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2018/04/08

栗本丹洲自筆「翻車考」藪野直史電子化注(10) 考証第二部 / 栗本丹洲自筆「翻車考」電子化注~完遂

 

□後半考証本文(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の11コマ目の左頁から。右頁は罫などなしの白紙頁。なお、本考証文には後から線で抹消した箇所や、それに飽き足らず、上から和紙を貼り付けて覆い隠した部分が有意に存在する。但し、和紙が薄いために概ね、判読可能な箇所も多い。それは抹消線を附して可能な限り、再現してみた。当初は丹洲が削ったのであるから、再現する必要はないとも思ったが、本文の成立過程を知るためにも、それを行うこととした(それは同時にこの電子化のオリジナル性を高めることにもなる。但し、旧本文に和紙を当ててその上に修正文を記した箇所は、読めぬこともないが、煩雑で確定も困難であることから、一部を除き、行っていない。これは今までの部分でもそうだったからである)。■は判読不能字、【 】は二行割注、〔 〕は脱字・追加を横に補ってあるものである)

■翻刻1

《後半本文一頁目》(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の11コマ目の左頁)

丹洲再按庶物類纂増補牛魚一名江豚【寧波府志】一名大白【同上】一名白袋

【黄巖縣志】一名白距【同上】俗名烏吉々【陸奥方言】一名烏吉々然覓(ウキヽザメ)【同仙】一名馬毋法

烏(マンボウ)[やぶちゃん注:四字へのルビ。]【紀伊方言】大明一統志云牛魚混同江出之大者長〔一丈〕五尺重三百斤無鱗

骨脂肉相間食之味長【華東風土志同】述異記云東海有牛魚其形如牛海人

[やぶちゃん注:上の一行の頭書に、

 昉、述異記

とある。削除された部分に同書の記載がある。但し、現存する南朝梁の任昉(にんぼう)撰とされる小説集(但し、偽書説もある)「述異記」には削除された内容は見当たらないようである。]

捕剥其皮懸之潮水至則尾起潮水落■尾伏咸賓録云牛魚形如牛

長丈餘重三百斤無鱗骨脂肉相間味佳海人剥其皮懸之其尾

隨潮以爲起伏◦楊州府志云魚頭与身相半其長丈餘鼻正白身

正黒口在頷下状如鬲有鬐而無鱗出於江中其性喜音聞楽作則出

頭于水上聽之所謂瓠巴皷瑟游魚出聽非槩指凡魚也是亦牛魚之

類也寧波府志云江豚形似猪一名大白其身多脂以照紡績則昏照

賭博則明舊傳嬾婦所化黄巖縣志云白袋一名白距形如牛自海

《後半本文二頁目》(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の12コマ目見開きの右頁)

入則兆水潦予[やぶちゃん注:ここは本文は「丹洲」で、二字の右横に「予」と記し、「丹洲」の左横に「ヽヽ」が記されてある。これは高い確率で「見せ消ち」であるから、かくした。国立国会図書館デジタルコレクションの別の写本と思われる「翻車考」でも「予」となっているから間違いない。]若水翁[やぶちゃん注:「藍水翁」の誤記。訓読では訂する。]既以馬毋法烏充牛魚然述異記及咸賓録所

載牛魚不詳強為馬毋法烏非也楊州府志魚◦〔黄巖縣志之白袋〕亦未詳別是一種同名異物也

寧波府志大白黄巖縣志白袋俱是江豚一名卽海豚〔和名伊留加〕之類而本邦不産

之物未詳然混牛魚為一非也正字通魚出樂浪蕃國一曰出江東有両

乳葉子奇曰奔一名※非魚非鮫色如鮎有両乳在腹下雌雄陰陽類人殺一頭

[やぶちゃん注:「※」=「𦌥」-「刂」+「炎」。]

得膏三四斛卽江也嘗聞萬寳漁夫取肉而棄其骸則経月其肉復生如舊

故先輩以本草五十一巻所出封集解視肉充之時珍山海經敦隅之山及開明海外

並有視肉郭璞註云聚肉形如牛肝有両目食之無盡尋復生如舊也此封類可食者但

人不知耳按是形状不詳曲不知〔為〕何物〔然〕況於山産乎蓋無𥡞之言不足論駁今茲

[やぶちゃん注:「駁」は原典では「上に「又」+下に「馬」であるが表記出来ないので、「駁」と同字と判じて当てた。]

疏出而正其誤也松井康重曰奥州江名濵有魚呼浮木土人取其膓胃乾脯之煎

用治久痢有効取膓胃外皆不中用〔只〕充五穀糞培耳後藤光寧曰浮木魚

《後半本文三頁目》(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の12コマ目見開きの左頁)

奥常海濵獲之状似海鷂(ヱイ)[やぶちゃん注:左ルビ。]魚好睡于海上【■後藤有名ノ人ニテモナシ■人ノ説ト乄可ナラン】人以銕把捕之曽無動

[やぶちゃん注:「■後藤有名ノ人ニテモナシ■人ノ説ト乄可ナラン」の箇所は和紙を張った上に上部に訂したものであるが、訂した上の部分の和紙の切除を丹洲が誤り、頭の字が切れて見えなくなっている国立国会図書館デジタルコレクションの今一つの「翻車考」(誰かの写本と推定)にはこの割注がないから、相当、後々になってから訂されたことが判り、そちらでは元が(太字下線は私が目立たせるために配した)、

 奥常海濵獲之状似海鷂魚好睡于海上性愚不知死漁人以銕[やぶちゃん注:以下同じ。]

であったことが判る。しかし、実はこの前後は、その間に、少なくとも、一度は先行して、大々的に訂された痕跡がある。判別出来る範囲で底本の文字の下を透かして見ると(本文の「■」と区別するために、以下の判読不能字を「×」で示した)

 奥常海濵[×1]状似海鷂小物五六尺大者一二丈[×2]性愚不知死漁人以銕[やぶちゃん注:以下同じ。]

恐らくは一番最初の文字列であったことが、さらに判ってくるのである。なお、「獲」は不明の字「×1」の横に「獲」と訂したが、気に入らず、和紙を張ってさらに訂していることも拡大精査で判った。なお、本文の二つ目の「■」は、少し残っている下部の幽かな痕跡と文脈から考えて「或」ではないかと推理している。訓読ではそれを採用した。

踊如浮木在水上故名古今類𧚿常陸國志曰。査魚大者丈許小者五六尺扁

形無鱗遍躰有沙如鮫皮三四月出或曰大穰海志載鮔𩸑是也【按大穰誤字乎鮔𩸑俱不詳

右抄写于或人漫錄[やぶちゃん注:ここは本文は「拔萃」で、その二字の右横に「漫錄」と記し、「拔萃」の左横に「ヽヽ」が打たれてある。これはやはり「見せ消ち」であるから、かくした。国立国会図書館デジタルコレクションの別の写本と思われる「翻車考」でも「漫錄」となっているから間違いない。]中而姑録備考證云○西洋勇私東漸(ヨンストンス)魚譜中載此物〔之図説〕

磐水翁翻譯所示図附載于左

 

[やぶちゃん注:この前の一行空きはママ。]

貝原大和本艸曰萬寳在常奥海中其形方而圓自有大小其肉潔白味美又

曰有魚名浮木者常奥州産之其状似海鷂魚而大方一二丈漁人以刀截取肉与膓

味佳他州無之嘗聞北海有呼雪魚者方一丈餘其形如鰈魚其肉潔白如

雪故名無脂味美好睡于海上漁舟近之不動是亦浮木之類乎或曰如キハ上説

〔以〕萬寳与〔雪魚〕浮木為別物可謂非帰一之[やぶちゃん注:底本本文は「蒙」と書いてある右に「非帰一之」と記し、「蒙」の左に「ヽ」を打つ。「見せ消ち」と採り、かく、した。]説蓋彼翁長于西筑不知東海之魚故有斯誤也

《後半本文四頁目》(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の13コマ目見開きの右頁)

雖以博物所称未臻精到之地不可以此一事誹謗焉或曰此物毎食水母不食

他物故其性味温平無毒宜充菜餌之用口眼較其形大則甚小然丈餘

者眼徑四五寸漁人穿取胞膜其色潔白玲瓏如雲母制倣者緑紗而与

小兒〔乃〕盛蛍火顕好事者為珍玩又嘗聞萬寳魚口邉有印魚粘着為妨碍則

萬寳不得喫物困憊終浮于海上漁人見之悦捕之是為一個小印魚而生獲

[やぶちゃん注:上の行は修正されているのだが、元の頭の「萬寳」が左「ヽ」で「見せ消ち」になった上に和紙を貼り、そこに「不」を書いてあるのだが、そのために「不不得喫物」という訓読不能の文字列になっている。しかしよく見ると、下の「不」はやはり、左「ヽ」で「見せ消ち」になっていることが判る。則ち、丹洲は「萬寳不」を訂正するために当初は左に「見せ消ち」の「ヽ」を三箇所に打ったものの、気に入らず、和紙を貼って「萬寳」を隠した。恐らくは「不」まで隠してしまったと勘違いし、「不」をその上に書き入れてしまったのであろうと私は推理し、かく、表記した。]

此魚而大利産業故◦〔彼〕得小印魚漁人為得大魚之吉兆擡棒神棚而挙家祈

念之不日果大魚漂着故印魚〔俗〕呼告神(ツケノカミ)甚四郎印魚◦〔卽〕正字通無鱗額上四方如印有文章諸大魚應死者印魚先封之、印魚和名小判鯊又亞耶葛石(アヤカシ)此又

鯊之属以頭粘物卽雖死不開予別有印魚考説故不贅于茲[やぶちゃん注:ここは下を少し残して明らかに改行している。次の次の一行空けも原典のママ。]

西洋勇私東斯魚譜中出此物之図説大槻磐水翁翻譯所示因附載于左

 

《後半本文五頁目》(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の13コマ目見開きの左頁。これはキャプションも含め、別な「さら」の薄い和紙に描いたものを罫線の入った左頁に貼り附けたものである。図が載るので、このページのみ、画像をトリミングして以下に出す。なお、「1」の下方、「2」の前方、透かした罫線の一行目と二行目の間に四角な付箋に書かれた『尾短■』『下有』と二行に記されたものが斜めに貼り附いている。恐らくこれは、字体から見て、本書のものではない、他書の貼り込みが脱落し、たまたまここに粘着してしまったものと私は判断する)

 

Yousyomorazu

 

