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2018/03/11

御伽百物語卷之二 淀屋の屛風

 

   淀屋の屛風


Yodoyanobyoubu

[やぶちゃん注:挿絵は「叢書江戸文庫二 百物語怪談集成」のものを用いた。]

 淀屋(よどや)の何某(なにがし)と聞えしは、難波津(なにはづ)にて第一といはるゝ富貴を極め、萬(よろづ)事(こと)かけざるの餘りに、財寶を輕んじ、事を好み、何によらず、一藝ある人は、かならず招き、尋ね行ききして、ちなみをなしける程に、ある名人・堪能(かんのう)のともがら、我さきと媚(こび)をなし、諂(へつら)ひよりて、身をよせ、德あらそふ事にぞありける。

[やぶちゃん注:この「難波津にて第一といはるゝ富貴を極め」た「淀屋の何某(なにがし)」というのは、江戸初期大坂で繁栄を極めた豪商で、全国の米相場の基準となる米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都へ発展するのに大きく寄与した存在として知られる(初代は淀屋常安(永禄三(一五六〇)年?~元和八(一六二二)年))。米市以外にも様々な事業を手掛け、莫大な財産を築いたが、その財力が武家社会にも影響するようになったことから、最も知られた五代目淀屋廣當三郎右衛門(淀屋辰五郎)は幕府から闕所(けっしょ:財産没収処分)を受けている。幕末には討幕運動に加担して、殆どの財産を自ら朝廷に献上して幕を閉じた。本話の時制の当代の淀屋当主は四代目淀屋重當(じゅうとう/しげまさ 寛永一一(一六三四)年~元禄一〇(一六九七)年)である。彼は幕府の闕所を予期して、暖簾分けでそれをかわしている。これも直近のアーバン・レジェンドの体裁をガッチリとそなえたものである

「ちなみ」「因み」。親しい関係を結ぶこと。

「堪能(かんのう)」技能・学芸などに優れ、しかもそれに熟達していること。現行の「たんのう」は慣用読みで本来は誤りである。

「德」ここは有意な経済的援助を指す。]

 爰(こゝ)に元祿二年二月より、天王寺開帳ありて、都鄙(とひ)の貴賤、あしを空にし、心を爰にはこび、日夜にいく萬の人を群集(ぐんじゆ)せしに、何の等叔(とうしゆく)かや聞えしは、狩野永衲(かのゑいのふ)の筆妙(ひつめう)を得たるよし、都におゐて、名を高うせしよし、みづから、難波津にのゝしり、此度(このたび)天王寺かいちやうをつゐでに、彼(か)の名人どもをあつめて、藝くらべさすといふ淀屋にも尋ねばやの心ざし、ふかく思ひたちて、此地にくだり、かなたこなたとしるべをもとめ、彼(か)の家に取(とり)いりけるに、ある日、此等叔が墨跡をのぞまれ、竹林の七賢を六枚屛風に書きける。

[やぶちゃん注:「元祿二年」一六八九年。

「天王寺」大阪市天王寺区四天王寺にある荒陵山(あらはかさん)四天王寺。ここ(グーグル・マップ・データ)。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。真言宗に属していた時期もあるが、本質的には特定宗派に偏しない八宗兼学の寺であったし、現在も既存仏教の諸宗派には属さない、「和宗」の総本山として独立している。公式サイトなども見たが、江戸時代の歴史記載が殆んどなく、この「開帳ありて、都鄙(とひ)の貴賤、あしを空にし」(足が地に着かないほど、慌てて急ぐさま)、「心を爰にはこび、日夜にいく萬の人を群集(ぐんじゆ)せし」の具体的な「開帳」の内容はよく判らない。但し、ここまで参集する以上は本尊(救世(ぐぜ)観世音菩薩)であろう。

「何の等叔(とうしゆく)」不詳。雪舟十二代を名乗る雲谷派に長谷川等叔という絵師はいる。江戸初期の知られた名匠長谷川等伯の名を捩っている感じがするが、等伯も狩野派の筆法を学んでいるから、必ずしもおかしな謂いではない。

