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2018/03/18

御伽百物語卷之三 六條の妖怪

 

 御伽百物語卷之三

 

   六條の妖怪

 

Rokujyouyoukai

 

[やぶちゃん注:挿絵は「叢書江戸文庫二 百物語怪談集成」のものを用いたが、図は左右見開きで分離している。右に侵入している仏壇を上手く合成させることのみを主眼として重ね、他の齟齬する部分はなるべく自然な形で雲形を消し、ズレが生じている上下左右の枠も除去した。かなり自然な一枚に合成出来たと私は考えている。]

 

 西六條の寺内に四本松町といふあり。此所に住みける吹田屋(すいたや)喜六といひしは、もと、信州あげ松といふ村にて、猿太と聞えし杣(そま)の上手といはれたる者の子なり。父の猿太は、代々、勢州、内外宮御造替(ないげくうござうたい)ある每に、かならず、召されて、杣の酋長(しうてう)となる事を得たり。子もあまたありける故、去る元祿二年の御造替遷宮あるべしとて、吉例(きつれい)に任せ、猿太に杣がしらを給はりけるにつきて、木曾山をふみそめ、猶、諸國に渡りて、宮木(みやぎ)引くつゐでに、此喜六をつれて、都にのぼり、しるべの人を賴みて上方の者となさばやの心ざし深く、十七の年より京都に足を留めさせ、下部の奉公をさせ置きけるが、喜六は、元來、したゝかものにて、力も人にこゑ、肝(きも)ふとく生れつきたれば、重きを荷ひても、肌(はだへ)たゆまず、危きにのぼりても、氣を屈せず、彼が一人の働きには、餘(よ)の人、二、三人を替(かゆ)る程なりしかば、主人にも惜しまれ、身もたまかにつとめて、年季つゝがなく、禮奉公をも濟まし、少しの元價(もとで)をも、たくはへ、旦那に仕付(しつ)けられて、今、此所(このところ)に住みつき、似あはしき緣(ゑん)に女房を持ちて、きのふけふと過ぐしけるに、娘さへ二人設(まう)けたるに、しかも生れつき、拙(つたな)からず。ちいさき内より、万(よろづ)にかしこく見えける故、如何なる大名高家へも宮仕へに出だし、ゆくゆくは身こそ賤(いやし)き種(たね)なりとも、子は打ち出だす幸(さいわい)もあれかしと、手書(てかき)・物よみ・糸竹(いとたけ)の道(みち)、心ゆくだけをならはせ、其身は主人に肩入れ奉公し、味噌塩(みそしほ)の世話より、炭薪(すみたきゞ)、万(よろづ)に氣を配り、臺所の見集(みあつ)めを役目にし、夜は宿に歸り、起き臥しをやすくしけるが、此おのこ、生れつきて川狩(かはかり)を好み、仕込みの釣竿・糸・釣(はり)をつねにたしなみ、折ふしは高野河(たかのかは)・桂の流れに鮎やうの物を釣りて、瓢簞の酒にゑひをすゝめ、是れを世の人の色にふけり、女にまよふのたのしみにかゑて、身ひとつの氣ばらしとぞなしける。

