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2018/03/29

栗本丹洲 単品軸装「斑車魚」(マンボウ)

 

Moramora

 

[やぶちゃん注:図版は国立国会図書館デジタルコレクションの栗本丹洲自筆の軸装一点画「鳥獣魚写生図 斑車魚」の画像をトリミングしたものである。腹鰭の先が切れているのは原画のママ。]

 

□翻刻1(原画のママ。但し、冒頭部(右上方)のように下方に書かれていても、改行した箇所もある。約物の「ドモ」相当の「ト」と「モ」の合字は正字化した。但し、「ブリブリ」の後半の踊り字「〱」は正字化した。《 》は私の位置附記、【 】は二行割注、■は判読不能字)

《左下添付付箋標題》

斑車魚【一種大者

 沖マンザイ【佐州■■】

 

《右上方》

沖マンザイ

 佐渡洋中ノ産 其土ノ漁人云

 マンボウノ類乄此ハ別一種

 ト云ルヨシ

 

《右下方》

口ヨリ尾端至ル壹丈 此内尾ノ幅壹尺五寸

胴中徑リ五尺

脊ヒレ長三尺五寸横ノ徑中程テ壹尺二寸余

下ノ鬐長サ三尺五寸横中程テ壹尺二寸余

   口開キタル処下唇ヨリ上唇マテ徑五寸五分

          眼ノ徑四寸

 

《上部中央から左へ》

寛政九年年七月九日

佐州姫津村ノ沖

漁人圖ノ如キ物浮死シ

タルヲ見ツケ綱ヲ付引

來ル同所浦方ヨリ其地

ノ奉行朝比奈氏ノ役所

注進アルニヨリ相川御役所

差出スベキヨシ申渡サル

海府番所ト云処迠海上ヲ

牽來レトモ御役所ヘハ陸𢌞シ

ユヘ人歩弐三十人カヽリテモ陸

成難ヨリ海府ノ濵辺

テ皮ヲ剥キ肉ハ漁人等

   肝ヨリ

切取リ油ヲ絞ルヨシ油凡壱石

四五升モ取レタルヨシ浦方テハ

甚益アル物ナリト云

全体鮫膚テ肉ハアハビノ如ク白ク

腸ハ至テ少シ血モ少シ肉ヲ煮テ見レハ

璚脂(トコロテン[やぶちゃん注:左ルビ。])ノ如クブリブリスルモノ土人食ヒ

試ミタルニ味ヒ淡ク是亦璚脂ノ如クナリ

ト云ヘリ薩州産ノシキリト云ル魚ハマン

ボウ同物ナラン歟其口中ヨリ小判魚

出ルヿアルヨシ朝比奈氏モ其心得

若出ルヿアリヤトト尋ネラルヽニミヘズナン

荅フ

 

□翻刻2(句読点を打ち、概ね、カタカナをひらがなに直し、約物は正字化、記号等を加えて一連の記載として訓読(「如し」は漢文では助動詞であるので平仮名とした)整序して、一部を連結して示した。追記添え字(『肝ヨリ』の部分)は本文へ組み入れた。読み易さを考え、一部に送り仮名や読みを推定で附し、更に〔 〕で助詞を補助した)

《左下添付付箋標題》

「斑車魚(はんしやぎよ)」【一種〔にして〕大なる者〔なり〕。】

 「沖マンザイ」【佐州■■。】

 

《右上方》

「沖マンザイ」

 佐渡〔の〕洋中の産。其の土(ど)の漁人、云はく、「マンボウの類ひにして、此れは別〔の〕一種の物。」と云へるよし。

 

《右下方》

口より尾〔の〕端に至る、壹丈。此の内、尾の幅、壹尺五寸。

胴の中徑(なかわた)り、五尺。

脊びれ、長さ、三尺五寸。横の徑り、中程にて、壹尺二寸余(よ)。

下の鬐(ひれ)、長さ、三尺五寸。横、中程にて、壹尺二寸余。

口、開(ひら)きたる処、下唇(したくちびる)より上唇まで、徑り、五寸五分。

眼の徑り、四寸。

 

