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2018/02/06

芥川龍之介 手帳12 《12-7/12-8》

《12―7》

梨はみてあれば

○はればれと椽にあぐらみ梨の實をわがはむ秋となりにけるかも

[やぶちゃん注:この短歌は「芥川龍之介未定稿集」に、

 

 はればれと緣にあぐらゐ梨の實をわがはむ秋となりにけるかも

 

の形で出る。末尾には編者による『(大正六、七年 未発表)』の創作推定年が示されている。やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注を参照されたい。「あぐらゐ」は「胡坐居」で、胡坐(あぐら)を組んで座って、の意。]

 

梨の實を【わ→あ→】わかはみ居ればほしけやし敷石の下に

[やぶちゃん注:以上のは「わ」を消して「あ」とし、それを抹消して、再び「わ」としたものを、かく示した。前の短歌の推敲稿と思われる。]

 

○蟻は今秋のつかれに梨の實のあまきをめぐりよろぼびにけり

[やぶちゃん注:「芥川龍之介未定稿集」に、『(大正六、七年 未発表)』として、全く相同のものが載る。やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注を参照されたい。]

 

○とほどほによする波の音より

夕渚しらじらとして暮るゝ

○夜は汝を見守るべし

○夜を見守れば

○汝何を求めむとてこゝに來れる

大風は空をふきて

[やぶちゃん注:総て、短歌稿であると私は推断する。]

 

《12―8》

○甲亂記 甲陽軍鑑 山形記 東國太平記 武田三記 北越軍記 將士美談 武邊物語 武家閑談 武者物語 武家高名記 武家盛衰記 老人雜話 故老物語 朝鮮軍記 朝鮮征伐記 淸正記 高麗陣日記 俳優全集 雨窓閑話 曾呂利記事

[やぶちゃん注:「甲亂記」著者・成立年代不詳。天正一〇(一五八二)年八月とする説有り。全一巻。天正十年の甲斐武田氏の滅亡を記した軍記物。武田勝頼に対する木曾義昌の謀反から筆を起こし、恵林寺の焼失と織田信長の入甲を以って筆を収める。

「甲陽軍鑑」甲斐国の戦国大名武田氏の戦略・戦術を記した軍学書。本編二十巻全五十九章及び末書二巻から成る。武田信玄・勝頼期の合戦記事を中心に、軍法・刑法などを記す。ここに並ぶ作品の中で数少ない私の知っている作品である。

「山形記」「山形軍記」という書名だけをネット上で何とか見い出せ、それはどうも、戦国から江戸前期にかけての出羽国の大名で最上氏第十一代当主にして出羽山形藩初代藩主最上義光(天文一五(一五四六)年~慶長一九(一六一四)年:「関ヶ原の戦い」で東軍につき、最上家を五十七万石の大大名に成長させて全盛期を築き上げた人物で、伊達政宗の伯父に当る)辺りが記載対象となっているような臭いはする。

「東國太平記」延宝八(一六八〇)年に近江の国枝清軒によって書かれた軍記物。安土桃山から江戸前期の武将であった水原親清(すいばらちかきよ 天正一一(一五八三)年~寛永八(一六三一)年)の「関ヶ原の戦い」での従軍経験の筆記録に基づくもの。ウィキの「水原親清」によれば、水原は蘆名氏家臣栗村盛胤の子として生まれたが、天正一二(一五八四)年に父盛胤が、松本行輔とともに『蘆名盛隆に謀叛を起こして討たれたため、祖父の長沼城主・新国貞通に養育された』。天正一八(一五九〇)年、『貞通が豊臣秀吉によって改易された後』、慶長三(一五九八)年の『上杉景勝の会津入封の頃までには、上杉家臣・水原親憲に出仕していたものと考えられる。上杉家臣の頃には、新国庄蔵と名乗っており』、慶長五年の「関ヶ原の戦い」では、『親憲の下で慶長出羽合戦に従軍し、長谷堂城からの撤退戦で水原隊の一員として活躍し、戦後に親憲から感状を与えられている』。元和五(一六一九年、『親憲の後を継いでいた憲胤を誘って』、ともに『米沢藩より出奔。憲胤は福井藩に仕え、庄蔵は川越藩主酒井忠利の子・忠勝(のちに若狭国小浜藩主)に仕えた。水原所左衛門親清と称したのは』、『これより以降のようである』とある。『しかし、親清が酒井家に奉公していたのはわずか数年間のことで、元和年間の内には忠勝の下を離れ、出羽国新庄藩主・戸沢政盛に仕官して知行』三百石『を与えられた』。『子孫は新庄藩士として続いた』とある。旧主の姓を名乗っているのが気になるので、注記を引用しておくと、「新庄藩系図書」『巻之七に載せる「水原家系図」では、親清は親憲の弟で、のちに養子となったとしており、米沢藩出奔後はそのように自称していたものと考えられる』とある。

「武田三記」不詳。

「北越軍記」別名「北越太平記」。恐らく「北越軍談」と同じ。寛永二〇(一六四三)年洛東隠士雲庵自序であるが、これは紀州徳川家に仕えた軍学者宇佐美定祐らしい。ウィキに「北越軍談」がある。但し、ネットでは、上杉謙信の参謀として上杉二十五将の一人に数えられる宇佐美定行という武将が知られているが、これは、この宇佐美が自分の出自を飾るために、まさにこの書でデッチアゲた架空の人物であって宇佐美は歴史偽造の偽書作家で極悪人である、とする痛烈な投稿があったことも言い添えておく。