[やぶちゃん注:上の「1」と番号を振るマンボウに学名、

 Mola Peregrina

下の「2」とするマンボウに、

 Mola Zitterfisch

種小名の頭文字が大文字なのはママ。

 以下は左上部のキャプション。]

 

勇私東斯魚譜

 一 モラ ペレギリナ

 二 モラ シツテルビス。

《後半本文六頁目》(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の14コマ見開きの右頁)

勇私東斯魚譜(ヨンストンス) 兮蒲盧(ヒブネル)【コンスト ウォーデンブツク第五百十七号】木拉(モラ)メールス ウインロ【可考】又異形(ウォンデル)不具(レーケドン)

諸魚(ゲスタルテヒツセン)ト稱スル物ノ一種ナリ其物或ハ一トン【按トン桶ナリ一トンハ二百貫目ノ重サナリ】アリテ甚重ク満

多シ【按ニ沙子文ヲ云フナルベシ】一箇ウォンデルレーキ、ケワス【異形生産ノ義考究スベシ】ノ形ナスモノハコレヲ

モラ名ク其一體頭首(カシラ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]ノミノ如ニ乄全身殆ント圓キガ如シ肌表ハ粗糙ノ皮ヲ被ムリ背灰

白色腹ノ部ハ白シ眼ト吭トハ小ナリ其肉ハ白ク其中ニ脉絡ト神経引蔓スルヿ夥ク尤

脂肪極テ多シ〔此〕物性癡鈍ナルガ如クシケツペル【舩中ニテ水ヲ汲ム杓子ヲ云】コレニテ扚[やぶちゃん注:恐らく「掬」の誤記である。訓読ではそれで示す。]捕ルベシ世説

其怒號ノ声家猪ノ如シト云全躰無鱗又或ハコレヲ留納(リヱナ)ト名ク其形圓満月

ノ水上出タルカ如キニ因テナリ其脂緩和疏解ノ性効アリ

斯葛篤誥覓兒(シカツトカーメル) 囀乙都(ウォイツ)【第四百九十号】 木拉必私斜斯(モラビスセス) 又 オルタラ ゴリスキス

[やぶちゃん注:原典では、この、

 私斜斯

にスラーのような記号を左に附し、そこに、

 魚

と記してある。]

和蘭 コロムプヒス【鑛塊魚ノ義ナリ】無鱗異形不具ノ魚ニ乄一塊結躰ヲナスモノナリ其頭

ノ分解人コレヲ見テ審辨シガタシトス噴潮両孔アリ但隱匿卒カニ見ルヘカラズ其体ノ両側

《後半本文六頁目》(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の14コマ目見開きの右頁。本文の最終頁である)

游泳ナスノ二鬣アリ游走スベキノ(ヲ)ハナシケレヱン【人名】ハ此物コロツプヒツセン【可考】ノ中

セシム又ゼーハルケン【海豬ノ義】ノ一種トスル者アリ 又コレヲ リユナ 名ツクル者アリコレハ其形

圓カニシテ月似タルカ如ク思ハルヽ因リテナリ肌膚粗糙ニ乄背上灰白腹ハ白シ嘴ト両眼

最小ニ乄肉ハ白シ多神經ニ乄脂肪モ多シ世云此物ヲ捕獲レハ其時ノ號叫恰モ家豬

ノ如シト云ヘリ

 

[やぶちゃん注:これで「翻車考」は終わっているのであるが、原典の裏表紙の内側に、冒頭で識語を書いている旧所蔵者伊藤篤太郎の別な識語が大きな付箋で附いている(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の17コマ目)。これもここで電子化して終りとしたい。以下であるが、一行字数は同じにしたが、大きさや字配は必ずしも再現していない。「h」の抹消は原典では縦二重線で抹消されている。「■■」は二重線で抹消された字であるが、判読出来なかった。〔 〕は吹き出しでそこを訂正した部分を指す。その下の「ナルカ」の箇所も、元は「ナレ」と書いたものを、「レ」にずれた形で「ル」と訂したものと思われる形跡がある。]

 

瑞仙院 栗本丹洲先生自筆原稿

㈡ 翻車考      壱冊

まんぼう一名うきき古來之ヲ楂魚ニ充テ

タルモ丹洲先生和漢洋ノ諸書引證シテ之ヲ

飜車[魚]充ツルノ新考ニシテ自ラ丹靑

施シテ證明セシモノナリ「勇私東斯魚譜」(Johannes

Johnstonus : Historia naturalis)ヨリ大槻玄澤ノ引用

セルまんぼうノ学名(ラテン名)Mola peregrina  Mola zitter =

=fisch ノ筆跡ノ如キハ先生ノ造詣ノ■■〔如何ニ深遠〕ナルカヲ知ルノ一助トスベシ

            伊藤 篤太郎 

 

■翻刻2

《後半本文一頁目。国立国会図書館デジタルコレクションの画像の11コマ目の左頁》

 丹洲、再び按ずるに、「庶物類纂増補」に、「牛魚」、一名「江豚」【「寧波府志」。】。一名「大白」。一名、「白袋」、俗に名づけて「烏吉々(うきき)」【陸奥方言。】。一名、「烏吉々然覓(ウキキザメ)」【同じく仙臺。】。一名「馬---烏(マンボウ)」【紀伊方言。】。

 「大明一統志」に云はく、『牛魚、江に出ずる大なる者を混同す。長さ一丈五尺、重さ三百斤。無鱗。骨・脂・肉、相ひ間(あひだ)す。之れを食すに、味、長(よ)し』と【「華東風土志」に同じ。】[やぶちゃん注:ここの頭書に、『昉、述異記』とあるが、削除された部分に対するものの消し忘れとも、後で掲げるように、同書にも同じ記載があるということをプレに示すために削除後に記したともとれる。]。

 「咸賓録(かんひんろく)」に云はく、『牛魚、形、牛のごとし。長さ丈餘。重さ三百斤、無鱗。骨・脂・肉、相ひ間す。味、佳(よ)し。海人、其の皮を剥ぎ、之れを、其の尾に懸けて、潮に隨ひて、以つて、起伏を爲(な)す』と。

 「楊州府志」に云はく、『魚、頭と身と、相ひ半ばす。其の長さ、丈餘。鼻、正白。身、正黒。口は頷(あご)の下に在り。状(かたち)、鬲(れき)[やぶちゃん注:古代中国で、祭器或いは日常の器として広く使用された袋状の脚を有する三足器。主に甑(そう)と組合せて穀類を蒸すのに用いられた。石器時代以降、戦国時代まで、生活用具として使用された陶製のものが主であるが、殷・周代には青銅製のものもある。ここは広義の鼎(かなえ)をイメージすればよい。]のごとし。鬐(ひれ)有るも、無鱗。江中に出づ。其の性(しやう)、音に喜び、楽を聞かんと作(な)して、則ち、頭を水上に出だす。之れを聽く。謂ふ所の「瓠巴(こは)、瑟(しつ)を皷(ひ)けば、游魚、出でて聽く」たり。槩(すで)に指(さししめ)せる凡魚に非ざるなり』と。是れも亦、牛魚の類なり。

 「寧波府志」云はく、『江豚、形、猪に似る。一名「大白」。其の身、脂(あぶら)多く、以つて紡績せるを照らせども、則ち、昏(くら)く、賭博を照らして、則ち、明(めい)たり。舊傳に嬾婦(らんぷ)[やぶちゃん注:怠け者の婦人。不精な女性。]の所化(しよけ)[やぶちゃん注:化け物に変化(へんげ)すること。]せると』と。

 「黄巖縣志」に云はく、『「白袋」。一名「白距」。形、牛のごとし。海より《ここから、後半本文二頁目。国立国会図書館デジタルコレクションの画像の12コマ目見開きの右頁》入りて、則ち、水潦(すいらう)[やぶちゃん注:溜まり水。にわたずみ。]に兆(うらな)ふ』と云々。

 予、藍水翁、既に「馬毋法烏(マンボウ)」を以つて「牛魚」に充(あ)つ。然れども、「述異記」及び「咸賓録」所載の「牛魚」は詳らかならず。強いて「馬毋法烏」と為すは、非なり。「楊州府志」の「魚」も亦、未だ詳らかならず。別して、是の一種、同名異物なり。「寧波府志」の「大白」、「黄巖縣志」の「白袋」、俱(とも)に、是れ、「江豚」、一名、卽ち、「海豚」、和名「伊留加(イルカ)」の類にして、本邦には産せず、之(こ)の物、未だ詳らかならず。然るに、「牛魚」を混じて一(いつ)と為すは非なり。

 「正字通」に『「魚」、樂浪蕃國に出づ。一つに曰はく、江東に出で、両の乳有りと』と。

 葉子奇、曰はく、『「奔」、一名「※」。魚に非ず、鮫に非ず。色、鮎(なまづ)のごとし。両の乳、有り。腹の下、雌雄の陰陽の類ひ、在り。人、一頭を殺さば、膏(あぶら)、三、四斛(こく)を得(う)。卽ち、「江」なり』と[やぶちゃん注:「※」=「𦌥」-「刂」+「炎」。]。

 嘗つて聞く、「萬寳」、漁夫、肉を取りて其の骸(むくろ)を棄(す)つるに、則ち、月を経(へ)ば、其の肉、復(ま)た生じて、舊(きう)のごとし、と。

 故に先輩、「本草」五十一巻所出の「封」の「集解」の「視肉」を以つて、之れに充つ。時珍、『「山海經」の「敦隅(たいぐ)の山」及び「開明海(かいめいかい)」の外には、並びに「視肉」有り。郭璞註に云はく、肉を聚(あつ)めて、形、牛の肝ごとく、両の目、有り。之れ、食へども盡くること無し。尋づぬれば、復た生じて、舊のごとくなり。此れ、「封」の類なり。食ふべき者なり。但し、人、知らざるのみ』と。按ずるに、是れ、形状、詳らかならず。曲(まがまが)しくして、何物為(た)るかを知らず、然(しか)も況んや、山に於いて産するか。蓋し、無𥡞(むけい)の言(げん)にして、論駁(ろんばく)するに足らず。今、茲(ここ)に疏出(そしゆつ)して其の誤りを正すものなり。

 松井康重、曰はく、「奥州、江名濵、魚、有り。「浮木(うきき)」と呼ぶ。土人、其の膓(はらわた)・胃を取りて、之れを乾-脯(ほじし)とし、煎じて用ひ、久しき痢を治するに、効、有り。膓・胃を取りて、外は皆、用ひるには中(あ)てず、只だ、五穀の糞培(こやし)に充るつのみ。

