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2018/04/25

御伽百物語卷之四 恨はれて緣をむすぶ

 

   恨(うらみ)はれて緣をむすぶ

 

Uramihareteenwomusubu

 

[やぶちゃん注:挿絵は「叢書江戸文庫二 百物語怪談集成」のもの。]

 あふみの國守山(もりやま)邊に喜内(きない)とかやいひし農民あり。生れつき正直ものにて假にも人のため、あしかるべき事をなさず。身をすてゝも、他(ひと)のためよき事となれば、世話をかきつゝ取りあつかふ程の心ばへなる者也けれども、前生(ぜんしやう)の果(くわ)のよる所とて、兎角かせぎけるにも貧苦やむ時なく、日を追(おつ)て手まへ不如意なりしかば、

「今は少しある田地をも、人に宛(あて)て作らせ、今日のたすけにもせばや。」

と思ひたちけるより、彼方此方(かなたこなた)と人を賴みて肝(きも)いらせけるに、其あたり近く住みける藤太夫(とうたゆふ)といひし者、是れも同じ農人(のうにん)なりしが、心、あくまで欲ふかく、少利(せうり)といへども貪り、一錢の事にも氣を付け、人の手まへ外聞にも恥ぢず。常に、只、きたなきまで世知辨(せちべん)なるものなりしが、此喜内が田地の事を聞くより、早、心に欲をおこし、

「何(なに)とぞして心やすく價(あたひ)をこきり、我がものにせばや。」

と分別(ふんべつ)をめぐらし、其所(そのところ)の庄屋に召しつかはれて年久しき男に十太郎といひけるものを、かたらひすかし寄(よせ)て、かたりけるやう、

「今、この喜内が田地につきて、我ふかく賴むべき事あり。そのゆへは彼かれ)が年貢の未進(みしん)、年年(としどし)に積りて、七、八百匁(め)もあるよしを聞きけり。それにつき、このたび、喜内が手まへ、貧なる事、日々に彌(いや)增(まさ)り行くまゝに、『今は彼(か)の田地をも人に宛てて身命(しんめう)をたすくるの便(よすが)にもせばや』といふなるよし。我、また、幸ひに、彼(かれ)が田地の我が田に並ぶゆへに、望みおもふ事、久し。然れども、人の田を借りて耕さん事も口おしくおもふ也。とても貧に生まれたる喜内なれば、たとひ、人にあてたりとも、質(しち)に入れたりとも、富貴(ふうき)になる事あるまじければ、こゝは君がはからひにて、何とぞ、此たびを序(ついで)に喜内が田地を賣りはらはする術(たて[やぶちゃん注:原典もママ。「てだて」であろう。])をめぐらし、若(も)し賣るべき心になり侍らば、旦那にきかせては、慈悲ふかき人なれば、賣るほどの事に及ぶをいたはりて、未進の事はよもいひ出し給はじと思へば、旦那には聞かせずして價(あたひ)何程(なにほど)と極(きはま)りたる上にて、彼(か)の未進程(ほど)の銀(かね)を抑(おさ)へて我に歸し給はらば、我、また其御世話の代(かはり)には、彼(か)の未進に引かれたる銀(かね)の十分(ぶ)一をもつて、定(さだま)りたる禮の外に御れいを申すべし。」

と、酒をすゝめ、口に任せ、念比(ねんごろ)に賴みけるに、此おのこも利欲に迷ひ、いとやすくうけ給ひて歸りぬ。

[やぶちゃん注:「あふみの國守山」現在の滋賀県守山市。琵琶湖南東岸。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「七、八百匁(め)」「匁」(正式には「もんめ」であるが、略してかく呼んだ)は金銭単位では、小判一両の六十分の一を表わす(当時流通した金・銀・銭の三貨の交換基準は「銀一匁=金六十分の一両=銭十五分の一貫文」と定められていたことによる)から、「七、八百匁」は十一両から十三両弱に当たるか。なお、一両は江戸後期で三~五万円相当として、三十五万円から六十七万円弱ほどには相当するであろう。]

 