[やぶちゃん注:「西六條の寺内に四本松町」現在の京都府京都市下京区四本松町か。ここ(グーグル・マップ・データ)。西本願寺と東本願寺の間にある。

「吹田屋(すいたや)喜六」不詳。

「信州あげ松といふ村」現在の長野県南西部に位置する木曽郡上松町(あげまつまち:ここ(グーグル・マップ・データ))内の旧西筑摩郡上松村。町の東端には中央アルプスの最高峰木曽駒ヶ岳が聳え、町のほぼ中央を木曽川が流れる。この集落は木曽の材木の集産地として古くから知られ、本話に出る二十年一度行われる伊勢神宮の式年遷宮(二〇一三年に行われたので次回は二〇三三年)では、檜の「一等木」という大きな御用材を必要とするが、これは現在でも人の手で伐らなくてはならない。伐採技法は「三つ紐切り」と呼ばれて木曽に伝承されていると、ツイッターの「上松太郎【上松町観光協会公式】」が述べている(伐採法を示す写真)。ツイッターの接続環境にない方は、上松町観光協会のウィンドウ内で見られる。なお、ウィキの「神宮式年遷宮」によれば、『遷宮においては』一『万本以上のヒノキ材が用いられる。その用材を伐りだす山は、御杣山(みそまやま)と呼ばれ』、『御杣山は』十四『世紀に行われた第』三十四『回式年遷宮までは』、三『回ほど』、『周辺地域に移動したことはあるものの、すべて神路山と島路山』と『高倉山』『という内宮・外宮背後の山であった』。『その後、内宮の用材の御杣山は第』三十五『回式年遷宮から三河国に移り、外宮の用材の御杣山は第』三十六『回式年遷宮から美濃国に移り、第』四十一『回式年遷宮から第』四十六『回式年遷宮までは伊勢国・大杉谷を御杣山とした。この伊勢国大杉谷は、徳川御三家の一つ・紀州徳川家の領地である紀州藩にあった』。『しかし、原木の枯渇による伐り出しの困難さから、第』四十七『回式年遷宮から、同じ徳川御三家の一つ・尾張徳川家の領地である尾張藩の木曽谷に御杣山は移された。以後、第』五十一『回式年遷宮のみ大杉谷に戻ったものの』、三百年以上に亙って、『木曽谷を御杣山としている』とあり(下線やぶちゃん)、本話は第四十六回式年遷宮式(後注参照)であって、その時はまだ御杣山は木曽ではなかったが、本文では宮木用材を諸国を巡って猿太が選んだとあるのであって、木曾から伐り出したとは一言も言っていないので誤りではない

「猿太」不詳。

「杣(そま)」木樵(きこ)り。

「酋長(しうてう)」御用材伐り出しの棟梁。

「元祿二年」この年、事実、元禄二(一六八九)年九月十日に内宮の、同月十三日には外宮の第四十六回式年遷宮式が行われている。なお、遷宮の回数が少ないのは、戦国時代、百二十年以上に亙って中断していたためである。なお、本「御伽百物語」は宝永三(一七〇六)年の江戸開版で、本話の主時制は元禄二年よりも明確に後であるから、またしても、直近の京の都のアーバン・レジェンドとなるのである。

「人にこゑ」「人に越え」。歴史的仮名遣は誤り。

「身もたまかにつとめて」「たまかに」は形容動詞で「実直なさま・誠実なさま」或いは「つつましく質素なさま」を意味し、ここは前者。

「仕付(しつ)けられて」後に「肩入れ奉公」とあるから、万事万端の支度を主人に調えられて、暖簾分けして呉れたということを指している。

「子は打ち出だす幸(さいわい)」「さいわい」はママ。子は幸福を打ち出だす打出の小槌である、という譬えと採っておく。

「糸竹(いとたけ)」楽器。

「肩入れ奉公」奉公人が暖簾を分けてもらった後も、恩返しとして元の主人の家の用を何くれとなく手伝うことを指す。

「臺所の見集(みあつ)め」取締役。監督係。

「高野河(たかのかは)」京都府京都市左京区を流れる淀川水系の一級河川。流路延長は十七キロメートル。京都の鴨川を図示する際に北方で修学院離宮方向にY字型に分かれて表されるが、そのYの分岐の右側が高野川である。

「桂」桂川。]

 

 ある日、またよく、手透(てすき)なりければ、例の釣にとおもひたち、けふは槇(まき)の嶋にと、朝まだきより、急ぎ行き、

「瀨田より落ち來る鰻もあらば。」

と、辰の上刻より午のさかり迄、さまざまと手をくだきしに、其日は何とほくれしにや、終に鰻の一すぢもかゝらねば、又、例の蠅(はい)かしらに、入れ子棹、さし延(のば)し、川中におりたち、二時(ふたとき)ばかり窺ひけるに、是れもなを、くふ物なく、今は精つき、腹だゝしくなりて、釣竿を引き取る所に、何とはしらず、喰ひつくもの、あり。

[やぶちゃん注:「槇(まき)の嶋」不詳。但し、後に「瀨田より落ち來る鰻」とあることから、滋賀県内の瀬田川が大阪・京都に入って淀川と名が変わる辺りを探ると、京都府宇治市宇治山王に「槇ノ尾山」を見出せた。ここ(グーグル・マップ・データ)か?

