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2018/05/19

御伽百物語卷之六 桃井の翁

 

   桃井の翁

Momoinookina

[やぶちゃん注:ここは、最終巻に入ったので、一度も使用していない小川武彦編「国文学資料文庫三十四 青木鷺水集 第四巻」(昭和六〇(一九八五)年ゆまに書房刊)の大判の挿絵を使用して見た。]

 

 

 禪師隆源といふ僧あり。曹洞の所化(しよけ)なり。久しく豫州宇和島の等覺寺(とうかくじ)にありて、江湖(こうこ)をつとめ、此たびは美濃の慈照寺にとおもひたち、錫(しやく)を飛ばせ、芒鞋(ぼうあい)を踏みて、先づ、上(かみ)がたへと心ざしける序(ついで)、故郷なりければ、若州(じやくしう)のかたへも寄りて、兩親の無事をも尋ねばやとおもひて、三條なる宿(やど)より、北をさして急がれしが、誰(たれ)いそぐ道にもあらず、心にまかせたる旅といひ、且は此僧の俗姓(ぞくしやう)、若州においては双(ならび)なき武士なり。其身、また、武勇を好み、就中(なかんづく)、半弓(はんきう)の手だれなりしかば、朝暮(てうぼ)、殺生を好み、鳥・獸(けだもの)はいふに及ばず、咎(とが)なきものといへども、一旦の怒(いかり)に心ざしを奪ひ、殺害(せつがい)殘忍の惡業(あくがう)にほこりけるゆへ、二親(しん)も、これにもてあまし、後生(ごしやう)を恐れて出家させし人なりとぞ。されば、此ゆへに、かゝる轉蓬(てんぽう)の身となりても、猶、宿習(しゆくしう)の兆(きざ)すところふかく、常に半弓をはなさず、旅には、かならず、これを身にそへて出でけるゆへ、心剛(こゝろがう)なるにまかせて、夜の道ぞ難所ぞと物えらみする事なく、おもひたちし本意(ほい)は、かたの如く遂(とぐ)る人なりけるまゝに、今度(こんど)、都にのぼりし序(ついで)、國許(くにもと)へも赴くなれば、道すがら見ぬ所を行くも、一つの慰(なぐさみ)なるべしなどおもひて、俄に下賀茂より左につきて鞍馬山へまふで、こゝかしこ拜みめぐりて惣門に出づれば、日は、はや、七つにさがりけるに、泊るべき心もなく、なを、北をさしてあゆみ行くほどに、桃井坂(もゝゐさか)の山口(やまぐち)にいたりぬ。是れよりは山道のみにて、又やすむべき人屋どりもなく、二里が程は險しき山坂(やまさか)ぞと聞きて、しばらく、その邊の葛屋(くづや)に立ちいり、煮茶(にちや)など乞ひてやすみしが、主(あるじ)と見ゆるものは法師にて、大杉を伐(きり)たふし、これが杉皮を剝ぐなりけり。此翁(おきな)、隆源をつくづく見て、

「何と御坊はこの晩景におよびて、猶、北に行くの氣(け)しき也。これよりさきは山坂のみ相つゞきて、咽(のんど)をうるほすべき谷水だに遠し。夜(よ)にいりぬれば、狐狼(こらう)おほく、又は八升(やます)・奧瀨(おくせ)・久田(くた)・婆梨畠(はりはた)などいふ里々(さとさと)の惡黨ども、おのれおのれが、友をかたらひ、往反(わうへん)の柴賣(しばうり)・木賣(きうり)など、暮れて歸るものあれば、切りたふし、突き留(と)め、わづかなる錢、少しの糧(かて)をも情なく剝ぎとるぞや。是非、こよひは泊りて、明日おくへは、通り給へ。」

とかたりけれども、隆源は生得不敵なる心から、

「我に一藝あり。さやうの惡黨は、しりぞくるに易し。」

といひて、暮れかゝる空をいとはず、その家を、たちわかれぬ。

[やぶちゃん注:「禪師隆源」「曹洞の所化」不詳。「所化」は修行僧のこと。「禪師」は後年の称号ということになろう。

「豫州宇和島の等覺寺(とうかくじ)」現在の愛媛県宇和島市野川(のがわ)にある臨済宗龍華山(りゅうげさん)等覚寺(とうがくじ)。ここ(グーグル・マップ・データ)。宇和島藩主伊達家菩提寺。宗派が違うが、禅宗は極めて個人主義的な宗教で、本来は宗派(禅宗内ではなおさら)の違いを問題にしないから、全くおかしくない。例えば、藪野家の墓のある臨済宗の円覚寺白雲庵は、鎌倉幕府第九代執権北条貞時に招かれて渡来した、元の僧東明慧日(とうみょうえにち 一二七二年~一三四〇年の隠居所(彼は円覚寺・建長寺などの住持を歴任した)であるが、彼は終生、曹洞宗の僧であった