 扨も喜内は心よきものゆへ、ちかき邊(ほとり)の農人ども、彼が貧を笑止(せうし)がり、ともどもに取り持(とりもち)よろしき方へ田地をも預けさせ、何とぞ志なく渡世をもさせたくおもひ、さまざまとかけめぐり、よき口ども、おほく聞きたて、莵角(とかく)いひわたりけれども、庄屋の方にひかへたる男(おのこ)、有無(うむ)に何かと物好(ものこのみ)して請けがはねば、今は喜内もせんかたなく、是非につまりて、

「此田地を賣りてなりとも、身のさしあはせにせばや。」

とおもひたち、人にもいひけるを、

「得たりやかしこし。」

と庄屋の男、彼の藤太夫に肝煎かけ、しかも下直(げぢき)にねぎらせける程に、喜内が心にも飽きたらぬ事におもひしかども、手前の貧にくるしめられ、纔か廿兩の價に賣るべきに約束せし時、彼のおのこ、兼てたくみつる事なれば、内々の末進をいひ出だし、銀を渡さんとする場にすゝみ出(で)て、八百目を引きおとしけるにぞ。

 喜内も今さら後悔といひ無得心(むとくしん)なる仕かたとはおもひしかども、すべきやうもなく、身をのみ悔ひて聞き居たるに、藤太夫は喜内を先づ歸へさんとおもひけるゆへ、手づから、酒、すこし携へ來たり、喜内ばかりに、一、二獻すゝめて、盃をあいそなく治めとりぬ。

 奧には、なを酒飯をとゝのへ、膳部を拵(こしら)ゆる氣色(けしき)見えて、賑ひあへども、かつて喜内には、誰(たれ)とりあふものなきまゝに、素氣(すげ)なくさうざうしくおもひて、やがて、其座をたち、歸へりけるが、さるにても此藤太夫が仕かたといひ、價ををおさへられつる無念さも、ひとしほの恨(うらみ)となり初め、一すぢに健(すくよ)かなる心から、やるせなきまゝに、

「所詮、こよひの内に此藤太夫が家に火をかけ、彼が財寶を燒きはらひ、せめての慰にせばや。」

など、おもひつきて、此事を妻にかたりけるに、妻、又、ねんごろに諫めていひけるは、

「扨も。いかなる天魔のいりかはりてかく筋なき心ばへは出で來(き)しぞや。たまさか、法談の庭にたゝずみ、一句半偈(はんげ)のかたはしを聞くにさへ、『仇(あだ)は報ずるに恩をもつてすべし』と侍るものを、常不輕菩薩(じやうふきやうぼさつ)のいにしへをしたひ、空也上人の心ばへまでこそなくとも、せめて、かゝる惡業を、な作りたまひそ。貧は天命也、貧よりおこる怨(うらみ)なれども天命をわきまへ、前生(ぜんしやう)の因果を觀(くわん)じたまはゞ、うらむべき人もなく、悲しむべき身もなきものを。かならずかならず、さやうの惡(あし)き心おこして、後生(ごしやう)の罪をつくり給ふな。」

と、泣きみ笑ひみ、かきくどきけるを、しばし聞き入れたるふりにもてなし、さあらぬ體(てい)にて居たりしが、夜ふけ、人しづまりける比(ころ)、ひそかに燒きぐさをしたゝめ、燧火(すりび)・打鹽硝(うちえんせう)など懷にして、藤太夫が方へと急ぎける所に、彼の藤太夫が方には、女房、このごろ胎孕(はらみ)たりけるが、今宵(こよひ)しも産の氣(け)づきて穩婆(とりあげばゝ)など、はしり入り、ものさうざうしかりつるを見て、喜内、また心に思ひかへしけるは、

『そも、此心におもひたちて、仇せんとするものは誰(たれ)や。纔かに藤太夫、獨(ひとり)にあり。我、今、藤太夫ひとりに恨(うらみ)を報ぜんが爲に、火をかけ、何ぞ此産婦といひ、其外、近邊の人まで、同じ禍(わざはひ)にかけなん事、天道の冥慮も恐し。恨は一人にあるものを、却(かへつ)て後生(ごしやう)の罪をもとめんは本意(ほんい)たるべからず。』

