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2018/03/22

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 魚王行乞譚 四

 

     四

 

 美濃惠那郡の川上付知(つけち)加子母(かしも)の三ケ村、又武儀郡板取川の谷などでも、岩魚(いはな)は坊主に化けて來るものだと謂つて居たさうである。さうして現に化けて來た實例が每度あつた。惠那の山村では山稼ぎの若者ども、あたりの谷川に魚多きを見て、今日は一つ晝休みに毒揉みをして、晩の肴の魚を捕つてやろうと、朝から其支度をして居た。其邊でも辛皮と稱して山椒の樹の皮を使ふが、是に石灰と木灰とを混じて煎じつめ、小さな團子に丸めて水底に投ずる。僅か二粒か三粒もあれば、淵に居る魚の限りは皆死ぬといふ。但し小便をしこむと其毒が一時に消えてしまふなどゝも謂つて居る。さて愈〻用意も整うて、一同が集まつて中食をして居ると、何處からとも無く一人の僧が遣つて來た。御前たちは毒揉みをするらしいが、是は無體な事だ。他のことで魚を捕るのはともあれ、毒もみだけはするもので無いと言つた。いかにも仰せの通りよくない事かも知れません、以來は止めましようと挨拶をするとかの坊主、毒揉みばかりは魚としては遁れやうもなく、まことに根絶やしとなる罪の深い所業ぢや。もうふつゝりと止めたがよいと、尚念を入れて教訓をするので、連中も少しは薄氣味惡くなり、もう愼みましようと言ひながら食事をして居たが、其僧は直ぐにも立去らず、側にたゝずんで居るので、折から人々團子を食つて居たのを、これ參らぬかと進めると旨さうに食べた。それから飯も出し汁も澤山にあるので、汁掛飯にして與へると少し食べにくい樣子であつたが、殘らず食べてしまつて其うちに出て行つた。跡で一同顏を見合せ、あれはどういう人であらう。此山奧は出家の來べき處で無い。山の神の御諫めか、又は弘法大師では無からうか。どうだ、もう毒操みは止めようでは無いかと言ふ者もあつた。併し氣の強い人々は承知せず、山の神や天狗が怖ろしくば、始から山稼ぎなどはせぬがよいのだ。心の臆した者はどうともせよ。おれたちばかりで遣つてのけると、屈強の二三名が先に立つて、たうとう其日も毒揉みをした。果して獲物の多かつた中に、岩魚の大いさ六尺餘もあるのがまじつて居た。坊主の意見を聽いて居たら、此樣な魚ほ得られまいなどゝ、悦んで村へ持還つて多くの見物の前で、其大魚の料理に取かゝると、こは如何に晝間旅僧に與へた團子を始め、飯なども其儘岩魚の腹の中から現れた。是には最前の元氣な男どもゝ、流石に氣おくれがして其魚は食はずにしまつたさうである。

 尾張の旅行家の三好想山は、久しく惠那の山村に在勤していた友人の、中川某から此話を聞いた。さうして兼々岩魚は僧に化けて來るといふ言ひ傳へのあるのも、偶然ならざるを知つたと言つて居る。それから他國をあるいて居る際には、常に注意して同じ例の、有り無しを尋ねて見たとも記して居る。ところが文政三年の夏の頃に、信州木曾の奈良井藪原のあたりで、人足の中に岩魚の坊主になつて來た咄を、知つて居る者を二人見つけたさうである。是も同じ御嶽山(おんたけさん)の麓ではあるが、美濃とはちやうど裏表になつた此近くの山川で、やはり毒流しをして大岩魚を捕つたことがあつた。一尾は五尺以上、他の一尾は今少し小さくて五尺ほどあつたが、腹の中から團子が出て來たそうである。それが其日山中に於て、見知らぬ坊主に與へた覺えのある團子なので、大いなる不思議に打たれたといふことであつた。皆々甚だ恐れ候との咄は慥に承候共、我々は少し處ちがひ候故、其魚は得見申候と謂つたさうである。

[やぶちゃん注:以上も既に私は原典を電子化注している「想山著聞奇集 卷の參」「イハナ坊主に化たる事 幷、鰻同斷の事」を参照されたい。]

 

 勿論是は魚の腹に團子の殘つて居るのを、見たとか見なかつたとかの問題では無いのである。我々に取つては三好想山を始とし、斯ういふ話を聽いてさも有りなんと、信じ得た者がどれ位、又どの時代まであつたかゞ興味ある問題となるのである。今日の生物學を出發點とすれば、人は唯訛言[やぶちゃん注:「くわげん(かげん)」。誤って伝えられた評判。]造説が世上を走る速力、若くは之を移植繁茂せしむべき要件を問うて止むかも知れぬが、我々の自然知識には當初今一つ、別に濃厚緻密にして系統立ち且つ頗る誤つて居たものがあつて、過去の文化は之に導かれて、終に今見る如き形態にまで成長して居たのであつた。それが斯ういふ稍奇なる説話の殘片に由つて、少しづゝ元の力の働きを理解させてくれるとすれば、たゞ笑つてばかりも聽いて居るわけには行かない。殊に巨大なる鰻又は岩魚が、時々は人に化けて來るといふ信仰が前からあつて、それが腹中に小豆飯團子を見出したという珍聞を、他のいろいろの不思議話よりもより多く信じ易いものとしたといふことは、日本人に取つては好箇[やぶちゃん注:「かうこ(こうこ)」。近年は「好個」と書くことが多い。丁度よいこと。適当なこと。]の記念である。異魚の奇瑞を實驗したやうに考へる老は、必ず始め洋海のほとりに住み、または大湖の岸に往來していた種族でなければならぬが、それが山深く分け入つて細谷川の水源に近く、所謂壺中の天地に安居して後までも、尚六尺の岩魚や一丈有半の鰻を、夢幻の中に記憶して居たということは、意味の深い現象といつてよいのである。佛教が公式に輸入せられ、その几上の研究が是ほど迄進んで居ても、尚日本の島には此島らしい佛教のみが發達した。あらゆる經典のどの個條でも、説明することの出來なかつた地藏や閻魔や馬頭觀音、さては弘法大師の村巡りといふ類の特殊なる言ひ傳へが、實は多數民衆の信仰の根を固めて居た。だから私などは世の所謂傳播論者のやうに、單なる二種族の接觸に因つて、直ちに一方の持つものを他の一方に持運び得たと、解することを躊躇するのである。此點に關しては、説話と傳説との分界を、明かにすることが殊に必要である。説話は文藝だから面白ければ學びもし眞似もしよう。傳説に至つては兎に角に信仰である。萬人が悉く欺かれ又は強ひられて、古きを棄てゝ新しきに移つたとは思へぬ。外國の教法が此土に根づく爲に、多くの養分日光を爰で攝取した如く、傳説も亦之を受容れて支持する力が、最初から内に在つたが故に、是だけの發展を遂げることが可能であつたかも知れぬのである。

 

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