 後藤光寧、曰はく、「浮--魚(うきき)」《ここから後半本文三頁目。国立国会図書館デジタルコレクションの画像の12コマ目見開きの左頁》、奥・常の海濵、之れを獲る。状(かたち)、海--魚(エイ)に似る。好みて海上にて睡る【■後藤は有名の人にてもなし。或る人の説として可ならん。】。人、銕(てつ)を把(にぎ)りて、以つて之れを捕る。曽(か)つて動き踊ること、無し。浮き木のごとく水上に在るのみ。故に名づく。

 「古今類𧚿常陸國志」に曰はく、『査魚。大なる者、丈許り。小さき者、五、六尺。扁(ひらた)き形にして、無鱗。遍躰(へんたい)、沙(すな)有りて、鮫皮のごとし。三、四月、出づ、と。或いは曰はく、大穰の、海志」に載する「鮔𩸑」、是れなり【按ずるに、「大穰」は誤字か。「鮔𩸑」と俱(とも)に詳らかならず。

 右は、或る人の漫錄の中より抄写す。而して姑(しばら)く、「録備考證」に云はく、『西洋の勇私東漸(ヨンストンス)が「魚譜」の中に、此物の図説を載(の)す』と。

 

 貝原が「大和本艸」に曰はく、『萬寳。常・奥の海中に在り。其の形、方にして圓(まろ)く、自づから大小有り。其の肉、潔白。味、美(よ)し。又、曰はく、魚名に「浮木(うきき)」なる者、有り。常・奥州、之れを産す。其の状(かたち)、海--魚(エイ)に似て大なり。方(はう)一、二丈。漁人、刀を以つて。肉と膓とを截(き)り取る。味、佳(よ)し。他州に之れ無し。嘗つて聞く、北海に「雪魚」と呼ぶ者、有り。方一丈餘、其の形、鰈-魚(かれひ)のごとし。其の肉、潔白にして雪のごとし。故に名づく。脂(あぶら)、無し。味、美(よ)し。好みて海上に睡り、漁舟、之に近づくも、動かず。是れ亦、「浮木(うきき)」の類か』と。

 或いは曰はく、上の説のごときは、以つて「萬寳」と「雪魚」と「浮木」と別物と為(な)す。帰一の説に非ずと謂ふべし。

 蓋し、彼の翁、西筑に長く東海の魚を知らず。故に斯(か)く誤り有るなり。《ここから後半本文四頁目。国立国会図書館デジタルコレクションの画像の13コマ目見開きの右頁》博物、所称を以つてすと雖も、未だ精到の地には臻(いた)らず。此の一事を以つて誹謗すべからず。或いは曰はく、此の物、毎(つね)に水母(くらげ)を食ひ、他の物を食はず、故に其の性(しやう)・味(あぢ)、温(おん)にして平(へい)。無毒。菜餌(さいじ)の用に充つるに宜(よろ)し。口・眼(まなこ)、其の形の大なるに較べ、則ち、甚だ小なり。然(しか)も、丈餘の者にても、眼(まなこ)の徑(わた)り、四、五寸。漁人、胞膜(はうまく)を穿(うが)ち取る。其の色、潔白にして玲瓏(れいろう)[やぶちゃん注:透き通るように美しいさま。]、雲母(きらら)のごとし。制して倣(なら)ふ者は、「緑紗(めんりよくしや)」として小兒に与(あた)ふ。乃(すなは)ち、蛍火の盛んなるに、顕(あらは)す。好事の者、珍玩と為(な)す。

 又、嘗つて聞くに、「萬寳魚」は口の邉(あた)りに印魚(いんぎよ)有りて粘着し、妨碍を為(な)し、則ち、喫(く)ひ物を得られず、困憊(こんぱい)して、終(つひ)に海上に浮く。漁人、之れを見て悦び、之れを捕ふ。是れ、一個の小さき印魚が為(ため)に、此の魚を生け獲(ど)りて、大いに産業に利する。故に彼(か)の小印魚を得ば、漁人、大魚の吉兆を得(え)しと為(な)し、神棚に擡-捧(ささ)げて、家を挙げて、之れを祈念す。不日(ふじつ)にして、果して、大魚、漂着する故、「印魚」、俗、「告神(ツゲノカミ)甚四郎」と呼ぶ。「印魚」は、卽ち、「」。「正字通」に『。無鱗。額の上の四方、印のごとき文章(もんしやう)有り。諸(もろもろ)の大魚、應(まさ)に死せんとべき者、印魚、先づ、之れを封(ふう)ず』と。「印魚」、和名は「小判鯊(コバンザメ)」、又、「亞耶葛石(アヤカシ)」。此れ又、鯊(さめ)の属なり。頭(かしら)を以つて物に粘(ねばつ)き、卽ち、死すと雖も、開(ひら)かず。予、別に印魚の考説、有る故、茲(ここ)には贅(ぜい)せず。

 西洋の勇私東斯(ヨンストンス)が「魚譜」の中に、此の物の図説を出だす。大槻磐水翁が翻譯し、示す所、因つて左に附載す。

 

《後半本文五頁目。国立国会図書館デジタルコレクションの画像の13コマ目見開きの左頁。以下は図キャプション》

 

 Mola Peregrina 1

 

 Mola Zitterfisch 2

 

勇私東斯(ヨンストンス)「魚譜」

 一 モラ ペレギリナ

 二 モラ シツテルビス

 

《後半本文六頁目》(国立国会図書館デジタルコレクションの画像の14コマ目見開きの右頁)

 勇私東斯(ヨンストンス)「魚譜」。

 兮蒲盧(ヒブネル)【「コンスト・ウォーデンブツク」第五百十七号。】。

 「木拉(モラ)」は「メールス・ウインロ」【考ふべし。】。

 又、「異形不具諸魚(ウォンデル・レーケドン・ゲスタルテヒツセン)」と稱する物の一種なり。其の物、或いは一トン【按ずるに、「トン」は「桶」なり。「一トン」は「二百貫目」の重さなり。】ありて、甚だ重く、満身、(ばいるい)多し【按ずるに、沙子文(さしもん)を云ふなるべし。】。

 一箇、「ウォンデルレーキ・ケワス」【異形生産の義。考究すべし】の形をなすものは、これを「モラ」と名づく。其の一體、頭-首(かしら)のみのごとくにして、全身、殆んど圓(まろ)きがごとし。肌の表は粗糙(そざう)の皮を被(か)むり、背、灰白色。腹の部は白し。眼と吭(のど)[やぶちゃん注:「吻」で口の意の誤りと思う。]とは小なり。其肉は白く、其の中に脉絡と神経、引き蔓(つる)みすること夥し。尤も脂肪、極めて多し。此の物、性(しやう)、癡鈍(ちどん)なるがごとく、「シケツペル」【舩中にて水を汲む杓子を云ふ。】、これにて掬(すく)ひ捕るべし。

 世説に、其の怒號の声、家-猪(ぶた)のごとし、と云ふ。

 全躰、無鱗。又、或いは、これを「留納(リヱナ)」と名づく。其の形、圓く、満月に水上に浮かみ出でたりがごときに因りてなり。其の脂、緩和・疏解の性効(せいかう)あり。

 「斯葛篤誥覓兒(シカツトカーメル)」。

 「囀乙都(ウォイツ)」【第四百九十号。】。

 「木拉必私斜斯(モラビスセス)」[やぶちゃん注:原典では、この『私斜斯』(音「スセス」の相当部分)にスラーのような記号を左に附し、そこに、『魚』と記してある。]

 又、「オルタラ・ゴリスキス」。

 和蘭(オランダ)、「コロムプヒス」【「鑛塊魚」の義なり。】。無鱗・異形不具の魚にして一塊結躰(いつかいけつたい)をなすものなり。其の頭と體との分解、人、これを見て、審辨(しんべん)しがたしとす。潮を噴く両(ふた)つの孔あり。但し、隱匿して卒(には)かには見るべからず。其の体の両側に《ここから、後半本文六頁目。国立国会図書館デジタルコレクションの画像の14コマ目見開きの右頁。本文の最終頁》游泳をなすの二鬣(ふたひれ)あり。游走すべきの(を)は、なし。

 ケレヱン【人名。】は此の物を「コロツプヒツセン」【考ふべし。】の中に属せしむ。

 又、「ゼーハルケン」【海豬(イルカ)の義。】の一種とする者あり。

 又、これを「リユナ」と名づくる者あり。これは其の形、圓(まど)かにして、月に似たるがごとくに思はるるに因りてなり。肌膚(きひ)、粗糙(そざう)にして、背の上、灰白。腹は白し。嘴(くちばし)と両眼は最小にして、肉は白し。多神經にして、脂肪も多し。世に云ふ、此の物を捕獲すれば、其の時の號叫(がうきやう)、恰(あたか)も家-豬(ぶた)のごとしと云へり。

 

 

□裏表紙内側付箋(伊藤篤太郎の跋文的識語。国立国会図書館デジタルコレクションの画像の17コマ目

瑞仙院 栗本丹洲先生自筆原稿

㈡「翻車考」     壱冊

「まんぼう」、一名「うきき」は、古來、之れを「楂魚」に充てたるも、丹洲先生は、和漢洋の諸書を引證(いんしやう)して之れを「飜車[魚]」に充つるの新考にして、自(みづか)ら、丹靑を施(ほどこ)して證明せしものなり。「勇私東斯魚譜」(Johannes Johnstonus : Historia naturalis)より、大槻玄澤の引用せる「まんぼう」の学名(ラテン名)Mola peregrina蓋し、 Mola zitterfisch の筆跡の如きは先生の造詣の如何に深遠なるかを知るの一助とすべし。

            伊藤 篤太郎 

 

[やぶちゃん注:「翻車考」の考証の第二部で、以上を以って「翻車考」は終わっている。最後には西洋の博物書まで繰り出されてきて、丹洲のマンボウへの偏愛が当時の他の学者の追従を許さぬ、甚だ強烈な熱情的な探究心に拠るものであったことが判る。「千蟲譜」(自筆本は失われた)のマニアックな虫愛を見ても、彼の博物学的愛情は生半可なものではない。

「庶物類纂増補」既注の通り、江戸中期の本草学者で加賀金沢藩儒医であった稲生若水及びその弟子丹羽正伯らが編纂した博物書(漢文表記)。二十六属千五十四巻。その「増補」は延享二(一七四五)年に徳川吉宗から丹羽正伯らが命ぜられて、延享四(一七四七)年に完成したもの。