「江湖(こうこ)」禅宗で修学参禅を行う学問僧を指す。馬祖道一(ばそ どういつ 七〇九年~七八八年中唐の禅僧で後継は臨済宗と関係が深い)が揚子の西に、石頭希遷(せきとう きせん 七〇〇年~七九〇年:六祖慧能と行思(ぎょうし)に師事し、後、衡山の南寺の石上に庵を結んで坐禅をしたことから「石頭和尚」と呼ばれた。江西の馬祖と並んで「湖南の石頭」と称された)が洞庭の南に住し、参禅の徒は、その間を往復した故事に基づく。従って、この「つとめ」は職務に「務め」たのではなく、学問に「努め」たのである。

「美濃の慈照寺」岐阜県瑞浪市日吉町にある曹洞宗恵日山慈照寺か。ここ(グーグル・マップ・データ)。但し、岐阜県内には今一つ、揖斐郡大野町下磯に臨済宗玉臺山(ぎょくだいさん)慈照寺がある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「芒鞋(ぼうあい)」草鞋(わらじ)の別称。

「若州(じやくしう)」若狭国。

「三條」京の三条。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「半弓(はんきう)」和弓の長さによる分類で、六尺三寸(約百九十一センチメートル)を標準としたもの。七尺三寸(約二百二十一センチメートル)の大弓(通常の和弓のこと)よりも短いものを言う。威力は大弓に劣るものの、コンパクトで座って引き放つことができることから、即射や狭い所(屋内も含まれる)では非常な効果を発揮する。

「轉蓬(てんぽう)」風に吹かれて切れ、根を離れて転がる蓬(よもぎ)の意からそれこそ「転」じて、流浪すること及び旅人の身に喩える。

「宿習(しゆくしう)」本来は「前世で積み重ねた善悪の行為の応報」の意。しかし、ここで露水は明らかに俗人であった頃の因果な過去の習癖の意を含めている。

「桃井坂(もゝゐさか)の山口(やまぐち)」現在の京都府京都市左京区大原百井町百井峠の登り口であろう。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「葛屋(くづや)」草葺きの民家。

「八升(やます)」現在の京都府京都市左京区花脊八桝(はなせやますちょう)町。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「奧瀨(おくせ)」不詳。国土地理院地図で調べたが見当たらない。しかし、現在の花脊八桝町と次の久田地区の間と考えてよいから、この中央附近(グーグル・マップ・データ)の古い地名と推測はされる。おお! ここは! 私がもう一度逢いたい超美人の若女将のいる料理グンバツの「美山荘」のあるところではないか!!!

「久田(くた)」婆梨畠(はりはた)」京都府京都市左京区久多(くた)地区。ここの附近国土地理院地図)。

「婆梨畠(はりはた)」不詳。但し、久田地区から国土地理院地図を北上してみると、福井県小浜市中ノ畑とか、その南東には、滋賀県高島市朽木麻生地区と思われる場所に熊ノ畑という地名を見出せるから(リンクは孰れも国土地理院地図)、この周辺であろうと私は推測する。]

 

 はや、半里ばかりもや過ぎぬらんとおもふに、折しも廿四日の夜(よ)の星のひかりさへ、雲かくれて、跡さきも見えず。遠近(をちこち)のたつきもしらぬ山中を、とぼとぼと分けつゝ行くうしろに、思はずも、人のひそかに蹐(ぬきあし)して跡をしたひ來るもの有り。

 隆源、

『すは。癡者(しれもの)よ。』

とおもひ、立ちとゞまり、聲をかけて、

「何やつなれば、かくはするぞ。」

と、あらゝかにとがむれども、應諾(こたへ)もせずして、同じやうに立ちとゞまるを、雲すきに透(すか)して見るに、いと大きなる男の、太刀、ぬきそばめて、立つる也。

『こは、惡いやつ。』

と、例の半弓をうちつがひ、矢つぎ早(ばや)に射かけけるに、一筋もあだ矢なく、手ごたへしてあたりけれども、彼の男、きくもせず、猶、こたへて衝立(つゝた)ちたり。

[やぶちゃん注:「癡者(しれもの)」これはてっきり、かの老人が言った追い剥ぎと合点した隆源が「(この手練(てだ)れ儂と知らずに、なんと)馬鹿な大阿呆な奴」と傲岸不遜にも思って、心の内でせせら笑ったのである。これは本話が最後に種明かしするところの非常に重要なポイントなのである。

