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2018/02/27

和漢三才圖會第四十一 水禽類 鵁鶄(ごいさぎ)

Goisagi

ごい   茭雞【音堅】

ごいざぎ 交矑

鵁鶄

     【和名伊微

      今云 五位鷺】

キヤ◦ウツイン

 

本綱鵁鶄大如鳧而高脚似雞長喙好啄其頂有紅毛如

冠翠鬛碧斑丹嘴青脛巢于高樹生子於穴中其母翼

飛下飮食禽經云白鷁相睨而孕鵁鶄睛交而孕人養之

玩能馴擾不去可厭火災

△按鵁鶄相傳近衞帝飮宴于神泉苑有鷺令人捕之其

 鷺將去叱曰宣旨也於是鷺伏而不動捕之以獻之叡

 感封鷺賜爵五品而令放之故名五位鷺其類有三種

背黑五位 狀似蒼鷺而小背蒼色翠鬣腹黃白色觜灰

 色脚黄項有白冠毛無亦有之此尋常鵁鶄也與本草

 之説有少異其肉味夏秋賞之冬有※氣不佳

[やぶちゃん注:「※」=「月」+「喿」。]

  星五位【則旋目鳥】 溝五位【卽護田鳥】共見于後

 凡五位鷺夜飛則有光如火月夜最明其大者如立岸

 邊猶人停立遇之者驚爲妖怪

 一種有蘆五位【一名恃牛鳥】出于原禽𪇆𪄻

 

 

ごい   茭雞〔(かうけいけん)〕【音、「堅」。】

ごいざぎ 交矑〔(かうろ)〕

鵁鶄

     【和名、「伊微〔(いび)〕」。

      今、「五位鷺」と云ふ。】

キヤウツイン

 

「本綱」、鵁鶄は大いさ、鳧〔(かも)〕のごとくして、高脚。雞〔(にはとり)〕に似て、長き喙〔(くちばし)〕。好みて啄(ついば)む。其の頂、紅毛有りて、冠のごとし。翠の鬛〔(たてがみ)〕、碧の斑〔(はん)〕、丹〔(あか)き〕嘴〔(くちばし)〕、青き脛なり。高樹に巢くふ。子を穴中に生む。〔子は〕其の母の翼を啣〔(は)〕んで、飛び下りて、飮食す。「禽經」に云く、『白鷁〔(はくげき)〕は相ひ睨〔(み)〕て孕み、鵁鶄は睛〔(ひとみ)〕を交へて孕む』〔と〕。人、之れを養ひて玩〔(もてあそ)〕ぶ。能く馴-擾〔(な)れて〕去らず。火災を厭〔(いと)〕ふべし。

△按ずるに、鵁鶄は、相傳〔す〕。『近衞帝の、神泉苑に飮宴す。鷺、有り。人をして之れを捕へせしめ〔んとするに〕、其の鷺、將に去らんとす。叱して曰く、「宣旨なり」と。是に於いて、鷺、伏して動かず。之れを捕へて以つて之れを獻〔(たてまつ)〕る。叡感して、鷺を封じて、爵五品〔(ほん)〕を賜ふ。而〔して〕之れを放たしむ。故、「五位鷺」と名づく。其の類、三種有り。

背黑五位〔(せぐろごゐ)〕 狀、「蒼鷺」に似て小さく、背、蒼色。翠〔の〕鬣〔(たてがみ)〕。腹、黃白色。觜、灰色。脚、黄。項〔(うなじ)〕に、白き冠毛、有り。無きも亦、之れ、有り。此れ、尋常の鵁鶄なり。「本草」の説と少異有り。其の肉の味、夏・秋、之れを賞す。冬は※〔(なまぐさき)〕氣〔(かざ)〕有〔りて〕佳ならず。

[やぶちゃん注:「※」=「月」+「喿」。]

「星五位〔(ほしごゐ)〕」【則ち「旋目鳥〔(せんぼくてう)〕」。】

「溝五位〔(みぞごゐ)〕」【卽ち、「護田鳥〔(おすめどり)〕」。】

 共に後〔(しり)〕へに見ゆ。

 凡そ、五位鷺、夜、飛ぶときは、則ち、光、有り、火のごとし。月夜、最も明なり。其の大なる者、岸邊に立ちては、猶ほ、人の停立するがごとく、之れに遇ふ者、驚きて、妖怪と爲す。

 一種、「蘆五位(よし〔ごゐ〕)」有り【一名、「恃牛鳥(こてい〔てう〕)」。】。原禽〔(げんきん)〕の𪇆𪄻〔(さやつどり)〕の下〔(もと)〕に出づ。

 

