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2018/05/28

御伽百物語卷之六 福びきの糸 / 御伽百物語全電子化注~完遂

 

   福びきの糸

 

Hukubikino

 

[やぶちゃん注:挿絵は「叢書江戸文庫二 百物語怪談集成」のものを用いた。本図は二枚あるが、最終話は楽屋落ち的な特異な構成を持っており(その区切れは原典では続いていて戸惑うので、例外的にアスタリスク三点を挿んだ)、これは全く別な絵で、原典の図の配置も完全に離れている(ここでもそうした。ただ、一枚目の絵はどうもこの話の挿絵としてはピンとこない。有り得るとした内侍所の参詣ぐらいしか合わないが、だとしても、何をどう描いたのか、全くの的外れの絵である。まあ、右手上方の二人が主人公の男女ということだろうけれどね)。なお、短歌・漢詩・詞書きの前後は一行空けた。]

 

 戀にさまざまの道あり。見そめて戀ふるあり、聞きてしたふあり、馴れておもふあり、繪によりて人をもとめ、草紙よみてうらやみ願ふあり、神に祈り佛にうつたへ身を捨ても逢はん事をおもふ。誠にかぎりなき欲によりて、かぎりある命を投げうつたぐひも、おほかり。さるが中に珍らしき宿世(すくせ)あり、あひがたき人に逢ふためしには、かならず、先づ、文正(ぶんしやう)がむかしをぞ引き、そのほかには猿源氏(さるげんじ)ひき、人鉢(ひとはち)かづき、うつぼの俊蔭(としかげ)が娘など、いにしへの文(ふみ)にも、たぐひなきものに思へばこそ、かくは記して置きけめ。

[やぶちゃん注:「文正(ぶんしやう)」「文正草子(ぶんしょうのそうし)」。作者未詳の室町時代の御伽草子。鹿島大明神の大宮司の下男である文太(後に文正)が塩売りをして長者となり、大納言にまで出世する庶民立身譚。

「猿源氏(さるげんじ)」「猿源氏草紙」。江戸の寛文年間(一六六一年~一六七三年)に大坂心斎橋の書肆渋川清右衛門が『いにしへのおもしろき草子』を選んで「御伽文庫」とシリーズ名をつけて板行した全二十三編中の一つ。室町時代の成立で作者未詳。「鰯賣り」と題した古写本もある。内容は鰯売り猿源氏が和歌連歌の歌徳により、五条東洞院の傾城「蛍火」との恋を遂げて立身出世する、という「源氏物語」の庶民版パロディ。

「人鉢(ひとはち)かづき」「鉢被(はちかづ)き」。室町時代の御伽草子。作者未詳。母の臨終に鉢をかぶせられた備中守藤原実高の姫が、継母に憎まれて家出し、山蔭の三位中将の風呂番をするうち、その末子の宰相殿と相思の仲となり、嫁比べの前夜、鉢がとれて金銀宝物を得て幸福に暮らす話。継子物に長谷観音の霊験譚を絡ませたもので、所謂、「シンデレラ」型説話である。「人」はヒロインが鉢を被るから添えたものか。

「うつぼの俊蔭(としかげ)が娘」平安中期の九七〇年代頃に成立したとされる「宇津保物語」。作者は源順(したごう)とする説が有力。清原俊蔭・その娘・藤原仲忠・犬宮(いぬみや)の四代に亙る霊琴に纏わる音楽霊験談と、源雅頼の娘の貴(あて)宮を主人公とする皇位継承譚が絡み合って展開する。琴の物語が伝奇的であるのに対し、貴宮の物語はさまざまな求婚者の描写や「国譲(くにゆずり)」の巻の政争の記述などに於いて写実性が顕著である。書名は、発端の「俊蔭」の巻に仲忠母子が木の空洞(うつほ)に住むシークエンスに因む。]

 

 それが類(たぐひ)とはなけれど、花洛(くわらく)にも此ごろ、有りがたき戀せし幸人(さいはひびと)ぞある。

 富松(とまつ)何某(なにがし)といふもの、獨りのむすめを持てり。父母の慈みふかく、ひたすらにおさなきより、手かき物、よませ、糸竹(いとたけ)の態(わざ)にも、おほやう、心ゆくばかり、學ばせ、少し物の心わきまふる比(ころ)にもなりぬれば、

『今ははや、いかなる方にも、さそふ水あらば、よしある人の手に。』

とおもひ居たり。

 此むすめ、又、かたち・心ざま、いとやさしく、情もふかく、餘(よ)の人にも似ず、心ある生れなりしかば、其比のもてはやし草(ぐさ)になりて、知る、しらぬ、心を通はし、情を挑(いど)まざるは、なかりけり。

