰(どれ)」と曰(い)ふの音、有り。此の日、醴酒(あまざけ)に芒(すゝき)の穗(ほ)を挿(はさ)んで、之れに供す。

   *]

 其鸚鵡石がさらに進んで膳椀借用の取次までもしたと云ふのである。是などは多分他の家具の岩屋などゝは異なり、地下にも水底にも通ずる穴が無かつたであらうから、コロボツクルとも土蜘蛛とも説明はし難かろうと思ふ。白山遊覽圖記に引用した異考記と云ふ書に、今より六百八十何年前の寛喜二年に、六月雪降りて七日消えず、國中大凶作となつた時、白山の祝(はふり)卜部良暢、窮民を救はんがために山に上つて斷食し、幣を寶藏石と云ふ岩に捧げて禱ること三日、忽ち白衣玉帶の神人現れ、笏をもつてその石を叩けば石門洞然と開いて、内は丹楹碧砌の美しい宮殿であつた。其時一條の白氣其中より出でゝ麓の方に靡き、村々の竹林悉く實を結んで餓ゑたる民、食を繋ぐことを得た云々。亞刺比亞夜譚の隱里の物語と、日を同じくして談ずべき奇異である。之に就いて更に考へるのは、上州利根の奧で食器を貸したと云ふ龍宮の出張所が、其名を吹割瀧と呼ばれたことである。是は亦水で造つた仙俗二界の堺の塀であつたのが、時あつて二つに開くことあるべきを意味したものであらう。廣島縣山縣郡都志見の龍水山に、駒ケ瀧一名觀音瀧と稱して高さ十二丈幅三丈の大瀧あり、其後は岩窟で觀音の石像が安置してあつた。始め瀑布の前に立つ時は水散じて雨の如く、近づくことは出來ぬが、暫くして風立ち水簾轉ずれは、隨意に奧に入り佛を拜し得る、之を山靈の所爲として居たさうである。日光の裏見の瀧などは十餘年前の水害の時迄は、水後にちやんと徑があつたが、又以前は此類であつたらう。美濃長良川の水源地にある阿彌陀の瀧も、自分は嘗て往つて見たが、同じく亦水の簾が深く垂れ籠めてあつた。これを繪本西遊記風に誇張すれば、やがて又有緣の少數者にのみ許された隱里に他ならぬ。現に今昔物語の中の飛彈の別天地などは、浮世の勇士を賴んで猿神を退治して貰ふ程のしがない桃源ではあつたが、やはり導く者あつて跳つて入らねば、突破ることのできない程の瀧の障壁が構へられて居たのである。

[やぶちゃん注:「白山遊覽圖記」「しらやまゆうらんずき」と読む。文政一二(一八二九)年序・金(子)有斐(仲豹)撰になる加賀白山の紀行地誌。「国文学研究資料館」のこちらの画像で全篇が読める(但し、漢文白文。ADSLで表示に時間がかかるので引用箇所の探索は諦めた。ご自分でお探しあれ。悪しからず)。

「異考記」不詳。

「寛喜二年」一二三〇年。

「卜部良暢」不詳。読みは「うらべよしのぶ」或いは「うらべりょうちょう」(現代仮名遣)。

「丹楹碧砌」「たんえいへきぜい」。朱塗の柱と緑玉で出来た石畳。

「亞刺比亞夜譚」「アラビアンナイト」。

「上州利根の奧で食器を貸したと云ふ龍宮の出張所が、其名を吹割瀧と呼ばれた」既出既注

「廣島縣山縣郡都志見の龍水山」ちくま文庫版全集でも『竜水山』となっているが、これは現在の広島県山県郡北広島町中原龍頭山(りゅうずやま)の誤りではなかろうか? ここ(グーグル・マップ・データ)。北広島町都志見(つしみ)の北境界外直近がピークである。

「高さ十二丈幅三丈」高さ三十六・三六メートル、幅九メートル十センチほど。

「美濃長良川の水源地にある阿彌陀の瀧」岐阜県郡上市白鳥町(しろとりちょう)(前谷まえだに)にある阿弥陀ヶ滝(あみだがたき)。(グーグル・マップ・データ)。

「繪本西遊記」文化三(一八〇六)序~天保八(一八三七)年頃に最終刊行か。口木山人(西田 維則)訳。大原東野(とうや)/葛飾北斎ら絵。

「今昔物語の中の飛彈の別天地」「今昔物語集」の「卷第二十六」の「飛彈國猿神止生贄語第八」(「飛騨の國の猿神(さるかみ)、生贄(いけにへ)を止(とど)むる語(こと)第八)。「やたがらすナビ」のこちらで原文が読める。]

 此等の事柄を考へ合せて見ると、膳椀の貸借に岩穴あり塚の口の開いたのがあることを必要とし、中に人が居て出入を管理する筈と考へるやうになつたのは、或は信仰衰頽の後世心かも知れぬ。これを直ちに元和寛永の頃まで、その邊に姿を見せぬ蠻民がいた證據の如く見るのは、或は鳥居氏の御短慮であつたのかも知れぬ。

[やぶちゃん注:「元和寛永」一六一五年から一六四五年。

「後世心」「ごしやうごころ(ごしょうごころ)」。後生の安楽を願う心。来世の安楽の種になるような功徳(くどく)をしたいと思う気持ち。「後生気(ごしょうき)」とも言う。ここは要は信仰が廃れた結果として後世(ごぜ)だけでなく、専ら現世でも悪影響が及ぶことを恐れた人心の謂いであろう。]

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