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2018/05/19

ブログ1090000アクセス突破記念 梅崎春生 やぶれ饅頭



やぶれ饅頭   
梅崎春生 

 

[やぶちゃん注:昭和三九(一九六四)年十二月号『小説新潮』初出。底本は沖積舎「梅崎春生全集 第四巻」(昭和五九(一九八四)年刊)を用いた。因みに、梅崎春生はこの翌年、昭和四〇(一九六五)年七月十九日、五十歳で肝硬変のために亡くなっている。

 幾つかについて、先に注しておく。

 初めの方に出る「原子力潜水艦が日本に寄港するという記事が新聞に出た」というのは、この前年の昭和三八(一九六三)年一月九日、アメリカ政府が日本政府に対し、原子力潜水艦の日本寄港を要請、反対の気運が盛り上がる中、翌年、アメリカ政府は日本の情勢を考慮したとされる「外国の港に於ける合衆国原子力軍艦の運航に関する合衆国政府の声明」及び「エード・メモワール(原子力艦船の安全性に関する覚え書き)」を送り、①日本政府の意志に反して行動しない。②安全確保に広範な措置をとる。③燃料交換や動力装置の修理を日本では行わない。④休養と補給を寄港の目的とすると表明、日本政府はこの声明が担保されるならば安全上は問題ないとして原子力潜水艦の入港を認め、この昭和三九(一九六四)年八月にアメリカ側に寄港の受け入れを通告、本作が発表される直前の昭和三九(一九六四)年十一月十二日、原子力潜水艦「シードラゴン」USS Seadragon, SSN-584/二千三百六十トン/排水量(水上)二千五百八十トン・(水中)二千八百六十一トン/全長八十二メートル/全幅七・六メートル/吃水六・八三 メートル/最大速二十ノット(時速三十七キロメートル)/乗員九十五名/母港・ハワイ・オアフ島真珠湾)が長崎県の佐世保港に入港したことを指す。この潜水艦はこの四年前の一九六〇年八月二十五日、北極点に到達、薄い氷を破って浮上した初の潜水艦として知られる(一九八三年退役・一九八六年除籍・一九九四年十月一日原子力艦再利用プログラムによる解体開始・一九九五年九月十八日解体完了)。因みに、当時、私は小学校二年生で、本作に出る第十八回オリンピック(昭和三九(一九六四)年十月十日~十月二十四日の記憶(白黒テレビだったので色が着色していないが)は鮮明だが、この「シードラゴン」寄港に纏わるものは残念ながら全くない(しかし、この潜水艦はその怪物めいた(実際にはタツノオトシゴの仲間である条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヨウジウオ科ヨウジウオ亜科 Phycodurus 属のシードラゴン類の英名由来)と持っていた小学館の図鑑(「地球の図鑑」か)の単色の絵と一緒にこちらも何故か鮮明に覚えている)ので、「原水爆禁止日本国民会議」公式サイト内のここと、「毎日新聞社」公式サイト内の「昭和のニュース」のこちら、及びウィキの「シードラゴン(原子力潜水艦)」を参照した)。

 オリンピックについての主人公の台詞に「とくに閉会式なんか、哀感がただよっていて、涙が出た」とあるのには、激しく共感した。小学二年生の私でさえ、あの入場の最後のシークエンスには驚き、そして強く打たれ、同じように涙が出たことを今も忘れないからである。

 今一人の登場人物の一人野原の台詞の中に「北朝鮮やインドネシヤをしめだして何がオリンピックですか」という下りがあるが、これは、ウィキの「オリンピックのインドネシア選手団」によれば、『オリンピックインドネシア選手団は』一九五二年の第十五回『ヘルシンキオリンピックから参加し』ていたが、一九六二年に行われた『アジア競技大会で』、先進国への不満と社会主義諸国への親和性を強めていた当時の『インドネシア政府が』、『イスラエルと中華民国の参加を拒否したため、翌』『年に国際オリンピック委員会から一時資格停止処分を課された』。一九六四年六月には、この『資格停止処分は取り消され』、『東京オリンピックへの参加を予定していたが』、その『インドネシア選手団』の中に『新興国競技大会』(英語:The Games of the New Emerging Forces/略称:GANEFO。先の事件後、インドネシアはIOCと対立して脱退を宣言、社会主義国・アラブ諸国・アフリカ諸国にオリンピックに対抗し得る総合競技大会の開催を呼びかけて一九六三年十一月にインドネシアで開催されたスポーツ大会。IOCはこの大会に出場する選手はオリンピックに参加する資格を失うと宣言していた)『の問題で資格停止処分となった選手が含まれていたため』、『東京オリンピックに参加することなく』、『帰国を余儀なくされた』ことを指す。また、冨田幸祐氏の論文「東京オリンピックにおける参加国・地域に関する史的研究」(PDF)によれば、『北朝鮮は GANEFO に東京オリンピックにも参加予定の選手を多数派遣していた』とあり、全く同じ理由で参加出来なかったことが判る(結局、朝鮮民主主義人民共和国の夏季オリンピックへの初参加は一九七二年の第二十回ミュンヘンオリンピックからの参加となった(但し、冬季はこれより遥か前の一九六四年の第九回インスブルックオリンピックが初参加)。

 「チャンピオンフラグ」は「championflag」で優勝旗。但し、和製英語。

 「床頭台」「しょうとうだい」と読む。病院の病室の患者用ベッド近にある、例のテーブルや小間物入れ等の附いたもののこと。

 「昇汞(しょうこう)」は塩化水銀IIHgCl2(塩化水銀)のこと。極めて有毒であるが、千倍から五千倍(〇・一~〇・〇二%)に薄めた水溶液は、かつては種々の殺菌・消毒に用いられた。

 あまり前に注すると、読むあたたが面白くないだろうから、一部は、概ね、本文中のパートの切れ目に挿入した。

 また、本篇では主なシークエンスを主人公の入院していた病院とするのであるが、描写内容から見て、梅崎春生がこの前年、昭和三八(一九六三)年九月に吐血後、そのまま不摂生のために同年十二月に東京都武蔵野市境南町にある武蔵野日赤病院に入院、一ヶ月後のこの年の一月に東大病院に転院(三月まで治療継続)した入院の実体験をまずは下敷きとしていると考えられる(季節も合致し、武蔵野日赤病院なら富士山が見えておかしくない)。但し、それ以前の、昭和三四(一九五九)年の五月に精神的変調を起し、五月から七月まで台東区下谷の近食(こんじき)病院に入院し、持続睡眠療法を受けた折りの、やや古い体験も或いは援用されていると考えてもよい(特に最後の方の野原の体験談の一部にはその感じが私にはする)。それは、遺作となってしまった一九六五年六月発表の「幻化」(リンク先は私のマニアック注釈附縦書版。ブログ版もある)では、この後者の精神科入院体験が大きなモチーフの一つとなっているからである。なお、前者の実体験は梅崎春生の随筆「病床日記」(私の注附き電子化)に詳しい

 なお、本電子化は2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1090000アクセスを突破した記念として公開する。【2018年5月19日 藪野直史】]

 

   やぶれ饅頭

 

 ある日の夕方のこと。やや肌寒くて、火鉢を入れた。

 この頃急に日が短くなって、あれよあれよという間に陽が落ち、あたりが薄暗くなる。春と秋とをくらべると、私はどちらかというと、春の方が好きだ。春はものがだんだん伸びて成熟して行く。秋はその反対で、しぼんだり枯れたり、やがて寒い冬がそれにつづく。つまり私は寒さがきらいなのである。