「雲すきに透(すか)して見るに」雲の隙間から少し指す月光にに透かして見てみたところ。

「きくもせず」(放った矢が悉くその体に刺さったことは間違いないにも拘らず、それが)利いて風も見えず。

「こたへて衝立(つゝた)ちたり」こちらに対して、『お前の矢の腕前とはその程度なのか?』とでも応ずるように、平然と突っ立って、痛がったり、屈んだり、よろめいたりすることがなかったのである。]

 

 隆源も、今はせんかたなく、逸足(いちあし)を出だして馳せぬけんとする程に、日暮より催したる雨の、俄にはらはらと降り出づるに、風さへ橫ぎりに、はげしく吹き落ち、袖・笠もためず、目もあかれねば、とある大木の杉の、四、五本、茂り立ち、枝さしおほひたるをうれしき物におもひ、いそぎ、木のもとに立ちかくれ、雨(あま)やどりしたる所に、電光、おびたゞしく、隆源が跡をしたひて、此木影(こかげ)にいたり、あやまたず、彼の杉の木ずゑに、ひらめきわたる事、あたかも繪にかける輪寶(りんほう)のどとし。此ひかりの度(たび)ごとに、

「ばたばた。」

と落ちかゝるものあり。

 何やらんとおそろしくて、口に、理趣分(りしゆぶん)、とだへなく唱へ、わなゝくわなゝく、さしのぞき見るに、大きなる杉皮なり。

 しばらくの間に、杉皮の積る事、膝にいたりて、猶、落ちやまず。

「かくては、なかなか降り埋(うづ)まれ、はてはいかなる恥にかあはんずらん。」

と、強勢(がうせい)の氣をひるがへし、天にあふぎて拜し、滅罪の咒(じゆ)を誦(しゆ)し、陀羅尼品(だらにほん)・心經(しんきやう)、さまざまと、おもひ出(いづ)るに任せ、よみつらね、纔(わづか)に金剛經をよみかゝる時、やうやう、電光、うすらぎ、次第に空へまひあがるとおもへば、雨風もしづまり、やゝ星のひかり見えそめたり。

「こは、うれし。有難や。」

とふりあふのきて見るに、さしも、茂りあひつる大木の杉枝(すぎえだ)も葉も、只、今の雨風に吹き折れしにや、禿(かふろ)になりて、竿をたてたるやうになりぬ。

 隆源、いよいよ、いきほひを失ひ、心ほれて、すゝみ行くべき心ちもせざりければ、そろそろと、もとの道に歸り下り、最前とゞめたりし翁(おきな)の許(もと)まで、やうやうと歸り着きて、窺ひ見るに、なを、杉皮を剝ぎて居たりしを、戸を敲きて内に入り、いひしにも似ず、手を束(つか)ね、

「さきに君の教(をしへ)いましめ給ひつるを聞かずして、かゝる難に逢ひ、からき命たすかり、やうやうと歸りたり。今は、我、得心(とくしん)しぬ。そのうへ身も草臥(くたび)れ侍るなれば、教にそむきたる罪のほどをも見ゆるし、こゝに一夜をあかさせて給(た)べ。」

と詫びけるに、翁は、こたふ詞(ことば)なく、只、すこし、うち笑みながら、

「よし。こゝにやすみ給へ。いらざる僧の腕(うで)たてにこそあれ。佛道に入り、三衣(え)を着(ちやく)する身のすべき態(わざ)かは。けふよりして、ゆめゆめ、かゝる心な持ち給ひそ。護法善神(ごほうぜんじん)も如法(によほう)につとむる者をこそ、加護はしたまふなるぞかし。」

とて、かたはらより、大きなる杉皮を、壹枚、とり出だして見せけるに、彼(か)の、最前、くせものに射かけたる矢ども、ことごとく立ちてありしにぞ。

 隆源も、いよいよ、感淚をながし、

『扨は。我、たまたまあひがたき御法(みのり)にあひ、入りがたき釋門(しやくもん)の徒(と)になりながら、いたづらに信施(しんせ)を受け、心は、なを、惡にまみれて、假(かり)にも殺生(せつしやう)の態(わざ)を好むを、いましめ懲(こら)さんと、護法(ごほう)の、今こゝに現じ給ひ、まのあたり、我を善所に導き給ふにぞありけめ。』

