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2018/05/09

進化論講話 丘淺次郎 第十五章 ダーウィン以後の進化論(3) 三 ハックスレーとヘッケル

 

      三 ハックスレーヘッケル

 

 「種の起源」が出版になるや否や、直に之に賛成し、廣くこの考へを普及せしめやうと盡力したのはイギリス國ではハックスレードイツ國ではヘッケルである。この二人は孰れも有名な動物學者であるが、或は演説により、或は雜誌上の論説により、幾度となく通俗的に進化論を敷衍して述べたので、比較的短い間に一般の人民の間にも、進化論の大要が廣く知れ渡るやうになつた。進化論の普及上には最も功績の著しい人等である。尚兩人ともに宗教上の迷信を遠慮なく攻擊し、その上僧侶の墮落を激しく罵つた故、宗教界からは惡魔の如くに言はれて居る。

[やぶちゃん注:「ハックスレー」生物学者トマス・ヘンリー・ハクスリー(Thomas Henry Huxley 一八二五年~一八九五年)。小学館「日本大百科全書」より引く。『ロンドンで医学を修めたが、もともと物理学に関心があったために、生体機能の物理・化学的側面を扱う生理学に興味をもった。生計をたてるために海軍の軍医となり、ラトルスネーク号でオーストラリア方面に航海し』(一八四六年から一八五〇年まで)、とくにクダクラゲ類』(刺胞動物門ヒドロ虫綱クダクラゲ目 Siphonophorae)『について優れた研究を行った。帰国後、王立鉱山学校教授となり、化石の研究や生理学、比較解剖学に従事。王立学会員となり』、一八八三年からは『同会長を務めた。腔腸』『動物の内・外胚葉』『が、高等動物の内・外胚葉と相同であることを示し、また』、従来の『頭骨は脊椎』『骨の変形したものであるとする「頭骨脊椎骨説」の誤りを正した』。『ダーウィンとは、航海から帰国後まもなく知己となり、終生』、『親交を結』び、彼の「種の起原」(一八五九年)が『出版されるや』、『ただちにダーウィン説に賛同し、ダーウィン自身にかわってこの説の普及者となることを決意し、「ダーウィンのブルドッグ」とよばれた。とくに』一八六〇年に『イギリス学術協会において、ダーウィン説の反対論者であった』司教サミュエル・ウィルバーフォース(Samuel Wilberforce 一八〇五年~一八七三年)を『論破したことは、その後の進化論の受容に大きな影響を与えた。しかしハクスリーは、ダーウィン説を無批判に受け入れたわけではなく、その欠陥も鋭く指摘し、またダーウィンが避けた人間の起源の問題にも言及した』とある。

「ヘッケル」何度か注している、生物学者で哲学者でもあったエルンスト・ハインリッヒ・フィリップ・アウグスト・ヘッケル(Ernst Heinrich Philipp August Haeckel 一八三四年~一九一九年)。「ブリタニカ国際大百科事典」より引く(コンマを読点に代えた)。『父は行政官。ウュルツブルク、ベルリン両大学で医学を学ぶ。ベルリン大学で当時教授であった』ヨハネス・ペーター・ミュラー(Johannes Peter Müller 一八〇一年~一八五八年)の『影響を受け、海産動物の研究に関心を』持ち、一八六一年には『イェナ大学より動物学の学位を取得、同年員外教授』、一八六五年からは正教授となった。ダーウィンの「種の起原」が『出版されると、それを支持し、進化論の普及・啓蒙に努めた。彼は自然界全体を一元的に説明することを志し、そのための基礎理論としての役割を進化論に求めた。また』、『無生物界から生物界への連続的な移行を想定し、両界をつなぐものとしてモネラという原始的な生物を仮想』し、『それは蛋白質から成る無構造の塊とされ、これに物理法則が働いて単細胞生物へ、さらに多細胞生物へと進化すると考えた』(但し、『この仮説を一時裏づけていたモネラの発見は、誤りであることが』後に判明している)。生物を物理法則で説明しようとする基本姿勢は、遺伝に関する理論においても』採『られており、原形質をつくっている分子の運動で遺伝の仕組みを説明』、『理論的考察のみに基づいてではあるが、核が遺伝に関係していることを』、一八六六年という『早い時期に示唆した。また、有名な反復説』(「個体発生は系統発生を繰り返す」)『を定式化し、「生物発生原則」とも呼んで重視した』とある。]

 

Haksuri

[ハックスレー]

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像を使用した。裏の字が透けるため、補正を加えた。本図は学術文庫版では省略されている。(以下のヘッケルも同前)。]