 私は広縁に食台を持ち出し、ひとりで酒を飲んでいた。家内は子供をつれて、久しぶりに実家に帰っている。枯葉でうずまった庭の、小さな木戸を押しあけて、男が一人ぬっと顔をつき出した。

「こんちは。お留守ですか」

 私の顔を見ながら言った。顔を見ているくせに、お留守ですかとは、全く人をくった質問だ。私はすこし怒った。

「留守であるかどうか、見りや判るだろ。玄関に回りなさい。そしてベルを押すんだ」

 悪質のセールスマンや物乞いが、とかく木戸から入って来る。この間、原子力潜水艦が日本に寄港するという記事が新聞に出た翌日、もう寄港反対の署名簿を持ってあらわれた中年女がいた。これは署名すればいいというものではない。署名をすれば、電球を買取らねばならぬ。そういう仕組になっている。この女も玄関から入りにくいとみえ、木戸から入って来た。この男もそれかと思った。

「玄関で何度もベルを押したんですけどね」

 男は庭に足を踏み入れた。

「お宅のベルの電池が、きかなくなっているんじゃないですか」

「そ、それはそうだが――」

 私はどもった。うちのブザーは夏の頃から調子が悪くなり、押しても鳴らぬ時がある。私が実験してみると、まっすぐに押しては絶対鳴らない。すこし斜めに押すと鳴る。斜めといってもその日によって右斜め、左斜め、下斜めと、鳴らし方が違う。どういうわけでそんな具合になるのか、私には判らない。接触か何かが悪いのだろう。また時ならぬ時にブザーが鳴り渡り、玄関に出ると、誰もいない。外に飛び出しても、姿は何も見えない。

 八年前にこの家を建てた時、これを取りつけたのだが、家の古びにともなって、ブザーも化物(ばけもの)じみて来たらしい。

「あれには押し方があるんだ」

 と私は言った。

「でも、鳴らなきゃ、玄関に入って、案内を乞えばいいじゃないか。それをわざわざ裏木戸に回って――」

「ずいぶん乞いましたよ」

 男はのそのそと縁側に近づいて来た。

「応答がないので、庭に回って――」

 近づいて来る男の顔を、私は見た。そしてはっと思い当った。

「ああ。君は、暑さの冬の――」

「そうです。先輩。あの時の野原です」

 今年の冬は、やけに暑かった。日本全体が暑かったわけではない。私たち、野原を含めて暑かったのである。何故私どもが暑かったのか。病院に入っていたからだ。なぜ病院が暑かったのか。暖房がきき過ぎていた。なぜきき過ぎたのか?

「まあ上れよ」

 私は野原を招じ入れた。遠慮の気配を示している。

「今日はみんな留守で、ぼく一人だ。上んなさい」

 野原はあたりを見回して、縁側にずり上った。坐り直して頭を下げ、菓子包みみたいなものを差出した。

「これはほんの手土産です」

「そんなムリをしなくてもよかったのに」

 私は受取りながら言った。立ち上って台所から盃(さかずき)を持って来た。野原は盃を受取り、にらむような妙な顔をして私を見た。

「飲んでもいいんですか?」

 ためらっている。遠慮しているのかと思って、私は酒をなみなみとついでやった。盃と言っても大型のもので、ぐい飲みに近い。

「へんな遠慮はするなよ。君らしくもない」

「別に遠慮はいたしませんがね、そうあなたが勧めるなら、飲むことにしましょう」

 野原はぐいと飲み干し、眼をぱちぱちさせて、おそるおそるあたりを見回した。私はまたついでやった。

「涼しくなりましたね。庭ってものは、ほんとにいいもんだ」

「いいってもんじゃない。うちのは掃除しないから、落葉だらけだよ」

 私は苦笑して言った。

「オリンピックが済んだとたんに、葉の散り方が多くなったようだ」

「オリンピック?」

「うん。そうだよ。多少の手落ちやいざこざがあったけれど、曲りなりにも済んでよかったねえ。とくに閉会式なんか、哀感がただよっていて、涙が出た」

「北朝鮮やインドネシヤをしめだして何がオリンピックですか。ところで、閉会式のキップがよく手に入りましたねえ」

「キップで見たんじゃない。テレビでだ」

「何だ。テレビですか。つまらない」

 野原は盃を置いた。もう空(から)になっているので、私はまたついでやった。

「さあ。飲めよ。肌寒いだろ。寒い時は外から暖めるより、熱爛で内側から暖める方がききめがある。かけつけ三杯という諺(ことわざ)もあるしね」

「飲めよとおっしゃるなら、飲みますがね」

 野原は恩着せがましく盃を取上げた。

「オリンピックが済んだのは、何も日本の役員がうまく運営したからじゃない。終りの時間が来たから、済んだんです。何も涙を出す必要はありませんよ」

「そりゃそうかも知れないが――」

「葉だって、散る時期が来たから、散ったんですよ。オリンピックとは全然関係ないです」

 言うことがへんに理屈っぽくなって来たので、おどろいて野原の顔を見ると、もう相当にあかくなっている。屁(へ)理屈上戸なのか。髪の生え際にニキビ状のものがあり、そこらがきわだって赤い。このニキビはあの暑さの冬の頃からあった。ずいぶん持ちのいいニキビだと思って訊(たず)ねてみた。

「そのニキビ、まだ直らないのかね」

「これはニキビじやありません」

 野原はそこを拒で押すようにした。

「これはね、バスクラスパイダーと言うんです」

「バスクラスパイダー?」

「そう。バスクラスパイダー。これをニキビと間違えられると、ぼくは嬉しいような、哀しいような、忌々しい気分になるんです。何かの読み違いで、桂馬で王将をぽいと取られたような――」

「そうか。ただのニキビじゃないのか」

 私はまじまじとそのニキビ状のものを見た。

「そりやスパイダー君に悪かったな。しかし、スパイダーとは、たしか英語で蜘蛛(くも)のことじゃなかったかな」

「蜘蛛ですよ。蜘蛛だから困るんです」

 彼は盃のふちをなめるようにして、洒をすこし含んだ。抑えられて白っぽくなったそのスパイダーに、徐々に血が戻って来て、元通りの色になった。

「閉会式の聖火みたいに、パッと消えてしまえばいいんですがね、そううまくいかないのが悩みなんです」

「なぜ?」

[やぶちゃん注:「バスクラスパイダー」肝障害が起こると、手掌紅斑(palmer erythema:手のひらの小指側の丘が紅潮する症状)の他、皮膚に蜘蛛状血管腫vascular spiderを認めることが多い(「vascularは形容詞で「血管の」の意)。これは春生が示すように前胸部に発症し易い。音写は「バスキュラー・スパイダー」が正しい。ウィキの「クモ状血管腫」によれば、『顔面や前胸部などの上大静脈領域に蜘が足を広げたように血管が拡張して、中心部の血管が拍動しているもの』で、『拍動している中心部を鉛筆などで押さえると、血管腫が消失したように見える。肝硬変などの肝疾患で見られる』とあり、画像も見られる。]

 

 その病室は四階にあった。南向きの部屋でベランダがついている。ベッドと椅子と洋服簞笥(だんす)、それだけでいっぱいで、人が動き回る余裕はほとんどない。中にしきり戸があり、それをあけると、バス、洋風便所がある。バスとトイレは専用ではなく、隣室と共用になっている。

 だからこのバストイレ室は、二つ扉を持っている。私の方に通じるのと、隣室へ通じるのとだ。一緒に入ると具合が悪い。片方が風呂に入っている時、片方が便所を使うような事態になると、たいへん具合が悪い。