と、思ひかへして、貯へ來たりつる火の具を、溝の中へ捨てて、歸りぬ。

[やぶちゃん注:「法談」僧が仏道を説くこと。説法。

「一句半偈」仏の功徳を表わす一句や一偈(それを褒め讃える詩。四句から成る。頌(じゅ)の前半の半分。

「常不輕菩薩」「法華経」の「常不軽菩薩品(ぼん)」に説かれた菩薩で、釈尊の前世の姿であったとされる。ウィキの「常不軽菩薩」によれば、『釈尊の前世、むかし』、『威音王如来という同じ名前をもつ』二『万億の仏が次々と出世された。その最初の威音王仏が入滅した後の像法の世で、増上慢の比丘など四衆(僧俗男女)が多い中に』、『この常不軽菩薩が出現したとされる。常不軽菩薩は出家・在家を問わず』、『「我深く汝等(なんだち)を敬う、敢(あえ)て軽慢(きょうまん)せず。所以(ゆえん)は何(いか)ん、汝等皆菩薩の道(どう)を行じて、当(まさ)に作仏することを得べしと」と礼拝したが、四衆は悪口罵詈(あっくめり)し、杖や枝、瓦石をもって彼を迫害した』。『常不軽菩薩は臨終が迫った時、虚空の中において、威音王仏が先に説いた法華経の』二十『千万億の偈を聞き、六根の清浄を得て』、二『万億那由他』(なゆた)『という永い寿命を得て、広く人のために法華経を説いた。これを聞いた増上慢の四衆たちは、その所説を聞き、みな信じ伏し』、『随従した。常不軽菩薩は命終して、同名である』二『千億の日月燈明如来という仏に値遇し、また同名である』二『千億の雲自在燈王如来という仏にも値遇し、法華経を説き続け、諸々の善根を植え、さらにまた千万億の仏に遇い法華経を説いて功徳を成就して、最終的に彼も仏と作(な)ることができたという』。『常不軽菩薩は自身が誹謗され』、『迫害されても、他人を迫害するどころか、仏法に対する怨敵などと』は『誹謗し返さなかった。この精神や言動は、宗派を問わず教理を越えて、仏教徒としての原理的な行動・言動の規範としてよく紹介引用される』とある。]

 

 さても、あるべき事ならねば、彼の纔かなる銀(かね)を元債(もとで)とし、酢・醬油のたぐひ、請酒(うけさけ)[やぶちゃん注:酒のごく少量の小売りを言う。]やうのものを家業とし、夜を日に繼ぎてかせぎける程に、終に、正直のゆへに、富貴、日を追(おつ)て、いや、まさりける程に、田宅・牛馬にも事かけず、家門(かもん)ひろく、眷屬なども廣く、いにしへの貧にかへたる樂しみにほこりけるに、彼(か)の藤太夫は、それは引きかへ、近年、うち續き、不作して、水旱(すいかん)の二損、かはるがはるおこり、あるひは、病者、絶ゆる事なく、または、纔かの利欲にくれて、金銀をいれしも、損になりなどして、今は世の作業(なりはひ)をすべきにも元債(もとで)なく、今日をだに暮し難く覺えけるまゝに、

「よしや、『寶は身のさしあはせ』[やぶちゃん注:なまじっか、財宝を持っていると、それが原因で自分の身を滅ぼすことがあるという古い諺。]とかやいふ習(ならひ)もあるぞかし。田地を賣はらひても、助成となさばや。」

の心つきて、近邊の人にも語り、あるひは賴みなどして、かけめぐりけれども、常々の心ざしよからぬ者に思ひしりたれば、是れにさへ、取りあふ人なくて、心にもあらぬ月日をおくりけるに、折しもあれ、喜内が方に此よしを告ぐるものあり。