「牛魚」私などは、この熟語を見た瞬間、直ちに、マンボウではなく、哺乳綱カイギュウ目ジュゴン科ジュゴン属ジュゴン(儒艮)Dugong dugon を想起する。事実、後の記載にそれと断じ得るもの(両乳を有するという部分)が出現する。

「江豚」これも私は、マンボウではなく、ズバリ、現代中国語でもそれを指すところの、哺乳綱鯨偶蹄目ハクジラ亜目マイルカ上科ネズミイルカ科スナメリ属スナメリ Neophocaena phocaenoides しか頭に浮かばぬ。因みにこれは「河豚」と同義ではない。「長江の豚」、長江に棲息する豚(スナメリ(砂滑)は主に海水域に棲息するが、淡水の長江(揚子江)に棲息するスナメリの個体群が実際にいる)の意味である。因みに、純淡水産のフグ類は実際に世界的に実在するが、中国にはいない。しかし、東シナ海と南シナ海に分布する海産のフグ目フグ科トラフグ属メフグ(目河豚)Takifugu obscurus は、それらの海に注ぐ河川にも遡上し、淡水・汽水域にも棲息し得る能力を有し、中国では古くから、河川を遡上する本種を漁獲し、賞味してきている。現在の漢名の「河豚」は本種に由来する名前とも言われている。メフグは体の背面と腹面に小棘(しょうきょく)があり、体の背側は暗緑色、背部を横切る数本の淡色帯を有する。胸鰭後方の体側と、背鰭基部には黒い紋がある。臀鰭は黄色を呈する。体長四十センチメートルにも達する。トラフグ属なだけに、卵巣は猛毒で、肝臓・皮膚・腸は強毒、肉と精巣は無毒である(メフグの部分の記載は小学館の「日本大百科全書」に拠った)。

「寧波府志」明の張時徹らの撰になる浙江省寧波府(現在の寧波市。ここ(グーグル・マップ・データ))の地誌。

「大白」「白袋」これらはマンボウの属性から腑に落ちる名ではある。が、だからといって安易には同種異名とは名づけられぬ。

「烏吉々(うきき)」呼び名自体は既出。漢字は当て字。「吉」は前にも後にも出るように、相応に大きなマンボウ一個体で一つの村全体が驚くべき利益を得るところからは、腑に落ちる当て字である。

「烏吉々然覓(ウキキザメ)」同前。但し、やはり「然覓」(サメ)も「鮫」「鯊」を当てない以上、「然覓」で「然(さ)らば、覓(もと)められん」というキリスト教の文句みたような意味が込められているような気がするのは、私の牽強付会か。しかし、この魚の場合、名指す行為は予祝であると考え得る以上、ただ当てずっぽで漢字を当てた(当てたのは無論、字も書けない漁師連ではないものの)とは私は思われない。

「「馬---烏(マンボウ)【紀伊方言。】」漢字はただの当て字。今回、非常にお世話になった夏輝氏のマンボウ万能サイトの「日本の呼び名(古語・地方名)」によれば、「マンボウ」の呼称は『沖縄県泊』・『岩手・岡山・茨城・和歌山・三重』と和歌山が挙がっている。また、その名の由来について、サイト主夏輝氏御自身の聞き取り調査で、『「万本釣りを試みないと釣れないから」ことから。稀有』の意という興味深い記載がある。他には『体が円いから』・『子供が持つハスの葉の袋(萬宝という)に形が似ているから』(前の丹洲の考証にも出た)とある。他に類似した呼称は「マンボオ」(神奈川県三崎・和歌山県紀州・高知県・富山県・伊豆)「マンハウ」・「マンホウ」の他、「マンブ」「マンプ」(長崎県壱岐)・マンボ(静岡県駿河湾・千葉県)・「マンボウザメ」(宮城県)・「マンボザメ」(岩手県)・「マンボロ」(高知県須崎)が挙げられている。因みに、「毋」は「母」とは別字で、意味は「なかれ(勿れ)」(~してはいけない)で禁止を表す助字。或いは、「なし」で否定を表わす助字であるので、注意。

「大明一統志」明朝の全域と朝貢国について記述した全九十巻に及ぶ厖大な地誌。李賢らの奉勅撰。明代の地理書には一四五六年に陳循らが編纂した「寰宇(かんう)通志」があったが、天順帝が彼らに命じて重編させて、一四六一年に本書として完成した。但し、その記事は必ずしも正確でなく,誤りも多い(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)が、江戸時代の学者たちの中国地理に関する知識は殆んどが本書に拠っているといってよい、と小学館の「日本大百科全書」にあり、また、当時、本邦で作られた地誌類も本書の強い影響下にあったことが判っている。

「牛魚、江に出ずる大なる者を混同す」以下に大きさや属性を限定しながら、この言い方はおかしいから、或いは私の訓読の誤りかも知れない。しかし、誤りでないとすれば(後の部分で外見形態を全く叙述していないのが、私には疑問に思え、前をかく訓じたのである)、これは――「牛魚」と呼称する魚のような生物がいるが、それは「江」海の入り江或いは大きな川の河口や流域に出現する、ともかく牛ぐらい、或いは、以下のサイズ以上の大きな生物を十把一絡げにした呼称である――という意味で採れる。私はそう採った。さすれば、大型個体のマンボウもそれに当るし、前に出たジュゴンやスナメリだって含まれる、「混同」されて認識されるからであるそうしてこれらは、総て無鱗(マンボウは無論、有鱗だが、表面が結合した感じで皮革状にもなるから、本草書類が「無鱗」とするのも判らぬではない)に見え、また、どの種もその骨や脂肪や肉が、それぞれにぎゅっと詰っていて、食べると美味い(前にも注したが、ジュゴンは有史以前から狩猟の対象とされ、その肉は不老不死や媚薬(そジュゴンの涙を相手に付けることで恋愛成就の効能があるとされた)珍重されたりもし、その骨で作った装飾品は刃物や鉄砲に対するお守りとされた。琉球王朝時代の新城島では年貢として本種の肉を納めていた(ここはウィキの「ジュゴン」に拠る)。また、ウィキの「スナメリ」には、『韓国では食用とされ、他のイルカ類と同様に漁港での競売などにより販売される』。『韓国では鯨類が混獲により水揚げされるが、捕獲数の半分以上が本種である。韓国でのスナメリの食用としての価値(値段)はあまり高くないとされる』とある)というのも「混同」でも、問題ない共通属性となるからである。

「一丈五尺」明代の一丈は三・〇七二メートル、一尺は三十一・一センチメートルであるから、四メートル六十三センチメートル弱となる。

「三百斤」明代の一斤は五百九十六・八二グラムであるから、百七十九・〇四六キログラム。

「華東風土志」不詳。但し、「華東」は中国東部の呼称で、上海を中心に江蘇省・浙江省地帯を総称した長江デルタ地帯(現在の山東省・江蘇省・安徽省・浙江省・江西省・福建省・上海市を含む)を指すから、その一帯の地誌ではあろう。

「咸賓録(かんひんろく)」明の羅尚之の著になる幻想性の強い中国四方の圏外の地誌。全八巻。「北虜志」「東夷志」「西夷志」「南夷志」に分け、三百四十五種の諸書を博捜して諸外国に関する古来からの伝説・風聞の類を集めたとするもの。この種の書としては明代で最も充実したものとされ、明から清にかけての保守的読書人らの基本的海外知識の基本となったという(以上は、こちらの記載を参照した)。

「海人、其の皮を剥ぎ、之れを、其の尾に懸けて、潮に隨ひて、以つて、起伏を爲(な)す』と」これは残酷にして凄絶。だって、その牛魚の皮を大きく剥ぎ取って、これを、海上から突出した背鰭に帆布として張り、潮の流れに従って、その「牛魚」を舟代わりにピッチングする波浪を越えて行く、という意味でしょうがッツ!

「楊州府志」張世浣(せいかん)と姚文田(ようぶんでん)の撰になる清代の揚州(長江(揚子江)を中心に、北は淮水から、南は南嶺山脈までの広域地名。現在の江蘇省全体よりも広く、江南(揚子江の南部)の広大な地域をも含む)の地誌。

魚」「」の字自体が不詳。「ようぎよ(ようぎょ)」と読んでおく。

「頭と身と、相ひ半ばす。其の長さ、丈餘。鼻、正白。身、正黒。口は頷(あご)の下に在り。状(かたち)、鬲(れき)のごとし。鬐(ひれ)有るも、無鱗。江中に出づ」これは確かにマンボウを叙述すると、或いはこうなるかも知れぬと思わせるものはある。しかし、「マンボウ」だと断定は出来ぬ。三つの足を持つ器「鬲」は画像で見れば判る通り、脚は短く、容器部分がずんぐりと丸く大きい。背鰭・腹鰭・舵鰭(はちょっと厳しいが)を三脚に擬えるなら、マンボウの形状の比喩としては、らしくはあるように私には思われる。

「其の性(しやう)、音に喜び、楽を聞かんと作(な)して、則ち、頭を水上に出だす」これは、伝承的にはマンボウよりも人魚、則ち、ジュゴンに分がある気がする。また、知能が高いスナメリでもよい。ただ、マンボウの異名の「万歳楽」は、海上でマンボウに載って、残酷にもその皮や内臓を引き抜いている最中に、マンボウが有意に揺らぎ出した際、「まんざいらく、まんざいらく」と唱える、囃せば、マンボウの動きは止まるとした話を想起すると、マンボウの実際と採っても、少しも、おかしくないと言える。まあ、音楽好きの海の生物といえば、海底原人ラゴンに若くはない――ナンチャッテ!

