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2018/04/09

柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 餅白鳥に化する話 四 /餅白鳥に化する話~了

 

     四

 

 正月三箇日若くは松の内の間、雜煮を食はぬ家、或は餅を搗いてはならぬと云ふ一族は、思ひの外多いものである。其理由は地方每に區々で、もう不明に歸したものも多く、問題の興味あるに拘らず、未だ眞の原因を知ることが出來ぬが、其中で石見那賀郡川波村大字波子の一例は、ちやうど私の話に關係がある。

[やぶちゃん注:「石見那賀郡川波村大字波子」現在の島根県江津(ごうつ)市波子町(はしちょう)附近。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 

 石見外記の記す所に依れば、昔此村に富豪あり、其家の息子、正月に破魔弓の遊びをする折節、的が無かつたので、歳德の神に供へてあつた鏡餅を廻して射たところが、不思議なるかな其鏃に血が附いた。此神罰であつたか。其年からして餅を搗けばいつも凶變が有るので、終に正月に餅をせぬことになつた。此一族を的場黨と呼ぶさうだ云々。

[やぶちゃん注:これに類した餅忌避譚伝承、大学生の時、坪井洋文(ひろふみ 昭和四(一九二九)年~昭和六三(一九八八)年)先生の「民俗学」の講義の初日に聴いて、非常に興味深く思ったのを思い出す。

「石見外記」「いはみがいき(いわみがいき)」と読む。浜田藩儒官中川顕允(「あきまさ」と読むか)が編した石見国地誌。文政三(一八二〇)年成立。

「的場黨」これはその血を引く集団への総称名であって、凶事由来の呼称であるから、姓としての「的場氏」とは私は無縁だと思う。]

 

 此話が山城か豐後の風土記を見てから出來たものであつたら、白い鳥を略して了うわけは無い。さうするとずつと古くからこの類の口碑が、弘く諸國に保存せられて居たのである。破魔弓を射たと云ふ點も古い記錄には無いが、豐後事跡考の出來た頃には、あの土地でもさう謂つて居た。田町長者一千町の田あり、一人の姫に聟を迎へたが、正月破魔弓の遊びに興のあまり、鏡餅を投げて之を射たれば、其餅白鷺に化して飛んでしまつたとある。

[やぶちゃん注:前条の私の注のリンク先を参照。]

 

 ハマはごく近い頃までは初春の遊戲であつた。關東以北の田舍に於ては、弓で射るかはりに、樹の枝竹の竿などを以て轉がるハマをけし止める。其方法に二通りあつて、空中で拂ひ落さうとするのと、路上を轉がして橫合から抑へるものとある。東京の近くでは路の上の遊びだが、雪の深い國では空中を飛ばすので、アイヌの中に迄行はれてゐた。京都以西に於ては、小弓で射留めるのが普通であつた。古い畫などに見えて居るのは、少年が弓を張つて路の側に並び、稍高い處からハマを轉がし、はずみを以て飛び下るところを、橫合からハマの穴を射貫かうとしたものらしい。武藝の練習にはなつたが、頗る危險な遊戲で、折々は生醉の禮者の足元を射たりするので、都市に於て先づ禁ぜられ、次第に田舍でも破魔弓ばかりが飾り物として殘ることになつた。しかも其一つ前に遡れば、決して少年はかりの遊びでなかつたことが、全國各地の村境、或は神社に因[やぶちゃん注:「ちなみ」。]ある土地の名に、濱射場と云ふものが至つて多いことから推測せられる。ちやうど諸國の神社の春の祭に、步射(ぶしや)と云ひ又は百手(もゝて)などゝ名づけて、的射[やぶちゃん注:「まとい」。]の勝負を爭つたと同じく、一年の緣喜[やぶちゃん注:「えんぎ」。]を祝ひ、諸願の成就を卜する爲に、成長したる氏子も精進して、晴の藝を試みる習ひであり、或は此役を勤める爲に、特定の家筋なども有つたかと思はれる。