[やぶちゃん注:本文原文の「ごい」は総てママ。歴史的仮名遣は「ごゐ」が正しい。鳥綱 Avesペリカン目 Pelecaniformesサギ科 Ardeidaeサギ亜科 Ardeinaeゴイサギ属ゴイサギ Nycticorax nycticoraxウィキの「ゴイサギによれば、アフリカ大陸・北アメリカ大陸・南アメリカ大陸・ユーラシア大陸・インドネシア・日本・フィリピン・マダガスカルに分布し、本邦では『夏季に北海道に飛来(夏鳥)するか、本州以南に周年生息する(留鳥)。冬季に南下する個体もいる』。全長は五十八~六十五センチメートル、翼開長一メートル強から一メートル十二センチメートル、体重は四百~八百グラム。『上面は青みがかった暗灰色、下面は白い羽毛で被われる。翼の色彩は灰色』を呈する。『虹彩は赤い。眼先は羽毛が無く、青みがかった灰色の皮膚が露出する。嘴の色彩は黒い。後肢の色彩は黄色』。『幼鳥は上面が褐色の羽毛で被われ、黄褐色の斑点が入る。この斑点が星のように見える事からホシゴイの別名がある。下面は汚白色の羽毛で被われる。虹彩は黄色がかったオレンジ色。眼先は、黄緑色の皮膚が露出する』(下線やぶちゃん)。『繁殖期には後頭に白い羽毛が』、三本、『伸長(冠羽)し、後肢の色彩が赤みを帯びる』。河川・湖・池沼・湿原・水田・海岸などに『生息する。単独もしくは小規模な群れを形成して生活する。夜行性で、英名』(Black-crowned night heronNight heron)『の由来になっている。昼間は水面に張出した樹上などで』、『ひっそりと休』んでいる。『食性は動物食で、両生類、魚類、昆虫、クモ、甲殻類などを食べる。夜間水辺を徘徊しながら』、『獲物を捕食する』。『繁殖形態は卵生』で、『サギ科の他種も含めた集団繁殖地(コロニー)を形成する。樹上に雄が巣材となる木の枝を運び、雌がそれを組み合わせた巣を作る』。本邦では四~八月に三~六個の卵を、年に一、二回に『分けて産む。雌雄交代で抱卵し、抱卵期間は』二十一から二十二日で、『育雛は雌雄共同で行う。雛は孵化してから』二十日から二十五日で『巣を離れるようになり』、四十~五十日で『飛翔できるようになり独立する。生後』一~二『年で性成熟する』。「平家物語」(巻第五「朝敵揃(てうてきぞろへ(ちょうてきぞろえ))」)等では、『醍醐天皇の宣旨に従い』、『捕らえられたため』、『正五位を与えられたという故事が和名の由来になって』おり、『また、能楽の演目「鷺」は』、『その五位鷺伝説に由来するものである』(能では捕獲した蔵人(くろうど)もともに五位を得ている)。『夜間、飛翔中に「クワッ」とカラスのような大きな声で鳴くことから「ヨガラス(夜烏)」と呼ぶ地方がある。昼も夜も周回飛翔をして、水辺の茂みに潜む。夜間』、『月明かりで民家の池にも襲来し』、『魚介類・両生類を漁る。主につがいや単独で行動する』とある。「平家物語」の「卷第五」の「朝敵揃」のそれ(同章の後半全文)を以下に示す。

   *

 この世にこそ王位も無下(むげ)に輕(かろ)けれ。昔は宣旨(せんじ)を向つて讀みければ、枯れたる草木(くさき)も花咲き實なり、飛ぶ鳥も隨ひき。

 近頃の事ぞかし。延喜の御門(みかど)、神泉苑(しんぜんゑん)に行幸(ぎやうがう)なつて、池の汀(みぎは)に鷺の居(ゐ)たりけるを、六位を召して、

「あの鷺、とつて參れ。」

と仰ければ、如何(いかで)か捕らるべきとは思へども、綸言(りんげん)[やぶちゃん注:詔(みことのり)。天子の言葉。「礼記」の「緇衣(しい)」に由来。「綸」は組み糸で、天子の口から出るときは糸のように細い言葉が、下に達するときは組み糸のように太くなるという意を持つ。]なれば、步(あゆ)み向ふ。鷺、羽繕(はづくろ)ひして、立たんとす。