《上部中央から左へ》

寛政九年巳年七月九日、佐州姫津村の沖にて、漁人、圖のごとき物、浮き死(じ)にしたるを見つけ、綱を付け引き來たる。同所、浦方より、其の地の奉行朝比奈氏の役所に注進あるにより、相川御役所に差し出だすべきよし、申し渡さる。海府番所と云ふ処まで、海上を牽き來れども、御役所へは、陸𢌞(りくまは)しゆへ、人歩(にんぷ)、弐、三十人、かかりても、陸上げ成(な)り難(がた)きにより、海府の濵辺にて、皮を剥ぎ、肉は漁人等(ら)、切り取り、肝(きも)より、油を絞るよし。油、凡(およ)そ壱石(いつこく)〔と〕、四、五升も取れたるよし。浦方にては、甚だ益ある物なり、と云ふ。

全体、鮫膚にて、肉は、「アハビ」のごとく白く、腸(はらわた)は至つて少なし。血も少なし。肉を煮て見れば、「璚脂(トコロテン)」のごとく、ブリブリするもの、土人、食ひ試みたるに、味はひ、淡く、是れ亦、璚脂(トコロテン)のごとくなり、と云へり。

薩州産の「シキリ」と云へる魚は、「マンボウ」と同物ならんか。

其の口中(こうちゆう)より、小判魚(こばんうを)、出づることあるよし、朝比奈氏も其の心得にて、

「若(も)し、出づることありや。」

と尋ねらるるに、

「みへず。」

となん、荅(こた)ふ〔となり〕。

 

