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2018/03/21

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 魚王行乞譚 三

 

     三

 

 江戸で此話をし始めたよりずつと以前、寛保二年の序文ある老媼茶話といふ書に、昔蒲生(がまふ)飛彈守秀行會津を領する頃、是とよく似て今少しく公けなる事實があつたといふことを話して居る。時は慶長十六年辛亥の七月、殿樣只見川の毒流しを試みたまはんとて、領内の百姓に命じて、柿澁薤[やぶちゃん注:「にら」。]山椒の皮を舂[やぶちゃん注:「つ」。]きはたいて家々より差出させた。其折節に藤といふ山里へ、旅の僧夕暮に來り宿かり、主を喚んで此度の毒流しの事を語り出し、有情非情に及ぶまで、命を惜しまざる者は無い。承はれば當大守、明日この川に毒流しをなされる由。是何の益ぞや。果して業報を得たまふべし。何とぞ貴殿其筋へ申し上げて止めたまへかし。これ莫大の善根なるべし。魚鼈の死骨を見たまふとて、太守の御慰みにもなるまいに、誠に入らぬことをなされると深く歎き語つた。主人も旅僧の志に感じ、御僧の善根至極ことわりながら、もはや毒流しも明日の事である。其上に我々しきの賤しい者が申上げたとて御取上げもありますまい。此事は先だつて御家老たちも諫言せられたれども、御承引が無かつたと聞いて居りますと言つた。それから私方は御覽の通りの貧乏で、何も差上げるべき物とても有りませぬ、侘びしくとも是を御上り下さいと言つて、柏の葉に粟の飯を盛つて其旅僧にもてなしたが、夜明けて僧は深く愁ひたる風情にて立去り、村では愈〻用意の毒類を家々より運んで來て、それを川上の方から流し込む。さうすると無數の魚鼈、死にもやらずふらふらとして浮び出る中に、長さ一丈四五尺の大鰻が一匹出て取られる。其腹が餘りに太いので恠しんで割いて見ると、中には粟の飯がある。昨夜の亭主進み出でゝ仔細を語り、さては坊主に化けたのは此大鰻であつたかということに歸著したのである。

[やぶちゃん注:三坂春編(みさかはるよし 元禄一七・宝永元(一七〇四)年?~明和二(一七六五)年)が記録した会津地方を中心とする奇譚(実録物も含む)を蒐集したとされる寛保二(一七四二)年の序(そこでの署名は「松風庵寒流」)を持つ「老媼茶話(らうあうさわ(ろうおうさわ))」も実は私は既にブログ・カテゴリ「怪奇談集」で全篇の電子化注を終えている。ここと次の段に示されたものは「老媼茶話卷之弐 只見川毒流」である。そちらの本文及び私の詳細注を参照されたい。]

 

 さうして此話には更に若干の後日談があつた。同じ秋八月二十一日、大地震山山崩れがあつて會津川の下流を塞ぎ、洪水は忽ち四郡の田園を浸さうとしたのを、蒲生家の長臣町野岡野等、多くの役夫を集めて辛うじて是を切り開いたが、山崎の湖水は此時に出來、柳津虛空藏の舞臺も此地震に崩れて落ち、其他塔寺の觀音堂も新宮の拜殿も皆倒れ、それから次の年の五月には太守秀行は早死をしてしまつた。是併しながら河伯龍神の祟なるべしと、諸人をのゝき怖れたと記してあるのである。此大事件があつてから、話が書物になる迄に百三十年ほど經つて居る。けれども柳津の御堂は人もよく知る如く、數多の遊魚を放生した淸き淵に臨んで居る。この寺に參詣して舞臺の上から、只見川の流れを見下して居た人々には、この昔話は思ひ出す場合が多かつた筈である。さうして又それが物哀れに成長して行く機會も、決して乏しくはなかつたのである。藤といふ山里も爰からは遠くない。話は恐らくはこの虛空藏菩薩の信仰圈内に於て發生したものなのである。

[やぶちゃん注:「藤」私は先の「老媼茶話卷之弐 只見川毒流」で、福島県河沼郡柳津町藤ではないかと推定比定した。(グーグル・マップ・データ)。福満虚空藏菩薩圓藏寺の北直近で柳田國男の謂いがすこぶる腑に落ちる。]

 

 東北は一帶に神佛の使令として、氏子が生物を尊信して居る例が多い。八幡の鳩とか辨天の蛇とかいうのは、他の地方でも屢〻言ふことであるが、奧州には其以外にも、色々の魚の忌がある。虛空藏を社に祀つて居る二三の村に就いて聞いて見ると、信者が一生の間決して食はぬ魚、若し捕へたら必ず境内の他に放す魚は、何れも鰻であつたのは偶然で無い樣である。江戸で麥飯を振舞はれたといふ大鰻などは、二つとも何でも無い男に化けて來て居るのだが、或は是が僧であつたといふ方が、形は一つ古いのではあるまいか。最近佐々木喜善君が採集した岩手縣の一例は、聽耳草紙といふ題で昨年九月の三田評論に載つて居るが、是も亦旅僧になつて居る。盛岡の町から近い瀧澤といふ村で、是も七月盆の頃に、若い者が集まつて臼で辛皮[やぶちゃん注:原著では「カラカ」。「からかは(からかわ)」。山椒の若い小枝の皮。香辛料や薬用にするが、ここは毒揉(どくも)み用。]を舂いて居る處へ、一人の汚ない旅僧が來てそれを何にするかと訊いた。細谷地の沼さ持つて行つて打つてみると言ふと、悲しさうな顏をして、さうか、其粉で揉まれたら大きな魚も小さいのも、あれなかれみな死ぬべ。小魚などは膳の物にもなるまいし、思ひ止まりもせといつた。若者等は口を揃へて、なに此乞食坊主が小言をぬかせや。けふは盆の十三日だ。赤飯をけるからそれでも食らつて早く行けと言ふと、旅僧は何も言はずに、其小豆飯を食つて立去つた。それから沼へ辛皮を入れて揉むと、やがて多くの魚が浮いて來て、その中の大きな鰻の、體はごまぼろになつて居るのが出た。それを捕つてづぶ切りに切つて煮ようとすると、腹の中から赤飯が出たので、先刻の旅僧は池の主であつたことを知つた。といふばかりで後の崇の話の無いのは、多分跡を弔うたことを意味するのであらう。是なども結末の方から振り返つてみると、僧寶を敬ふべしといふ教訓が、若者等の反語の中に含まれて居るやうな氣がする。東北の説話の主要なる運搬者は、ボサマと稱する遊行の盲法師であつたが、彼等の遺した昔話には、ボサマを輕蔑し又は虐待して、損をしたといふ類のものが多かつた。彼等は笑つてもそんな話をしやべり、又眞面目にも色々の因緣話をしたかと思はれる。それから類推して鰻の旅僧の話も、やはり亦さういふきたない旅僧が、折々此あたりをあるいて居たことを、暗示するものでないかと私は思つて居る。

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。

以上の佐々木喜善氏の「聽耳草紙」(ききみにざうし(ききみみぞうし))の話も、私は既に柴田宵曲 續妖異博物館 「鰻」 附 小泉八雲A Matter of Custom原文及び田部隆次訳で電子化している。宵曲の「ナマズ」はまさに本「魚王行乞譚」をベースにして書かれた一篇なので、是非、読まれたい。]

 

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