「宣旨ぞ。」

と仰(おほ)すれば、ひらんで[やぶちゃん注:平伏(ひれふ)して。]飛び去らず。卽ち、これを取つて參らせたりければ、

「汝が宣旨に隨ひて參りたるこそ神妙(しんべう)なれ。やがて五位になせ。」

とて、鷺を五位にぞなされける。

『今日(けふ)より後(のち)鷺の中(なか)の王たるべし』

と云ふ御札(おんふだ)を、自(みづか)ら遊(あそ)ばいて、頸につけてぞ放たせ給ふ。全くこれは鷺の御料(おんれう)にはあらず、只(ただ)、王威の程を知ろし召さんが爲なり。

   *

さて「延喜の御門」とは第六十代天皇である醍醐天皇(元慶九(八八五)年~延長八(九三〇)年/在位:寛平九(八九七)年~延長八(九三〇)年)である。ところが、「和漢三才図会」本文ではこれを近衛天皇のエピソードとするが、これは良安の誤認と思われる。確かに「平家物語」から「近き頃」となれば、第七十六代天皇近衛天皇(保延五(一一三九)年~久寿二(一一五五)年)は相応しいように一見、見えてしまうのだが、実は彼の在位は永治元年十二月七日(一一四二年一月五日)から久寿二年七月二十三日(一一五五年八月二十二日)と短く、しかも崩御した時は未だ満十六歳であった。加えて、彼は十四歳以降は病勢が悪化し、一時は失明の危機に陥っていて、凡そ、このエピソードにはあまり相応いとは思われない病気がちの少年なのである。正直、私は秘かに、良安先生、「延喜」と「近衞」の崩し字を誤って記憶したのではないかと思っている

 

「啣〔(は)〕んで」実は原典底本は字が擦れていてよく見えない。東洋文庫訳では『子は母の翼にのり』と、この「啣」とした字を「乗る」の意で採っているのであるが、少なくとも、この字にはそんな意味はないので採れない。「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」では「」となっているが、この漢字は私も見たこともないもので、検索を掛けても、中文サイトでもよく判らないのである。しかし、「維基文庫」の「本草綱目」を見てみると、ここを「銜」としているのを発見した。これなら判る。(口に)「銜(くわ)える」である。しかも「くわえる」という漢字には「啣」がある。この漢字は「和漢三才圖會」の原典の字に頗る似ているのである。最後に、中外出版社の明治三五(一九〇二)年刊の「和漢三才圖會」の活字本の当該項(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの当該ページの画像)を調べてみると、やはり「啣」となっていた。しかもやはり確かに送り仮名は『ンデ』なのだ。そうだとすれば、これはもう、「はんで」(囓(は)んで)で、雛鳥が母鳥の羽を口で銜(くわ)えてそこに攀じ登り、或いは、銜えたところを母鳥が翼を広げて高みに揚げたところで、飛び降りて摂餌をする、と続くのだと読んだ

「禽經」既出既注であるが、再掲しておく。春秋時代の師曠(しこ)の撰になるとされる鳥獣事典であるが、偽書と推定されている。全七巻。

「白鷁〔(はくげき)〕」これも既注であるが、「鷁」は「」(ゲイ)と同じで、鷺(さぎ)に似た大形の水鳥で、船首にこの水鳥を象った飾りを付けることで知られる想像上の大鳥である。その白色のものとなる。

「相ひ睨〔(み)〕て孕み」見つめ合うことで子を孕む。

「鵁鶄は睛〔(ひとみ)〕を交へて孕む」瞳、視線が一瞬互いに合っただけで孕む。こりゃ、

凄い!

「馴-擾〔(な)れて〕」「擾」は「騒擾(ソウジョウ)罪」のように専ら今は「騒ぐ」の意で知られるが、他に「なつける・ならす」の「馴れる」と同じ意があり、「擾化」「擾馴(ジョウジュン)」という熟語もある。

「火災を厭〔(いと)〕ふべし」これは火難を避けることが出来る、則ち、この鳥を飼っていると火難除けになるということを意味している。

「相傳〔す〕」以下のような名称由来伝承を伝えている。

「其の類、三種有り」以下の「背黑五位」・「星五位」・「溝五位」ということであろう。

「背黑五位〔(せぐろごゐ)〕」これは良安も「尋常の鵁鶄」なり」と言っているように、実は前で言う別種なのではなく、ゴイサギの成鳥のことを指している。

「蒼鷺」ペリカン目サギ科サギ亜科アオサギ属アオサギ Ardea cinerea。後(五つ後)で独立項で出る。

『「星五位〔(ほしごゐ)〕」【則ち「旋目鳥〔(せんぼくてう)〕」。】』これも別種ではない。ゴイサギの幼鳥の別名。体の上面が褐色の羽毛で被われており、そこに黄褐色の斑点が入っているが、この斑点が、星のように見えることに由来する。冒頭注の引用の下線部を参照。