「瓠巴(こは)、瑟(しつ)を皷(ひ)けば、游魚、出でて聽く」「荀子」の「勸學篇」の一節。

   *

昔者瓠巴鼓瑟、而流魚出聽、伯牙鼓琴、而六馬仰秣。故聲無小而不聞、行無隱而不形。玉在山而草木潤、淵生珠而崖不枯。爲善不積邪、安有不聞者乎。

(昔、瓠巴(こは)、瑟(しつ)を鼓(こ)すれば、流魚、出でて聽き、伯牙(はくが)、琴(きん)、を鼓すれば、六馬(りくば)、仰ぎて秣(まぐさく)ふ。故に聲は小なるも聞こえざるは無く、行ひは、隱れたるも、形(あらは)れざるは無し。玉(ぎよく)、山に在(あ)れば、草木(そうもく)潤ひ、淵(ふち)、珠(たま)を生ずれば、崖(がけ)、枯(か)れず。善を爲(な)して積まざらんや、安(いづく)んぞ、聞こえざる者、有らんや。)

   *

この「瓠巴」は人名で、春秋時代の瑟(大型の琴の一種。二十五弦以上。現在は廃れた)の名手とされた楽人。「鼓(こ)すれば」は「弾けば」。「伯牙」同じく春秋時代の晋の大夫で、鍾子期(しょうしき)との「伯牙絶絃(弦)」の故事で知られる古琴(和琴に似るが、琴柱(ことじ)は使いず、手で弦の音階位置を押さえて弾くもの。通常は七弦)の名人。伯牙には彼の琴のよき聴き手であった友鍾子期がいたが、鍾子期が死ぬと、伯牙は琴を弾くに値する人がいなくなったとして、琴の絃を絶ち、生涯、琴を弾かなかったという(「呂氏春秋」巻十四「孝行覧第二」の「本味」や「列子」巻第五「湯問篇」の「高山流水」等に載る故事)。ここまら「伯牙絶絃」は「親しい人と死別すること」や「慣れ親しんだ物事や人と決別すること」の意となった。またこの故事から「親友」のことを「知音」とも称するようになった。「枯れず」は「崖が美しく光り輝かなくなることはない」の意。末尾はそれらの例を受けて、「どうして君は善行を積もうとしないのか?! 十全に善を積んだならば、どうして世間に知られずに埋もれてしまうことがあろう?! 自ずと、その真の能力は発揮される時が、必ず来るのである、の意。

「槩(すで)に指(さししめ)せる凡魚に非ざるなり」訓読に苦労したところ。他に正しい訓読があれば、御教授戴きたい。但し、私は私なりにこの訓読で満足しているし、文意は躓かずに通ずると思っている。

「猪」中国語では豚。

「其の身、脂(あぶら)多く、以つて紡績せるを照らせども、則ち、昏(くら)く、賭博を照らして、則ち、明(めい)たり」ここは最も訓読に苦労した。要は――「江豚」はその身に油分が多く、それを搾り採って、それで最も長く夜業が続く紡績(糸紡ぎ)の際の灯油として使おうとすると、不思議なことに、いたく暗くて役に立たぬのに、同じように、暗いところで行っている賭博の灯(とも)し、に用いると、これまた不思議なことに、隈なく明るくしてくれる」――という、状況に応じて変化する、不思議な光りの効果の意味で採った。何故なら、その不思議さが、後の懶惰な女の変化(へんげ)したものという伝承とマッチすると考えたからである。しかし正直、力技の強引を自身で痛感していることも事実である。しかし乍ら、後の「奔」の「太平廣記」の引用によく似た文字列が出るので参照されたいが、そちらは達意の文章であり、以上の私の無理矢理に見えた訓読も、これ、必ずしも見当外れでないことが判る

「黄巖縣志」「光緒黄巖縣志」。清代に陳寶善・孫熹修・王棻によって編纂された浙江省黄巌県(現在の黄岩。ここ(グーグル・マップ・データ))の地方地誌。

「白距」「距」は「へだてる・かけ離れる」で、白い、陸から遠く隔たった沖にいる、そうした沖からやってくるもの、の意であろう。

「海より入りて、則ち、水潦(すいらう)に兆(うらな)ふ」訓読してみたものの、自分で意味がよく判らぬ。「沖の海から入り江に入ってきて、そのまた溜まった大きなタイド・プールで、何か、占いでもしているかのように漂っている」か、或いは後半は、「何かをするのを漁師が見て何かを占う」とでも言うのか? ここも同じく、力技の強引を自身で痛感している箇所である。ここも正しい訓読の御教授を切に願うものである。

「藍水翁」既出既注。医師で本草学者田村藍水(享保三(一七一八)年~安永五(一七七六)年)。栗本丹洲の実父。

「述異記」南朝梁の任昉(じんぼう 四六〇年~五〇八年)が撰したとされる志怪小説集。二巻。但し、中文サイトでいろいろ調べてみたが、現在の「述異記」(佚文)には「牛魚」は見当たらぬ。

『「咸賓録」所載の「牛魚」』不詳。因みに、「太平廣記」で「牛魚」を探してみたら、「譚賓錄」という似たような書からの引用として、「水族二」に「牛魚」の条があり、『海上取牛魚皮懸之、海潮至、卽毛豎』とあり、序でに言っておくと、同じ「水族二」には、「天牛魚」という条もあってそこには、「南越記」に出るとして、『天牛魚、方員三丈、眼大如斗。口在脇下。露齒無脣、兩肉角如臂、兩翼長六尺、尾五尺』とある。前者は前に丹洲が引いた「咸賓録」の話に酷似するし、後者はマンボウの記載のように見える。「尾五尺」の部分は舵鰭の縦の長さを言っていると考えればよい。

「本邦には産せず」不審「江豚」=哺乳綱鯨偶蹄目ハクジラ亜目マイルカ上科ネズミイルカ科スナメリ属スナメリ Neophocaena phocaenoides は日本の沿岸に普通に棲息するし、「海豚」=ハクジラ亜目 Odontoceti に属する種の中で、比較的、小型の種の総称(但し、この区別は分類学上、明確なものではないので注意)も日本神話の時代には既に棲息し、「入鹿魚(いるか)」と呼ばれ、食用とされてきた(「御食(みけ)の魚(な)」)。失礼ながら、丹洲が中国の長江(揚子江)にのみ棲息した(過去形で示す。私は残念ながら同種は既に絶滅したと考えている。現況はウィキの「ヨウスコウカワイルカ」を見られたい)ハクジラ亜目ヨウスコウカワイルカ科ヨウスコウカワイルカ属ヨウスコウカワイルカ Lipotes vexillifer を認識していたとは思われないから、やっぱり不審である。

「正字通」既出既注であるが、再掲しておく。中国の明の張自烈の著になる字書。十二支の符号を付した十二巻をそれぞれ上中下に分けて、部首と画数によって文字を配列して解説を加えたものであるが、後の清の廖文英(りょうぶんえい)が、その原稿を手に入れて自著として刊行してしまった。

魚」不詳。「きくぎよ(きくぎょ)」と読んでおく。「説文解字」(現存する中国最古の漢字字書。元は全十五巻。後漢の許慎の著)の「魚部」の「」に(下線やぶちゃん)、

   *

魚名。出樂浪潘國。从魚匊聲。一曰魚出江東、有兩乳。

(魚の名。樂浪潘國に出づ。魚に从(したが)ひ、聲(せい)は「匊(きく)」。一つに曰はく、「魚、江東に出で、兩乳、有り。」と。)

   *

と、あるからである。

「樂浪蕃國」「樂浪」は漢によって設置され、紀元前一〇八年から西暦三一三年まで存在した、朝鮮半島北部にあった旧郡名で、現在の朝鮮民主主義人民共和国の黄海南道(ファンヘナムド)及びその内陸の黄海北道(ファンヘブクド)を中心とした古地名。黄海から渤海に入る東、山東(シャントン)半島の朝鮮半島側対岸。この附近(グーグル・マップ・データ)。「蕃國」「藩國」で諸侯が治める領地の意であろう。

「葉子奇」(生没年未詳)は元末明初の本草学者。

「奔」「太平廣記」の「水族二」に「酉陽雜俎」を出典として「奔」があった(下線太字やぶちゃん)。

   *

、一名、非魚非蛟、大如舡、長二三丈、若鮎、有兩乳在腹下、雄雌陰陽類人。取其子著岸上、聲如嬰兒啼。項上有孔、通頭、氣出哧哧作聲、必大風、行者以爲候。相傳懶婦所化、殺一頭、得膏三四斛、取之燒燈、照讀書紡績輒暗。照歡樂之處則明。

   *

出典である「酉陽雜俎」は現代語訳(平凡社東洋文庫版・一九八一年刊・今村与雄訳注)を所持するので、この「奔」は「ホンフ」と読んでよいことが判明した。「哧哧」はそれによれば、オノマトペイアで『ホッホッ』とある。今村氏は「奔」に注を附され、『䱐䰽』(ふはい)『は江豚』(こうとん)『の異称。江豚は江(かわ)をさかのぼたものである。イルカのこと。奔も、海にすむ哺乳類、鯨の類らしい』とある。これは「項上有孔、通頭、氣出哧哧作聲」から、現行のスナメリと比定してよかろう。「取之燒燈、照讀書紡績輒暗。照歡樂之處則明。」は、

   *

之れを取りて燈に燒き、讀書や紡績を照せども、輒(すなは)ち、暗し。歡樂の處を照さば、則ち明(めい)なり。

   *

と読める。前の訓読に苦労した「寧波府志」の「其の身、脂(あぶら)多く、以つて紡績せるを照らせども、則ち、昏(くら)く、賭博を照らして、則ち、明(めい)たり」と内容が酷似する

」(「」=「𦌥」-「刂」+「炎」)。前の記事から「」と同字(というか、丹洲の転写の誤りの可能性が濃厚)。」は「ケイ」と読む。前掲書に今村氏の注があり、『は、井戸水のこと、あるいは、泉の出るさまという。奔が、その頂の孔からしおを吹くさまを、泉の出るさまにたとえてつけた名称であろう』とある。

「江」「江豚(コウトン)」。或いは、江にいる愚「鈍」な生き物の謂いかも知れぬ。

『「萬寳」、漁夫、肉を取りて其の骸(むくろ)を棄(す)つるに、則ち、月を経(へ)ば、其の肉、復(ま)た生じて、舊(きう)のごとし』う~ん、これは漁師の希望的期待的願望の創り上げた噂レベルの話のようにしか一見、見えない。マンボウに、そのような再生能力はないと思われる。しかし、意外なことに、丹洲の諸「先輩」は、まんまとその流言に騙されたのである。

『「本草」五十一巻所出の「封」の「集解」の「視肉」』李時珍「本草綱目」の五十一巻「獸之四」の末尾にある「寓類怪類共八種」の最後に出る「封」。

   *

集解時珍曰、按江隣幾「雜志」云、徐積於廬州河次得一小兒、手無指無血、懼而埋之。此「白澤圖」所謂封、食之多力者也。田九成「西湖志」云、董表儀撤屋握土、得一肉塊、術士云、「太歳也。」。棄之、亦無害。及「山海經」敦隅之山、及、開明南、北、東南海外、並有視肉。郭璞註云、聚肉形如牛肝、有兩目。食之無盡、尋復生如舊也。此皆封類可食者、但人不知耳。又海中一種土肉。正黑、長五寸、大如小兒臂、有腹無口目、有三十足、可炙食。此又蟲、魚之肉類乎。封者也。

