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2018/05/30

諸國里人談卷之一 鹿伏神軍

 

     ○鹿伏神軍(かふしのかみいくさ)

佐渡國鹿伏(かふし)明神、每年二月九日、大雨風〔おほあめかぜ〕にして、夜に入〔いり〕て大きにあれ、明がたより、しづまり、翌十日、極めて晴天なる事、例年、たがはず。土俗(ところのもの)、其夜は「神軍あり」といひつたへて、戸出(とで)をせず、籠れり。あけの日、社頭の邊に、ふしぎの矢の根、數(かず)あり。尖矢(とがりや)・かりまた・かぶら矢など、さまざまの形にして、大〔おほい〕さ、常の箭(や)の根のごとし。人民、これを拾ひて守(まもり)とす。囘國の僧など、拾ひ得て來〔きた〕る事あり。

[やぶちゃん注:四度の私の佐渡行で二度泊まった「ホテル大佐渡」のある、現在の新潟県佐渡市相川鹿伏(あいかわかぶせ:(グーグル・マップ・データ))地区には、現在、海辺近くに熊野神社と善知鳥神社があるが、この孰れかか? 孰れの神社を調べても、比定は出来ない。但し、後者は仁平元(一一五一)年の創建と伝わり、嘗ては善知鳥七浦(下戸・羽田・下相川・小川・達者・北狄・戸地)の総鎮守とされていた由緒ある神社で、こちらに分はありそうには見える。五度目の佐渡行で是非、行って調べてみたい。なお、この鏃が突如、出現するという奇譚は、私が電子化した橘崑崙の北越奇談 巻之二 俗説十有七奇 (パート1 其一「神樂嶽の神樂」 其二「箭ノ根石」(Ⅰ))で、佐渡島と海を隔てた新潟での奇談として似たような話として語られているのが興味深い。是非、そちらも参照されたい。さらに私の佐渡怪談藻鹽草 淺村何某矢の根石造るを見る事によれば、この相川地区の山の中で何者かが鏃を作っているという怪異も載せられており、これは本話とロケーションから言っても強い親和性・関連性があるものと考えてよい。こちらも是非、読まれたい。また、後の奇石収集家で本草学者の木内石亭(きうち/きのうちせきてい 享保九(一七二五)年~文化五(一八〇八)年)の、私の偏愛するフリーキーな石百科「雲根志」(十六巻。(安永二(一七七三)年に前編を、安永八(一七七九)年に後編を、享和元(一八〇一)年に三編を刊行)の「後編卷之三 像形(ざうぎやう)類」の「霹靂碪(へきれきちん)」(「雷神の砧(きぬた)」の意)に、『佐渡國鮎河(あゆがは)』(相川のこと)『鹿伏(かふし)明神の境内に每年二月九日山神を祭る。翌十日、近郊のもの、山に入(いり)て鏃石をたづね拾ふに、きはめて得ると』と出る。

「戸出(とで)」外出。

「かりまた」「雁股」。先が股(やや外に開いたU字型)の形に開き、その内側に刃のある狩猟用の鏃(やじり)。通常では飛ぶ鳥や走っている獣の足を射切るのに用いる。

「かぶら矢」鏑矢。「鏑(鳴鏑(なりかぶら)」は矢柄 (やがら) の先の鏃 (やじり) 部分に附ける道具で、木・竹・獣類の角などで作り、「蕪(かぶら)」の形に似た鈍体で、長円形を成し、中を空洞にして周囲に三~八個の孔を空けておき、これによって、矢を射ると、その孔が風を切って鳴りながら飛ぶ。本来は、その響きによって相手を射竦めたり、もっとプラグマティクに開戦や味方への信号用として用いた。鳥や兎などの小型獣類を外傷を加えずに捕獲或いは射技の一つとして射る場合にも用いた。古墳時代中期以降に既に現われており、「古事記」「万葉集」に「比米加夫良」「鳴鏑」の名がみえる。「嚆矢(こうし)」・「鳴箭 (めいせん)」 とも称する。]

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