 されど、此むすめ、何をおもひ入れ、いかに心に染(そ)みけるにや、露ばかりも、はかなき戲れをだにせず、物の心しり顏に、明かし暮しつる程に、十といひて五つもや餘りけん、異人(ことひと)には難面(つれな)きものに思はれたれども、流石、また、露(つゆ)心なきにしもあらで、移り行く年も、はや暮れ行く空の、春に立ちかはる、節分とて、我も人も、北にむかひ、南にあゆみ、禁中の御神樂(みかぐら)・六角・天使など、心(こゝろ)々によき年をとるべく、願ひて、いさみたつに、此父母もむすめを連れ、

「いざや、年とりてよ、大内(おほうち)は世にめでたきかたにこそあれ。あやかりてよきさいわひの年にもあへ。」

と、諸共(もろとも)に、うちむれたる人の中、をし分けつゝ、程なく内侍所(ないしどころ)の廣前(ひろまへ)にいりぬ。

[やぶちゃん注:「六角」恐らく、現在の京都市中京区堂之前町にある天台宗紫雲山頂法寺(とうほうじ)のことであろう。本堂が六角形であるため、一般に「六角堂」の通称で知られる。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「天使」恐らく、現在の京都市下京区にある五條天神社であろう。通称を「天使の宮」「天使社」と呼ぶ。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「年をとる」後で「年とりてよ」とか、「年とりにと出るが、これは新年を迎えたことを祝って行う寺社などへ参詣する儀式のこと。大晦日や節分に行われた。

「内侍所(ないしどころ)」内裏で「三種の神器」の一つである神鏡を奉安する場所。女官の内侍が守護したところから、この名がある。「賢所(かしこどころ)」とも称する。神鏡の実物は伊勢神宮に祀られている(ということになっている)が、これを模して造ったレプリカが天皇の身辺近くに奉安されていた。江戸時代は春興殿(しゅんこうでん)に置かれてあった。]

 

 かゝる人ごみの中といへども、あひあふえにし[やぶちゃん注:「相ひ逢ふ緣」。]とて、此富松が家にむつまじう行きかよひ、常にうらなく[やぶちゃん注:隔てなく。]語りける冥合(めいがう)といふ書生ありけるが、是れも、年とりにとて、此庭に參りて、思はず、此むすめと立ちならびて、共にふしおがみけるを、兼て此むすめ、心にしめて、冥合をたぐひなき者に床(ゆか)しく思ひ居たりしに、かゝる折から、娘、さとく、

『それよ。』

と見とがめ、少し袖をひかへ、何とはしらず、袖より袖に、いるゝ物あり。

 冥合もまた、心なきにしもあらず、明暮れ戀したひつゝありけれど、人めの關(せき)の隙(ひま)なければ、此三とせばかりも埋火(うすみび)の下(した)にのみ、こがれたる色ながら、それとだに打ち出でて、ゑいひも出でざりけるに[やぶちゃん注:「え言ひも出でざりけるに」の誤り。]、不思議のよすが[やぶちゃん注:「緣」「便」。たよりとしするに足る事態。]嬉しく、殊にむかふる年の始め、

『さいわひよし。』

とおもひつゝ、ひとり笑みして歸りて後、袖にいれられたりし物をとり出だして見れば、白きうすやうにかきたる、

 

   けふこそはもらしそめつれおもふ事

   またいはぬ間の水くきのあと

 

とかや、いと小さく書きて引きむすびたり。

 冥合も、もとより戀わたりけれども、かく双戀(もろごひ)に見たれけりとはしらざりければ、今さら、道ゆく人の足もとに金(こがね)ひろいたらんやうに、飛びたつばかり、うれしさも身にあまりて、

 

   見こもりの神にや君もいのるらん

   戀ときくより我もうれしき

 

など思ひつゞけて、折ふしの行きとぶらひける序(ついで)、ことに、何よりも猶、心とめて互に花薄(はすゝき)、みだれあふべき折をうかゞひける程に、あらたまの春の日かげ長閑(のどか)に明けわたる朝(あした)は、きのふにも似ず、ありあふ人も骨牌(かるた)・ほう引きと、賑ひわたるにつきても、