   *

ここに出る「視肉」というのは、「山海経」にたびたび登場する正体不明の肉の塊りの奇体なる生物である。サイト「世界の未解決問題」のこちらがよく纏まっている。そこでは「山海経」の他、「史記」も挙げている。實吉達郎著「中国妖怪人物事典」(一九九六年講談社刊)の「視肉」によれば、『名山名水、あるいは古代帝王の陵墓(みささぎ)のあるところには必ず「いる」といおうか、「ある」といおうか』、『牛の肝臓のような形をした大きな肉塊だが、目が二つあり、生きている。どこからその肉量やエネルギーを補給しているのか、ちぎって食べても、食べただけ再生する。減りもしないし、すっかり食べつくすこともできない』異生物である。実吉氏は『古代中国人が被葬者と実際にいっしょに墓の中に入れて葬った食物であろう。副葬品としての食物の「理想化」であろう』とされる。同条の最後で実吉氏も述べておられるが、これを忠実に絵にし、漫画に効果的に登場させたのは諸星大二郎で、彼の名作「孔子暗黒伝」(『週刊少年ジャンプ』一九七七年~一九七八年連載)でであった。但し、丹洲は後で「按ずるに、是れ、形状、詳らかならず。曲(まがまが)しくして」(強引な訓読部である。大方の御叱正を俟つ)「何物為(た)るかを知らず、然(しか)も況んや、山に於いて産するか。蓋し、無𥡞(むけい)」(荒唐無稽)「の言(げん)にして、論駁(ろんばく)するに足らず。今、茲(ここ)に疏出(そしゆつ)」(注に附けた形の注釈として本文に出すこと)「して其の誤りを正すものなり」と、ぶいぶいに怒っているのであるが、私はこの「本草綱目」の記載を読んだ際、「肉塊」「山」「聚肉形如牛肝」「有兩目」「食之無盡、尋復生如舊也」の文字列から直ちに想起したのは、食用になり、不気味な牛の肝臓みたような、ヌルッとした塊りのような、山に棲む再生能力を持つことから「ハンザキ」(半裂きにしても死なずに再生するとされることに由来)の異名を持つ、両生綱有尾目サンショウウオ亜目オオサンショウウオ科オオサンショウウオ属オオサンショウウオ Andrias japonicus であった。同種は本邦固有種であるが、視認判別出来ない酷似している、中華人民共和国東部に棲息する固有種の、チュウゴクオオサンショウウオ Andrias davidianus がいるから、これ、問題ない。さらに、「海中一種土肉。正黑、長五寸、大如小兒臂、有腹無口目、有三十足、可炙食」という文字列は、これも即座に、半分に切っても再生し、外敵から逃れるために内臓を全部吐き出すが、数ヶ月で内臓もさせてしまう、海鼠(なまこ:棘皮動物門ナマコ綱 Holothuroidea)類に決まってる、と独り、合点したものである。基本的に今もその考えに自信がある。

「敦隅(たいぐ)の山」「開明海(かいめいかい)」「山海経」は殆んど幻想地誌と言ってもよいもので、実在の地名を当てようとすると、海千山千の筆者のドツボにハマって、確実に埋もれ溺れ死ぬ。

「松井康重」安土桃山から江戸前期にかけての大名で松井松平家の初代の松平康重(永禄一一(一五六八)年~寛永一七(一六四〇)年)。ウィキの「松平康重」によれば、駿河国三枚橋城主松平康親の長男。天正一一(一五八三)年三月十六日の元服の際、『家康から「康」の偏諱を授かり』、『康次、のちに康重と改めた』。『家康が東海地方にいた頃の』天正一一(一五八三)年~天正一八(一五九〇)年には、『父・康親の跡を継いで駿河国沼津城の守備役を務め、後北条氏に約』八『年間も対峙した』。『小田原征伐後の』天正十八年八月に『家康が関東に移されると、武蔵騎西に』二『万石を与えられた』文禄四(一五九五)年には『豊臣姓を与えられ』ており、慶長六(一六〇一)年には常陸笠間三万石に加増、さらに慶長十三年に丹波国篠山藩五万石に加増移封されている。元和五(一六一九)年、『大坂平野南方の要衝、和泉岸和田に移封となった』。寛永一一(一六三四)年、『従四位下に叙任され』たが、六年後に七十三歳で死去した。『康重は松平康親の子とされているが、実は徳川家康の落胤とする説がある』。『生母は家康の侍女であり、家康の子を身籠ったまま康親に嫁いだとされ』、『後に子孫も家康の「康」を通字として用いている』とある。

「江名濵」現在の福島県いわき市江名か。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「浮木(うきき)」マンボウの「ウキキ」の方言異名は、例の夏輝氏の「日本の呼び名(古語・地方名)」によれば、東北地方で汎用され、他に宮城県・茨城及び関東、飛んで長崎でも使用され、「ウキギ」も東北一般、茨城県那珂湊・水戸・山口・長崎とるから、福島は南北を「マンボウ=ウキキ/ウキギ」圏に挟まれている。

「後藤光寧」(名は「みつやす」と読むか)宝暦八(一七五八)年に「採薬使記」を編纂している(こちらのブログ記事を参照した)以外に目ぼしい記事がない。但し、江戸中期の博物学者で蘭学者の後藤梨春(元禄九(一六九六)年~明和八(一七七一)年:丹洲の実父田村藍水に学び、本草学で稲生若水(いのうじゃくすい)と並び称された。江戸の医学校躋寿(せいじゅ)館の都講(教師)となり、本草を講義、明和二(一七六五)年に「紅毛談(オランダばなし)」を刊行したが、発禁となった。なお、この本で初めて「エレキテル」が紹介されている)の名は光生であるから、彼の縁者であると考えてよいと思う。

「奥・常」陸奥国(奥州)及び常陸国の意。

「海--魚(エイ)」軟骨魚綱板鰓亜綱エイ上目 Batoidea のエイ類。

後藤は有名(むめい)の人にてもなし。或る人の説として可ならん」判読不能字があるが、恐らくは、『後藤光寧は有名な人でもないから、姓名を出す必要もないので、「或る人」の説としても構わないかも知れぬ』の意であろう。秀才後藤(光生)梨春の縁者の割には、不幸にして知られなかったものか(或いは梨春は「紅毛談」発禁後は不遇であったものかも知れない)。少し可哀想な、意地悪な謂い方ですね、丹洲先生。

「銕(てつ)」先端に鉄の矢を挿した銛(もり)の意であろう。

「曽(か)つて」未だかつて。そのように銛で刺し貫いても「動き踊ること、無」く、そのまま「浮き木のごとく水上に在る」ばかりである。

「古今類𧚿常陸國志」「常陸国誌 古今類聚」のこと。水戸藩編の常陸国の地誌らしい。

「大穰」僧侶っぽい名前だが、不詳。識者の御教授を乞う。しかし書いてる丹洲でさえ『「大穰」は誤字か』と言っちゃってるしなぁ。

「海志」不詳。同前。

「鮔𩸑」不詳。同前。しかしこれも丹洲自ら、『「鮔𩸑」と俱(とも)に詳らかならず』と添えちゃってるもんなぁ。

「右は、或る人の漫錄の中より抄写す」これこそ、実はまさに「後藤光寧」が記した記録のことなのではなかろうか?

「姑(しばら)く」まずは取り敢えず、言い添えておくと。

「録備考證」不詳。識者の御教授を乞う。

『勇私東漸(ヨンストンス)が「魚譜」』ヨハネス・ヨンストン(Johannes Jonston/ポーランド名:Jan Jonston/イギリス名:John Jonston/ラテン語名:Johannes Jonstonus 一六〇三年~一六七五年)はスコットランドを出自とするポーランド生まれの博物学者。ウィキの「ヨハネス・ヨンストン」によれば、著書「鳥獣虫魚図譜」(Historiae naturalis de quadrupedibus libri, cum aeneis figurisなど、五巻に亙る図説集成の仮総称で、初版はフランクフルトで刊行されたものでラテン語版。本邦では全体は「禽獣魚介虫図譜」とも訳される)は『ヨーロッパに広まり、日本にもオランダ商館長からオランダ語版が江戸幕府に献上された。将軍、徳川吉宗の命によって、野呂元丈によって』「阿蘭陀畜獣虫魚和解」(元文六・寛保元(一七四一)年)として抄訳されている。『父親はスコットランドから貴族民主主義の国家、ポーランド・リトアニア共和国に移住した人物で、一緒に移住した叔父の援助で教育を受けた』。高校まで進んだところで、『カルヴァン派の新教徒であった』ことから、『ポーランドのカソリックが支配するヤギェウォ大学には進めず、スコットランドのセント・アンドルーズ大学で、神学、スコラ哲学、ヘブライ語を学び』、『学位を得た』。一六二五年に『ポーランド・リトアニア共和国に戻り』、一六二八年まで『レシュノの名家』『の家庭教師を務めた。その頃』、「自然史ハンドブック」(Enchiridion historiae naturalis)を出版、この著作は一六五七年になって英語に翻訳されてもいる。一六二八年から『ドイツなどに旅し、研究を再開し、ケンブリッジ大学、フランクフルト大学、ライデン大学で植物学や医学を学んだ。オランダのデーフェンテルの学校の教授になることを求められたが、ポーランドに戻り、貴族のラファウ・レシチニスキの屋敷に留まり、息子のボグスワフ・レシチニスキの家庭教師として働いた』。一六三二年に『ボグスワフ・レシチニスキや他の貴族の子息とヨーロッパの大学を巡り』、一六三四年にライデン大学とケンブリッジ大学から、学位』『を得て』、『ラファウ・レシチニスキの訃報が届いた』一六三六年まで『旅を続けた。ポーランドに戻った後はレシュノのアカデミーで教え』た。広く『哲学、神学、博物学を学び、百科事典というべき多くの著作を残した』。「鳥獣虫魚図譜」は一六五〇年(或いは一六四九年とも)から一六五三年の間に五巻で出版され、『フランクフルトのマテウス・メーリアン(Matthäus Merian)の出版所から出版された』。千二十五ページにも及ぶ文章と二千八百五十九点もの、『四足動物、鳥、魚、鯨、虫、蛇およびドラゴンの図版が添えられていた。図版はコンラート・ゲスナーやウリッセ・アルドロヴァンディらの書籍の図版をもとにメリアンの工房で製作された』とある。