とおもへば、一しほ、有りがたき。

「我がための善知識にて侍るぞや。」

とて、終宵(よもすがら)、かたりあかし、明(あく)れば、故郷のかたへと暇(いとま)こひて、出でぬ。

 そのゝち、國よりの歸りに、彼の翁、こひしく、問(とは)まほしくて、態々(わざわざ)、此道にかゝり、彼(か)の有家(ありか)を尋ねけれども、いづくの程にかありけん、それに似たる家もなく、まして翁を知りたる人もなければ、終に、あはでぞ歸りける。

[やぶちゃん注:「逸足(いちあし)現行では「いっそく」と読んで、「足の速いこと・駿足」の意。

「橫ぎり」「橫切り」で、刀で横に斬り払うかのような、猛烈な勢いで風が吹き荒ぶこと。

「袖・笠もためず」これは「溜めず」と採る。目的語は「雨水」で、降っているそれが横殴りの強風のせいで、吹き飛んでしまい、袖や笠に「留まって溜まることもなく」の意と採るのである。「矯む・揉む」の「伸ばしたり曲げたりして形を整える」の意で、強風のために、笠や袖がそれぞれあるべき位置で形を成さずに横流しになっている、という意味も考えたが、どうも苦しい。

「輪寶(りんほう)」現行では「りんぼう・りんぽう」と読む。インドの神話で正義によって世界を治める理想的帝王とされる転輪聖王(てんりんじょうおう)が所有する七宝の一つ。金・銀・銅・鉄の四種がある。元来は車輪の形をした、八つの突起を持った、投擲して相手を傷つける古代インドの武器であったが、仏教に取り入れられて、仏法を害せんとするものを、仏に先行して四方に亙って制するとされる仏具となった。仏教に集合した転輪聖王は、世俗世界の主(あるじ)として、真理界の帝王たる仏にも譬えられる地位を与えられ、三十二相・七宝を具備するとされ、天から感得した輪宝を転がして四州を治める。所持する輪宝の違いで鉄輪王・銅輪王・銀輪(ごんりん)王・金輪王の四輪王がいるとされる。

「理趣分(りしゆぶん)」「般若波羅蜜多理趣百五十頌(はんにゃはらみったりしゅひゃくごじゅうじゅ)」、略して「理趣経」。「金剛頂経」十八会の内の第六会に当たる「理趣広経」の略本に相当する密教経典で、主に真言宗で読誦される常用経典。その言うところは、一切万物の本質が本来清らかなものであることを強調し、如何にして仏国土をこの世に実現すべきかが説かれている。

とだへなく唱へ、わなゝくわなゝく、さしのぞき見るに、大きなる杉皮なり。

 しばらくの間に、杉皮の積る事、膝にいたりて、猶、落ちやまず。

「強勢(がうせい)の氣」威丈高であった態度。

「滅罪の咒(じゆ)」サンスクリット語音写をそのまま唱える陀羅尼(だらに)の一つの「七仏滅罪真言」か。過去七仏が説いたとされるで、「光明真言」と同じく滅罪に極めて大きな効験がある真言とされるものである。

「陀羅尼品(だらにほん)」「法華経」の「陀羅尼品第二十六」。非常に強い威力を持つ経とされ、読むに達していない者が読むと狂人となるとさえ言われる経文である。

「心經(しんきやう)」般若心経。

「金剛經」「金剛般若波羅蜜経」。大乗経典。全一巻。鳩摩羅什(くまらじゅう:西域のクチャ(亀茲(きじ))国出身の翻訳僧。サンスクリット名「クマーラジーバ」)訳が著名。一切法の空(くう)・無我を説き、特に禅宗で重んじられる。

「禿(かふろ)」禿(は)げ。

「腕(うで)たて」粗暴極まりない腕(腕力)自慢。

「三衣(え)」は「さんね」とも読む。本来はインドの比丘が身に纏った三種の僧衣で、僧伽梨衣(そうぎゃりえ:九条から二十五条までの布で製した)・大衣(だいえ=鬱多羅僧衣(うったらそうえ):七条の袈裟で上衣とする)・安陀会(あんだえ:五条の下衣)のことを指すが、ここは単に僧衣のこと。

「護法善神(ごほうぜんじん)」仏法を守護する鬼神。梵・帝釈天・四天王・十二神将・十六善神・二十八部衆などを総称する。

「如法(によほう)」「法のごとし」で、仏の教法に叶っていることを指す。

「御法(みのり)」仏さまのありがたい教え。

「信施(しんせ)」信者が仏・法・僧の三宝に捧げる布施。

「善知識」人を導いて仏道・悟りに導き入れる師としての僧。

「有家(ありか)」「在處(ありか)」。]

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