[やぶちゃん注:「ハマ」破魔弓。濱弓。本来は新年、作物の豊凶を占う行事として、実際に正月に弓の技量を競う「射礼(じゃらい)」という競技的祭事を行っていた。この時に使われる藁を編んで作った的を「ハマ」と呼び、この「ハマ」を射る弓矢を「ハマゆみ(弓)」「ハマや(矢)」と呼んでいたのである。

「生醉の禮者」「なまゑひのれいしや(なまよいのれいしゃ)」。祝い酒に酔って歩いている正月の祝い客。

「步射(ぶしや)」本来は騎射(うまゆみ)に対する歩射(かちゆみ)、すなわち歩立(かちだ)ちで弓を射ることの総称であるが、一方で、かなり古くから、神前で大的を射る「奉射(ぶしゃ)」と通音でもあることから、混用されている。天智天皇九(六七〇)年に始まるとされる朝廷の「射礼(じゃらい)」や「弓場始(ゆばはじ)め」などにも含まれており、「歩射」の用語も、早く、「令義解(りょうのぎげ)」に見える。また、的によって大的・小的・草鹿(くさじし)・円物など、多くの種類があった。後者は主に正月に行われた神事で、その年の年占(としうら)や年初の魔除(まよ)けとしての意味合いをも持っていた(以上は小学館の「日本大百科全書」に拠った)。

「百手(もゝて)」弓術で二百本の矢を百回に分けて射ること。甲乙二本の矢を「一手」と数える。数が規定されているところからみても本来は宗教的祭祀(卜占)の一種であったと考えて良かろう。]

 

 ハマは或は釻の字を書いて、金屬の輪をまはしたものもある。關東では車戸の車の如く、樫の木で作つた徑五六寸の圓盤を用ひ、これをハンマまたはハマコロなどゝ呼んで居る。其他に東北では簡單に柳の枝などをわがね、或は大和の山村や備後では、繩を圓座の樣に卷いて釜敷の如き物を作り用ゐ、又は藤蔓を圓く卷いてハマとした例もある。土佐の高知などでは圓盤で無く、小提燈の形にして紙を張り、武家の靑年が之を飛ばして射藝を習つたと云ふ話もある。肥後の五箇山でも[やぶちゃん注:ちくま文庫版全集ではここに『樹枝をもって』と入る。]球形のものを作つて高く抛り上げ、鑓を以て突留める遊戲があつて、猿を捕る練習だと謂ひ、又これに似た風習が高砂族のあいだにもあつて、非常に興味の多い競技としてある。稻荷の秦氏の餅を的としたのも、今風に射垜(あづち)に置き又は樹の枝に吊るしたのでは無く、斯うして高く投げて居るうちに、ふいと鳥になつて飛んでしまつたから驚いたのであるらしい。石見の餅を搗かぬ一族が、的場黨と呼ばれて居ることは、又次のやうな想像をも可能にする。彼等の祖先は寧ろ餅をハマとして、弓占[やぶちゃん注:「ゆみうら」。]をする職業であつた。それが何かの異變があつてから、此式を中止して其話だけが殘つた。さうして他の多くの餅を搗かぬ家々と同じく、此家に於ては餅は神聖の物なる故に、最初から忌んで居たのであらう。山城豐後二國の類例も、事によると白い鳥の奇瑞に由つて、餅を射る舊い儀式を中止したゞけではなかつたか。それを奢りの沙汰なる故に神の罰を受けたと云ふ説明は、的射の行事の至つて神祕なものであることを忘れてしまつた外國風の考へ方のやうにも感ぜられる。

      (大正十四年一月、東京朝日新聞)

[やぶちゃん注:「肥後の五箇山」旧肥後國の五家庄(ごかのしょう)(五箇荘)。現在の熊本県八代(やつしろ)郡泉熊本県泉町。附近(グーグル・マップ・データ)。平家の落人伝説で知られる。

「高砂族」(たかさごぞく)は台湾に住む高山(こうざん)族に対する日本統治時代の呼称。高山族は台湾先住民族の総称で、古代にインドネシア方面から渡来したとされ、九つの部族に分かれる。

「射垜(あづち)」弓場で的を置き懸けるために土を山形に高く盛ったもの。的山。南山。 単に「垜」或いは「堋」「安土」とも書く。

「大正十四年」一九二五年。]

 

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