 喜内は、これを聞くより、ねがふ所のさいわいとよろこび、

「彼が、此まへ、吾にせし如く、このたび、又、我もはからひてん。」

と思案をめぐらし、例の庄屋につとめて事を噴く男をすかしかたらひよせ、藤太夫が未進を問ひけるに、八百匁ほどありといふにつきて、

「已前(いぜん)、我が賣りたる分の田地を買ひもどさせて給へ。」

と、我にあたられたる通りに方便をいひきかせけるまゝ、庄屋の男もまた、眼前の利にまよひて、いとやすく、請合(うけあ)ひぬ。

 さて、彼の田地を買ふ時も、藤太夫、心には、猶、あかぬ事におもひしかども、漸(やうやう)買はんといふ人のあるをさいわいの事にして、金二拾兩に定め、

「證文せん。」

とて、呼びよせける時、喜内を買主(かひぬし)なる事を知りて驚嘆しけり。

 既に銀を渡さんとするにおよびて、例の未進を乞はれ、終に八百匁を引きて請取(うけと)りける無念さ。

 喜内、また、酒を持ち來たり、藤太夫ばかりに、一、二盃、しゐて、さきへ返へしけるにぞ。

 つくづくと、おもひ合はせて、

「我がせし仇を、むくはるゝ也(なり)。」

とは思ひしりながら、身にしみて、恨めしく、憎くて、

「是非に、今宵は喜内が家を燒き、せめて、財産を失はせてなりとも、我がむねをはらすべし。」

と、一筋におもひこみ、是れも火をつゝみ、燒きぐさをこしらへ、喜内が軒にたゝずみて、時分をうかゞひ、内のやうすを聞きゐたるに、彼が家、また、

「産の氣(け)、つきたり。」

とて、人、音しげく行きかよひけるを見て、藤太夫も、かへつて、慈悲の心おこり、怨(うらみ)を隱して、火の具を溝になげ入(いれ)て歸りぬ。

 夜あけて後(のち)、喜内、おもてに出づる事ありて、是れを見つけ大きに驚き、彼の火の器をとりあげ、いろいろと引きさばきける中(なか)に、藤太夫が、昨日、書きたる銀(かね)の請取(うけと)りの反故(ほうご)を見出し、喜内、心におもひけるは、

『因果といふもの、生々(しやうじやう)のみにあらず。我、彼(か)の田を彼(かれ)に買はれし時のうらみを報ぜんとて、火をたくはへし事、人こそしらね、心にありて、すゝみ行きぬ。今、また、彼(かれ)、この田を我に買はれて憤りけるも斷(ことわり)なり。我、その夜(よ)、彼(かれ)が家を燒きたらましかば、我が家、また、彼に燒かるべし。かしこくぞ、其時、惡念はひるがへしける。此隱德、今にありて、陽報(ようほう)のよろこびとは、なりけるぞ。』

と、おもひめぐらしけるに、猶、あきたらずやありけん、終に銀拾枚を包みて藤太夫が方に行き、そのかみ、我が田を賣りけるいにしへより、きのふ、彼がたくみけるありさま、つぶつぶとかたり、

「今はたがひに恨を晴(はら)し、此因果におそれて、人にも善をすゝめんにはしかじ。あなかしこ。今日よりして、我をつらしと、なおぼしそ。我も、ふた心なきしるしには、そのころ、生まれつる君が子は男子なり、手を折りてかぞふるに、ことしは十才ならんとおぼゆ。我が子は今宵、むまれて、然も女子(じよし)なり。年のほども似氣(にげ)なからじ。是れをいひなづけて、一族のよしみをむすび侍らんとて參りし。」

とかたるにぞ、藤太夫も、心ざしを感じ、前非を悔ひて、たがひに、盃、くみかはし、一門のちなみをなしけるより、たがひに富貴の身となりて、今に榮花も盡せずぞありける。

[やぶちゃん注:「因果といふもの、生々(しやうじやう)のみにあらず」「生々」(しょうじょう)は「生まれては死に、死んでまた生まれることを、永遠に繰り返すこと」の意や、副詞的に用いて「いつまでも・長い間」の意であるから、ここは――これこそ「因果の悪循環を絶て」との仏の有り難い思し召しなのだ、だから恨み恨まれるという私(喜内)や彼(藤太夫)の因果のそれは永遠に続くものでもなければ、繰り返されるものでもないのだ、そのために私と彼は手を取り合って敢然とそれを絶って生きねばならぬ!――という喜内の決意(ある意味での悟達)を謂っていると私は読む。なお、本話は、やはり、陶宗儀の随筆「輟耕録」の巻十三の「釋怨結姻」の翻案である。

 

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