[やぶちゃん注:佐渡の漁師は本個体を「マンボウの類ひにして、此れは別〔の〕一種の物」であると言っているが、つい最近まで、本邦産のマンボウは概ね、条鰭綱フグ目フグ亜目マンボウ科マンボウ属以下はマンボウ Mola mola とされていたから、それで挙げておく。まず、二〇一〇年にマンボウ属ウシマンボウ Mola alexandrini が別種として提唱されているが、これは東日本の太平洋岸で捕獲される全長三メートル前後の大型個体を中心とした集団から遺伝子解析によって区別されて別種とされたものであり、本個体が揚がった佐渡ではウシマンボウ Mola alexandrini を比定候補とするには無理がある。加えて、形態学的には、ウシマンボウはマンボウと比較すると、頭部上方(人の顔にシミュラクラすると「おでこ」の位置)が有意に腫れたように突き出ること・舵鰭(かじびれ:マンボウの体の後端にある尾鰭のような鰭。実はマンボウには尾鰭がなく、この背鰭と臀鰭の要素が組み合わさって出来た特異な鰭が代わりにあって、これで左右に舵を切る。但し、舵機能としては極めて性能が低い)の縁辺部がマンボウのように波型の形状を持たず、つるんとしていること・舵鰭の軟条数がマンボウより多いこと・鱗がマンボウは円錐形でその先端部分が棘状を呈するのに対して、ウシマンボウは長方形の浅い出っ張りでしかない点で区別されるのであるが、下線部の二点が、図のマンボウとまったく一致しないので、棲息域以外の点でも本種はウシマンボウではないと言ってよい。ところが、近年、世界中のマンボウ属の標本百二十二頭のミトコンドリアDNAD-loop領域の分子系統解析から、マンボウ属は少なくとも三種(group A/B/C)に分かれるという解析結果が得られており、日本近海で主に見られるものはgroup BMola sp. B)に含まれ、日本近海で主に見られるgroup Bの形態はMola molaと一致するとされる。しかし、一方で、これらの分子系統解析の結果と、用いられた標本の形態比較が並行して行われておらず、二〇〇九年現在でも group B に対応する学名は不明なままであり、更なる研究や比較検討が必要とされている。また、二〇一〇年には Mola sp. B の標準和名を「マンボウ」とすることが提唱されたと、ウィキの「マンボウ」にはあった。しかし正直、Mola mola(ギリシャ語の「碾き臼」(mylos)由来)が Mola sp. B という無風流な名となるのは極めて悲しい気がするモラ・モラ・フリークの私であった以下、ウィキより引く(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)。『最大全長三百三十三センチメートル。体重二・三トン。現在生息している世界最大級の硬骨魚のひとつである。ただし、後述のとおり、大型の個体はウシマンボウである可能性がある』。『体は側面から見ると円盤型、正面から見ると紡錘形をしている。背びれと尻びれは長く発達し、体の後部から上下に突き出しているが、多くの魚が持つ尾びれと腹びれは持たない。体の後端にある尾びれのような部分は、背びれと尻びれの一部が変形したもので、舵びれあるいは橋尾とも呼ばれる。泳ぐときは背びれと尻びれの動きを同調させて羽ばたくように対称に動かすことで推進力を生み、舵びれあるいは橋尾で舵をとる』。『フグ目に属し、同目に特徴的な丸い目、小さな口、鳥のくちばしのような板状の歯、小さな穴状のエラ穴を持つ。腹びれと肋骨を持たないのも同目の特徴である』。『皮膚は厚く粘液で覆われるとともに、おびただしい量の寄生虫が付着している。なお、皮膚は非常に弱く、飼育下では水槽壁面への衝突などでも』、傷付きやすいとされる。『岸辺や近海に生息するフグが外洋に進出して適応進化したものであり、全世界の熱帯・温帯の海に広く分布する。外洋の表層で浮遊生活をしていると考えられてきたが』、実際には、『生息の場は深海にまで及んでおり、海上で見せる姿は生態の一部にすぎないことがわかってきた。発信機をつけた追跡調査で、生息水深を一定させず、表層から水深八百メートル程度までの間を往復していることが明らかにされている。二十五%程度の時間を表層で過ごす個体がいる一方、別の個体は水深二百メートル以深の深海にいる時間が長かった。水温の変化に影響を受けている可能性が考えられているが、外洋に生息する魚だけに生態はまだ謎が多く、詳しい調査が待たれる』。『クラゲや動物プランクトンを食べるということは知られているが、胃内容物からは深海性のイカやエビなどの残骸も発見されている。これまで海中を受動的に漂っているだけと考えられることが多かったが、これらの餌を捕食するにはある程度の遊泳力が必要となる』が、『音響遠隔測定による調査で、海流に逆らって移動し得るだけの遊泳力を持つことが』確認されているという。『時折』、『海面にからだを横たえた姿が観察されることがあり、丸い体が浮かんでいる様が太陽のようであることから sunfish という英名がついた。この行動は、小型の魚やカモメなどの海鳥に寄生虫を取ってもらうため、深海に潜ることによって冷えた体を暖めるため、あるいは日光浴による殺菌が目的ではないかと考えられている。マンボウは勢いをつけて海面からジャンプすることもあり、これも寄生虫を振り落とすためである可能性がある』とされる。『メスが一度に産む卵の数は三億個に達するともいわれ、最も多く卵を産む脊椎動物とされる。卵は親に保護されることもなく海中を浮遊しながら発生するため、ほとんどが他の動物に食べられてしまい、成長できるのはごくわずかである。孵化した稚魚は全身にとげがあり、成魚とは似つかない金平糖のような姿をしている。一時的にとげが長くなりハリセンボンのようにもなるが、成長するにつれとげは短くなり、独特の姿に変わってゆく』。『また、全長四十センチメートル程度の若い個体が群れを作ることも報告されている』。『刺し網・流し網・トロール漁などによる混獲により』、『生息数が減少している。特にアイルランドやポルトガルでは網にかかる個体の減少が著しい』。『大きな体に愛嬌のある風貌で』『人気が高い。水族館での飼育は一般的に困難であるが、日本では海遊館・鴨川シーワールド・名古屋港水族館などいくつかの水族館で飼育展示が行われている。飼育が難しい主な理由は泳ぎが下手なため』、『自ら水槽の壁に体をぶつけて弱ってしまうこと、寄生虫が多いことなどである。餌は、水面に顔を出したときにエビのミンチなどを直接口に入れてやる方式がよい結果を残しており、さらに水槽内にビニールやネットの壁をめぐらせてマンボウを守るなどの対策が取られるようになった。ただし、飼育に適した小型の個体は手で触るだけで手の跡がそのまま付くほど皮膚が弱く、飼育が難しい事は変わらない。また飼育下で大きく成長した個体は施設に限界があるため、標識をつけて大洋に再び放される事が多い。国内での飼育記録としてはマリンピア松島水族館で飼育されていた「ユーユー」が千三百七十九日の記録を残している』とある。私は江ノ島水族館の飼育個体を遠い昔に見たが、その表情は孤独で淋しそうだった。なお、栗本丹洲にはマンボウを考証した「翻車考」(文政八(一八二五)年に書かれた自筆本)がある。近い将来、国立国会図書館デジタルコレクションの画像のそれも電子化したいと考えているのであるが、漢文で訓読注するとなるとかなりの難物の大物にはなると思う。でも、やりたい。