「辰の上刻より午のさかり迄」午前七時頃から午後十二時まで。

「ほくれしにや」不詳。「解(ほぐ)れる」で「しそびれる」の意から、「一匹も餌に食いつかない、釣り上げしそびれる運命であったものか」の意か。いや、しかしその解釈は苦しいな。しかし、原典も所持する三種の版本もすべて「ほくれしにや」で「ほぐれしにや」と濁音化していない。翻刻した編者たちは皆、この部分の意味が判っているのであろう。どうか、この馬鹿に教えて、たもれ。

 「蠅(はい)かしら」「蠅頭(はえがしら)」で蠅の形をした、鈎(はり)とセットになった一疑似鈎(ぎじばり)。

「入れ子棹」「いれこざを」。分離していてジョイントで組み立て式になっている竿。

「二時」四時間。]

 

 手ごたへして、水、はなれ、したゝかなるやうに覺えければ、やおら、心して引きあげ見るに、鰻に似て毛あり、龍に似て鰓(あぎと)あり、何とも心得ず、あやしきまゝに、

『捨てや歸らん、取つてや飼はん。』

と思ひしが、

『よしや。是れは珍しくあやしきものなり。取り歸りて小芝居(こしばゐ)などにも出(だ)さばや、よきまふけして德を付くる事もこそ。』

とおもひ、小畚(こふこ)におし入れて歸り、庭なる泉水に放ち置きけるに、

「むつむつ。」

として底に這入(はいい)りけるを、娘などにも見せて興じあへりしが、ある日、姊(あね)むすめを奉公に出ださんとて、さまざまに繕ひたて、肝煎(きもいり)の人、これかれ、うち寄りて物がたりしたりける中(なか)へ、與風(ふと)、白き餅壹つ、落したり。

[やぶちゃん注:「鰓(あぎと)」鰓。龍は想像上の爬虫類であるから、鰓は、ない。

「小芝居(こしばゐ)」本来は官許の劇場以外の芝居興行を指すが、ここはそれをさらに拡大した怪しげな見世物興行の類いである。

「小畚(こふこ)」「畚」は「もっこ」で繩・竹・蔓(つる)などを網状に編んだ運搬用の道具。ここは魚籠(びく)。

「むつむつ」蠕動して潜り込む動きのオノマトペイア。

「肝煎」世話や斡旋をする仲介者。ここは奉公人を周旋する業者ともとれるが、喜六は精勤で評価も上々であるからして。この場合の「肝煎」はそうした斡旋をした中に入った吹田屋喜六の住む四本松町の名主或いは庄屋(「肝煎」は彼らの異名でもあった)とイコールであると考えてよいと思われる。そうした町人でも格の高い連中の前で、しかもよい奉公先を紹介して貰おうという場面で、食いしん坊にも隠し持っていた餅を落としたと見たからこそ、以下で父喜六は激しく叱正したのである。]

 

 喜六は、姊の落したる、と心えて、大きに恥かしめ、叱りけれども、姊も覺えなき事にうたがひをうけ、淚ぐみてさしうつぶき居たるに、何處(いづく)へか行きけん、此餅、搔(か)いくれて、見えずなりぬれども、人とはなしゐたるに紛れて、さのみ氣もつかざりしが、外より來たりし人に、『酒ひとつ、もてなさん』と思ひ、間鍋(かんなべ)を出だし、肴(さかな)をこしらへなどして、釜の下、燒きたて、燗仕(かんし)たりける内に、肴(さかな)・鉢(はち)ども、みなみな失せて、見えず。

「こは、いかに仕(し)けるぞ。誰(たれ)か取りなをせしや。」

と、湯煎銅(ちろり)、したに置きて、女房、こゝかしことたづねありく程に、又、此ちろりも失せたり。

「こはいかにいふ事にか。」

と、驚きさはぐ中へ、熱(にへ)かへりたる茶釜、にはかに、竃(くど)をぬけ出でて、臺所を轉(まろ)びありけば、おのおの、今はたまりかね、身の毛竪(た)ちて、逃げまどふに、或るひは、立臼(たてうす)、ひとり、こけて、門口へゆき、半櫃(はんひつ)、踊り出でて、あがり口に、なをり、最前失せたる酒・肴、その上にあり。