「使用する時は、かならず電燈をつけて下さい」

 婦長に聞くと、そう教えて呉れた。

「すると向うじゃ遠慮して、入らないことになっています。くれぐれも注意することは、電燈をつけ放しにしないこと。つけ放しにして置くと、向うが便意をもよおしても、扉をあけられない。じだんだを踏んでベッドの上でのたうち回り、とうとうベランダに放出した例があります」

 なるほど、と私は合点々々をする。私だってのたうち回って、揚句はベランダに放出するだろう。私は訊ねた。

「そのベランダに放出したのは、男ですか。それとも女――」

「そんなことをあなたが心配する必要はありません。要はつけ放しにしないこと」

 ベランダは高い手すりがついていて、部屋から一メートル余り突出している。私は高所恐怖癖があるので、下をのぞくと眼が回りそうだ。ここから富士山が見える。晴天の時には白富士。夕方になると黒富士。夕焼を背にした黒富士は格別の趣きがあった。しかし私はこのベランダをもっぱら冷蔵庫がわりに使用していた。

 部屋はやたらに暑かった。

 スチームのせいである。

 初めはちゃんとパジャマを着ていたが、それも脱ぎ、毛布も蹴飛ばして、時には真裸になって寝た。それでもまだ暑い。最高の時は二十五六度あったと思う。私は訊ねた。

「どうにかなりませんか」

 スチームの元が私の部屋に通っている。洋服簞笥のうしろと窓ぎわを通っている。スチームの起点がそこらにあるらしく、簞笥をあけると、服などがほかほかにむれている。むし風呂に入っているみたいだ。ここが起点であるから、熱さをやわらげるわけには行かない。ぬるくすると末端まで行き届かない。

「寒いよりはましでしょ」

 と婦長は言うが、あんまり暑いのも困りもんだ。買置きの牛乳や見舞品の果物などが、すぐに腐ってしまう。だからそれらをベランダに陳列しておく。必要に応じてベランダから坂り出す。いつか夜中に雨が降り出し、パンや丸ボーロにかかって、食べられなくなってしまったことがある。油断もすきもならない。

 隣室の患者が、この野原であった。初対面のベランダの上で、野原の方からあいさつをした。

「お暑うございます」

「ほんとに、ねえ」

 と私はその季節外(はず)れのあいさつに応じた。

「時々ここに涼みに出なきゃ、体がもたないですな」

「そうですよ。全く」

 野原は渋うちわで、自分の顔をわさわさとあおいだ。夏炉冬扇(かろとうせん)という言葉があって、辞書で調べると、時にあわぬ無用の事物のたとえとある。しかし野原の冬扇は無用のことでなかった。

「自然に反することは、やはりいけないことですねえ。病身にいい影響を与えない」

「お宅もそんなに暑いかね」

 私は言った。

「スチームの起点だから、こちらだけが暑いのかと思った。どうです。いっぺん遊びに来ませんか」

 と言うようなきっかけから、野原との交際が始まった。ベランダには胸空向さほどの仕切りがあり、そこからの往来は出来ない。いったん廊下に出て、扉をこつこつと叩き、訪問したり訪問されたりするのである。

 それを婦長に見付かった。

「なんですか、野原さん。あなたは安静の身でしょ。よその部屋に遊びに行って、将棋をさすなんて、飛んでもない話です。院長さんに言いつけますよ」

 と婦長に叱られたらしい。彼はがっかりした表情で、私に報告した。

「もう当分将棋はさせませんな。ほんとに残念です」

「いや。ちょっと待てよ」

 と私は腕組みをして、首を傾けた。

「消燈後、便所でやるのは、どうだろう?」

 この病院の消燈は午後九時ということになっている。九時になると自発的に燈を消して眠らねばならぬ。もし燈がついていると、看護婦が回って来て、扉をたたいて注意する。

「消燈の時間ですよ」

 病室と廊下の仕切りの上辺が曇りガラスになっていて、煙がついているかどうか、すぐ判るのだ。ところが共通のバストイレ室は、さらに扉がついていて、その中の電燈の光は洩れないようになっている。だから病室の燈は消し、二人ともそこに入り、洋風便所の上に将棋盤を置く。そこで存分にさせるのではないか。

「それはいい考えですな」

 野原は膝を打って感心した。

「あそこなら看護婦に見つかるおそれはない。今夜からそうしましょう」

 そう相談がまとまって、消燈時が来ると、両方からトイレ室に入って行く。棋力は丁度(ちょうど)いいとこで、勝ったり負けたり、半々というところだ。十二時頃まで指す。スチームは十時頃停めるので、部星の温度も少しは下っている。寝巻を着て、毛布にくるまる。午前七時頃にスチームが復活するので、夜のしらじら明けに寒さが忍び寄って来る。その時の用心のために、蒲団は足のところに置いてある。

 朝、スチームが復活すると、先ず脈取り看護婦が入って来る。

「何か変ったことはありませんか」

 彼女はそう言って脈を取り、体温計をさし込んで、病状を聞く。前日の便の回数などを記入する。こうして病院の一日が始まるのだ。

 食事と診察をのぞくと、あとは暇になる。読書をするか、うとうとと眠るか、それ以外にない。陽があたると、カーテンをかける。私の場合、うつらうつらしているか、夜の勝負にそなえて将棋の本を読むかしている。一日ぼんやりしていることは、私には苦にならない。むしろ望むところだが、それは自発的にぼんやりする場合であって、強制的にぼんやりを押しつけられると、さすがのなまけものの私といえども、うんざりする。野原も同じ思いらしい。

「実際退屈ですなあ。そう思いませんか。先輩。頭がぼけるようだ」

 彼は私のことを先輩と呼ぶ。理由は私が一日だけ早くここに入院したからである。職業や学校の先輩でなく、病人として先輩だというわけだ。

「ぼくもそう思うよ。何しろ暑いからね」

「暑いから? なぜ?」

 なぜ、と開き直られると、私も返答に窮した。南洋の土人たちは暑いから退屈する。退屈してごろごろ寝たり、夜中には踊ったりする。生産への意欲はわかず、そのため文明度が低い。そういうことを言いたかったのだが、めんどうくさいからやめにした。それを言うと、野原にまた食い下られるおそれがあった。

「食事のことも――」

 野原は追究をやめて、話題を転じた。

「不満ですねえ。朝食がすむと間もなく昼飯、そして四時半には夕食でしょう。あのテンポにはついて行けませんや」

 同感である。

 朝が七時半。昼十二時。夕食四時半とは、スケジュールが詰まり過ぎていて、腹の減る間がない。朝食だけはうまくて、むしゃぶり食う。あとの二食はおつき合いで食べるようなものだ。人間は食べたい時に食べるのが理想であり、幸福というものだ。

 その不満を婦長に訴えると、

「組合がありましてね、超過勤務はしないことになっているんです」

 涼しい顔をして答えた。調理人たちの責任であって、看護婦たちの責任ではない、という言い分だ。どちらの責任にしろ、おかげで食事時間は昼間に圧縮され、残りの十五時間は何も食べられない。夜中になると腹が減ってたまらない。ぐうぐうと鳴る。それに私たちは南京虫のように、消燈後に動き出すのだが、どうしても補食としてパンや牛乳を、ベランダに冷やして置かねばならない。必要に応じて、取り出して食べる。それは病院側も黙認していた。それをいいことにして、私はウィスキー一本を、胴体を風呂敷でくるんで、ベランダの隅に安置していた。寝酒としてグラス一杯、水割りにして飲むためだ。人目をはばかって飲むウィスキーは、身に沁みてうまかった。

 

 燈を消すと、しめし合わせたようにバストイレ室の燈がともる。二人はベッドを降りて、姿をあらわす。平たい将棋盤をトイレの蓋の上に乗せる。おのおの小椅子に腰をおろして、駒を並べ始める。

