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2018/04/10

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(33) 死者の支配(Ⅰ)

 

  死者の支配

 

 今や神道の倫理は、大體家族の祭祀から出た慣習に、無條件で服從するといふ教の内に、凡て包含されて居た事が、讀者に明瞭になつたであらうと思ふ。倫理は宗教と別なものでなく、宗教は政府(政事)と異なつたものではなかつた。政事といふ言葉が、『祭りの事』といふ意味をもつて居る。すべて政治の儀式は先づ祈禱と犧牲とを以て始められるので、社會の最高の位から最低の位地に至るまで、各人は傳統の法に服すべきであつた。これに從ふのは信心であり、又これに反くのは不信心であつた。そして服從の規則は、各人の屬して居る社會(組合)の意志に依つて、その各個人の上に勵行されたのである。古の道德は家、社會、竝びに高い權威に對しての、行爲の規則を精細に遵奉するにあつた。

 併し品行の規則は大抵社會に於ける經驗の結果をあらはしたものであつて、忠實にそれに服從し、而もなほ且つ惡人であるといふ事は、殆ど考へられない事であつた。それ等の規則は、目に見えざるものに對する畏敬、權威に對する尊敬、兩親に對する愛情、妻子に對する優情[やぶちゃん注:ママ。優しさ。]、近隣に對する親切、寄食者に對する親切、勞作[やぶちゃん注:仕事。]に於ける勤勉と嚴格、習慣上の節約と淸潔とを命じたのであつた。最初道德は傳統への服從に過ぎなかつたのであるが、傳統そのものが徐[やぶちゃん注:「おもむろ」。]に眞の道德と同一視されるやうになつた。それから生じた社會狀態を想像する事は、素より近代的の思想には少しく困雛な事である。吾々の間にあつては宗社上の倫理と社會上の倫理とは、餘程以前に實際別なものとなつて居た。そして社會上の倫理は、徐に信仰の弱まると共に、宗教上の倫理よりも、遙かに緊急なものとなり、また重要なものとなつた。吾々は、大抵その生涯にあつて、早晩十誡を守るだけでは不足であり、社會の慣習を破るよりも、際立てずに十誡の大部分を破る方が、遙かに危險が少い事を知るに至る。然るに舊日本に於ては、倫理と慣習との間に、――道德上の要求と社會上の義務との間に、何等の區別もゆるされては居ないのであつて、慣例は兩者を同一視し、またその孰れかの破壞を隱匿する事は不可能であつた楂祕密といふ事は存在しなかつたのであるから。のみならず不文の誡律は十箇條に限られては居なかつた。その數は幾百もあつて、その極めて僅の破壞もただに過失としてのみならず、又罪過として罰せられたのであつた。普通の人は自分の家にあつても、またその他何處にあつても、自分の欲する通るの事を行ふ事は出來なかつた。また普通以上の人に至つては、慣例の破壞を叱責するを以て、その務として居る熱心なる自分の部下の監視の下にあつたのである。世間普通の意見の力に依つて、生活のあらゆる行爲を規定し得る宗教は、教義問答(誡律)を要しないのである。

 

 道德上の慣習は一々皆強制的な慣習ならざるを得ない。併し多くの習慣は、最初はただ強制の下に苦しみながら作られたものであるが、それがたえず繰返して課せられるので、容易になり、終には自發的になり、かくて宗教上竝びに社會上の權威に依つて、幾代もの間強制された行爲は、やがては本能的になるやうに立ち至つたのである。言ふまでもなく、宗教上の強制が外部からの原因――例へば永く續いた戰爭の如きもの――に依つて妨げられた處も少くはない。事實舊日本には非常に障害もあつたのである。併しそれにも拘らず神道の力は驚くべき事を成就した――則ちいろいろの點に於て熱心なる敬嘆を値する一定の國民性を發展さし得たのである。その國民性の内に發達し來たつた倫理的感情は、吾々のとは甚だしく相違して居る、が併しそれは日本の社會的要求に丁度よく適したものであつた。この道德的國民性に對して大和魂(若しくは大和の心)といふ名稱が作り出された――則ち昔の天皇の居られた處なる古い大和の國の呼び名が、表象的に全國の名に用ひられたのである。逐字的とは言へないが、大和魂といふ言葉は『舊日本の精神』と解した方が却つて正しいかも知れない。

 十八世紀及び十九世紀の神道の大學者這が、良心のみが十分なる倫理上の指南車であつたと大膽なる斷定をなしたのも『舊日本の精神』といふ事を考へたからの事である。彼等は日本人の良心の高い性質を以て、日本人種の神聖なる起原の證據であると宜言した。本居は『人間は二柱の創造の神に依つて作られたものであるが故に、自然に自分の爲すベき事、また爲すべからざる事に就いての知識を附與されて居る。故に道德の方式を以て自分の心を煩はすのは必要のない事である。若し道德の方式が必要であつたとすれば、人間は動物にも劣るであらう――動物はみなその爲すべき事に就いての知識を附與されて居る、ただその程度が人間に劣つて居るのみである……。』 と云つた。眞淵(賀茂)は疾くに日本の道德と支那の道德との比較を埓し、支那の劣つて居る事を言つた。『昔人間の性質の率直であつた時には、道德の複雜した方式は必要ではなかつた。惡事も折には行はれるといふ事は有り得る事である。併し人問の性質の率直は、惡事の隱蔽され、從つてその擴がつて行くのを妨げたのである。それ故當時にあつては、正邪の教へを説く必要はなかつた。然るに支那の人は、その受けたる教へのあるにも拘らず、心が邪惡であるが故に、只だ外部だけを善くして居た。從つてその惡行は大きくなり、爲めに社會は亂脈になるやうになつた。日本人は率直であるが故に、教へを俟たずして行ひ得た』と眞淵は言つた。本居も恁ういふ[やぶちゃん注:「かういふ」。]考へを少し異つた風に言つて居る[やぶちゃん注:句読点なしはママ。]『日本人はその行ふ處、眞に道德にかなつて居たが故に、道德上の學理を少しも必要としなかつたのである、道德の學理に就いての支那人のやかましい考へは、彼等の實行の亂れた處から生じたものである……。學び且つ行ふべき道(倫理上の體系)のないといふ事を知るのは、則ち實は神の道を行ふべき事を知つて居た事である』と。その後平田恁う言つて居る[やぶちゃん注:句読点なしはママ。]『目に見るべからざるものを畏敬する事を知れ、さすれば惡を行ふ事を止めるに至るべし。汝の心に植ゑつけられたる良心を養へ、然らば道を離れて、さすらふ事なかるべし』と。