[やぶちゃん注:「間鍋(かんなべ)」「燗鍋」。酒を御燗するための湯を沸かす鍋。

「燗仕(かんし)たりける内に」酒を御燗している間に。

「肴(さかな)・鉢(はち)ども」中黒は私が打った。作っている酒の肴も、それを盛ろうとした小鉢も、みんな、の意と採ったからである。鉢に持った肴でもよいが、カメラ・ワークとしては、分離している方が私は効果があると思う。

「湯煎銅(ちろり)」「ちろり」は前の三字に対するルビ。「銚釐(ちろり)」。酒の御燗をするための金属製の道具。銅・錫(すず)・真鍮製で、下の方がややすぼんだ筒形をしており、取っ手と注ぎ口がついている。『「ちろり」と短時間のうちに暖まる』ところからかく称すると言う。「湯婆(たんぽ)」とも呼ぶ。

「竃(くど)」おくど。かまど。へっつい。

「半櫃」長櫃(ながびつ)の半分ほどの大きさの櫃。衣類・夜具などを入れる整理箱。

「なをり」「直り」。デン! と座を占め。]

 

 持佛堂より、佛、ゆるぎ出でて座敷に居ならべば、木枕(きまくら)、こけゆきて、其前にあり。餅、いくらともなく湧き出でて、おのおの枕の上に乘りなどしける程に、娘も母の親も、みなみな、逃げまどひけるを、喜六は、つねづね、當山(たうざん)の先達(せんだち)にて、山上(さんじやう)したりしかば、金剛杖(こんがうづえ)、おつとり、

「おのれ、妖物め。尋常のものとな思ひそ。定めて、古き狐か狸のなすなるべし。只一打ちに。」

と、庭におりたちける。

[やぶちゃん注:「木枕」木製の箱型の枕。普通は籾殻などを入れた布の枕を上に装着して使うが、挿絵から見ると、それのない長方形の素の木製のそれである。「箱枕」とも呼ぶ。

「當山(たうざん)」は平安から江戸時代にかけて興隆した真言宗系修験道の一派である「当山」派(とうざんは)のこと。金峯山(きんぷせん:奈良の大峰山脈の内で、吉野山から山上ヶ岳(さんじょうがたけ)までの連峰の総称。ここにある吉野山金峯山寺は修験道の中心地の一つ)を拠点とし、京都府京都市伏見区醍醐醍醐東大路町にある醍醐寺にある三宝院が本寺として統括していた。ウィキの「当山派」によれば、九世紀に『聖宝が金峯山を山岳修行の拠点として以降、金峯山及び大峯山での山岳修行は真言宗の修験者によって行われるようになった。鎌倉時代に入ると、畿内周辺にいた、金剛峯寺や興福寺・法隆寺などの真言宗系の修験者が大峯山中の小笹(おざさ』。『現在の奈良県天川村洞川(どろがわ)地区)を拠点に結衆し、「当山方大峯正大先達衆(とうざんがたおおみねしょうだいせんだつしゅう)」と称し、毎年』、『日本各地から集まる修験者たちの先達を務め、様々な行事を行った。室町時代には』三十六も『の寺院がこの組織に属していたことから、「当山三十六正大先達衆」とも称されたが、中世後期になると』、『天台宗系の本山派との確執が深刻化し、聖宝ゆかりの三宝院との関係を強めることにな』った。『慶長年間に袈裟を巡って当山派と本山派が対立を起こすと、当山派は政界にも大きな影響力があった三宝院の義演を頭領に擁して争った。義演から徳川家康への働きかけもあり』慶長一八(一六一三)年に『江戸幕府から三宝院と本山派が本寺と仰ぐ聖護院に対し』、『修験道法度が出され、一派による独占は否定され、両派間のルールが定められた。これは劣勢にあった当山派には有利なものであり、以後』、『同派は三宝院を法頭として擁することになるとともに、組織としての整備を図り、以後、結衆集団であった当山派は宗派として確立されることとなった。江戸時代には』十二『の寺院が当山派に属し、更に』元禄一二(一六九九)年には、『三宝院の意向で大和国鳳閣寺の住職を「諸国総袈裟頭」に任じるとともに、江戸の戒定院を鳳閣寺の別院(青山鳳閣寺)に改めて』、『そこで当山派統制の実務にあたらせた』。『当山派は、明治維新後の神仏分離令』及び明治五(一八七二)年の『修験宗廃止令によって、真言宗に強制的に統合されることになっ』てしまったのである。