 最初の中は私の方がいくらか分が悪かった。

 ただで指すのは、張合いがないので、物品を賭けることにした。リンゴやバナナ、クッキーや花束などを賭ける。もちろん決済はその場ではやらない。受渡しは翌日の昼、ベランダの上でやる。到来物であるし、ベランダに冷やしてあるので、かんたんである。生(なま)のパイナップルなどは、何度ベランダの仕切りを往来したか判らない。

 見舞品で、身銭を切ったものでないから、取られてもそうつらくはないが、ベランダの陳列品の山がすこしずつ減り、向うのがだんだん高くなることは淋しく、口惜しかった。ことにパイナッブルは、ここではチャンピオンフラッグになっていた。

 通貨の役目は、大体リンゴが果していた。リンゴは割にくさったり、いたんだりしなかったからである。パイナップルは私への到来もので、初めリンゴ三箇という相場だったけれども、野原の手に渡ると、今度はリンゴ三箇にバナナ一本という値につり上った。脈取り看護婦がまずそれをいぶかった。

「おかしいわねえ。この。パイナップル、昨日は野原さんの床頭台にかざってあったのに。もらったの?」

「うん」

 私はにやにやしながら答えた。

「もらったんじゃなくて、借りたんだ」

 その夜の将棋で、私は負けて、パイナップルは野原の床頭台に逆戻りした。

 こうして夜の将棋だけが、私たちの唯一の愉しみになった。ことに雪隠(せっちん)詰めなどがよかった。なにしろ雪隠(洋式便所だって雪隠だろう)の上で、敵を雪隠詰めにするのは、また格別の趣きがある。敵を雪隠詰めにすると、無条件でパイナップルを取る約束になっていた。

「うわっ。またおトイレ詰めか」

 野原は頭をかかえる。雪隠詰めのことを、おトイレ詰め。桂馬のふんどしのことを、桂馬のパンティ、と彼は呼称する。

「すべて近代的に、スマートに行きましょうや」

 とは彼の言い分だが、桂馬のパンティなどをかけられると、気分的にこちらは腐ってしまう。

 それで私は面会に来た家人に命じて(ここは完全看護になっているので家族の寝泊りは出来ない)将棋の本を一冊買って来させた。昼間それを読んで、手の研究をする。

 最初のころはこちらが押されて、果物だの菓子を持って行かれたが、本を読み始めて以来、逆転して、こちらが押し気味になった。

「おかしいな。どうも先輩は近頃、急に手を上げましたね」

「そうかね。そちらが弱くなったんじゃないかね」

「いや。どうもおかしい」

 そりやおかしい筈だ。昼間研究した新手やハメ手をその夜使うのだから、効果はてきめんである。五日間ほどで敵のベランダの品物は半減し、その分だけ私のはふくれ上った。たまりかねた野原は、掃除の雑役婦に贈り物をして、私の身辺をスパイさせたらしい。

 掃除の間私がベランダに待避していると、掃除婦が手を休めて床頭台の将棋の本をばらばらめくっている。私はとがめた。

「おい。何をしているんだい?」

「えヘヘ。ちょっと」

 雑役婆さんはごまかして、また掃除を開始した。その報告を聞いて、野原はあわてて婆さんに頼み、本を取り寄せた気配がある。二、三日過ぎた頃から、彼の受け手は正確になり、ハメ手にもひっかからなくなった。その時初めて私は掃除婆さんの不審な挙動に思い当ったのだ。

「君も近頃、急に手を上げたようじゃないか」

 何くわぬ顔で私は聞いた。

「そうですか。そっちが弱くなったんじゃないのですか」

 しらばくれている。

「勝負が済んでベッドに戻って、眠ろうとしても眠れないですな。そこでうつらうつらと指し手を考える。明日はどの手で勝ってやろうかとね。きっとそれが腕の上った原因ですよ」

 ぬけぬけとそういうことを言う。

「ねえ。先輩はすぐ眠れますか?」

「眠れるね。寝酒をこつそりとしまってある。ウィスキーだ」

「寝酒?」

 彼はおどろいて声を高くした。

「しっ。誰かに聞えるとまずい。酒の持込みは禁止されてるんだよ」

「そりや知っていますよ。でも、飲みたいなあ。グラス一杯でいいから、飲ませてくれませんか?」

「グラス一杯ねえ」

 私は首をかしげた。

「よろしい。そのかわりリンゴ三箇だよ。でも体にさわりはしないか?」

「ええ。でもグラス一杯ぐらいなら、差支えないでしょう。入院前まではジャカスカ飲んでたんだから」

「では、そういうことにするか」

 それから三四日後、昼間、便所に入ると、婦長のじゃけんな、また聞きようによっては愉しそうな声が、野原の部屋から聞えて来た。あえぐような音がそれに混る。

「野原さん。あんたは男でしょ。男なら辛抱出来ないわけがありません。誰も辛抱してやって来たんだから」

 そして部屋を出て行く婦長の足音がした。そっとのぞいて見ると、野原だけのようだ。私は足を忍ばせ、彼の部屋に入った。他には誰もいない。野原は黒いゴム管を口にくわえて、ベッドに横たわっている。ゴム管の尖端は胃に届いているらしい。

「どうしたんだね?」

 野原は眼をぎろぎろ動かしただけで、声を出さない。出すとよだれが出るので、口をきけないのだ。私は彼の枕もとに近づき、床頭台の上の本をめくった。本は三冊あって『定跡入門書』『詰めの研究』『はめ手のかけ方と破り方』という題だ。私はすばやくその奥付をしらべ、著者と発行元と値段をメモに写し取った。野原は残念そうに足をばたばたさせ、私をにらみつけたが、ゴム管のために手が動かせないし、口もろくにきけない。

 どうせ話しかけても返事出来そうにないので、私はメモをにぎり、トイレ室を経由して、急いで自分の部屋に戻って来た。

 その夜の消燈後、私がトイレ部屋に入って行くと、やがて野原が姿をあらわした。すこしやつれて見える。

「先輩。ずるいよ」

 声がかすれている。

「黙って部屋に侵入して、断りもなく他人の読書傾向を調べるなんて」

「断りもなくと言うが、最初のあいさつの時、君は返事しなかったじゃないか」

 私はきめつけた。

「一体君は黒い管をくわえて、何をしていたのかね?」

「見たから判るでしょう。胃液を採取してたんだ。先輩はやられたこと、ないんですか?」

「胃液はまだ採られたことはないね。バリュウムはのまされたけれど」

 私は答えた。

「バリュウムよりつらいのか?」

「へっ。バリュウムなどとは、くらべものになりませんや」

 バリュウム服用はかなりつらいと、かねてから聞いていたが、私にはそうでもなかった。のみにくいという点では、子供の時のまされたヒマシ油の方がはるかに上であった。バリュウムはどろどろした液体で、果汁か何かで味がつけてある。のんだ後、医師が胃の辺を押したり引っぱったりする。のむことよりその方がよほどつらかった。

「バリュウムはのむだけで済むが、胃液は管を入れて、三時間ぐらいじっとしてなきゃいけないんですよ」

 野原は忌々しそうに説明した。

「管をのみ込む時が、一騒ぎです。自分でのみ込むのが、たいへんむつかしい」

「むつかしいたって、あれは細いゴム管だろう。うどんかマカロニをのむ要儀でいけないのか?」

「うどんやマカロニなどは、終点が、つまり切れ目があるでしょう。ゴム管には終点がないんですよ。終点は試験管につながって、胃液が出るのを待っている。その間よだれが流れ出るし、咽喉(のど)の内部がこすられてヒリヒリするし、呼吸は困難になるしね」