『貝原が「大和本艸」』(寛永七(一六三〇)年~正徳四(一七一四)年)は江戸前期から中期にかけての儒学者で博物学者・庶民教育家。福岡藩祐筆の子として城内で生まれた。名は篤信(あつのぶ)、久しく損軒と号していたが、晩年に益軒と改めた。幼時に父の転職で各地に転居し、その折りに民間で生活した経験が、後年の彼をして「民生日用の学」を志す契機となったという。初め、福岡第二代藩主で武断派であった黒田忠之に仕え、その怒りに触れて、浪人となってしまうが、医者として身を立てることを考え、医学修業に励んだ。数年後、父のとりなしによって、第三代藩主で文治派の光之に仕えることを得、約十年間、京都に藩費遊学も出来た。文運興隆期に各方面の学者たちと交わり、後年まで学問上の交流を持った。またこの京都に漲る経験・実証主義を体認して、その後の学風に生かしたのみならず、算数の重要性を説き、「和漢名数」(正・続)を編集出版した。帰藩後、君命によって「黒田家譜」を、次いで「筑前国続風土記(ちくぜんのくにしょくふどき)」を晩年までかかって完成している。その間にも、朝鮮通信使の応対・漂流民取調べ・好学の徒への講義・藩内科学者(天文や和算)との交遊を行っている。朱子学者としては、早く「近思録備考」を著し、出版しているが、その経験的学風から朱子学の観念性への疑問を募らせ、それを体系的に論述した「大疑録」を晩年に纏めてもいる。博物学では江戸期本草書中でも、最も体系的な「大和本草」(宝永五(一七〇八)年著。李時珍の「本草綱目」収載品の中から、概ね、日本に産しないもの及び薬効性の疑われるものを除き、七百七十二種を採用し、さらに他書からの引用を添え、日本特産品及び西洋からの渡来品などを加えて実に千三百六十二種の薬物を収載した本草書。なお、私はブログ・カテゴリ『貝原益軒「大和本草」より水族の部』も手掛けている)を始めとして、「花譜」「菜譜」を残し、また、近郷の宮崎安貞の「農業全書」の成稿と出版にも積極的に助力している。また、祖先が備前国(岡山県)の吉備津宮(きびつのみや)の神官であったことから、和学にも関心が深く、日本人としての和学修得の必要をも説いている。基本的には儒教敬天思想に基づく、人間平等主義の立場に立っており、多くの教訓書や、知られた大衆健康書である「養生訓」にも、この思想が窺われる(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「雪魚」複数回既出既注。

「鰈-魚(かれひ)」魚上綱硬骨魚綱カレイ目カレイ科 Pleuronectidae のカレイの類。但し、笑ってはいけない。御存じかとは思うが、カレイの中には、カレイ科オヒョウ属の中で本邦の東北地方以北の各地と日本海北部に棲息するタタイヘイヨウオヒョウ Hippoglossus stenolepis がいるが、本属の個体の中には、全長が一~二メートル以上で、大型個体では三メートルを超えて、体重も二百キログラム超となる、とんでもない巨大魚(但し、巨大個体は総てで、は大きくてもメスの三分の一ほどの大きさにしかならない、性的二型の一つである)がいるからである。百五十歳を超える寿命を持つものもいるとされ、しかも、肉食で獰猛なため、釣り上げた時に暴れ、漁師が怪我をすることさえあるのである(ここはウィキの「オヒョウ」に拠った)。

「上の説のごときは、以つて「萬寳」と「雪魚」と「浮木」と別物と為(な)す」事実、益軒は「大和本草」巻之十三の「魚之下 海魚」の中で、「マンボウ」を挙げた五つ後に「うき木(まんぼお)」を挙げている。「中村学園」公式サイト内の「大和本草」のページ「大和本草巻之十三」(PDF)を参照されたい。因みに、ここでは同書全部がダウン・ロード出来る。

「帰一の説」別々の事柄が、同一のものに帰着すること。ここではその逆をやっていると、益軒をかなり手厳しく批判しているのである。ちょっとやり過ぎたと思ったものか、直後に「此の一事を以つて誹謗すべからず」と言い添えている。

「博物、所称を以つてすと雖も」博物学に於いては、基本、対象物を正確に把握し、限定出来るところの、名称命名を旨としているとは言っても。

「精到」細かい部分まで詳しく、しかも正確を旨とした注意が行き届いていること。

「臻(いた)らず」「至らず」に同じい。

「水母(くらげ)を食ひ、他の物を食はず」刺胞動物門 Cnidaria のヒドロ虫綱 Hydrozoa・十文字クラゲ綱 Staurozoa・箱虫綱 Cubozoa・鉢虫綱 Scyphozoa に属するクラゲ類。私も小学校の低学年から、マンボウが三億個も産卵することと並んで、あの巨大な図体で栄養のない「クラゲ」しか食わないんだ、ということを長く信じていた(前者は正確とされている)。近年の胃内容物の剖検によって、無論、クラゲや動物プランクトンを食べるけれども、深海性のイカやエビなどの残滓も発見されている。

「温(おん)にして平(へい)」漢方で身体を暖める効果を「温」と称し、「平」は温め過ぎず、冷め過ぎない両様の抑制効果を持つものを指す。

「胞膜(はうまく)」マンボウは鱗で覆われた下には皮革はなく、厚いゼラチン層があるということは既に書いた。ある意味、この言い方は、そうしたマンボウの表皮構造の特殊性を良く伝えているように思われる。

「雲母(きらら)」「うんも」と読んでも構わぬ。鉱物(アルカリ金属・アルカリ土類金属・鉄・アルミニウムなどを含むケイ酸塩鉱物)のそれ。

「制して倣(なら)ふ者は」と訓読したが、意味不明。何となく――マンボウの体表面の薄い膜を乾燥させてある種のものに似せて製する者は、それで作ったごく薄い皮膜のようなものを、「緑紗(めんりょくしゃ)」(最後は「さ」でもよい。「」という字は現代中国語で「革や布で対象を包み込む」ことを指す)と呼んで、子どもらに与える。子どもらは、則ち、夏の蛍火が盛んな頃に、その「緑紗」を持って蛍狩りをし、その中で蛍は盛んに光りを「顕(あらは)す」――という意味で訓じたつもりが、無理だらけであることは私も承知している。識者の優れた訓読を俟つ。

「印魚(いんぎよ)」後に出る通り、条鰭綱スズキ目コバンザメ科コバンザメ属コバンザメ Echeneis naucrates のこと。彼らは、体表どころか、魚類の口腔内及び総排泄腔から腸にも侵入して吸着する

「妨碍を為(な)し」寄生主のマンボウの摂餌行動に重大な妨害・障害を引き起こし。

「擡-捧(ささ)げて」「擡」は「もたげる・持って上に上げる」の意。くどいので二字でかく読んだ。「擡(もた)げ捧げて」と読んでもらっても構わぬ。

「不日(ふじつ)にして」殆んど日を経ずして。

「告神(ツゲノカミ)甚四郎」山口敦子氏の「グラバー図譜 日本西部及び南部魚類図譜」の「コバンザメ」(PDF)の解説文中に『「ツゲノカミノジンシロオ(告神甚四郎)」という呼び名で、大漁の吉兆を示す縁起魚としてまつる風習もあるようです』とある。これは恐らく、栗本丹洲の「栗氏魚譜」の「小判鮫」の解説に拠るものであろう。今回は、原本が失われたそれの中でも、最も元の雰囲気を伝えるとされる、国文学資料館蔵の同図(祭魚洞文庫旧蔵水産史料)をリンクさせておく。確かに、図が格段に美しい。必見!

「正字通」既出既注

「封(ふう)ず」「口を塞ぐ」の謂いであろう。

「亞耶葛石(アヤカシ)」当て字。「あやかし」は本邦の海上の妖怪や怪異の総称である。ウィキの「アヤカシ(妖怪)」によれば、『実在の魚であるコバンザメが船底に貼り付くと船が動かなくなるとの俗信から、コバンザメもまた』、『アヤカシの異称で呼ばれた』とある。

「開(ひら)かず」大魚の口を「開放しない」の意で、かく訓じた。

「茲(ここ)には贅(ぜい)せず」「ここでは改めては詳述しない」の意。

「大槻磐水」大槻玄沢(おおつきげんたく 宝暦七(一七五七)年~文政一〇(一八二七)年)は一関藩(藩庁は陸奥磐井郡一関(現在の岩手県一関市))出身の江戸後期の蘭学者。出身地の磐井から磐水と号した。「解体新書」の翻訳で知られる杉田玄白・前野良沢の弟子。「玄沢」とは、師である二人から一文字ずつ貰ってつけた通り名。詳細事蹟は参照したウィキの「大槻玄沢」を見られたい。因みに、私はかつてサイトで、彼の「仙臺 きんこの記」を電子化注しているので、未見の方は、是非、読まれたい。

Mola Peregrina」種小名の頭文字が大文字なのはママ。この時代(ヨハネス・ヨンストンの「鳥獣虫魚図譜」の刊行は一六四九年或いは翌年から一六五三年)は生物学の命名法は統一基準がなかった。学名の歴史はスウェーデンの博物学者で「分類学の父」とされるカール・フォン・リンネ(Carl von Linné/ラテン語名:カロルス・リンナエウス(Carolus Linnaeus) 一七〇七年~一七七八年)遡り、動物の命名法の起点は彼の「自然の大系」(Systema Naturae)第十版が出版された一七五八年とされるが、現在の国際的統一基準の基は一八八九年に行われたパリでの第一回国際動物学会議に始まり、動物命名法国際審議会(International Commission on Zoological Nomenclature)の発足と審議を経、第五回の同会議(ベルリン・一九〇一年)で採択され、一九〇五年に刊行されたRègles internationales de la Nomenclature zoologiqueの出版を待たねばならない。なお、現行の国際動物命名規約(International Code of Zoological NomenclatureICZN)では、種小名の単独使用(文頭になると大文字化されてしまう)や大文字開始を禁則としている