「先達(せんだち)」山伏や一般の信者が修行のために山に入る際の熟達した指導者。

「山上(さんじやう)」前注で出した山岳霊場としての金峯山山嶺(吉野山(奈良県吉野郡吉野町)から、その南方二十数キロメートルに及ぶ大峯山系に位置する山上ヶ岳(奈良県吉野郡天川村)周辺まで)を包括した謂い。この中央付近(グーグル・マップ・データ)。

「金剛杖」修験者が持つ八角又は四角の白木の杖。密教法具で元古代インドの投擲武器であった、後にも出る独鈷杵(とっこしょ)から生じたとされている。]

 

 あたまのうへより、大きなる石ひとつ、喜六が鼻筋をこすりて、

「はた。」

と落ちかゝる。

「こは、いかに。」

と、ふりあふぐ所を、緣の下より、何とはしらず、喜六が双脛(もろすね)、なぎたふすものあり。

 さまざまの物怪(もつけ)に、もてあまして、何院とかやいひし山伏をたのみ、祈らせけるに、獨鈷(とつこ)を取れば、錫杖、なし、珠數(じゆず)をとれば、燈明(とうめう)飛びあがり、種子袈裟(しゆじげさ)をとりて引きたふしなどしける程に、終に行力(ぎやうりき)もおよびがたく覺えけるまゝに、やがて祈願の壇をおり、

「みづからの德のいたらぬ故なるべし。」

と、心中に滅罪眞言をとなへ、降魔(かうま)の利劍、まくらがみに橫たへ、しばらく眠(ねふり)を催さんとするに、枕、ひとり、踊りはねて、頭をはづし、もてあぐみたる事なりしかば、

「よしや、何にても慰みを催し、一夜をあかし、替りたる災異をもあらはさば、それをしるべに、一加持(ひとかぢ)せばや。」

などいひいひて、其座に有りあふ者ども、うちより、骨牌(かるた)を打ちなどして、錢をかけ、夜(よ)ふくるまゝに、喜六は、此人々を饗應さんためとて、豆腐やうの物取りよせ、魚板(まないた)に乘せて、既に刃物をあてんとせしに、此豆腐、人のごとく立ちて、ゆらゆらとあゆみつゝ、細き手さへ、出で來て、彼の骨牌(かるた)の場に行きつゝ、からびたる聲を出だし、

「我れに壹錢をあたへよ。」

と罵るにぞ、彼の山ぶしも肝を消し、魂を失ひて、逃げ去りぬ。

[やぶちゃん注:この豆腐様(よう)人形(ひとがた)怪は、ある意味で、この怪談の特異点のクライマックスという感じがする。先のポルターガイスト風のそれは見飽きた感があったが、ここはこれ、なかなかオリジナリティがあってよろしい。

「種子袈裟(しゆじげさ)」梵字の種子(しゅじしゅ じ:密教で、仏・菩薩などの諸尊や事項を象徴的に表す梵字。総てがその一字に含まれ、また、総てがそこから生ずると考えるところからかく漢字を当てる)や真言を縫い込めた袈裟。]

 

 喜六、やがて、此手をとらへ、唾(つばき)はきす。

[やぶちゃん注:怪異や幻覚から身を守るために(生臭い匂いのする自身の)「唾を吐く」という行為は洋の東西を問わず、普遍的に見られる誰にでも出来る最も簡便な防禦呪法の一つである。]

 