「なぜ胃液をしらべるんだね?」

「入院前に少々吐血したんですよ。コーヒー色のね」

 野原は便器の上の将棋盤に、駒をパチパチと並べ始めた。

「どうもここの婦長や看護婦たちは、サディストじゃないかしら。ことに婦長と来たら、僕の苦しんでいるのを見て、首を長くしてよろこんでる風(ふう)ですよ」

「おい、おい。あの人は生れつき首が長いのだ。君のひがみじゃないか」

 私も駒を並べながら言った。

「しかし驚いたねえ。将棋の本が三冊とは」

「お互いさまでしょ。しかも本を買い込んだのは、先輩の方が先ですよ」

[やぶちゃん注:「雪隠詰め」相手の王将を盤の隅に追い込んで詰め、手を指せなくさせること。

「桂馬のふんどし」「桂馬の両取り」とも呼ぶ。将棋の初歩的な手筋を解説して呉れているこちらによれば、『敵の駒』二『枚、或いはそれ以上の駒が取れる状態にあることで、相手は取られないためには取られそうな駒を逃げることになるが一度に二つの駒を動かすわけにはいかないので必ず一つは取ることが出来る。このような状態に持っていく手を両取りを掛けると言う』とある。恐らくは多くの方には不要な注と思われるが、何せ、私は金と銀の駒の動かし方さえ知らぬ阿呆なれば、自分のためにした注と思われたい。悪しからず。]

 

 野原の経歴や年齢を、私は知らない。別に知りたいとも思わない。いつか彼は、自分はラジオやテレビのシナリオライターだと洩(も)らしたことがある。忙しい商売で、時には演出もやるので、生活が不規則になり、胃腸や肝臓をいためて、ここに入院したとのことであった。

 年齢は三十から四十の間か。近頃他人の齢が、私には判らぬようになった。昔なら青年は青年らしく、老人は老人らしい風格があって、それと見当がついたが、近頃では、ことに戦後では、それが狂って来ている。分別あるらしい口をきくから、五十代かと思うと三十代だったり、派手な洋服を着て酒場で騒いでいるので若いのかと思うと、六十代の爺さんだったりする。

 野原の場合もそれと同じだ。顔は病気のため色が悪い。しかし笑うと笑くぼができ、童顔になる。額の髪の生え際に、大きなニキビがある。人見知りをしない性質で、押しが強い。楽天家のくせに、小ずるいところがある。それで案外もてるらしいのである。

 私と野原は将棋でつながっているだけだ。いや、深夜のウィスキーの酒宴という秘密を分け合っている。その内に量が殖え、底を尽きかけたから、掃除婆さんに頼んで密輸入することになった。

「飛んでもない。婦長さんに見付かると、病院を追い出されてしまいますがな」

 と言うのをなだめすかして、ウィスキーの内容をシロップ瓶に詰めかえること、値段は市価の二倍を出すという条件で、やっと婆さんに承知させた。シロップ瓶なら、誰もとがめることはなかろう。この手は私が発明して、野原が実行に移したのである。野原だからそれは成功したので、私が頼んだらたちまち拒絶されただろうと思う。

 で、野原が婦長以下をサディズムだと称するが、彼女たちにしては、とっつきやすく、かまいたくなるのである。私はぼさっとして模範患者(?)なので、話してみても面白味がない。その点野原は違う。つき合いやすいし、ついからかいたくなるのだろう。

「君は彼女たちがサディズムだと言うが、けっこうそれを利用してんじゃないのかね」

「飛んでもない。迷惑しています」

 彼は口をとがらせた。

「ぼくをいじめて愉しがっているんですよ。看護婦だけじゃなく、先生も――」

「へえ。先生が君をいじめるんだって、まさか」

「いや。そりや本当です。近頃先生がぼくの腹を断ち割ろうと、そればかりすすめるんですよ」

 将棋が済んで深夜のウィスキーをなめながら、彼は話し出した。話すといっても、ささやくような声だ。うっかり地声を出すと、見回り看護婦なんかに聞えるおそれがある。トイレの宴が見つかると、たいへんだ。

 つまり彼の症状は、採血やその他の検査から、肝臓に重点がおかれるようになった。バリュウムや胃液検査は大体白で、一時的な胃炎であり、潰瘍の徴候はなかったそうである。バリュウムと胃液検査でさんざん苦しい目に合って、彼は少々怒っているようであった。

「何も異状がないから、先生は今度肝臓に眼をつけたらしいですな」

 肝臓検査の結果が面白くない。なにしろ肝臓は大きな臓器で、機能検査ぐらいでは、悪化の状態がつかめない。胸から腹を切り開いて、実体を眺めるのが、一番確実なやり方である。

「病気の治療ならともかく、ただの検査のためですからねえ。腹を断ち割るなんて、むちゃですよ。身体髪膚(はっぷ)これを父母に受く。あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり。孔子さまもそう言っているし、頑張ってるんですがねえ」

「で、先生は何と言った?」

「あえて毀傷するんじゃない。調査のために開いて見るんだから、大義名分はちゃんと立つと言うんですな。どうも医者というのは、切ったり削ったりすることが好きですねえ」

「そうだね。検査のために切り開くというのは、少々乱暴なようだね」

「そうでしょう。ぼくもそう言ったら、切らずに小さな穴をあけて、鏡のついた管を入れて、潜望鏡みたいに内臓を見回す。そんな方法があると言うんです。こちらは切り開くということに反対の重点を置いていたわけでしょう。それが小さな穴になってしまったんで、イヤとは言いにくくなってしまった」

 野原は忌々(いまいま)しそうにグラスをあおった。トイレの酒宴も近頃量が殖え、おのおの二杯ずつになっていた。肴(さかな)はチーズだの南京豆だのだ。

「それを腹腔鏡というんです」

「で、承諾したのかい?」

「いえ。この病院にはその設備がないというんでね、それで一安心しました」

「そりやよかったね」

 私もグラスをあけた。

「そのかわりにね、超音波と言うのがあって、その検査を受けることになりました。こいつは先生の話では、痛く痒くもないとのことで――」

「痛くないのならけっこうじゃないか」

「ええ。けっこうだとは思います。でも、その設備がここにはないんですよ」

「何だか夢みたいな話だなあ」

 私は嘆息した。

「ここにないものばかり勧めるんだなあ。なけりゃ検査出来ないじゃないか」

「だからその設備を持った病院に行けというんです。つまり一時的に委託されるんですな」

「いつ行くんだね」

「明日です」

「明日? そりゃ早いな」

 その日の会話はそれで済み、おのおののベッドに入って眠った。翌朝の十時頃、彼は友人に付添われて、この病院を出て行ったらしい。

 野原にとって都合が悪かったことは、その外出時に大掃除が行われ、れいのウィスキー瓶が発見されたのである。ベランダの品物の下にかくして置けばよかったのに、彼はずぼらをきめこんで、ベッドの下にころがして置いたのがまずかった。ウィスキー瓶やシロップ瓶などは、栓のしめ方がゆるいと、匂いを発散するものだ。掃除中に折悪しく、看護婦が一人入って来た。この看護婦はたいへん嗅覚の発達した警察犬のような女で、廊下からそれを嗅ぎ当てて入って来た。