『溝五位〔(みぞごゐ)〕【卽ち、「護田鳥〔(おすめどり)〕」。】』これは立派な別種で、サギ科ミゾゴイ属ミゾゴイ Gorsachius goisagi である。ウィキの「ミゾゴイ」より引いておく。中国南東部・日本(本州以南)・フィリピン・台湾に分布。『主に日本で繁殖し(台湾でも繁殖した例があ』る『)、冬季になると』、『フィリピンへ南下し』、『越冬するが』、『台湾や日本(九州、南西諸島)でも少数個体が越冬する』。全長四十九センチメートル、翼長二十五~二十九センチメートル、翼開長八十~九十センチメートルで、体重は四百九十グラム。『頭部の羽衣は濃赤褐色や黒褐色』、『上面の羽衣は暗赤褐色』、『体下面の羽衣は淡褐色』を呈する。『喉には細く黒い縦縞が入り、下面中央部には赤褐色の縦縞が入』り、『風切羽は暗褐色で、先端が赤褐色』。『上嘴は黒や黒褐色、下嘴は黄色』、『後肢は黒緑色』。『繁殖期の個体は眼先の裸出部が青くなる』。『平地から低山地にかけての森林に生息』し、『暗い森林を好む』。『単独もしくはペアで生活する』。『渡来直後のオスは夕方から夜間にかけて鳴くため』、『夜行性と考えられていた』が、『繁殖期の給餌時間や飼育下での非繁殖期の活動時間の観察例から』、『本種を昼行性とする説もある』。『危険を感じると』、『頸部を伸ばして上を見上げ』、『外敵に向かって下面を向け、木の枝に擬態する』。『食性は動物食で、魚類、昆虫、サワガニなどの甲殻類、ミミズなどを食べる』。『森林内の河川、湿原、地表などを徘徊し』、『獲物を捕食する』。『繁殖形態は卵生。太い樹上に木の枝を組み合わせた巣を作り』、五~七月に三、四個の卵を産む。抱卵期間は二十から二十七日、雛は三十四日から三十七日で巣立ちする。『鳴き声からウシドリ、ウメキドリ、ヤマイボなどの方言名がある』とある。「ヤマイボ」とは鳴き声が「イボォー、イボォー」と聞こえるかららしい。鳴き声はこれ。なお、前と合わせて、孰れも「共に後〔(しり)〕へに見ゆ」とある通り、この後に独立項(次の「旋目鳥(ほしごい)」及び、その次の「」(おすめどり/みぞごい:別名・護田鳥)として出る。

「夜、飛ぶときは、則ち、光、有り、火のごとし」これはサギの鳥体が夜間に青白く発光するもので、江戸時代から妖怪或いは怪異現象として「青鷺火(あおさぎび)」「五位の火(ごいのひ)」などと呼ばれている。ウィキの「青鷺火」より引く。『「青鷺」とあるが、これはアオサギではなく』、『ゴイサギを指すとされる』。『江戸時代の妖怪画集として知られる鳥山石燕』の「今昔畫圖續百鬼」や「繪本百物語」などにも『取り上げられ、江戸時代にはかなり有名な怪談であったことがわかる。また江戸後期の戯作者』桜川慈悲功作・歌川豊国画の「變化物春遊(ばけものはるあそび)」(寛政五(一七九三)年刊)にも、大和国で『光る青鷺を見たという話がある。それによると、化け柳と呼ばれる柳の大木に毎晩のように青い火が見えて人々が恐れており、ある雨の晩』、一『人の男が「雨の夜なら火は燃えないだろう」と近づいたところ、木全体が青く光り出し、男が恐怖のあまり気を失ったとあり、この怪光現象がアオサギの仕業とされている』(原典の当該箇所を国立国会図書館デジタルコレクションのここの画像で視認出来る)。『新潟県佐渡島新穂村(現・佐渡市)の伝説では、根本寺の梅の木に毎晩のように龍燈(龍神が灯すといわれる怪火)が飛来しており、ある者が弓矢で射たところ、正体はサギであったという』。『ゴイサギやカモ、キジなどの山鳥は夜飛ぶときに羽が光るという伝承があり、目撃例も少なくない。郷土研究家』更科公護の論文「光る鳥・人魂・火柱」(『茨城の民俗』昭和五六(一九八一)年十二月)にも、昭和三(一九二八)年頃に『茨城県でゴイサギが青白く光って見えた話など』、『青鷺火のように青白く光るアオサギ、ゴイサギの多くの目撃談が述べられている』。『サギは火の玉になるともいう』。『火のついた木の枝を加えて飛ぶ、口から火を吐くという説もあり、多摩川の水面に火を吐きかけるゴイサギを見たという目撃談もある』(ここに本書の記載の紹介がでるが、省略する)。『また一方でゴイサギは狐狸や化け猫のように、歳を経ると化けるという伝承もある。これはゴイサギが夜行性であり、大声で鳴き散らしながら夜空を飛ぶ様子が、人に不気味な印象をもたらしたためという説がある。老いたゴイサギは胸に鱗ができ、黄色い粉を吹くようになり、秋頃になると青白い光を放ちつつ、曇り空を飛ぶともいう』。『科学的には水辺に生息する発光性のバクテリアが鳥の体に付着し、夜間月光に光って見えるものという説が有力と見られる。また、ゴイサギの胸元に生えている白い毛が、夜目には光って見えたとの説もある』とある。また、そこでも紹介されているが、「耳囊 卷之七 幽靈を煮て食し事」(リンク先は私の電子化訳注)も是非、参照されたい