 

 ダーウィンは「種の起源」の中には、たゞ動植物ともに互に相似た種屬は共同の先祖から進化して分かれ降つたといふ一般に通ずる論を述べただけで、人間は如何なる先祖から進化し來つたものであるかといふ特別の論は、全く省いて掲げなかつた。之はそのときの世の有樣を考へて、人間の先祖のことを第一版に直に書いては、そのため世人の反對を受け、肝心の生物進化論や自然淘汰の説までが、世に弘まらぬ恐があるから、ダーウィンが態々略して置いたのである。倂し文句にこそ書いてはないが、この書の中に書いてある一般の論を、人間といふ特別の場合に當て嵌めて考へれば、是非とも人間と他の獸類とは共同の先祖より分かれ降つたとの結論に達せざるを得ぬことは誰にも明に知れる。然るにハックスレーは早くもその翌年に處々で人間と猿とは同一の先祖より降つたものである、人間の先祖は獸類であると明に斷言して演説し、尚後にこれらを集め、書き直して、「自然に置ける人類の位置」と題する書を著した。之は從來人間は神が態々自分の形に似せて造つた一種特別のもので、天地萬物は皆人間に役に立つために存在するなどと説き込んで居た耶蘇教に對しては、非常に大きな打擊であつたから、宗教家からはな暗に嫌はれ、彼等の攻擊の的は殆どハックスレー一人の如き有樣となつた。餘程前のことであるが、或る耶蘇教の雜誌を開いて見たのに、その中に「進化論の本家であるダーウィンは神を尊敬する人である。たゞその取次をするハックスレーといふ男が無神論を主張して、世に害毒を流すのである。けしからぬは實にこの男である」といふやうなことが書いてあつた。倂し實際ハックスレーの述べたことは、ダーウィンの説と少しも違つた所はない。たゞダーウィンが生物全體に就いて論じた所を、人間といふ特殊の場合に當て嵌めただけで、その主張する點は全く同一であつた。ダーウィンもその後「人の先祖」と題する書を著して、進化論を特に人間に應用し、人間も他の獸類と先祖をともにするもので、猿の類から分れ降つたものに相違ないとの説を明に述べた。この書は今より五十五年前の出版故、その後に發見になつた澤山の面白い事實は載せてないが、その頃までに知れて居た材料だけは、十分に集め、且議論も餘程鄭重にしてあるから、かの「種の起源」と共に進化論を研究しやうとする人の、一度は必ず讀まねばならぬ本である。ハックスレーがその著書の中に述べた最も著しいことは、人間と猿類との比較解剖によれば、人間と高等の猿類との相似る度は、高等の猿類と下等の猿類との相似る度よりも遙に優つて居るとの論である。同じく猿類といふ中には、猩々もあれば狒々もあり、南アメリカには長い尾を樹の枝に卷き附けて身を支へる類があり、又鼠猿(ねづみざる)というて殆ど、鼠のやうな類もある。これらは皆四肢ともに物を握ることが出來るから、從來は總べて合せて四手類と名づけて居た。また人間が哺乳類に屬することは如何なる動物學者も疑ふことが出來ぬが、猿と違つて手が二つよりないといふ所から、別に二手類といふ目を設けて、猿類とは離してあつた。然るにハックスレーの研究によると、この區別は解剖上少しも根據のないことで、猿の後肢と人間の足とは骨骼・筋肉ともに全く一致して居るから、決して一を手と名づけ、一を足と名づくべきものでない、若し猿類が前後兩肢ともに人間の手と同じ構造を有するならば、眞に四手類の名に背かぬが、實は後肢の方は人間の足と解剖上同一の構造を有するもので、單に之を以て物を握るだけであるから、この點を以て猿と人間とを別の目に分つのは無理である。特に猿類の中でも、猩々の如きものと、南アメリカの尾を卷く猿などとを比べて見ると、その間の相違は人間と猩々との間の相違よりは遙に著しいから、若しかやうなものを同じ目の中に編入して置くならば、無論人類もその中に入れなければならぬ。現今の動物學書を開いて見れば、孰れもこの考を取り、人類と猿類とを合して靈長類と稱する一目として、哺乳類中に置いてあるが、之は比較解剖上の明な事實に基づくこと故、動物學上では誰も異議の出しやうがないからである。

[やぶちゃん注:「自然に置ける人類の位置」ハックスリーが一八六三年に刊行したEvidence as to Man's Place in Nature(「自然界に於ける人間の位置に関する証拠」)。