「おや。へんな匂いがするわ」

 くんくん嗅ぎ回って、ついにベッド下の瓶を探り当てた。

「まあ。坊やがウィスキーをかくれ飲みしてたんだわ。道理で治りが遅いと思ってた」

 私はベランダでその声を聞いた。掃除のため窓があけ放されているので、声は直接に私の耳に届いた。野原は彼女たちに、坊や、と呼ばれているらしい。

「婦長さんに報告してやるわ」

 足音も荒々しく看護婦が出て行ったと同時に、掃除婆さんが大あわてして、トイレ室を抜けて、私の部屋に入って来た。

「旦那さん。旦郵さん。たいへんなことになりました」

 婆さんに聞かずとも、事情はよく判っている。私も大急ぎでシロップ瓶を、リンゴ箱のリンゴをかき分けて、見えないように隠してしまった。

「あたしが持ち込んだことは、内緒ですよ。秘密ですよ。しゃべられたら、あたしゃクビになる」

「判ってる。決してしゃべりやしないよ」

 私はベッドにもぐりながら、約束した。

「野原君もしゃべらないと思うよ。だから平気でふるまいなさい。顔や態度に出すと、かえって怪しまれる」

 やがて隣室に婦長が入って来た。きんきん声が聞える。野原は外出禁止になっているので、どこからこれが持ち込まれたか、議論をしている。掃除婆さんは掃除を終えて、向い側の部星の掃除にとりかかったらしい。やがて婦長が私の部屋に、ことこと足音を立てて入って来た。

「異状ありませんか?」

 婦長は探るような目付きで私を見た。

「あなたの退院は明後日でしたわね」

「ええ」

 何食わぬ顔で、私は答えた。

「この一冬、寒さ知らずに過させていただいて、ほんとにたすかりましたよ」

「あなたはよく指示をお守りになった」

 婦長は椅子に腰をおろしながら、ベッドの下をのぞくようにした。私は聞いた。

「お隣の人、どうかしたんですか。さっきから何かざわざわしてるようだが――」

 私は首を上げた。

「まさか、凶(わる)いことでも――」

「野原さんは今神田のJ病院に、検査に行かれたんです。その隙(すき)に何か――」

「なに? その隙に何か――」

「いや。何でもないんですけれどね」

 婦長は私の部屋をじろじろと見渡した。

「あなたは野原さんとつき合いがありましたか?」

「いいえ」

 私はウソをついた。

「ベランダで顔を合わせる時、あいさつをかわす程度です」

「そう。ベランダでね」

 婦長は立ち上って、ベランダに出た。私も起きてパジャマをまとい、婦長のあとに続いた。天気のいい日で、疎林の彼方に白富士がくっきりと浮び上っている。婦長が言った。

「野原さんの部屋を掃除していたら、ウィスキー入りのシロップ瓶が出て来たんです」

「きれいな富士ですね。あれを見ると心が洗われるような気がする」

 私は眼を細めて、富士山の方を見た。

「シロップ瓶の内容が、ウィスキーに化けてたということですか?」

「そうなんですよ。おとなしい患者(クランケ)だから、油断しているとウィスキーを盗み飲みしたりして――」

「ちょっと待って下さい」

 私は彼女の言葉をさえぎった。

「野原って、どんな人物か知りませんけれどね、あの部屋も暑いでしょう。そこでシロップが醱酵(はっこう)して、酒になったんじゃないですか」

「へえ。そんなことがあるんですか。それは初耳ですわ」

 そこで私は猿酒、猿が果物を醸(かも)して酒をつくるやり方を、うろ覚えながら説明した。

「果実汁に一定の条件を与えると、酒になるし、また違った条件では酢になる。これは常識ですよ」

 婦長はうたがわしそうに、私の顔を見ている。私は富士山の方ばかりを見ていた。

「あんな秀麗な富士の姿を見ていると、下界の人間はこせこせと何をしているのかなあ、と思うね。婦長さんは時にそんなことを考えたり、感じたりしませんか?」

 誤解のないようにつけ加えるが、私は富士山が大嫌いである。形も月並みだし、趣向も単調だし、それに山の上は登山客の捨てた紙屑や空き罐で、足の踏み場もないそうである。しかしこの場合、婦長の心境を変えるために、富士をほめ讃えざるを得なかったのである。

「そうですね」

 仕方がないと言った表情で、婦長は不承々々(ふしょうぶしょう)うなずいた。

「富士山もいいけれど、治療の方も大切ですからね。も一度よく調べて見ましょう」

 午後四時頃、野原は意気揚々と戻って来た。久しぶりに街や人を眺め、気分が高揚したらしい。鼻歌まじりに部屋に入ったところを、待ちかまえた婦長にとっちめられた。

「何です。このウィスキーは!」

 野原はあっと鴬いた。

「どこから仕入れて来たんです!」

 感心なことには、彼は掃除婆さんのことを自白しなかった。まして私のことや、トイレ台上の将棋のことなど、ひたかくしにして、自分の友人からの到来ものという風に頑張ったらしい。そして今度だけは院長に報告しない。現物は没収するという軽い処分で終ったのは、彼の人徳によるものだろう。

 その夜消燈後、ひそやかに野原はトイレ室に姿をあらわした。

「ひでえ目に合いましたよ」

 彼はこぼした。

「がみがみ叱られるし、現物は没収されるし、超音波の結果は面白くないし、散々ですよ。こちらはひたすら謝りの一手」

「うん。結果としてはその方がよかっただろうな」

 猿酒のことを教えようと思っていたが、まだ人生経験の浅い野原がそんな小細工めいた言辞を弄(ろう)すると、たちまち見破られてしまうに違いない。婦長の権限は絶対だから、素直に非を認めるのが最上の方法であった。

 しかもその超音波の結果が、凶と出たのである。超音波の検査って、どういうことをやるんだねと訊ねたら、

「何だかジイジイと音を立てる器械があって、それにカメラみたいなのがくっついていて、聴診器をあちこちに当てていましたよ」

 まるで子供の答えである。

「ぼくは器械が嫌いでね」

 検査の間野原は、窓の外の建物や雲の動きばかりを、ひたすら眺めていたらしい。そんな傾向は私にも若干ある。私は注射が好きでない。注射そのものが稚いでなく、見るのが嫌いなのだ。だから注射の時はそっぽ向いている。

「そんなことじゃダメだな」

 私は訓戒を垂れた。

「自分が今何をされているか、どんな具合にあつかわれているか、眼をかっと見開いて見届けるべきだよ。そうしないとひどい目に合うよ」

「そうでしょうか。やはりそうでしょうな」

 野原は頭髪をもじゃもじゃとかき上げながら、へんに光る眼で私に言った。

[やぶちゃん注:「身体髪膚(はっぷ)これを父母に受く。あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」「孝経」(これは永く孔子が曾子に孝について述べたものを曾子の門人が記録した書とされてきたが、近年の研究によれば、戦国時代の作と推定されている)の「開宗(かいそう)明義章第一」の中の一節、「身體髮膚、受之父母、不敢毀傷、孝之始也。」(身体髪膚、之れを父母に受く。敢へて毀傷せざるは、孝の始めなり。)に基づく。

「猿酒」猿が木の洞(うろ)や岩石の窪みなどに蓄えて置いた果実や木の実が自然発酵して酒のようになったものとされる伝説上の酒。「ましら酒」とも呼ぶ。但し、野生の猿が食料を貯蔵する習性はないので、これは虚偽である。]

 

 その検査とはつまり超音波を発して、肝臓の大きさや形を調べる様式のものらしい。野原の肝臓はそれによると凸凹があり、全体的に畸形(きけい)化している傾きがある。畸形化は先天的なものか後天的なものか判らないから、腹腔鏡などで調べる必要がある。以上のような診断書を持たされて、野原はここに戻って来た。

「超音波の技師というか医師というか、おそろしく非情なものですな。ぼくの肝臓を散々悪く書いたくせに、ぼくには、御大事になさい、との一言も言わないんですからねえ。無表情で診断書を渡して、それっきりです」

