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2018/05/15

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(41) 佛教の渡來(Ⅳ)

 

 衆生に涅槃を説く代りに、慈悲の得らるべき事と苦雖の避けらるべき事、則ち無量光明の王たる阿彌陀の樂土と、等活と稱する八熱地獄、頞部陀(アブダ)といふ八寒地獄の事を人々に説いたのである。未來の罰に就いての教へは實に恐ろしいものであつた、私は弱い優しい神經の人にはこの日本の、否、寧ろ支那の地獄に就いての話説を讀ひ事をすすめたくない。併し地獄は極度な惡るいものに對してのみの罰でありて、罰は永遠のものでもなく、惡魔そのものも終には救はれるのであつた……。天國は善行の報いであつた、如何にもこの報いはいつまでも殘るの爲めに、幾多のつぎつぎの再生を過ぎ通てて行く間延ばされて居るかも知れない、が併し又一方に、その報いは唯一つの善行に依つて、現世に於て獲られるかも知れないのであつた。その他、この最高の報いの時期に達せざる以前にあつて、つぎつぎの再生每に、その生は聖い[やぶちゃん注:「きよい」。]道に於ける絶えざる努力に依つて、その前の生よりも幸福にされ得たのである。この有爲轉變の世の中に於ける狀態に關してさへ、德行の諸〻の結果は決して無視すべからざるものであつた。今日の乞食も明日は大名の御殿に生まれ代るかもしれず、盲目の按摩も、その次の世では、一國の大臣になるかも知れないのである。報償はいつも功績の量に比例してゐるのであつた。この下界に於て最高の德を行ふのは困難なことであつた、從つて大なる報いを獲る事は難いことであつた。併しあらゆる善行に對して報償は確にあるものであり、而も功績を得られないといふ人は、一人もないのであつた。

 神道の良心に關する教義――正邪に關する神與の觀念――をさへ佛教は否定はしなかつた。併しこの良心は、各人の心の内に眠つて居る佛陀の本來の智慧と解せられた――その智慧なるものは無智に依つて暗くされ、欲望のために塞がれ、のために縛られてゐるのであるが、いづれは十分に醒まされ、且つ光明を以て心を溢れさす運命になつて居るものである。

[やぶちゃん注:太字(「業」)は底本では傍点「ヽ」。以下、煩瑣なので、最後まで、原則、この注は省略する

「等活と稱する八熱地獄」これは「倶舎論」「大智度論」等の古代インドの仏典に出はするが、釈迦自身は、地獄の具体性については述べておらず(永く続く闇の世界とはするようである)、バラエティに富んだ地獄思想は主に中国で形成された。「等活と稱する八熱地獄」と八雲は「等活」を「八熱(はちねつ)地獄」の別称として述べているが、これは誤りで、等活地獄は八熱(大)地獄の一つである。パーリ語経典の「長部」(ディーガ・ニカーヤ)に相当する「長阿含経(じょうあごんきょう」によれば、八熱地獄は「想地獄」を第一の地獄として、以下、順に「黒繩(こくじょう)地獄」・「堆圧地獄」・「叫喚地獄」・「大叫喚地獄」・「焼炙(しょうしゃ)地獄」・「大焼炙地獄」とあって最後に「無間地獄」の命数となっているものの、その具体的な内容は記されていない。現行では、この最初の「想地獄」が「等活地獄」とされ、殺生の罪を犯した者が墜ちる地獄とされる。後に形成された八熱(大)地獄の具体的内容はウィキの「八大地獄」を参照されたい。

「頞部陀(アブダ)といふ八寒地獄」八寒地獄(はちかん(はっかん)じごく)は上記の「八熱地獄」とは別に対存在(灼熱の総体地獄に相対化された寒冷に責め苦しめられる八種の氷の地獄)する地獄とされるが、現在ではマイナーである(以下に見る通り、サンスクリット語の漢訳が変化していないことからもそれが窺われる)。ここも八雲の言い方は間違いで、「頞部陀(アブダ)」は「八寒地獄」の異名ではなく、その第一の地獄で、以下、順に「尼剌部陀(にらぶだ)地獄」・「頞唽吒(あせった)地獄・臛臛婆(かかば)地獄・虎虎婆(ここば)地獄・嗢鉢羅(うばら)地獄・鉢特摩(はどま)地獄」・「摩訶鉢特摩(まかはどま)地獄」があるとされ、これらは八熱地獄のそばにあるとする。具体的内容はやはり、ウィキの「八大地獄」の参考部の「八寒地獄」を参照されたい

 以下、一行空け。]

 

