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2018/04/05

栗本丹洲自筆「翻車考」藪野直史電子化注(9) 佐渡の「沖マンザイ」、別姿でリターン!

 

Sadonomanbouzu

 

[やぶちゃん注:画像は底本である国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの「翻車考」のものをトリミングした。]

 

□佐渡姫津漂着のマンボウの大型個体(これは先に電子化した栗本丹洲 単品軸装「斑車魚」(マンボウ)と同一個体のはずであるが、大分、印象が違う。リンク先の方が可愛い。丹洲はこの個体を描いた絵を複数所持していたのであろう。向きも真逆である)

■翻刻1

寛政丁巳秋重九日佐州姫津村

海濵大魚漂着相川御役所

人夫二十人ニテ擔來邑尹朝比奈

氏親一看乄其名ヲ問フコレ

万宝ノ年ヲ經老大ノモノ漁人モ如

此モノハ獲ルヿ稀ナリ

此土ノ漁人コレヲ「沖マンサイ

長一丈

横徑中六尺五寸

全体皮上ニ

アリサメノ如ク堅シ

背上 斑文アリ

 

 

■翻刻2(一部で読解し易くするために《 》で語句を添えた)

寛政丁巳(ひのえみ)秋重九日、佐州、姫津村海濵に、大いなる魚、漂着す。相川御役所に、人夫二十人にて擔(かつ)ぎ來たる。邑尹(いういん)朝比奈氏、親しく一看(いつかん)して、其の名を問ふ《に》、『「万宝(まんぼう)」の年を經(へ)《たる》老大(らうだい)のもの《なり》』と。漁人も『此くのごときものは、獲ること、稀れなり』と。《また、》『此の土(とち)の漁人、これを「沖マンザイ」と云ふ』《と》。長さ、一丈。横の徑り、中(なか)にて六尺五寸。全体、皮の上に沙(すな)あり、「サメ」の《それの》ごとく堅し。背の上《に》斑文あり。

 

[やぶちゃん注:既に述べた通り、栗本丹洲 単品軸装「斑車魚」(マンボウ)と同一個体であるにしては、数値データなどで一部に有意な齟齬(後注参照)がある或いは、丹洲所持の複数所持していた絵図に添えられた記録の齟齬が、そのまま表れているものかも知れない

「寛政丁巳(ひのえみ)」寛政九年。グレゴリオ暦一七九七年七月三十一日。

「秋重九日」「重」は不詳。栗本丹洲 単品軸装「斑車魚」(マンボウ)には『七月九日』とあるので、この「重」は「十」でも「廿」でもない。七月の異名にも「重」の漢字のものはない。識者の御教授を乞う。

「佐州、姫津村」現在の新潟県佐渡市姫津(ひめづ)。ここ(グーグル・マップ・データ)。私の好きな、外海府海岸と尖閣湾の間に当たる。

「相川御役所」現在の佐渡市相川広間町にあった佐渡奉行所。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「邑尹(いういん)」ここは佐渡奉行の「奉行」を唐名風に当てたものであろう。唐代には「府」の長官を「尹」と称したから、佐渡国は天領で、国主は徳川将軍であり、藩主も存在しないから、地方長官としての佐渡奉行(定員二名で一年毎に交替で現地に赴任)が事実上の最高責任者であり、支配者であった。「邑」はここでは「国・領地」の意。

「朝比奈氏」当時の佐渡奉行の一人、朝比奈次左衛門昌始(まさもと)。寛政六(一七九四)年閏十一月に目付より佐渡奉行となり、寛政十年五月に長崎奉行へ転出している。

「一看(いつかん)」一見すること。

「長さ、一丈」栗本丹洲 単品軸装「斑車魚」(マンボウ)には『口より尾の端に至る、壹丈』とある。口吻尖端から舵鰭の後端までが、三メートル三センチメートル。

「横の徑り、中(なか)にて六尺五寸」栗本丹洲 単品軸装「斑車魚」(マンボウ)には『胴の中徑(なかわた)り、五尺』と一尺五寸もの違いがある。「中」は胴の最も中ほどの左右幅の謂いか。「六尺五寸」は一メートル九十七センチメートルで二メートルに近い(「五尺」は一メートル五十一センチメートル)。]

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