「斑車魚(はんしやぎよ)」丹洲はその「翻車考」などで、中国本草書等に出る「翻(飜)車魚」(現代中国語でもマンボウをこう書く)をマンボウに比定同定しているのであるが、その「翻車考」の冒頭の考証部の最後の部分で、実にこの佐渡のマンボウを採り上げて語った中に、『全身堅硬如鯊、脊有斑文、此卽萬寶一種、大而灰白、而稱澳萬歳』(下線は私)と出るのである。「翻(飜)車魚」の「翻車」(ホンシャ)とは「龍骨車」とも呼び、中国の代表的な揚水具の一つで、細長い箱に数珠のように連結された多数の木の方板を嵌め込み、箱の上部の輪軸に結合させて人力で輪軸を回転させ、揚水するものである。水車を平たく潰したような形状になり、それが、本邦では水車と同義的になったと考えれば、マンボウの形をそれに模したものとも言えようが、どうもそんなに似ているとは私には思われないし、丹洲も「翻(飜)車魚」には今一つ、しっくりこなかったではなかったか? 寧ろ、同じ音なら「ハンシャギョ」で「斑」紋を有した「車」の車輪のように丸々ずんぐりして大きな「魚」で、「斑車魚」としたのではあるまいか?

「沖マンザイ」「ぼうずコンニャクの市場魚介図鑑」の「マンボウ」の「由来・語源」の項には、「まんぼう」の「まん」は「丸い」、「ぼう」は「魚」を表わすとあり、だから『「円坊鮫」の訛』りともし、更に形状が『方形であるため、「萬方」の意味』とあった。ここで「萬」から予祝風俗としてのゲン担ぎの「萬歳」にスライドしたと考えても、私は何らおかしくないと思う。マンボウの動きの如何にもな鈍さや剽軽な顔つきは、春を呼ぶ万歳の芸人を連想させもする。なお、「ぼうずコンニャクの市場魚介図鑑」では他に、富山県氷見市の「クイサメ」(棒杭の鮫か)、東北地方の「ウキキ(浮木魚)」「ウキギ(浮木魚)」の他、キナンボウ」「マンブ」「クイザメ」「ユキナメ」「バラバア」「シキリ」「ウオノタユウ」「タユウサン」と異名が並ぶ。これらの語源を考えてみるだけでも楽しい。

「佐州■■」細々とあって、汚れであって、字でないようにも見えるのだが、或いは「之産」・「之者」かも知れない。拡大しても不明である。

「洋中」沖中の意。

「口より尾〔の〕端に至る、壹丈」口吻尖端から舵鰭(前に述べた通り、マンボウには尾鰭はないので注意)の後端までが、三メートル三センチメートル。

「尾の幅、壹尺五寸」体幹末から出た、舵鰭の一番長い部分(蓮の葉のように突出したその先の部分まで)の長さが、三十センチメートル五ミリ弱。

「胴の中徑(なかわた)り、五尺」胴の最も中ほどの左右幅の謂いか。一メートル五十一センチメートル。

「脊びれ、長さ、三尺五寸」背鰭の長さが、九十一センチメートル。

「横の徑り、中程にて、壹尺二寸余(よ)」これが体幹の横幅で、最も厚い中ほどで、約三十六センチメートル。異様に体幅が薄い。

「下の鬐(ひれ)」「横、中程にて、壹尺二寸余」腹鰭の中央分の幅が、三十六センチメートル強。

「口、開(ひら)きたる処、下唇(したくちびる)より上唇まで、徑り、五寸五分」口吻の下顎の吻の皮の上部から、上顎の吻の皮の下部まで(歯ではなく、その上下部分と読む)が、十六センチメートル六ミリメートル。