「人の先祖」ダーウィンが一八七一年に刊行したThe Descent of Man, and Selection in Relation to Sex(人間の祖先、及び生殖に関わるところの淘汰)。

「今より五十五年前」本書は東京開成館から大正一四(一九二五)年九月に刊行された『新補改版』(正確には第十三版)。数えとすれば問題ない。

「猩々」オランウータン(哺乳綱霊長目直鼻亜目Simiiformes 下目 Catarrhini 小目ヒト上科 ヒト科オランウータン属 Pongo で、現生種はスマトラオランウータンPongo abelii・ボルネオオランウータンPongo pygmaeusPongo tapanuliensis(二〇一七年にスマトラオランウータンのトバ湖以南の個体群が形態や分子系統解析から分割・新種記載されたもの)の三種)の別名(漢名)。

「狒々」直鼻猿亜目高等猿下目狭鼻小目オナガザル科オナガザル亜科ヒヒ属 Papio

「長い尾を樹の枝に卷き附けて身を支へる類」直鼻猿亜目広鼻下目オマキザル上科オマキザル科オマキザル亜科オマキザル属 Cebus としておく。オマキザル類の上位タクソンでもよい。

「鼠猿(ねづみざる)」マダガスカル島の林に広く分布するサル目コビトキツネザル科ネズミキツネザル属ネズミキツネザルMicrocebus berthae 辺り(或いは同属の近縁種)を指しているものと思われる。]

 

 ハックスレーの專門學上の功績はなかなか夥しいもので、その中に進化論の材料となるものも決して少くはないが、この人はその外に理科の教育、進化論の普及に盡力して、澤山な論文を公にした。而してその文句は總べて極めて平易で、學者の通弊ともいふべき、むずかしい字をわざと竝べたやうな形迹は少しもないから、誰も明瞭に著者の意を解することが出來る。それ故、特に生物學に志す人でなくても、一般の教育ある人は、誰が讀んでも利益があるが、英語を學ぶ人などにはまた最も善い手本として見るべき價値があらう。

 

Hekel

[ヘッケル]

 

 ドイツ國で盛に進化論を主張し、通俗的に之を普及せしめたのは、有名なヘッケルである。この人は近頃までエナ大學[やぶちゃん注:現在のドイツ・テューリンゲン州のイェーナにあるフリードリヒ・シラー大学イェーナ(Friedrich-Schiller-Universität Jena)。ここ(グーグル・マップ・データ)。]の動物學教授を勤めて居たが、動物學者兼哲學者ともいふべき人で、生物學上確に知れて居る事實を基とし、之に自分の理論上の考を加へて、一種の完結した宇宙觀を造り、進化論を説くに當つても常に自説を附け加へて吹聽した。それ故ヘッケルの著書を讀んで見ると、どこまでが學問上確に知れて居ることで、どこからが想像であるか、その境が判然せぬ樣な感じが起るが、斯くては一般の讀者を誤らしめる虞があるというて、動物學者の中にも之に不賛成を表する人が澤山にある。倂し兎も角も事實の間を想像で繫いで、始から終まで纏まつた考が貫いて居るから、讀んで解り易いことはこの上はない。この人の著書は專門の動物學の方にも非常に多くあるが、通俗的の方で最も有名なものは「自然創造史」と「人類進化論」との二册で、兩方とも大抵の國語には飜譯せられてある。またその後「世界の謎」及び「命の不思議」と題する面白い書を二册著したが、之も早速大評判となり、忽ちイギリス語・フランス語等に譯せられた。

[やぶちゃん注:「自然創造史」一八六八 年刊のNatürliche Schöpfungsgeschichte

「人類進化論」一八七四年刊のAnthropogenie oder Entwicklungsgeschichte des Menschen

「世界の謎」一八九九年刊のDie Welträtsel

「命の不思議」恐らくは、一九〇四年に刊行された、先のDie Welträtselに補足する形で書かれたDie Lebenswunder. Gemeinverständliche Studien über Biologische Philosophie(「生命の不思議/生物哲学についての分かり易い研究」)であろう。]

 