「狩野永衲(かのゑいのふ)」江戸前期の狩野派の絵師狩野永納(かのうえいのう 寛永八(一六三一)年~元禄一〇(一六九七)年)のことと思うが、ルビが「かの」で名の漢字が「納」でなく「衲」であるところで、ここも捩っているのであろう。ウィキの「狩野永納」によれば、狩野永納は『狩野山雪の長子として京都に生まれ、幼少より父から狩野派の画法を学んだ』。慶安四(一六五一)年、二十一歳の時、『父山雪が亡くなると、直ちに家督を継いで、父と同じ「縫殿助」を称すようになる。「縫殿助」は百官名であるが、山雪の代から京狩野歴代当主が名乗るようになった。「永納」の名も家督相続時には明らかに用いており、頭の「永」字は家系の曽祖父木村永光、或いは画系の曽祖父にあたる狩野永徳、更に遡れば』、『狩野元信が剃髪後に称した「永仙」の一字である。狩野山楽・山雪の「山」字ではなく、狩野派にとって由緒ある「永」字を冠することで、家系と画系への帰属意識を標榜し、以後京狩野は名前に「永」字を冠することになった。ただし、「山」字も捨てたわけではなく、永納が「山静」の別号を名乗ったように、後の画人も号に山の字を付けるのを慣わしとしている』承応二(一六五三)年六月、『禁裏が炎上してしまったため、翌年から』明暦元(一六五五)年に『かけての再建工事では、狩野探幽、海北友雪、土佐光起らに混じり参加、「外様番所十二条敷」に「竹図」、「長橋上段之次」に「軍鳩図」を描いている』。次の寛文三(一六六三)年の造営の際にも、『内侍所「南御座敷」に「松鷹図」を描』き、延宝三(一六七五)年の『造営でも、中心となった狩野安信らと共に加わっている。しかし、これらの作品は現在全く遺されていない』。『学究肌で絵を描く傍ら』、『古画の研究にも励み』、『鑑定に精通した』とある。

「みづから、難波津にのゝしり」自身で出張って行って、自ら噂を立てて、評判を喧伝し。]

 そのさまといひ、その風景、まことに常々荒言(こうげん)せしにもおとらず、

「さながら、阮箴(げんかん)・向秀(かうしう)も生(いけ)るが如く語るがごとし。」

と、誰々も肝をつぶし、感にたへけるに、其座にあり合ひける客の中に、山本隨桂(ずいけい)といひけるは、是れも、近き比(ころ)より洞蕭(しやくはち)に妙を得たるよしにて、此(この)家に來り、一管(くわん)の筒音(つゝね)に駿馬(しゆんめ)の魂(たましひ)を奪ひ、獅子踊(しゝおどり)の祕曲に、飛ぶ鳥を落(おと)しけるより、無二の出頭(しゆつとう)となりて、けふも一列の人數(にんじゆ)なりしが、此(この)等叔が墨繪を、つらつらと見ていふやう、

「誠に此繪は、よく形勢を書き得たる所あり。しかしながら、今少し不足なる事は、その意(こゝろ)ばへを書きおほへぬ所ありて、その所と、その所作とは、かなひたれども、その時の人のおもしろしと思ひこみたる體(てい)を書き給はず。あたら、繪の疵(きず)かな。我、旦那のために、此繪をなをして參らすべし。なをせばとて、此屛風を書き汚(け)がすにてもなし。只、このまゝにて各別に、なをし申さん。」

といへば、亭主をはじめ、一座の衆中(しゆちう)、

「是れは。希有(けふ)かる、いひぶん。縱令(たとひ)、まことにもせよ、餘りなる事なり。其方や我々が間(あひだ)は、何をいひたりとても、苦しからず。始(はじめ)ての客といひ、等叔の事まへ、氣のどくなり。」

といはるれども、猶、きゝもいれず。

[やぶちゃん注:「阮箴(げんかん)」阮咸(げんかん 生卒年不詳)は、「竹林の七賢」(三世紀の三国時代の末期の魏にあって、俗世から超越した清談をこことして交遊した、彼と、阮籍・嵆康(けいこう)・山濤(さんとう)・劉伶(りゅうれい)・向秀(しょうしゅう)・王戎(おうじゅう)・阮籍(彼が指導的立場にあった))の一人。琵琶を善くし、音律に精通していた音楽家であった。

「向秀(かうしう)」(生没年未詳)は「竹林の七賢」の一人。通常、現行では「しょうしゅう」と読む。

「山本隨桂(ずいけい)」不詳。

「洞蕭(しやくはち)」「尺八」。

「獅子踊(しゝおどり)の祕曲」不詳。関東地方を中心に起こった獅子舞に「獅子踊」があるが、これは獅子頭(ししがしら)を被って胸に太鼓をつけ、一人が雌獅子、二人が雄獅子に扮し、花笠を被った四人が四隅で簓(ささら)を摺(す)る芸能で、尺八とは無縁である。