「医者としては患者に一々同情しては勤まらないんだろう。あまり気にしなさんな」

 その夜は将棋もささず、ウィスキーもグラス一杯にとどめて、おのおの寝についた。

 結局その翌々日、私の尿も糖が完全に出なくなって退院、野原はQ病院に移ることになり、荷物の整理をした。私のシロップ瓶は中味を便所に捨てて、ごぼごぼと洗い流してしまった。惜しかったが仕方がない。残ったリンゴや菓子類は看護婦たちにプレゼントした。

 野原の荷物は、彼の奥さんがまとめた。奥さんはてきぱきした性格のようで、見たところ野原よりも年長だ。なるほど、野原みたいなのが姉さん女房を持つのかと、私は思ったが、もちろん口には出さない。

 私は野原夫妻をQ病院まで、私の自動車で送り届けることにした。久しぶりにハンドルを握ったので、運転感覚が急に戻らず、病院の門柱をこすったりしたが、あとは用心して操縦したので、無事にQ病院にたどりついた。途中私がシロップ瓶についてしゃべろうとしたら、野原があわてて私の横腹を小突いた。まだ奥さんに知らせてないことが、それで判った。

 Q病院はさすが有名な病院であって、富士見の病院とはおよそけたが違う。車寄せで二人と荷物をおろし、私は言った。

「今度こそへマをやるんじゃないよ。よく病院の規則を守って、早く退院するんだね」

「ええ。今度は個室じゃなく大部屋ですから、我がままはききません。覚悟はしています。時に先輩、名刺を一枚いただけませんか。退院したら一度おうかがいします」

 私は名刺を手渡した。そして彼が姿をあらわしたのが、冒頭の秋の日の暮れのことだ。

[やぶちゃん注:以上の展開と梅崎春生自身の直近の入院経過を見る限り、この野原の肝臓の状態は肝硬変で逝った梅崎春生のそれであり、野原というキャラクターは梅崎春生自身のトリックスターの一面を持つものであることが判る。]

 

「で、腹腔鏡の検査は、あれから直ぐに受けたんだね?」

「受けましたよ」

 野原は盃をうまそうにあけた。

「でも、直ぐにじゃありません。どうも病院というとこはおかしなところですねえ。富士の見える病院からの所見や診断書を持って行ったんですが、それをそのまま鵜(う)吞みにしないですな。も一度初めから検査をやり直す。バリュウムなどもまた飲ませられた。バリュウムはQ病院の方がうまかったです。Qのにはオレンジ味に、バニラが少し入っていたようです。バリュウムは病院によって味が異う」

「そういうこともあるだろうね」

「採血だって、ずいぶん変ったのをやりましたよ。うちの女房を来させてね、女房と僕のとを同じ時間に採血する。大部屋ですから、皆の眼がこちらを向いている。今に何かおこるぞと、好奇のまなざしがぼくらに集まっている。私のは先生が、女房のには看護婦が取りついていて、針を静脈にさし込み、ヨーイドンの合図で血を吸い上げる。吸い上げると、先生がその二つの管を大切そうに持って、病室を飛び出し、廊下をバタバタと走って行くんです」

「へえ。面白いことをやるんだねえ。それ、どんな意味だい?」

「その血を調べる機械か薬品だか知らないけれど、日によって誤差が出るというんですね。それで健康人のと私のとを比較して、つまり健康人のを基準として、ぼくの血液をはかる。血液中のアンモニアの量を調べるんだと、隣のベッドのヘチマ爺さんが教えて呉れたんですがね、とにかく平素は落着いた先生が、構っ飛びにすっ飛んで行くのは見物(みもの)でしたよ。実際あれは面白かったなあ」

「何故先生が走るんだね?」

「時間が経つと血液が変質したり蒸発したりして、正確な価が出ないということでしょうね。とにかくいろんな検査をして、腹腔鏡もやって、三箇月目に退院してもよろしいと言われた時は、ほっとしましてね。もっとも全快じゃなく、条件つきでしたが――」

「どんな条件だね?」

「ええ。まず高蛋白、高ビタミンの食事をとること。脂肪分はよくないが、とにかく御馳走を食べることですな」

「いい条件だね。うらやましいくらいだ」

「食後はしばらく安静にすること。精神も安定にして、人の言うことに逆らったり喧嘩したりしないこと。やはり精神が大切なんですねえ。それから――」

 彼は言い淀んだ。私はうながした。

「それから?」

「それから、刺戟物、幸子(からし)やワサビを摂(と)らないこと、そして酒なども――」

「酒もだと?」

 私は大声を出した。

「見ていると君はさっきから、がぶがぶ飲んでるじゃないか。辛子やワサビより、酒の方を強く禁止されたんだろ!」

「え。ええ」

 盃を持ったまま野原は横を向き、ごまかすようなせきばらいをした。

「まあそう言うことですがね、先輩はさっきぼくに向って、かけこみ三杯とか何とか、むりやりに勧めたじゃないですか。人の言うのに逆らっちゃ悪いと思って――」

「都合のいいことを言ってるよ。もうごまかされないよ」

 私は彼の盃をもぎ取った。

「酒は出さないから、水でも飲みなさい。台風二十号のおかげで、栓をひねれば水はいくらでも出る」

「意地が悪いですなあ。まるでヘチマ爺さんみたいだ」

 手持無沙汰に彼は手をうろうろさせた。

「富士見の病院じゃ、ウィスキーをたのしく飲み交したじゃないですか」

「あの時はあの時、今は今だ。君は退院後もちょくちょく飲んでいるのかね?」

「いえ。慎しんでいます。大体においてね。甘いもの専門です。禁酒をすると、奇妙なほど甘いものが欲しくなるもんですねえ。ですから今日持参したのも、甘味品です」

「ほんとかね」

 彼が持参した紙包みを、私はごそごそと開いた。中には饅頭が入っている。白い皮が斑(まだら)について、中から饀(あん)が露出している。子供の時私はこれが大好きで、小づかいをくすねて買食いをしたものだ。今は下戸ではないので、食べるチャンスはないが、時々店頭に並んでいるのを見ると、郷愁が湧く。わざわざ銭を出して買おうという気にはならない。

「なるほど。酒をやめると、こんなのを食いたくなるのか」

 私は合点々々をした。

「この駄菓子の名、東京では何というのかい」

「ふぶき、と呼びますね。ぼくの買いつけの菓子屋では」

「ふぶき。なるほど。そう言えば吹雪という感じがする。白い皮がちらちらしているね」

 私はその一箇をつまんで、裏表を調べた。

「おれの故郷ではこれを、やぶれ饅頭と言ったよ」

「やぶれ饅頭?」

 野原は大声で笑い出した。

「そう言えば皮が破れていますね。破れて身がはみ出ている。即物的な名前ですな。田舎人らしい呼び方だ」

「田舎、田舎と、あんまり都会人ぶりはよしなさい」

 少々気を悪くして、私はたしなめた。彼は笑いを収めた。私は話題を戻した。

「で、さっきの爺さんのこと、そんなに意地が悪いのかね」

「ええ。大部屋で、ベッドでその爺さんと隣り合わせてね、顔がヘチマに似てるから、ヘチマ爺さんと皆が呼んでいるんです。病室というところは妙なところで、大部屋では病歴の古いほど威張っている。ま、古いから病院の様子やしきたりをよく知ってるせいでもあるんです。つまり忠臣蔵の吉良上野介みたいにね」