「其の大なる者、岸邊に立ちては、猶ほ、人の停立するがごとく、之れに遇ふ者、驚きて、妖怪と爲す」つげ義春も漫画にしているが、事実、本当に人のように見えるものだ。私は何度か、ゴイサギを人と錯覚したことがあるのだ。

「蘆五位(よし〔ごゐ〕)」これも別種。サギ亜目サギ科サンカノゴイ亜科ヨシゴイ属ヨシゴイ Ixobrychus sinensisウィキの「ヨシゴイ」より引く。東アジア・東南アジア及び南洋諸島など、広く分布する。本邦には夏季、繁殖のために『飛来(夏鳥)するが、本州中部以南では越冬例もある』。全長三十一~三十八センチメートル、翼開長五十三センチメートル。『上面は褐色、下面は淡黄色の羽毛で覆われる。小雨覆や中雨覆、大雨覆の色彩は淡褐色、初列雨覆や風切羽の色彩は黒い』。『虹彩は黄色。嘴の色彩はオレンジがかった黄色』。『幼鳥は下面が白い羽毛で覆われ、全身に褐色の縦縞が入る。オスは額から頭頂にかけて青みがかった黒い羽毛で覆われる。また』、『頸部から胸部にかけて』、『不鮮明な淡褐色の縦縞が』一『本入る』。『メスは額から頭頂にかけて赤褐色の羽毛で覆われ、額に暗色の縦縞が入る個体もいる。また頸部から胸部にかけて不鮮明な褐色の縦縞が』五本、入っている。『湿原や湖、池沼、水田などに生息する。ヨシ原に生息することが和名の由来。単独もしくはペアで生活する。薄明薄暮性。開けた場所には現れず、ヨシ原を低空飛行し獲物を探す。危険を感じると上を見上げて頸部を伸ばし、静止したり左右に揺れる。これにより下面の斑紋がヨシの草と見分けづらくなり、擬態すると考えられている』(これは鳥の巧妙な擬態の典型例として知られる。私の幼い頃の鳥類図鑑にも載っていたのを懐かしく思い出す)。『食性は動物食で、魚類、両生類、昆虫、甲殻類などを食べる。水辺や植物の茎の間で獲物を待ち伏せし、通りかかった獲物を頸部を伸ばして捕食する。『繁殖形態は卵生。茎や葉を束ねた皿状の巣に』、本邦では五~八月三~七個の『卵を産む。雌雄交代で抱卵し、抱卵期間は』十七日から二十日。雛は孵化後、約十五日で巣立つ。

「恃牛鳥(こてい〔てう〕)」東洋文庫訳はこの「恃」を誤字とし、「特牛鳥」とする。「特牛」は「牡牛」とも書き、「ことひうし・こというし、・こってうし・こっとい」などとも読み、古くは「こというじ」とも称したという。「強く大きな牡牛」の意と、Q&Aサイトの回答にあった。鳴き声も幾つか聴いて見たが、雄牛の鳴き声のようには聴こえないので、呼称の意味は判らなかった。識者の御教授を乞う。

「原禽〔(げんきん)〕の𪇆𪄻〔(さやつどり)〕」次の「卷第四十二 原禽類」の掉尾に独立項として出る。「原禽類」とは野原・平野を棲息域とする鳥類の意と推定され、「𪇆𪄻」の項を見ても、良安もお手上げ状態であるが、彼自身、その文中で「𪇆𪄻」は、実はこの「蘆五位」と同一種ではないか、と推理している。そこに行ったら、再度、考証し直す。]

 

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