 さて、この図はヨンストンの「鳥獣虫魚図譜」の中のWidmung; Praefatio Ad Lectorem; Liber I. De piscibus Marinis, Titulus I. De Pelagiisで、膨大な古典籍の著作の電子化しているドイツのサイトの、ヨンストンの同書総ての電子化中にあるここの、本書に転写された原画像のページ全体(ここ)を示しておく(ヨンストンの著作権は満了しており、本邦の文化庁の見解は平面としてただ対象を写した写真には著作権は生じないと判断されており、同サイトには写真の使用を禁ずる告知は示されていない)。なお、大槻磐水の模写は二尾ともに原画とは向きが真逆になっている。これはよく判らぬが、書写(転写)する方法に由来するものと思われる。

 

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さて、このMola Peregrina」とする学名であるが、現在は廃されており、シノニムとしても見当たらない。現在のどの種を指すのかも不詳である。古い英語文献(例えば、グーグルブックスで見つけた一八四五年のEdward Pett Thompsonなる人物のThe Note-book of a Naturalistでは、これを記して後に“,or sun fish”と続けている。“sun fish”はマンボウの英名である。世界的には現在、マンボウ属には、

Mola mola (Linnaeus, 1758) (Ocean sunfish) =現在のマンボウ

Mola alexandrini (Ranzani 1839)(bump-head sunfish) =現在のウシマボウ

Mola ramsayi (Giglioli, 1883) (Southern sunfish)

Mola tecta Nyegaard et al., 2017 (Hoodwinker sunfish)

がいることになっている(既に述べた通り、マンボウ類のミトコンドリアDNAD-loop領域の分子系統解析によってマンボウ属は少なくとも三種(group A/B/C)に分かれるとされており、今後、さらに種が増える可能性も高い)が、ヨンストンの図のこれはどうも過剰に細部が飾られているような気がして、図からの同定が出来ない特にこの「1」相当の原図は舵鰭が毛状の束として描かれており、或いは、死後、有意な時間が経過して舵鰭が腐ってしまったものを描いているようにさえ見える。さらに言えば、腹部の前方にあり得ない鰓孔のようなカーブが、それも四つも並行的に引かれてあるのも、頗る不審である。

Mola Zitterfisch」前注の下線太字部と同じ。しかし、この学名、種小名がラテン語っぽくない。これはドイツ語で発音すると「ツィターフィッシ」で「Zitter」はドイツ語で、例の映画「第三の男」で知られる、オーストリアや南ドイツ地方に伝わる弦楽器のチターを指す(木製の平らな共鳴胴の上に五本の旋律弦と三十本以上もの伴奏弦を張り、指又は指に嵌めた爪によって弦を弾いて音を出す。竪琴を小さくして横に置いたような楽器)し、「fisch」は見て通り、「魚」の意である。グーグル画像検索「チター」を見て戴くと、ギター系ではあるが、概ね、ずんぐりした楽器で、周囲をギターのように曲線化したものでは、頗るマンボウに似ていることが判る。そうして、この「2」は種々の形状から見ても、Mola mola ではないかと思わせるものがあるのである。

「兮蒲盧(ヒブネル)」私の電子化した「海鼠 附録 雨虎(海鹿) 栗本丹洲(「栗氏千蟲譜」巻八より)」にも、『非蒲温児(ヒブネル)』の当て字で出るのであるが、当時の西洋の博物学者で海洋生物を研究対象の一つとしていたことぐらいしか判らず、名前の綴りさえ不明である。識者の御教授を乞う

「コンスト・ウォーデンブツク」学術雑誌らしいが、不詳。或いはオランダ語かも知れない。識者の御教授を乞う

「木拉(モラ)」マンボウ属の属名への当て字。

「メールス・ウヱインロ」私も判りません、丹洲先生。「メールス」がラテン語ならば「merus」で「純粋な・混じりけのない」の意であるし、フランスの海(mer)も想起はされるが、「ウヱインロ」がお手上げ。識者の御教授を乞う

「考ふべし」意味は考察中(で判らない)の謂いか。

「異形不具諸魚(ウォンデル・レーケドン・ゲスタルテヒツセン)」私はドイツ語は知らないが、ドイツ語その他で比較的近い発音の語を並べてみるなら、「Wunder Laquedon gestaltefischen」か? それぞれ、「Wunder」(発音は「ヴンダァ」。ドイツ語で「奇跡・驚き」の意)、「Laquedon」(フランス語で「ラケドン」。「さまよえるユダヤ人」に与えられた名)、「gestaltefische」(ドイツ語で「形態を有した魚類」。「fischen」もあるが、これでは「魚を釣る」という動詞になってしまう)の意である。ただの辞書引きの行きあたりばったりの妄想である。なお、本書「翻車考」を元に、後に大槻磐水が編し、石坂宗哲校閲した天保四(一八三三)年に書かれた「万宝魚図録」の奥書には、『ウヲンデルレーケ・ワンゲスタルテ・ヒツセン』とあることが、こちらのデータによって判った。これだと、想定される単語がかなり違うが、これ以上は私の能力を超えているので、ここまでとする。切に識者の御教授を乞う

「二百貫目」七百五十キログラムで全然足りない。西洋の度量衡の認識が当時の日本ではいい加減であったことが判る。

瘰(ばいるい)」「」は皮膚疾患としての小さな水疱を指し、「瘰」は、ここではグリグルとした皮下の結節上の病変を指す。但し、これはマンボウの体表の病変(但し、前にも言った通り、マンボウの体表には多数の寄生虫が附着しており、個体によっては素人でも視認すると直ちに判るほどの病変や変形を起しているものもある)というよりは、丹洲の言うように鮫肌のことを主に指していよう。

「ウォンデルレーキ・ケワス【異形生産の義。考究すべし】」綴り不詳。識者の御教授を乞う。「考究すべし」はよくその意味するところを調べてみる必要がある、の意であろう。

「頭-首(かしら)のみのごとくにして」マンボウの形状の謂いとして、腑に落ちる。

「粗糙(そざう)」粗雑なこと。

「脉絡」血管。

『「シケツペル」【舩中にて水を汲む杓子を云ふ。】』綴り不詳。識者の御教授を乞う。発音はドイツ語っぽい。

『「留納(リヱナ)」と名づく。其の形、圓く、満月に水上に浮かみ出でたりがごときに因りてなり』同様の文が、後で『これを「リユナ」と名づくる者あり。これは其の形、圓(まど)かにして、月に似たるがごとくに思はるるに因りてなり』として出る。この「リヱナ」「リユナ」は何語か判らぬが、恐らくはフランス語のマンボウを表わす語である「poisson-lune」(「poisson」(ポワソン)は「魚」、「Lune」(リュンヌ)は「月」)の「Lune」と同義の単語と思われる。カタカナ音写の単語としては、英語の「Luna」(ルーナ)に近く、カタロニア語のlluna(リュナ)が一番近い

「疏解」現代中国語で「双方のわだかまりを執りなして宥める・橋渡しをして仲直りさせる」「荷物や人間などの輸送上の停滞を緩和する」という意味の動詞であるから、ここは「症状を緩和させること」の意であろう。

「斯葛篤誥覓兒(シカツトカーメル)」横塚啓之氏の論文日本の江戸時代における対数の歴史 ―1780年~1830 年頃を中心として(『数理解析研究所講究録』(第千六百七十七巻二〇一〇年発行。縮約版。PDF)に出る、横塚氏が『ヒーテルマーケルの航海術書』と短縮呼称する、「シカットカーメル」(SCAHTKAMER)」。これは別に「ゼヱハルト」とも呼ばれるという。横塚氏によれば(コンマを読点に代えた)、『原著は不明であるが』、『対数が』複数のルートで『日本に入ったことが』判る内容を持つとする。『その原書は Claas Hendriksz Gietermaker1621-1667 頃), ’t Vergulde licht der zeevaart, ofte konst der stuurlieden : zijnde een volkomen klare Onderwijsinge der Navigatie, bestaande in ’t geen een Stuurman hoognoodig behoorde te weten, 1733(『航海の黄金の光、 すなわち航海士たちの術 :[それは] 完全で明白な航海術の教えであり、その中に航海士が必ず知っておくべきことが存在している』、ライデン大学蔵)のことであると考えられる』とある。

「囀乙都(ウォイツ)」学術雑誌らしいが、不詳。ドイツ語か。識者の御教授を乞う

「木拉必私斜斯(モラビスセス)」本文で注した通り、原典では、この『私斜斯』(音「スセス」の相当部分)にスラーのような記号を左に附し、そこに、『魚』と記してある。マンボウに与えられた古い種小名らしい。

「オルタラ・ゴリスキス」綴り不明。当時のMola mola のシノニムか。

『「コロムプヒス」【「鑛塊魚」の義なり。】』綴り不明。老成し、体表が青黒変色した、ゴツゴツして見える個体の呼称としては腑に落ちる。

「一塊結躰(いつかいけつたい)」一つの巨大な塊りとして丸く結集したような状態。

「其の頭と體との分解」判然としたマンボウの頭部と胴部の分かれ目の認識を指す。

「審辨(しんべん)」弁別すること。はっきりと見分けること。確かに、マンボウは、正直、巨大な魚の頭が本体から千切れて、なお、生きている異魚のように見える。少なくとも小学生の時、私はそう思っていた。

「潮を噴く両(ふた)つの孔」鰓蓋。

「游泳をなすの二鬣(ふたひれ)」胸鰭。但し、遊泳には専ら背鰭と腹鰭及び舵鰭を使用し、体幹を動かすことで泳いでおり、体に対して異様に小さい胸鰭の利用度は、遊泳能力にはあまり寄与しているとは思われない。

(を)」尾鰭。

「ケレヱン」博物学者らしいが、不詳。識者の御教授を乞う

「コロツプヒツセン」不詳。前の部分は、先の『「コロムプヒス」【「鑛塊魚」の義なり。】』と似ているように思われ、「ヒツセン」は「fische」と類推されるから、ドイツ語か。

「ゼーハルケン」【海豬(イルカ)の義。】」ドイツ語と思われる。頭は「See」(海)であろう。しかし、現行のドイツ語で「イルカ」は「Delphin」で、「ハルケン」でピンとくる綴りは見当たらない。イルカが飛び上がった時の形が「鉤」(ハーケン(Haken))型になるからかとも思ったが、だったら、今でも生き残っていていい語であろうから、私の思い違いだろう。

 注の最後の方、外国語の部分が殆んど判らなかった。どうか、再度、識者の御教授を切に乞う。よろしくお願い申し上げる。

 総ての他のテクスト電子化注を停止して、四月一日から、結局、完成に一週間かかった。これを以って、栗本丹洲「翻車考」の電子化注を終わる。私個人の中では、今年最初の、リキの入ったものとなった、とは思っている。]

 

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