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2018/03/27

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 物言ふ魚 二

 

       二

 

 私がこの山海里の記文を選擇した理由は、竹籠を背にした村の老夫が、池を見つめて驚いて立つて居る繪樣[やぶちゃん注:「ゑやう(えよう)」。仮に絵に描いたとしての影像。]が、特に兒童の幻に鮮かであらうと思つたからで、此話は決して是がただ一つでも無く、又代表的なものでもなかつた。大もとは寧ろ魚も稀には物言ふといふ古い信仰で、泥鼈はたゞ其印象を新たにしたに過ぎなかつた。同じ形の昔話は日本群島以外にも、遺つているか否かはまだ詳くは知らぬが、兎に角に今は我々の間の目錄を作つて置く必要があるやうである。

 この例の一つは鳥取縣の日野郡誌に、多里村大字新屋の山奧の出來事として傳へられるもの、是もたゞの魚では無くて蜥蜴の方に近い大山椒魚、土地の方言でハンザケといふものゝことになつて居る。昔この谷川に長さ一間餘のハンザケが居たのを、村の者數人がゝりで捕へて擔つて[やぶちゃん注:「になつて(になって)」。担って。]來た。それが境の峠の上まで來ると、不意に大きな聲を出して

    行つて來るけになア

といつたので、喫驚[やぶちゃん注:「びつくり(びっくり)」。]して擔ひ棒と共に投げ棄てゝ、遁げて還つたといふ話であるが、此恠魚もやはり大垣の泥鼈と同樣に、土地の方言で叫んで居るのが面白いと思ふ。

[やぶちゃん注:「日野郡誌」「日野郡史」が正しい。初版は大正一五(一九二六)年日野郡史編纂委員編・日野郡自治協会刊。当該項は「下卷」の「第十二章 名称及天然記念物」の「第四節 珍奇動物」の冒頭に出る「山椒魚」の「傳説」の部分にある。国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここで当該項を視認出来る。

「多里村大字新屋」鳥取県日野郡日南町(にちなんちょう)新屋(にいや)。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「大山椒魚」「ハンザケ」両生綱有尾目サンショウウオ亜目オオサンショウウオ科オオサンショウウオ属オオサンショウウオ Andrias japonicus。別名をハンザキという。イモリと同様に強い生命力と再生能力を持つことから「半裂き」にしても死なない、生きているという意味からとも言うが、古文献には出ないので、この語源説は実は怪しい。なお、柳田國男は生物学は苦手だったか、「たゞの魚では無くて蜥蜴の方に近い」というのは大間違いである。サンショウウオ類は魚類から進化して初めて両生類になった生物群であって、寧ろ、トカゲと並べるなら相対的には魚に近い。トカゲ類は基本的にはその両生類から進化して陸に上がった生物群であるからである。

「村の者數人がゝりで捕へて擔つて來た」何のために? 無論、食べるために売りに行くのである。私の先輩教師で島根県のとある山間出身の方(数学教師)がいたが、「小さな頃に食べた。美味かった・お湯で煮るんだが、その時に強烈な山椒のような臭いがするんだけど、それで水に晒して皮を剝いで、さらに数時間煮ると、柔らかな白身となるんだ」と言っておられた。無論、特別天然記念物となった今では味わうことは出来ない。しかし、この先輩の話が嘘でない証拠にウィキの「オオサンショウウオ」には、『特別天然記念物の指定を受けるまでは、貴重な蛋白源として食用としていた地方も多い。北大路魯山人の著作『魯山人味道』によると、さばいた際に強い山椒の香りが家中に立ち込めたといい、魯山人はこれが山椒魚の語源ではないかと推測している。最初は堅かったが、数時間煮続けると柔らかくなり、香りも抜けて非常に美味であったという』とある。私は北大路魯山人が嫌いだが、この話は信ずる。]

 

 それよりも尚珍しいのは、海から入つて來た一つの昔話が、斯ういふ深山に土著するまでの經過である。中國の奧在所には此例が多かつたと見えて、嶺一重を隔てた岡山縣にも似たる口碑があつた。たとへば東作誌の卷三に、鯰が物を言つたといふ話を二つまで載せて居る。その一つは今の勝田郡古吉野(こよしの)村大字河原の三休淵、梶竝川筋の堂ノ口といふ所の淵で、昔三休といふ人が六尺ばかりもある大鯰を釣り上げたことがあつた。手に下げることも出來ぬので背に負うて歸つて來ると、途中で其鯰が大聲を出して、おれは三休の家へ背を炙りに行くのだと人語したので、びつくりして元の淵へ持ち戾つて放したと傳へて居る。多分はもつと面白い顚末であつたのを、地誌の著者が省略して載せたのであろう。

[やぶちゃん注:「東作誌」(とうさくし」)は津山藩軍学師正木輝雄(まさきてるお ?~文政六(一八二四)年)が個人的に調査・著述・編集を行った、先行する森家津山藩の公的地誌「作陽誌」が扱わなかった美作国の東部六郡(東南条郡・東北条郡・勝南(しょうなん)郡・勝北(しょうぼく)郡(この二郡は後の明治三三(一九〇〇)年の郡制の施行で勝田郡となった)・英田(あいだ)郡・吉野郡)を対象とした地誌。ウィキの「東作誌」によれば、原型は文化一二(一八一五)年に出来たが、文政六(一八二三)年の死の直前まで編著を行っていたと推定される。正木の死後、『津山藩に献上されたが、複写・活用されることなく死蔵されてしまう』。嘉永四(一八五一)年、『江戸藩邸で儒官昌谷精渓(さかやせいけい)が死蔵されていた『東作誌』を発見。欠本散佚があったため修復して編集し直し、これが現在伝わる『東作誌』の元となっている』。『当時の津山藩は正木の活動に御内用として補助金を支給していたが、あくまで『東作誌』は正木の個人事業であり、費用の多くは自弁で公的許可もなかった。その為、正木は廻村時の他領調査を「潜行」と称している』とある。

「勝田郡古吉野(こよしの)村大字河原の三休淵、梶竝川筋の堂ノ口といふ所の淵」現在の岡山県勝田郡勝央町((グーグル・マップ・データ))附近を貫く滝川の川筋であろう。同地区内に「古吉野保育園」の名を見出せる。]

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