[やぶちゃん注:平井呈一氏は一九七六年恒文社刊の訳本「日本――一つの試論」の中で、これらの引用の原文を逐一、訳注で示しておられる。漢字を恣意的に正字化して以下に示す。まず、最初に本居宣長の「人間は二柱の創造の神に依つて作られたものであるが故に……」の「直毘靈」(なほびのみたま(なおびのみたま)」全一巻。明和八(一七七一)年成立。宣長の神道説・国体観などの骨子を説いたもの)の原典部分(以下総て、踊り字「〱」は正字化した)。

   *

「人はみな。産巢日神(ムスビノカミ)の御靈(ミタマ)によりて。生(ウマ)れつるまにまに。身に有べきかぎりの行(ワザ)は。おのづから知(シリ)てよく爲(スル)ものにしあれば。

 世中に生としいける物。鳥蟲(トリムシ)に至るまでも。おのが身のほどほどに。かならずあるべきかぎりのわざは。産巢日神(ムスビノカミ)のみたまに賴(ヨリ)て。おのづからよくしりつゝなすものなる中にも。人はすぐれたる物とうまれつれば。又すぐれたる程にかなひて。しるべき限りはしり。すべきかぎりはする物なるに。いかでか其上(ウエ)をなほ強(シフ)る事のあらん。教(ヲシエ)によらではえしらずえせぬものとならば。人は鳥蟲におとれりとやせむ。」

   *

 次に、賀茂真淵の「昔人間の性質の率直であつた時には……」の「國意考」(全一巻。文化三(一八〇六)刊。儒教・仏教などの外来思想を批判し、古代の風俗や歌道の価値を認めて日本固有の精神への復帰を説いたもの)の原典部分。

   *

「古へは只詞も少く、ことも少し。こと少く心直き時は、むづかしき教は用なきことなり。教へねども、直ければことゆく也。それが中に、人の心はさまざまなれば、わろきこと有を、わろきわざも、直き心よりすればかくれず、かくれねば、大なることにいたらず。ただ其一日の亂にてやむのみ。よりてたへとても、よき人のをしへなきにあらねど、かろく少しのことにて足ぬ。ただ唐國は、心わろき國なれば、終に大なるわるごとして、世をみだせり。此國は、もとより人の直き國にて、天地のまにまに、おこなふこと故に、をしへずして宜き也。」

   *

 次に同じ宣長の「直毘靈」の「日本人はその行ふ處……」の原典箇所。

   *

「古は道といふ事なかりし故に。故事(フルキフミ)どもに露ばかり道々(ミチミチ)しき意(ココロ)も語(コトバ)も見えず。かれ舍人親王(トネリノミコ)をはじめ奉りて世々の識者(モノシリビト)ども道の意(ココロ)をえとらへず。ただかの道々(ミチミチ)しきことのみとけるからぶみにめなれて。其説(ソノコト)のみ心の底(ソコ)にしみつきて。天地(アメツチ)のおのづからなる理(コトワリ)と思をる故に。すがるとは思はねどおのづからそれにまつはれて。彼方(カナタ)へのみ流(ナガ)れゆくめり。されば異國(アダシクニ)の聖人の道をもて羽翼(タスケ)とすべく思ふも。ただかれにまよへるからのひがこゝろえにして。其心すなはちかしこへ奪(ウバ)はれつる事をえさとらぬもの也。」

   *

 最後に、平田篤胤の「目に見るべからざるものを畏敬する事を知れ……」の「玉襷」(たまだすき:幕末に編集されたもので先行して彼の書いた、神道の祭祀関連書である「毎朝神拜詞記」の解説書)第四巻の原典箇所。

   *

「幽冥に愧(ハヂ)恐るると云ふ事を心(ココロ)得る時は。決(キハ)めて惡き事の爲(セ)られぬ道理なれば、其幽冥の原(モト)をしろし看(メ)す大社の神に誓(ウケ)ひて。其實心(マゴコロ)を琢(ミガ)く時は、大凡(オホヨ)そ道に違ふ事なし。」

   *]

 

 社會學者はこんな道德上の優越を説くのを笑ふかも知れないが(特に人類が神々の手から離れたばかりの原始時代にあつて、却つて優さつて居たといふ假定に根據を置いた意見として)その内には眞實の種子もある。眞淵、本居が上記の事を書いた時代は、國民が殆ど信じられない位微細に亙つた規律に從はせられ、またそれの應用に力を用ひた時代であつたのである。而してこの規律なるものは實際驚くべき性格をつくり出したのであつた――思ひ及ぼせない位な忍耐、否利己的の心、正直、親切、高い勇氣を伴なつた温順性等の性格を作り上げたのであつた。併し如何に發育の犧牲を、その性格が拂つたかは、ひとり進化論者が想像し得るのみである。

[やぶちゃん注:以下、一行空け。]

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