『彼(か)のいひかはせし詞(ことば)のすゑ、いかに。』

と、先づ、心にのみかゝりて、富松かたへ行きけるに、こゝには、人々、あまたこぞりて、何やらん、大ごゑに笑ふ音(おと)す。

『こは、何事をわらひ給ふぞ。』

と、奧のかたをさしのぞくに、物ひとえ隔てゝ、内より、帶のやうなるものをあまたの人のまへに投げいだすに、めんめんに、是れを、ひきしろひて取り、勝ちたる物を一筋づゝ引きいだして取る時、その帶の端に、何にても、かならず、括り付けたるものありて、それをめんめんの得物(えもの)とする事なり。

[やぶちゃん注:「見こもりの神」「見こもり」は「水籠もり・水隱り」(上代語で原義は「水中に隠れること」であるが、ここは「心に秘めていること」の意であろうか。

「ほう引き」「寶引き」。室町から江戸時代にかけて正月に行われた福引きの一種。数本の細い繩を束ねて、その中のどれかに橙(だいだい)の実又は金銭などを結び附けておき、それを引き当てた者を勝ちとした。

「ひきしろひて」「引きしろふ」互い引っ張り合う、或いは、強く引く、の意。]

 

 されば、是れにも、幸ひある人は、錢(ぜに)や雜紙(ざつし)・頭巾・碁盤など引きとる物あり。

 さもなものは紙雛(かみびな)・双六(すごろく)の筒(とう)火吹竹(ひふきだけ)やうのものを引きとりて、恥(はづ)かしがるを笑ふなりけり。

[やぶちゃん注:「さもなもの」そこまで運がついていない者。

「双六の筒」双六をする際に骰子(さいころ)を入れて振る筒(つつ)のこと。]

 

 冥合も、おかしさに、

「いで。我も引きて心みん。」

と、手にあたりたる帶一すじ取りて引くに、かた、引けず。力を出だしてひくに、引きしぼりたるばかりにて、猶、ちつとも、引きとらず。

 身をよりて引くに、すこしは寄るやうにても、ひかれぬを、そばなる人、わらひつゝ、

「是れは、例(れい)の柱にゆひ付けてある帶なるべし。さきざきの人もかゝる事にて、手をとりたる物を。」

と、こけまどひて笑ふ。

[やぶちゃん注:「例(れい)の柱」大黒柱か。

「さきざきの人」前(今まで・過去)に挑んだ人々。

「かゝる事にて、手をとりたる物を」「この牽けども引けぬとんでもないそれを引き当ててしもうて、大いに手古摺った挙句、諦めてしもうたものやに。」。]

 

 冥合も、今はせんかたなくて、

「さらば、柱か、見ん。」

と物の隙(ひま)よりさしのぞけば、彼のむすめ、帶のはしをとらへてあなたへとひく也けり。

 嬉しさは限りなけれど、夫(それ)も人めのやるかたなくて、心に答へ、目にやくそくして、しばらく、其座を繕ひ、

「實(げ)に。これは柱にてありけり。」

などと空しらずして、物のまぎれより、忍び入るも、わりなし。

 娘も、いまだかゝる添臥(そひぶし)したる身にしあらねど、宿世の緣(えにし)とかいふ物に催され、早(はや)疾(とく)より戸口に待ちつけて、いとうれし氣(げ)なりけるを、冥合も、

『此珍しき逢瀨をゆるしぬるは、そも如何なる神のむすびそめし下紐(したひも)ぞ。』

と、ありがたき事におもへば、

 

   かたおかの森のしめなはとくるより

   長くとだにもなを祈るかな

 

といひかけゝるに、をんなも、はぢらひながら、

 

   我はたゞ來ん世のやみもさもあらばあれ

   きみだにおなじみちにまよはゞ

 

など、はかなげにひさして、いたく恥かし、とおもひたる氣粧(けはひ)もいとほしくて、かりなる手枕(たまくら)に、來し方の恨(うらみ)を晴(はら)し、一夜に千世(ちよ)のちぎり絶(たへ[やぶちゃん注:ママ。])ずなど、むつ言(ごと)の數も盡(つき)ねども、よしよし、あかでこそ、またの夕暮れもまたるれ、せき守人(もりびと)めに怪しまれなば、佐野の舟橋(ふなはし)とりはなれたる中(なか)となりなん。

[やぶちゃん注:「佐野の舟橋(ふなはし)とりはなれたる中」「中」は「仲」。「万葉集」巻第十四(三四二〇番)の、

 

 上つ毛野(かみつけの)佐野の舟橋(ふなはし)取り離し親は離(さ)くれど吾(わ)は離かるがへ

 

及びそれを下敷きとした複式夢幻能「船橋」に掛けたもの。「舟橋」は舟を複数繋いで上に板を渡した仮作りの橋のこと。「がへ」は終助詞「かは」の訛り。強い否定を含んだ疑問。]

