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2018/03/21

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 魚王行乞譚 一

 

   魚王行乞譚

 

[やぶちゃん注:「魚王行乞譚」は「ぎよわうぎやうこつたん(ぎょおうぎょうこつたん)」と読む。平凡社の「世界大百科事典」によれば、魚が昔話や伝説の不可欠の構成要素とされているものに、助けた魚が女の姿となって女房になり幸運を与える(「魚女房」)、動物が尾で魚を釣ろうとして氷に閉じられしっぽを失う(「尻尾の釣り」)などがあり、魚を捕らえて帰る途中で怪しいことが起こり、復讐を受ける(「おとぼう淵」「よなたま」)といった「物言う魚」の伝説譚は、魚が水の霊の仮の姿であるという信仰があったことを物語っているとし、淵の魚をとりつくす毒流し漁を準備しているとき、それを戒める旅僧に食物を与えたところ、獲物の大魚の腹からその食物が現れ、漁に参加した者が祟りを受けたという話や、川魚どもの首領が人に姿を変えて現れて毒流しを準備する人々に中止を求めるも住民はそれを聴かず、食物を与えて帰す。いざ、毒流しで多くの魚を捕ってみると、その中の特に巨大な魚の腹から先に与えた食物が出てきたので、人々はこの行為を悔いたという話(毒のあることは知りながら、それを用いることを忌むために発生した説話と考えられる)などを特に「魚王行乞譚」と称し、以上のような水神=魚という古い信仰の流れの末に位置する説話群である、とする。「行乞」とは僧侶が布施として物乞いをして歩くこと、托鉢のことを指すが、本譚ではしばしば長命を経た魚(「魚」の「王」)が「行」脚の僧と変じて、物「乞」いをするとともに、ある懇請(これも「『乞』うこと」である)をすることから、かく(恐らくは柳田國男が)名づけたものであろう。]

 

     一

 

 江戸は音羽町の邊に、麥飯奈良茶などを商ひする腰掛茶屋の亭主、鰻の穴釣りに妙を得て、それを道樂に日を送つて居る者の店へ、或日一人の客來たつて麥飯を食ひ、彼是と話の序に、漁は誰もする事ながら、穴に潛んで居る鰻などを釣り出すのは罪の深いことだ。見受ける所御亭主も釣が好きと見えて、釣道具が色々置いてあるが、穴釣りだけは是非止めなさいと、意見して歸つて行つた。ところが其日もちやうど雨大いに降り、穴釣りには持つて來いといふ天氣なので、好きの道は是非に及ばず、やがて支度をしてどんどん橋とかへ行つて釣りをすると、いかにも大いなる一尾の鰻を獲た。悦び持ち還つてそれを例の通り料理して見ると、右鰻の腹より、麥飯多く出でけると也といふ話。

 根岸肥前守守信著はす所の耳囊卷一に、是が當時の一異聞として錄せられて居る。耳囊は今から百年ばかり前の、江戸の世間話を數多く書き集めた面白い本である。是とよく似た書物はまだ他にも幾つかあるやうだが、あの頃の江戸といふ處は、特に斯ういふ不思議な現象の起り易い土地であつたらうか。但しは又單に筆豆の人が當時多かつたから書き殘されたといふだけで、以前もそれ以後もまた他の町村でも、平均に同じ樣な奇事珍談は絶えず發生して居たのであらうか。兩者何れであらうとも、問題は一考の價値があると私は思ふ。我々の文藝は久しく古傳實錄の制御を受けて、高く翔り遠く夢みることを許されなかつた。それが所謂根無し草の、やや自由な境地に遊ばうとして居たかと思ふと、忽ち引き返して現實生活の、各自の小さな經驗に拘束せられる結果になつたのである。空想は畢竟する所この島國の民に取つて、一種鐵籠中の羽ばたきに過ぎなかつたのか。はた或は大いに養はるべきものが、未だ其機會を得ずして時を經たのであるか。日本の所謂浪漫文學には未來があるか否か。之を決する爲にも今少しく近よつて、自分たちの民間文藝の生ひ立ちを、觀察しておく必要があるやうである。耳囊の同じ條には更に右の話に續いて、それに似たる事ありと謂つて、又次のやうな話も載せて居る。

[やぶちゃん注:私は既に旗本根岸肥前守鎭衞(しずもり 元文二(一七三七)年~文化一二(一八一五)年:「守信」は彼の別名。佐渡奉行・勘定奉行・南町奉行を歴任した)の「耳囊」(みみぶくろ:天明(一七八一年~)から文化にかけて三十余年に亙って書き継いだ随筆。同僚や古老から聞き取った珍談奇談などが記録されている。全十巻一千編を収録)を全電子化訳注(二〇〇九年九月開始、二〇一五年四月完遂。一部はサイト版もある)している。以上で柳田國男が挙げたもの及び次段に紹介されている虎の門門前外濠の浚(さら)いでの奇談は、 之八 鱣魚の怪の事である。そちらの私のオリジナル語注と現代語訳を参照されたい。なお、柳田が『耳囊卷一に、是が當時の一異聞として錄せられて居る』と述べているのは、本「耳囊」が幾つかの異なった写本で伝わるものの一つが、これを「卷一」に載せていたものかも知れない(実際、伝本によって巻数・話数が異なり、話の順列にも錯雑がある)。]

 

 昔虎の御門のお堀浚へがあつた時、其人足方を引受けたる親爺、或日うたゝ寢をして居ると、夢とも無く一人の男が遣つて來た。仲間も多勢あること故其内の者であらうと心得、起き出して四方山の話から、堀浚への事なども話し合つた。やゝあつて其男の言ふには、今度の御堀浚へでは定めて澤山の鰻が出ることであらうが、其中に長さが三尺、丸みも之に準じた大鰻が居たならば、それは決して殺してはいけません。其他の鰻もあまり多くは殺さぬやうにと賴んだ。それを快く受け合つて有合せの麥飯などを食はせ、明日を約して別れたさうである。ところが次の日は此親爺差支へがあつて、漸く晝の頃に場所に出かけ、昨日の賴みを思ひ出して、鰻か何か大きな生き物は出なかつたか。若し出たならばそれを此親爺にくれと言ふと、出たことは確かにすさまじく大きな鰻が出たが、もう人足たちが集まつて打殺してしまつたあとであつた。さうして是も腹を割いて見ると、食はせて歸した麥飯が現れたので、愈〻昨日來て賴んだのが此鰻であつたことがわかり、其後は鰻を食ふことを止めたといふ話である。さうして筆者根岸氏は之に對して、兩談同樣にて何れが實、いずれが虛なることを知らずと記して居る。

 

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