 あらゆる生物に對し親切なるべき義務と、あらゆる受難に對して憫みを盡つべき義務とに就いての佛の教は、その新宗教が世間一般から受納される前に、すでに國民の慣習風俗の土に強大な功果を及ぼしたと考へられる。早くすでに六七五年に、天武天皇に依つて一つの訓令が發布された、それは人民に、『牛や、馬や、犬や、猿や、家禽類の肉』を食ふ事を禁じ、又獲物を捕へるに係蹄[やぶちゃん注:「けいてい」。罠。「わな」と訓じてもよい。]を用ひ、陷穽[やぶちゃん注:「かんせい」。落とし穴のこと。「おとしあな」と訓じてもよい。]作ることを禁じたものであつた【註】。あらゆる種類の肉を禁じなかつたと云ふ事は、この天皇が兩方の信仰を保持するに熱心であつた事に依つて恐らく説明されよう、――蓋し絶對の禁制は神道の慣例を破るものであり、正に神道の傳統と相容れないことであつたらう。併し魚は普通の人の食品の一つとして用ひられて居たとしても、この頃から國民の大部分は、その食事の古い習慣をやめて、佛教の教に從ひ、肉食を斷つたと云つて然るべきであらう……この教へはあらゆる生あるものはみな、一に歸すといふ教義にその基礎を置いて居るものであつた。佛教はあらゆるこの世の事象をの教義に依つて説明した――その義を一般世人の了解に適應するやうに簡單にして。あらゆる種類の動物は――鳥類も、爬蟲類も、哺乳類も、昆當類も、魚類も――のそれぞれ異つた結果を表はしてゐるに過ぎないとしたのである。これ等一々のものの魂魄の生活は一つであり同じものであり、最下等の動物にも、神性のいくらかの片影は存在してゐたのである。蛙も蛇も、鳥も蝙蝠も、牛も馬も、――あらゆるものは何時か過去に於ては人間の(恐らくは又超人間のであるかも知れぬが)形をもつ特權を有つて[やぶちゃん注:「もつて」。]をたのであつた。彼等の現在の狀態は昔の過失の結果に過ぎなかつたのである。又如何なる人と雖も、同樣な過失のため、後には口のきけない禽獸の狀態に堕とされるかもしれないのである――爬蟲類か、魚類か、鳥類か、又は荷を負ふ獸類として生まれかはるかも知れないのである、。如何なる動物でも、それを酷使した結果は、その酷使者が同じ獸類となつて再生するやうになり、同じ殘酷な扱ひを受けるやうになるかも知れない。突かれたり剌されたりする牛や、鞭うたれたりする馬や、或は殺される鳥が、以前は近親の一人――祖先か、親か、兄弟か、姉妹か、或は子供でなかつたとは、誰れが斷言出來たであらう。

[やぶちゃん注:「六七五年に、天武天皇に依つて一つの訓令が發布された」天武天皇四年四月十七日(ユリウス暦五月十六日)に発布された、狩猟の規制、及び、牛・馬・犬・猿・鶏の肉食を禁ずる詔(みことのり)を指す。「日本書紀」原文(巻第二十九の天武天皇四年四月庚寅(かのえとら)の条)は以下。

   *

庚寅。詔諸國曰。自今以後。制諸漁獵者。莫造檻穽及施機槍等之類。亦四月朔以後。九月卅日以前。莫置比滿沙伎理梁。且莫食牛・馬・犬・猿・鷄之宍。以外不在禁例。若有犯者罪之。

(庚寅。諸國に詔して曰はく、「今より以後、諸(もろもろ)の漁(すなど)り獵りする者を制(いさ)め、檻(おり)・穽(ししあな)造り、及び機槍(ふみはなち)[やぶちゃん注:動物が踏むと自動的に矢や槍が放たれる機械仕掛けの罠。]等の類ひ、施(お)くこと莫(な)かれ。亦、四月朔(ついたち)以後、九月三十日以前、比滿沙伎理梁(ひまさきりのやな)[やぶちゃん注:よく判らないが、これ全体で一般名詞で、後の網代式の、川の中に足場を組み、木や竹で簀子状の台を作って、魚介類を自動的に一網打尽式に多量に生捕る仕掛けを指すものと思われる。]を置くこと莫かれ。且つ、牛・馬・犬・猿・鷄(にはとり)の宍(しし)を食ふこと莫かれ。以-外(ほか)は禁-例(かぎり)に在らず。若し、犯す者有らば、之れを罪(つみ)せむ。)

   *

 この後、何故か、註との間が一行空けになっている。注の後はなっていない。版組の誤りと採り、註の後も一行空けた。]

 

註 アストン氏『日本紀』の飜譯第二卷三二八頁參照

 