 

 はてはては、名(な)にながれてや、はつべきなどゝ、まぎらはし、なだめて出づるを、女はうしと思へるさまにて、

 

   心にもあらぬ月日はへだつとも

   いひしにたがふつらさならずば

 

となん、手ならひのやうにかけるを見て、

 

   すゑまでもなをこそたのめ夕だすき

   かけしちぎりは世々にくちめや

 

など、かへすがへす、慰めて出でぬ。

 かくて、行きかよひける程に、其年もなかばたつ秋の名にあふ月もてあそばんとて、富松が家に友をまねく事ありしに、冥合もその人數にありて出でたりしが、其夜は殊に月のひかりもいつより冴へまさりて、あづさ弓やしまの外(ほか)も曇りなく見ぬ唐(もろこし)の洞庭の暮も胸の中にうかみて、など、各(おのおの)いひあへるにも、我のみ、おもひ、くまあるものから、先づ、おもかげぞさやかにたてり、

 

   いとゞしくおもかげにたつこよひかな

   月を見よともちぎらざりしに

 

とおもひつゞけらるゝも、くるし。

 かくて、夜も更け行くに、酒もくみかさねて、みなみな、醉いふしたるに、主(あるじ)の富松、さかづきをもちて、いまひとしほなど、しゐて、さしける序(ついで)、

「是れをさかなに。」

と、いひてさしよせたる硯ふたに、

 

   池水(いけみづ)にこよひの月をうつしもて

   こゝろのまゝに我がものとみん

 

とかきて、かたはらに、『庭のをみなへし色こくなりにたり、今は一もとの花をゆるし參らせてん』とあり。

 冥合、

「さ。」

と、心とゞろきて、うれしさの餘り、又、さかづきをかたぶけつゝ、壻(むこ)しうとのむすびをいひかはせば、

 

   千とせまでおもかはりすな秋の月

   おひせぬ門(かど)にかげをとゞめて

 

など、よろこびの數をかさね、千世よろづ代のすゑ、くちず、めでたき妹背(いもせ)とぞなりにける。

[やぶちゃん注:「ひとしほ」「一鹽」。酒の肴としても盛り塩を今一杯に掛けたもの。]

 

   *   *   *

 

Otogi100endo

 

 かくて、物語も、はや、九十九におよび、今一つにて百におよぶといふころ、俄に家鳴(やな)りし、風すさまじく吹きおちて、一筋の灯(ひ)の、心ぼそく、ちらめき[やぶちゃん注:ちらちらと揺れて消えかかることであろう。]、そこらあたり、物音の、

「ひしひし。」

とひゞきわたるに、

「扨は、化物(ばけもの)の出づるなるべし。始めよりいらざる物といひしに。」

などと、肝膽(きもたましい)も身にそはず、ちりぢりに逃げかくれ、息をもたてず居たりけるに、案に違(たが)はず、其たけ、一丈ばかりもあらんとおもふ、四方髮(ほうがみ)の侍、大小をさし、肩衣袴(かたぎぬばかま)、りゝしく着こなし、天井より、

「ゆらり。」

とおりて、人々の居ならびたる中へ罷り出で、何とも物いはず、ふところより、何やらん、取りいだしけるを見れば、一間(けん)の机一脚と、硯箱を出だし、また、左の袖より、五尺ばかりもあらんと見ゆる、屛風の白張(しらばり)なるを出だし、人中(ひとなか)に引きひろげて、ながめ居たり。

[やぶちゃん注:ここが本「御伽百物語」のコーダで、最初の百物語の開始のシークエンスに戻って繋がり、綺麗な額縁構造を成しているのである。御伽百物語の「序・目録を再度、確認されたいが、登場人物は、

・百物語の咄人(はなして) 六十六部の僧如寶(にょほう)

・同じく 発起人      花垣舌耕子(はながきぜっこうし)

・同 応対(あど)     四五人

・亭の主人         白梅園

であった。

「始めよりいらざる物といひしに」「百物語をすると、必ず、百話になんなんとする最後に恐るべき怪異が出来(しゅったい)するからやめたがいい、と拙者が申したに!」と座中の誰かが責任転嫁をしたのである。

「四方髮」(しほうがみ)は髪を長く伸ばし、四方からかき上げて後ろで束ねた「総髪」の異称。近世の医者・学者・浪人などが結った。

「一間」一メートル八十二センチメートル弱。]

 