 妖怪、またいふやう、

「我は、これ、汝が家の婿なり。何ぞ無禮をしたまふや。一人が名は『九郎』といひ、今ひとりは『四郎』といふ也。」

と、名のるを、喜六、聞きすまし、夜明けしかば、急ぎ、北野のかたへ尋ね行き、智光とかやいひし、其比(そのころ)の眞言者ありけるを、かたらひ來たりて賴みけるに、智光、その家に行き、先づ、あかき繩を以て一間(ひとま)を仕切り、手に印をむすび、口に密咒(みつじゆ)をとなへ、劔(つるぎ)を拔(ぬき)て名を呼(よび)て後(のち)、さまざまの供物をとゝのへ、繩張りより外にそなへ、しばらく行ひ、觀念せられけるに、夜半にも及びなんと思ふ比(ころ)、黑き事、墨のごとく、大きさ、牛の子ほどなる物、はい出でて、彼(か)のそなへたる酒・肴・供物を啖(くら)はんとす。

 智光、やがて、劍を引きそばめ、飛びかゝりて、一かたな、さす。

 刺(さゝ)れて逃げる所を、手燭(てしよく)ともし、つれ跡(あと)をしたひて行きけるに、裏口の緣の下にてとゞまるを、よくよく見るに、何とは知らず、只、黑革の袋に似て、口も目もなき物也。

 やがて、是れを引き出だし、薪(たきゞ)を其うへ積みて、燒き殺しけるより、二たび又、あやしみなかりしが、程なく、妹に物怪(ものゝけ)つきて、いふやう、

「我が兄の九郎は姊とちなみけるを、既に、殺しつ。我(われ)、ひとり、今、此妹をいとおしみて有りといへども、兄、なくなりしは喜六が故也。うらめし。」

と、いひて夜每に鳴きしを、智光、又、劍をぬき、肱(ひぢ)をいからして、聲をはげしうして、大きに叱(しつ)しけるに、妹、大きにおそれ、額に汗をながしけるを見るに、妹が臂(ひぢ)、にはかに腫(はれ)あがりて、大きさ、枕ほどになりけるを、智光、劔(つるぎ)をさしあて、二かたな、さしければ、血を流す事、二升ばかり也しが、妹が病(やまひ)、つゝがなく平生(へいせい)に歸りけるとぞ。

 終に、むかしより、此ためしを聞かず。尤(もつとも)あやしき事也。

[やぶちゃん注:この物の怪の失敗は何より、自分らの名を名乗ってしまったことにある。名指すことが出来るものはその名に於いて縛られるから、ある意味、物の怪の正体の大事な核の部分を相手に与えてしまったことになり、物の怪の調伏は最早、時間の問題となるからである。恐らく、智光が最初に「劔(つるぎ)を拔」いて「呼」んだ名は兄の「九郎」の名だったに違いない。物の怪兄弟の名を二人分呼んで纏めて調伏するなどという、お手軽なことは普通の呪法では考えられない。特に強力な妖術を駆使する強い魔的存在に対し、それは失礼な仕儀であり、却って相手を怒らせ、折伏を失敗させ、行者そのものが直ちに殺戮されることも稀ではない最も危険なことだからである(そのような伝承を私は沢山知っている)。だから、後で「弟」の方がやって来るのである。また、本話は喜六が捕えた、鰻のようで体毛がびっしりと生えており、龍のようで鰓(えら)を持った怪魚がその正体と匂わせながらも、後半、それが二つのモンスターに分裂したかのように見え、それが姉妹を波状的に襲い、しかも遂にその正体はやはり不明のままであり、こんな妖しい話は過去に聞いたことがないという語りで終わるという全体の構成が、真正のホラーとしてよく出来ていると私は思う。正体を妙に推理して示したり、前世の悪行の報いなどとする、本書の前の怪談などよりも、理解不能で、妖しい未確認動物の臭いがプンプンしてくる辺り、非常にいい。

「智光」不詳。

「其比(そのころ)の眞言者」その頃、強い法力を持つと評判だった真言宗の密教僧。

「密咒(みつじゆ)」真言。

「觀念」観想。心静かに内観すること。

「つれ跡(あと)」対象に従って出来た足跡。]

 

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