 これ等の事は凡て言葉でのみ教へられたのではなかつた。神道は何等の藝術をも有つては居なかつたと云ふことを記憶して置かなければならない、則ちその拜殿は、閑寂であり裝飾一つないものであつた、然るに佛教はそれと一緒に彫刻とか繪畫とか裝飾とかのあらゆる藝述を齎した。黃金の中に微笑む菩薩の御像――佛教の極樂の保護者[やぶちゃん注:梵天・帝釈天・吉祥天・弁才天といった天部の護法神。]、又地獄の審判者、女性の天使[やぶちゃん注:広義の中国の神仙思想由来の天女、或いは、諸仏の周囲を飛行遊泳して礼讃する飛天。]及び恐ろしい鬼神の姿等は未だ何等の藝述と云ふもののに馴れてゐなかつた人々の想像を驚かせたに違ひなかつた。寺院に懸けられてある大きな繪畫、その壁や天井を彩る大壁畫は、言葉でするよりも以上によく六生の教へや、未來の賞罰の教理を説明した。竝べて懸けられてある懸物の中には、靈魂の審判の王國への旅に於ける色々な事件や、種々雜多な地獄のあらゆる恐ろしいことが描かれてあつた。或る者は、何年も何年もの間血の滴る手でもつて、死の泉の邊[やぶちゃん注:「ほとり」。]に生えて居るきざきざした[やぶちゃん注:ママ。]竹の笹葉をむしり取つてゐなければならぬ不貞な妻の亡魂を描き、或る者は人を誹謗したものが、惡魔の釘拔きで舌を拔かれて苦しんでゐる樣を描き、又或る者は色慾の強い男が、火の女の抱擁から逃れんとしてもがき、又は剱の山の急阪を、狂亂して攀ぢ登らうとしてゐる樣を描いたのであつた。その他、餓鬼の世界の種々な圈内の有樣や、饑ゑたる亡魂の苦しみや、又爬蟲類や、獸類の形に生まれ代つたものの苦痛やが描かれてあつた。而もこの初期の繪畫の藝術は――その多くは今尚ほ保存されてゐるが――決して下級な藝術品ではなかつた。吾吾は、閻魔(Yama)則ち死者の審判者の顰蹙した眞紅の顏――又はすべての人にその生涯に於ける非行を反映さして見せると云ふ不思議な鏡[やぶちゃん注:浄玻璃(じょうはり)の鏡。]の幻影――又は『見る目』といふ婦人の容貌を表はして、審判席の前にゐる兩面に顏のある首の恐ろしい想像、又惡事のあらゆる臭ひを嗅ぎ分けると云ふ『嗅ぐ鼻』と云ふ男の幻等が、さういふ事に馴れて居ない人の想像に及ぼした効果の、どんなものであつたかは殆ど考へる事は出来ない……。親としての情愛は、描かれて居た子供の亡靈の世界の説話に深く動かされたに違ひない――その小さな亡靈は、鬼の監督の下に、靈の河の磧で苦難を嘗めなけばならないのである……。然しこの描かれた恐怖と竝んで、一方には慰安が描かれてあつた、――慈悲の白い女神なる觀音の美しい姿――幼見の亡靈の友である地藏の慈愛深い微笑――光彩陸璃[やぶちゃん注:ママ。「陸離(りくり)」の誤り。美しく光りきらめくさま。]たる虹色の翼を以て飛躍する天津乙女の魅力などがそれであつた。佛畫を描いた人は、單純な想像力の人に、天の宮殿を開き、又人の希望を、寶玉の樹の園を通つて、天福を享受した魂が、蓮の花の内に再生し、天使達にかしづかれでゐる湖水の岸に迄も導いたのである。

[やぶちゃん注:「閻魔(Yama)」閻魔は仏教・ヒンドゥー教などに於ける地獄・冥界の主とされる存在で、サンスクリット語及びパーリ語の「ヤマ」の漢音写。「ヤマ」は「縛」「雙世」「平等」などと和訳され、「縛」ならば「罪人を捕縛する」の意、「雙世」は「苦楽の二つの報い」の意、「平等」は「罪人を平等に裁く」との意と、ウィキの「閻魔」はある。

「『見る目』といふ婦人の容貌を表はして、審判席の前にゐる兩面に顏のある首の恐ろしい想像、又惡事のあらゆる臭ひを嗅ぎ分けると云ふ『嗅ぐ鼻』と云ふ男の幻」これは「見る目嗅ぐ鼻」と実際に呼ばれる、先の「浄玻璃の鏡」と並んで、地獄の閻魔庁にあるアイテムとしてよく知られる「人頭杖(じんとうじょう)」或いは「人頭幢(にんずどう)」と呼ばれるものを、分割して解説してしまったものである。幢(はたほこ)の上の皿に男女の首をのせたもので、亡者の善悪を判断するとされる。私の偏愛する円応寺の鎌倉国宝館寄託のそれをご覧あれ(リンク先画像は個人サイト「日本初の禅専門道場~鎌倉:建長寺~」内のもの)。私の記憶する限りでは、実はこの女の首の方が実は亡者の生前の悪事を総て語り、三つ目の憤怒相の天部の神めいた男の首の方が、却って亡者の数少ない善行を語るはずである。]