 しばらくして、右の袖より、十四、五なる小坊主、飛びいでゝ、彼(か)の硯にむかひて、墨を磨り、大筆(おほふで)を點じて、大男に渡せば、彼のおのこ、筆を取り、屛風にむかひて物を書くなりけり。

 始め、逃げちりたる人の中に、心づよく肝ふときものありて、是れを見るに、

 

  世重雙南價 天然百練精

 

と書きて、又、もとの如く、机も硯も、ふところにおしいれける時、身うちより、光明をはなち、數千人の小坊主となりて、大ごゑをあげ、手をたゝきて笑ひ、各(おのおの)つぼの内におりけるよ、とぞ見えし、掻きけすやうに、失せてけり。

[やぶちゃん注:「世重雙南價 天然百練精」

 

 世に重んず 雙南(さうなん)の價(あたひ)

 天然 百練 精(くは)し

 

と訓じている。

「つぼ」庭のこと。]

 

 是れを見て、心をゆるし、逃げかくれつる者ども、皆々、ひとつ所にあつまり、とりどりの評判、はてしなく、我のみ賢顏(かしこがほ)にかたりあへど、ひとりとして證(しやう)もなき事なりしを、つくづくと聞きつゞけ、舌耕(ぜつかう)も主人も、

「くつくつ。」

と笑ひ、

「みな、何れものはなしは、昔ものがたりのやうに、付けそゆる私事(わたくしごと)多くて、一つも實(まこと)にならず。我、此ばけものゝ書きたる詩を思ふに、定めてこれは、幸(さいはひ)の端(はし)なるべし。彼の詩は黃金(わうごん)を題にふまへたる物なるぞや。此かたへ行きて掘りて見よ。」

とありければ、舌耕、よにうれしくおもひ、主君(しゆくん)と共に先達(せんだち)し、人あまたに鋤鍬(すきくわ)をもたせ、先づ、庭におりけるに、不思議や、此家の緣さきより、黄なる鳥、一羽、飛びあがり、巳午(みむま)の方をさしてかけり行くを見て、

「いよいよ、此鳥を目がけて、行けや、者ども。」

と、主人のおしへにまかせ、ひたすら、鳥の行くかたへあゆみけるに、稻荷山(いなりやま)のおくにいたりて、此鳥、大きなる杉の木あるに、羽(は)をやすめけるまゝに、急ぎ、掘りて見たりけるに、纔か三尺ばかりの底にあたりて、大きなる石の櫃(ひつ)を掘り得たり。

[やぶちゃん注:「幸(さいはひ)の端(はし)」金運の端緒の繩の端。前の話の宝引きに引っ掛けてあるのである。

「彼の詩は黃金(わうごん)を題にふまへたる物なるぞや」私が馬鹿なのか、どこから黄金が引き出されるのか判らない。「雙南」は何か中国辺りの故事か、或いは漢字の分解した謎かけか。「天然百練精」は言われりゃ、錬金的ではあるが。識者の御教授を願う。

「主君」話を催した屋敷の主人白梅園。君主ではないので注意。

「巳午」南南東。

「稻荷山」不詳。但し、京都っぽいから、現在の伏見区北部の伏見稲荷大社の東にある東山三十六峰の南端の稲荷山かも知れない(京都市中からなら、方角も腑に落ちる)。標高二百三十二メートル。(グーグル・マップ・データ)。]

 

 そのうへに、銘ありて、いはく、

 

   金子三萬兩天帝これをあたふ

 

とあり。おのおの、悦び、此ふたを開きけるに、はたして書付けのごとく、三萬兩のこがね、ありしかば、兩人して配分し、心々のはたらきにより、次第に家とみ、國さかへ、今に繁昌の花ざかりとぞ聞えける。

 誠に信あれば德あり。今年は何によらずとおもひつる念によりて、かゝる幸(さいはい[やぶちゃん注:ママ。])にもあひしと也。

[やぶちゃん注:「兩人」百物語発起人の花垣舌耕子と場所を提供し、自らも参加したホスト亭主白梅園。六十六部の僧如宝がいるが、彼は行脚僧であるから、望まないであろうし、そこから二人が餞別を施せばよい。四、五人の参加者はいるが、「その他大ぜい」であって、こいつらは「兩人」には含まれない。]

 

 

   寶永三年正月吉日

          江戸 林和泉掾

                 開版

          京 寺町通松原上ル町

             菱屋治兵衞

 

 

御伽百物語卷之六

[やぶちゃん注:原典では、年月日の前に、

 諸國因果物語(しよこくいんくわものかたり) 全部六巻 後ゟ追付出來

という広告の一文がちゃっかり挟まっている。]

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