 「自然創造史」といふのは、既にその名前で知れる通り、今日我々の見る天地間の萬物が神といふやうな自然以外の者の力を借らず、たゞ自然の力によつて漸々出來上つた有樣を書いたものである。その大部分は素より想像に過ぎぬが、今日知れてあるだけの科學上の知識を基礎としたもの故、全く空に考へ出した想像とは違つて、多少眞に近いものと見倣さねばならぬ。倂し事實上の知識の足らぬ所を餘り奇麗に推論で補つてあるため、この書を讀むと恰も今日既に天地間の事物が悉く解釋せられ盡したかの如くに思はれ、かの「講釋師見て來たやうな虛言をつき」といふ川柳などを思ひ出して、却つて全體を疑ふに至り易い。ヘッケルも素よりこの書の中に書いてあることを悉く確乎たる事實と見倣しては居ないが、進化論を通俗的に述べて、一般の人民間に普及せしめるには、科學上確乎たる事實だけを掲げ、他に如何に眞らしいことがあつても、事實上の證據の出るまでは尚疑を存して置くといふやうな愼重な遣り方では、なかなか間に合はぬ。それよりは寧ろ多少の想像を加へて、生物進化の有樣を具體的に造り上げて、所謂「中(あた)らずと雖も遠からず」といふ位の所を示した方が、功力が多いとの考から、恐らくかやうに書いたのであらう。「人類進化論」も之と同樣で、人類の進化し來つた徑路をその出發點から説き起し、初め何の構造もない簡單な生物から漸々進化して、終に今日の複雜な人間になるまでの歷史を詳[やぶちゃん注:「つまびらか」。]に書いてあるが、之も無論大部分は想像で、その中には隨分眞らしからぬ點も少くない。一言で評すれば、餘り明瞭過ぎるのである。今日我々の不完全な知識を以て、既に人間の進化の徑路を、始から終まで到底斯く明に説けるわけのものではないが、このことはヘッケル自身も承知で、たゞ當時知れて居た人間の發生學上の事實を基として推し考へた想像を、具體的に書き綴つて、やはり「中らずと雖も遠からず」と思つた所を公にしたに過ぎぬ。以上二種ともに解り易く書いた本であるから、進化論を研究したい人は一度は讀んで見るが宜しい。こゝに述べたことを心得て讀みさへすれば、別に誤解するやうな憂[やぶちゃん注:「うれひ」。]はなからう。また「世界の謎」と「命の不思議」とは生物學を基礎としてヘッケル流の宇宙觀ともいふべきもので、讀む人によつて無論批評も違ふであらうが、哲學的の趣昧を有する者には至極面白い書物である。

 ハックスレーヘッケルもともに初期の進化論者であるから、主として生物進化の事實を世に弘める方に力を盡したが、理論の方は先づダーウィンの説と同じであつた。特にヘッケルは明にラマルク説をも主張し、その著書の最新版にも後天的性質の遺傳を認めなければ、生物進化の原因は到底説明が出來ぬと斷言して、次に名を揚げたウォレースヴァイズマンの學説を頭から攻擊して居る。ヘッケルは已に數年前に亡くなったが、從來の議論から見ると、自然哲學的見地から常に生物進化の全局面を普く考へて論を立て、一局部の現象を重く見過ぎて、その方に偏する如きことはなかつたやうに思はれる。

[やぶちゃん注:「ウォレース」「ヴァイズマン」は次の章で注する。

「ヘッケルは今年の二月に既に滿八十歳に達した」ヘッケルは一九一九年八月八日に没している。本書は既に示した通り、大正一四(一九二五)年九月に刊行された版である。]

 

 序にいうて置くことは、ヘッケルの著書にはドイツ國の詩人ゲーテを非常に尊重し、恰もゲーテを以て生物進化論の首唱者の如くに説いてある。ゲーテの大詩人であつたこと、及びその生物學に非常な興昧を持つて居たことは、誰も疑ふものはないが、彼を以て進化論の首唱者と見倣すのは殆どヘッケル一人だけで、他の生物學者は之に同意を表するものはないやうである。またヘッケルは機會さへあれば、口を極めて耶蘇舊教を罵り、その僧侶の不品行を攻擊して、往々必要のない所に之を引合(ひきあひ)に出すこともあるが、これらは單に癖とでも見て置くが宜しかろう。

 兎に角イギリスではハックスレードイツではヘッケルといふやうな人等が「種の起源」の出版後、直に進化論を普及せしめようと大いに盡力したから、この二國では忽ち下層の人民までも進化論といふ題位[やぶちゃん注:「だい」「くらゐ」。]は知るやうになつたが、そのため反對論もまた盛に起り、一時は何雜誌を見ても、進化論に關する記事が必ず掲げてあるやうな有樣であつた。フランスその他の國々では、ハックスレーヘッケルに比すべき人がなかつたから、たゞその著書を飜譯しただけで、隨つて進化論の普及することも幾分か遲かつたやうである。

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