 

 更に又、神道ののやうな簡素な建築物に馴れてゐた人々にとつて、佛教の僧に依つて建てられたこの新しい寺院は、幾多の驚異であつたに相違ない。巨大な立派に守られた壯大な支那式の門、銅や石の唐獅子や燈籠、振り棒で鳴らされる巨大な吊鐘、廣い屋根の蛇腹の下に群がる龍の形、佛壇の目を射るやうな光彩、讀經や。燒香や、異樣な支那樂と共に行はれる儀式――それ等は歡喜と畏敬の念と共に、人々の好奇の念を煽らずには居なかつた。日本に在る初期の佛閣が、今尚ほ西歐人の眼にさへ、最も感銘を與へるものであると云ふのは注意に値する事である。大阪に在る四天王寺――それは一度ならず建て直されたものであるがなほ原型を止めてゐる――は紀元六〇〇年來のものである、が、奈良の近くに在る法隆寺と云ふ、更に著名な寺院は六〇七年頃の建立である。

[やぶちゃん注:「廣い屋根の蛇腹」この前後部分は原文では“the swarming of dragon-shapes under the eaves of the vast roofs”である。但し、戸川の「蛇腹」は変な用法ではなく、建物の軒や壁の最上部などに帯状に巡らした、刳形(くりかた)のある突出部分を指す日本建築の正しい用語で、「胴蛇腹」「軒蛇腹」などがあるが、素人にはよく判らない。平井呈一氏は『切妻』と訳しておられるのだが、これも切妻に限定してしまうと、私にはピンとこない。ここ(「屋根の蛇腹」「切妻」)は「軒下」とした方が今の我々には通りがいいのではないか? 所謂、軒の一番奥の上の角、建物の垂木の端が突き出た部分(隅尾垂木)や尾肘木(おひじき)等に施された、龍の立体的な彫刻物を指していると私には読めるからである。

「四天王寺」聖徳太子の建立した七大寺の一つとされる荒陵山(あらはかさん)四天王寺は、「日本書紀」によるならば、推古天皇元(五九三)年に造立が開始されたことになっている。

「法隆寺」「六〇七年頃の建立」同じく聖徳太子七大寺の筆頭とされる本寺(斑鳩寺とも呼ぶ)は、「日本書紀」によるならば、厩戸皇子(聖徳太子)が推古九(六〇一)年に飛鳥から、この地に移ることを決意、宮室の建造に着手し、推古一三(六〇五)年にその「斑鳩宮」に移り住んだとし、現行では一応、寺自体は推古一五(六〇七)年の建立とされるが、種々の疑問点があり、建造はこれよりも後の七世紀後半以降と考えられている。]

 

 勿論、有名な繪畫や大きな彫像は寺院にだけしか見られなかつた。併し佛師達はやがて最も邊鄙の場處に迄佛陀や菩薩の石像を置くに至つた。かくして始めて、今尚ほ路傍の到る所から旅人に微笑みかけてゐる地藏の像が出來た――又その三匹の表象的な猿と共に公道の保護者である庚申の像――それから百姓の馬を保護する馬頭觀音の像――その他粗笨ではあるが印象深きその技術の中に、尚ほ印度の起原を想はせるやうな幾多の像が作られたのである。次第に墓場は夢みるやうな佛陀や菩薩――石の蓮華の上に坐し、眼を閉ぢて崇高なる靜寂の微笑をたたへてゐる聖なる死者の守護者――で以て群がるやうになつた。都會は到る處、佛彫師が店を開き、各種の佛教宗派の禮拜する本尊の像を敬虔な家庭に備へ附けた。そして位牌、則ち佛數に於ける死者の標なる板牌の製造人は、神棚の製造人等と同じく、その數を增し繁昌したのである。

[やぶちゃん注:「その三匹の表象的な猿と共に公道の保護者である庚申の像」庚申塔のことであるが、「公道の保護者である」とするのは後に、道教由来の唐渡りの庚申信仰とは全く異なる、それ以前からあった「塞ノ神」信仰や、豊穣を祈る原型が性神化しそれが道途の地神となり、道祖神信仰として混淆集合した結果であって、庚申信仰自体には道や旅人を守るという属性はない。

 以下、一行空け。]

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