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2018/03/28

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 物言ふ魚 四

 

     四

 

 それからまたずつとかけ離れて、宮城縣登米郡錦織村大字嵯峨立の、昌坊瀧(まさばうだき)の例は登米郡史にも見えている。ちやうど岩手縣の東磐井郡黃海(きのみ)村と接した境の山で、瀧壺は一反步ほどの湖水になつていた。昔此水中に大なる鰻がいて、時々現はれて人を驚かした。

    昌坊來るか來んかと聲すれど

    來るも來ざるも嵯峨のまさ坊

という歌のやうな文句があつて、それ故に瀧の名を昌坊瀧といふ口碑はあるが、是だけでは何のことかわからない。ところが幸ひなことには郷土研究の一卷十二號に、鳥畑隆治君の岩手縣側の報告が出て居る。昔この黃海村の農夫が、この瀧壺に來て大きな鰻を捕へ、それを籠の中に入れて還つて來ようとすると

    まさ坊まさ坊いつ歸るか

といふ聲があり、其返答としてはやゝ不明であるが、

    來るか來ぬかのまさ坊だ

と言つたとかで、怖れて魚を棄てゝ遁げて戾つた。それよりして瀧の名を來不來瀧と書いて、まさばう瀧といふやうになつたとある。大分記憶が損じて居るやうだが、兎に角同じ話の分布であつたとだけは言へる。

[やぶちゃん注:「宮城縣登米郡錦織村大字嵯峨立」宮城県登米市東和町錦織(にしこり)嵯峨立。(グーグル・マップ・データ)。

「昌坊瀧(まさばうだき)」嵯峨立地区の北の岩手県との県境に位置する相川ダム((グーグル・マップ・データ)。ダムは宮城県側で登米市東和町錦織)によって消失していることが、登米市東和町錦織字岩ノ沢にあった登米市立嵯峨立小学校サイト内昌坊滝の伝説を読まれたい。同校は東和町錦織山居沢に於いて登米市立錦織小学校となった(合併か)模様である。

   《引用開始》[やぶちゃん注:アラビア数字を漢数字に代えさせて貰い、一部の記号を変更した。]

   昌坊滝の伝説

 相川(嵯峨立の北を流れている)の上流に滝があり、その滝壷は広く沼のようであった。むかしその滝壷には大きなうなぎが住み、時々人を驚かしたと言う。

 ある時、昌坊という農夫が、朝この滝のほとりに草刈りに出かけた。草を刈り集め、背負って帰りかけ、二、三歩歩くと背中から声がした。

 「昌坊や 昌坊や 来不来の昌坊だぞ」

 昌坊は大変驚いて、背負っていた草を投げ捨てて後ろも見ずに家に帰って、寝こんでしまった。

 これは滝の主のうなぎのしわざであったと言われる。

 「昌坊来るや 来んか声すれど

           来るも来ざるも 嵯峨の昌坊」

 という歌のような文句があって、それでこの滝の名が出たとも言われています。

また、この滝には別のお話もあります。

 むかしひとりの坊さまが、中山(岩手県藤沢町)へ行こうと思い相川に沿って上がっていくと、高さ一丈(三メートル)ほどの滝があり、滝壷は小沼のように広がっていた。坊さまがそのほとりに行くと、二匹の大うなぎが遊んでいた。そこで一匹を捕まえて袋に入れたが、もう一匹には逃げられてしまった。

 さて、ここから去ろうとすると滝壷の中から

    「昌坊や 昌坊 いつ来るか昌坊や」

 という声がした。すると袋の中のうなぎが

    「来るや来らずの昌坊」

 と返事をした。これを聞いた坊さまは驚いて袋の中のうなぎを放してやった。

 そして、これからこの滝を「来不来滝」と書いて昌坊滝と読むようになったと伝えられている。

昌坊滝:現在の相川ダムの付近にあった滝で、現在はありません。

   《引用終了》

「登米郡史」「とめぐんし」。藤原相之助等編。大正一二(一九二三)年登米郡刊。

「岩手縣の東磐井郡黃海(きのみ)村」現在の一関市藤沢町黄海。(グーグル・マップ・データ)。「境の山」とは現在の相川ダムの北方に聳える岩手県側の一関市藤沢町黄海にある館ケ森山のことであろう。

「一反步」「いちたんぽ」。三百坪。九百九十一・七三六平方メートル。約一千平方メートルとすれば、テニス・コート約四面分ほどに相当する。

「鳥畑隆治」明治末期の東磐井郡黄海小学校教員で郷土史研究家。]

 

 實際たゞ是ばかりの話では、永く覺えて居られなかつたのも尤もである。早川孝太郎君が「民族」三卷五號に報告した靜岡縣の例などは、幾分か話が込入つて居るけれども、それだけに解説がいよいよ困難で、二つ以上を比べて見ないと、何のことやら一寸把捉[やぶちゃん注:「はそく」。ちゃんと理解すること。]しかねる。遠州周智郡水窪(みさくぼ)町大字草木桐山といふ部落には「おとぼう淵」といふ淵があつた。昔この崖の上に一軒の物持があつて、淵の主と懇親を結んで水中から膳椀を借り、又金錢の融通をも受けて、それで富裕な暮しをたてゝ居た。此家へは度々淵の主の處から使者が來たが、蓼汁だけは嫌ひだと常に言つて居るにも拘らず、ある時家人がつい忘れて、振舞の膳に蓼を添へて出したところが、一口喰つて是はしまつたと叫んで、其まゝ前の淵に轉がり込んで行つた。其姿を見ると今までの人間の形とは變つて、赤い腹をした大きな魚になつて居た。さうして段々に川下へ流れて行つたが、流れながら頻りに「おとぼうや、おとぼうや」と喚はつた[やぶちゃん注:「よばはつた(よばわった)」。呼ばわった。]という。其以來此長者は淵の主との緣も切れて、忽ち家運は傾いてしまひ、今はしくおとぼう淵の名を止むるばかりになつたが、幽かながらも魚には何坊という子供見たやうな名をもつ者もあつたことが、爰でも我々には推測し得られるのである。

[やぶちゃん注:「早川孝太郎」(明治二二(一八八九)年~昭和三一(一九五六)年)は民俗学者で画家。ウィキの「早川孝太郎」によれば、愛知県出身で、『画家を志して松岡映丘に師事、映丘の兄柳田國男を知り、民俗学者となる。愛知県奥三河の花祭と呼ばれる神楽を調査し』、昭和一九三〇五年には「花祭」を『刊行。農山村民俗の実地調査を行った』とある。

「靜岡縣」「遠州周智郡水窪(みさくぼ)町大字草木桐山」静岡県浜松市天竜区水窪町(みさくぼちょう)奥領家(おくりょうけ)の、トンネル(グーグル・マップ・データ)が「草木(くさぎ)トンネル」であるから、この周辺であろう。

「赤い腹をした大きな魚」春三月上旬から五月中旬になると雌雄ともに鮮やかな三本の朱色の条線を持つ独特の婚姻色を有することから、「アカウオ」や「サクラウグイ」と呼ばれる、条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Tribolodon hakonensis が想起される。]

 

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