「將士美談」「太平将士美談」。永山利貞正徳二(一七一二)年自序。戦国から江戸にかけての武辺人物物。

「武邊物語」林述斎が中心となって編纂した徳川家康の逸話集「披沙揀金」(成立は天保七(一八三六)年か翌年辺りか)に引用書目として挙げられているが、書誌情報不詳。

「武家閑談」江戸中期の幕臣で歴史家であった木村高敦(延宝八(一六八〇)年~寛保二(一七四二)年:大番組士・新番組士・西丸賄頭を歴任し、寛保元(一七四一)年、西丸広敷用人)の考証随筆。彼は徳川家康の事跡に関する史料の収集と整理に努め、家康の一代記である「武徳編年集成」を著しており、これはそれまでの官選の家康事跡録であった「武徳大成記」の記事の信憑性に不満であっ第八代将軍吉宗の注目するところとなり、寛保元年に吉宗に献上されている(以上は「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

「武者物語」松田秀任(ひでとう)著の武辺咄集。承応三(一六五四)年跋。

「武家高名記」「本朝武家高名記」。大坂の小児科医で貝原益軒と交流があった樋口松士軒好運の著。になる軍書。総目録一巻・武将伝二百二十巻・武臣伝十巻、他十九巻から成る。征夷大将軍の由来から始まり、源頼朝から徳川氏までの武家の事績を記す。国文研データセット」の記載を参照した(そこでは全文を画像で読める)。

「武家盛衰記」著者・成立不詳。別名「近代武家盛衰記」。「関ヶ原の戦い」から徳川綱吉の治世までの諸大名・諸家の武家盛衰を記す。国立国会図書館デジタルコレクションの画像全篇

「老人雜話」随筆。儒医江村専斎(永禄八(一五六五)年~寛文四(一六六四)年)の談話を門人伊藤坦庵宗恕が筆録編集した書。全二巻。戦国から近世初頭にかけての武将の逸事や軍事・文事・医事・能・茶、また、京の地理などに関する話を、達意の文章で綴ったもので、特に豊臣秀吉に関する逸事は白眉の記事であるが、必ずしも総てが真実とは言い難い。但し、随筆としては優れたものである(平凡社「世界大百科事典」に拠る)。「国文研データセット」のこちらで全文(恐らく)が画像で読める(但し、写本)。

「故老物語」相同・相似の書名がかなりあり、芥川龍之介がどれを指しているのか不詳。

「朝鮮軍記」豊臣秀吉の文禄・慶長の役(壬辰倭乱:文禄元(一五九二)年~慶長二(一五九八)年:休戦を挿む)での朝鮮出兵について書かれた軍記物諸本の総称。芥川龍之介が挙げている江戸初期の堀正意の「朝鮮征伐記」(寛永二一(一六四四)年成立・万治二(一六五九)年刊)、中期の釈姓貴の「朝鮮軍記大全」・馬場信意の「朝鮮太平記」、後期の庶民の爆発的人気を博した岡田玉山の「絵本太閤記」などが知られる。

「淸正記」加藤清正に関する伝記戦記物語。古橋左衛門又玄(ゆうげん)著。全三巻。成立時期は不明だが、十七世紀中頃と推定されている。加藤美作・下川兵太夫・木村又蔵・古橋清助が、それぞれ部分的に書き残したものを編集し、清正の若年の頃から逝去までの概要を記し、清正の菩提寺本妙寺に寄進したもの。特に第一巻及び第二巻の朝鮮の役までの記事は基本史料とされ、古文書などを挿入して真を得る方法を採っており、清正の軍功についての大要を知り得る基本的な史料となっている(平凡社「世界大百科事典」に拠る)。

「高麗陣日記」(こうらいじんにっき:現代仮名遣)は梅村市郎兵衞刊の元禄一五(一七〇二)年の朝鮮出兵について書かれた軍記物。国文学研究資料館の画像で全篇が読める。

「俳優全集」博文館編輯局編校訂の「続帝国文庫第三十五編」明治三四(一九〇一)年博文館刊)のか。

「雨窓閑話」著者・成立年未詳。古今近世の事蹟雑話を集め、記事の後に著者の意見も加えてあり、多く武士道上の教訓談を主とする。織田信長・豊臣秀吉・上杉謙信等の逸話を始め、故実や観世一代能のことなどを記す。天明二(一七八一)年の序がある。刊行は嘉永四(一八五一)年十月。のデータに拠り、所持するが、詳細を語る気にならない。悪しからず。

「曾呂利記事」私も好きな寛文三(一六六三)年刊の全五巻から成る仮名草子奇談集「曽呂利物語(そろりものがたり)」の放漫な謂いであろう。]

 

梨の實をまさくさくさく

朝顏の凋む

朝顏の花をあけさびしみ

○たよりなくさく朝顏の花のむたほそぼそとしてわがなげくかも

[やぶちゃん注:総て短歌歌稿と推定される。最終歌は「芥川龍之介未定稿集」に所収する。末尾に編者には大正六(一九一七)年から翌年にかけての未発表の創作という推定年代が示されてある。やぶちゃん版編年体芥川龍之介歌集 附やぶちゃん注を参照されたい。]

 

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