「出頭(しゆつとう)」他から抜きん出た名手。

「希有(けふ)かる、いひぶん」あり得ない、身分(彼は絵師ではなく尺八の楽士であるから)不相応な言い分。

「其方や我々が間は」その方や我らだけのおる場にあっては。

「事まへ」手前。身分不相応を指す。]

 隨桂は、いよいよ此事をいひつのりける程に、等叔も今はこらへ兼ね、しからば貴殿の御手際を見申したき由、頻りに望みかけられ、既に事やすらかならねば、亭主も何とぞして留(と)めたく、

「しからば、先づ、我々は此(この)事、請合(うけあ)はれざる衆の内なりといへども、其方には、よくよく覺えあれば社(こそ)、かく、いひつのり給ふなれば、定めて、人しれぬ術もこそおはすらめ、さりながら、是れほどの事、そのまゝにせんも、いかゞ也。若しのたまふ所、實(まこと)に妙(めう)あらば、吾、金百枚を出だして其方に參らせん。又、もし、のたまふ事、僞りとならば、金十兩を以て、われわれに禮物(れいもつ)とし給へ。」

と、いひかけしかば、等叔も、かつにのりて、

「なるほど、御亭主の了簡の通り、此事、誠にのたまふやうに御なをしあらば、吾も金子百兩は參らすべし。はやはや。」

とのぞまれ、隨桂は、德づきたる顏(かほ)やうして、やがて屛風にむかひ、飛びあがると見えしが、其まゝ、形(かたち)、消へて、見えず。

 人々、

「是れは。」

と、立ちさはぎ、そのあたり、殘るくまなく尋ねもとめけれども、隨桂が行衞(ゆくゑ)、なくなりぬ。

[やぶちゃん注:「貴殿」批判的批評をした隨桂を指す。

「事やすらかならねば」状況が座興の戯れ言の域を越えてしまい、穏便に計らい兼ねる事態となってしまったので。

「何とぞして留(と)めたく」場が白け、随桂に対して不興の極みとなってしまったことから、いい加減に止められなくなってしまい。

「請合(うけあ)はれざる衆の内なり」とてものことに貴殿(随桂)の批評は、とてものことに受け入れ難い者らが総てである。

「社(こそ)」限定の強意の係助詞。

「定めて、人しれぬ術もこそおはすらめ、」後が「さりながら」と続く以上、「こそ」已然形の逆説用法である。されば、私は読点とした。

「妙(めう)あらば」不可思議な妙法の修正の手段があるというのであるなら。

「禮物(れいもつ)」その履行出来なかった罰金としての慰謝料。

「かつにのりて」「勝つに乘りて」。図に乗って。

「德づきたる顏」得心した顔つき。但し、ここではその金を得られるというような「德」を表面上は掛けている。実際には彼はその金を得ない訳であるが。]

 いづれも、奇異のおもひをなしける時、屛風の繪の中に、隨桂が聲、ありて、いふやう、

「何と、おのおの。僞りならぬ事と知り給へりや。たゞいま繪のもやうをなをし侍るぞ。」

といひしが、しばらくありて、屛風の繪の中より、隨桂が姿、あらはれ出で、もとの座に歸り、一座の人におしへていふやう、

「今こそ、此繪のたましゐは、そなはり侍れ。これほどよき景にむかひ、かくまでたのしび遊ぶ體(てい)なるに、人形(にんぎやう)どものたましゐを見るに、さらに此景をたのしぶさま、ならず。さるによりて、此七人の内、阮籍が顏を、なをして、『につこ』と笑ふさまに書きなをしたり。よく寄りて見たまへ。」

といふほどに、人々、うち寄りて、よく見るに、いかさま、等叔が筆のおよぶ所にあらず、阮籍が像ひとりは、口もと、餘(よ)の人に似ず、眞實より此景にたのしみ、實(まこと)に咲(ゑ)みをふくみたる體(てい)、言語(ごんご)のおよぶ所にあらず。等叔も、今はあきれて詞(ことば)なく、賭(かけもの)をつぐのひ、猶その上に、彼(か)の隨桂が妙を傳へん事を望みけるに、何(いつ)の程にか、逐電してその行衞を失ひけるとぞ。

[やぶちゃん注:「人形(にんぎやう)どものたましゐ」人の姿や表情に現われた、真の心。

 思うに、これは絵の中に入るシークエンスからして、例の果心居士のインスパイアであろう。私の柴田宵曲 妖異博物館「果心居士」を参照されたい。]

 

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