「眼の徑り、四寸」眼球の直径が、約十二センチメートル。

「寛政九年巳年七月九日」グレゴリオ暦一七九七年七月三十一日。

「佐州姫津村」現在の新潟県佐渡市姫津(ひめづ)。(グーグル・マップ・データ)。私の好きな、外海府海岸と尖閣湾の間に当たる。

「浦方」浦方役人。主に金山保守のための、佐渡海岸域の沿岸警備(島抜けや外部からの侵入)に当たった下級役人。

「奉行朝比奈氏」当時の佐渡奉行の一人、朝比奈次左衛門昌始(まさもと)。寛政六(一七九四)年閏十一月に目付より佐渡奉行となり、寛政十年五月に長崎奉行へ転出している。

「相川御役所」現在の佐渡市相川広間町にあった佐渡奉行所。(グーグル・マップ・データ)。

「海府番所と云ふ処まで、海上を牽き來れども、御役所へは、陸𢌞(りくまは)しゆへ」海府番所の正確な位置が判らないが、現在の村落のある達者地区から相川までを陸路で実実測すると、五キロメートル以上ある。当時のこの辺りの地形から見ても、これは怖ろしく大変なことが容易に想像出来る。

「人歩(にんぷ)」人夫であろう。

「壱石(いつこく)〔と〕、四、五升」百八十八~百八十九リットル。一般家庭の浴槽が約二百リットルというから、想像されたい。

「甚だ益ある物なり」魚油は非常に臭いが強いが、灯油として用いられた。

「アハビ」鮑(あわび)。

「璚脂(トコロテン)」誤記。「瓊脂」が正しい。テングサ(:アーケプラスチダ界 Archaeplastida 紅色植物門紅藻綱テングサ目テングサ科 Gelidiaceae に属する海藻類。最も一般的な種はテングサ属マクサ Gelidium elegans)やオゴノリ(紅藻綱オゴノリ目オゴノリ科オゴノリ属オゴノリ Gracilaria vermiculophylla)などを煮溶かして型に流し、冷却して固めた例の「心太(ところてん)」である。

「ブリブリする」「トコロテン」のようなものというのは、これは恐らくは肉ではなく、マンボウの表皮の下層に厚く存在するゼラチン層のことを指しているように思われる。なお、ウィキの「マンボウ」には、マンボウは『商業的に食用とされることは少ない』としつつも、『一方でアジア、特に日本の一部と台湾で食用とされる』。『日本では主に定置網で混獲され、専門的に狙う漁師は少ない』。『美味とされるが』、『鮮度が落ちやすく』、『冷蔵冷凍技術の普及以前は市場流通は限られていた。鮮度が落ちると特有臭を放ち、水っぽくなる』、『現在』、『特に宮城県から千葉県にかけてと東伊豆、三重県紀北町や尾鷲市などは比較的流通が多い。紀北町には道の駅があり、フライ定食を提供している』。『肉は白身で』『非常に柔らかく、調理法は刺身や湯引きして肝臓(キモ)と和えて、あるいはから揚げ、天ぷらなどで利用される。味はあっさりとしており、食感は鶏肉のささみに似ている』、『腸はマン腸またはクジラと同様に百尋と呼ばれる。紀北町ではコワタと呼ばれる』。『食感はミノに似て、他の部位より』も『日持ちすることもあり、流通量が多い』。『皮や目も食用となるが、ほとんど流通していない』。『台湾では』五『月ごろ』、『海流に乗って東海岸に現れるため、定置網で捕り、食用にすることが盛んである。台湾のほとんどの水揚げが集中する花蓮市では日本語からの借用語で曼波魚(中国語 マンボーユー、台湾語 マンボーヒー)と呼び』、五『月に「花蓮曼波季」という食のイベントを行い、観光客に紹介している。この時期は台北の高級店でも料理を出す例がある。肉、軟骨、皮などをセロリなどの野菜と炒めたり、フライやスープにしたり、腸を「龍腸」と称して炒め物にしたりすることが多い』とある。因みに、私は土肥でマンボウの肉の刺身を食したことがある。とても美味であった。

『薩州産の「シキリ」と云へる魚は、「マンボウ」と同物ならんか』マンボウの記載の地方名に『シキリ(鹿児島)』とある。

「其の口中(こうちゆう)より、小判魚(こばんうを)、出づることある」条鰭綱スズキ目コバンザメ科コバンザメ属コバンザメ Echeneis naucrates のこと。が、当然、ある。私は動画で、驚くほど、多数のコバンザメが大型のサメ類の口腔内(総排泄腔から腸にさえも潜り込んで吸着する)にいる映像を見たことがある。]
 

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