「その爺さん、何病だね?」

「元の病気は知りません。腎臓か何かが悪かったのかな。そんな話も耳にしたけれど、僕が入った時のはもっぱら打撲傷、それに神経痛です」

「打撲傷とは、病院で受けたのか?」

「そうです。ベッドから転がり落ちたんですな。それが一度でなく、三度もです。治りそうになると、また転がり落ちて、肩をいためたり、腰骨を打ったりする。そして退院が伸びる。あの病室では、最古株となりました」

「退院したくないんじゃないか?」

「そりや当然の疑問ですな。皆もその疑問を持っていて、もうそろそろ転がり落ちるよと噂していると、案の定がばと落っこちて、筋や骨をいためる。あんな大病院になるとおうようなもので、爺さん、また落っこちたか、てなもんで手当をして呉れる。その結果退院が伸びて、ヘチマ爺さんはこの部屋の名主になってしまった。それとベッドで隣り合わせたんですからねえ。苦労しましたよ」

 野原はぱくとやぶれ鰻頭に食いついた。

「爺さんは町田市の本町田あたりに自宅があるらしい。病院の風呂に入るたびにこぼしていました。おれんちの風呂は、こんな薄汚ない場所にはない。これじゃまるで牢獄のようだ。おれんちのは広々して、洗い場から山や雲や飛んでいる小鳥が見える、なんてね。これもほんとかウソか判らない」

[やぶちゃん注:「ふぶき」吹雪。昔風の薄皮の田舎饅頭にこの呼称が今も広く使われている。グーグル検索「ふぶき 饅頭」をリンクさせておく。

「やぶれ饅頭」宮崎県延岡市の「延岡観光協会」オフィシャルサイトの「やぶれまんじゅう」によれば、『小麦粉で作った皮(延岡ではガワともいう)のところどころから、中のアンが見える薄皮まんじゅうで、延岡名物のお菓子の』一つとし、他の記載でもここを発祥の地とする。その由来は、慶長一〇(一六〇五)年に『延岡の製菓店が売り出したのが始まりで、中町にあった佐々木磯吉菓子店が受け継ぎ広ま』ったとし、『その由来は、天岩戸に隠れたアマテラスオオミカミをアメノウズメノミコトが木の小枝を持って面白おかしく舞い踊り外の世界へ導いたという神話で、この時の小枝が皇賀玉(おがたま・招霊)の木で、現在でも神事にはこの木が使われていることに基づいて、このオガタマの実を形どって』たのが、この「やぶれ饅頭」で、そこから別に『「オガタマまんじゅう」とも言われ』る、とある。リンク先には製法や「やぶれ饅頭」の写真もある。見れば、「ああ、あれか!」という品物である。梅崎春生は同じ九州の福岡生まれであるから、腑に落ちる。]

 

 野原は饅頭を吞みこみ、水をぐっとあおった。酒を飲んだあとに、よくそんな芸当が出来るもんだ。

「ぼくがいよいよ決心して腹腔鏡の検査を受ける前の日、ヘチマ爺さんが言いましたよ。テレビの赤穂浪士の滝沢修みたいな言い方でね、あれは痛いもんだぞ、なにしろ穴をあけて、棒で内戚をかき回すんだからな、あれで悲鳴を上げなきゃ人間じゃないと、そんな具合にです。こちらが何も聞きもしないのに、そんないやがらせを言うのが、ヘチマ爺さんの趣味でした。つまりウソツキなんですな」

「いやな爺さんだね」

 私も面白くなって、盃を含んだ。他人の悲話や苦労話は、たしかに洒の味をうまくするものだ。のろけだの幸福話は、決して酒のサカナにはならない。洒とはふしぎなものである。

「それで、案の定、痛かったかね」

「そりや多少は痛かったですよ。でも、悲鳴を上げるほどのものじゃない」

[やぶちゃん注:「テレビの赤穂浪士の滝沢修」これも私には注はいらぬのであるが、若い人のために言い添えておく。これは、この年、NHKで放映された大河ドラマ第二作目の「赤穂浪士」(一九六四年一月五日~十二月二十七日の毎日曜放映)で滝沢修が吉良上野介役を演じたことに基づく(大石内蔵助役は長谷川一夫)。先に野原は「ヘチマ爺さん」を「吉良上野介みた」ような厭味なことを言う奴と表現しており、彼はここでもそれに洒落たのである。因みに、あの作品は私には映像よりも、芥川也寸志作曲のオープニング・テーマの鞭を用いた曲が痛烈な印象を残している。それにしても本小説は最終回放映の前(同月号)に発表されているから、非常な読者サーヴィスとも言えよう。ドラマの詳細データはウィキの「赤穂浪士(NHK大河ドラマ)」を参照されたい。そこに載るキャストを見るだけで、思わず、「懐かしい!」と叫んでしまう還暦過ぎた私がいる。]

 

 以下は野原の話。

 腹腔鏡の検査はレントゲン室で行われた。台の上に横たわる。裸になる必要はない。着ているものをたくし上げ、ずり下げて、腹部だけを空気にさらす。看護婦が布を顔にかぶせる。野原はそれを拒否した。

「僕は見ていたいんですよ。どういう風に検査されるか」

「そうですか」

 看護婦は布を取る。喜怒哀楽の表情は、全然ない。ただ見おろしているだけだ。自分が材木か何かになったように、野原は感じる。でもまだ手足は動ける。台から降りて、病室に戻ろうと思えば、出来ないことはない。

 下腹部の左側がつめたいもので拭われる。密室なので、しんとしている。聞えるのは人間の息使いだけだ。消毒された部分に、麻酔の注射が打たれる。そして今度は太い注射針が押し込まれる。すでに麻酔しているので、格別痛いとは感じない。

「まるで儀式みたいだ」

 と彼は思う。思いながら、首を少し持ち上げるようにして、それを見ている。

「式次第もうまく行っているようだな」

 下腹の横のすこし高いところに、気腹器がある。それから空気が注射針を通って、腹に入って行く。腹膜と内臓との間に注入させ、空間をつくるためだ。空気は管を通る時、液体を一度通過する。そのためぽこぽこと泡を立てる。もう動けないな、式が始まったんだからなと、彼は考える。

「そのぼこぼこと泡が立つのは、何ですか」

「昇汞(しょうこう)ですよ」

 マスクでくぐもった声で医者が答える。

「空気の消毒をするんです」

 腹がだんだんふくらんで行くのが、目でも見えるし、息苦しい感じでも判る。膜が押し上げられているのだ。レントゲンで空気の入れ方をしらべる。

「もうチョイ」

「もうチョイ」

 測量技師と同じ仕事だな、と彼は思う。もう存分にふくらんだ。看護婦が野原の額の汗を拭いた。

「苦しいですか?」

「いいえ」

 彼と看護婦と医師と、この密室で何か悪事をたくらんでいる。そんな錯覚に彼はとらわれる。それを打ち破るために、彼は誰にともなく話しかける。

「ずいぶんふくらみましたね。殿様蛙のようだ」

「え。ええ」

 空気注入は終った。医師の手が意味ありげに腹を撫でる。短い外国語が振り交される。そしてへソのすぐ上に麻酔が打たれ、メスが切りを入れる。角度の関係で、もう眼では見えない。仕方がないので天井を見ている。空気の注入、それから金属棒を差し込むこと。その順序はあらかじめ知らされていた。知らされるというより、こちらからこまごま質問をして、知っていた。金属棒には豆電燈がついている。深夜のように暗い内臓を照らすためだ。医師が命令する。

「大きく息を吸って」

 彼は吸う。

「今度は吐いて」

 彼は吐く。

「はい。大きく吸って」

 彼は大きく吸う。

「吐いて」

 吐く。

「大きく吸って」

「はい。吐いて」

「はい。大きく吸って」

 彼は吸う。その瞬間にガッという衝撃が来た。棒の先が腹膜を突き抜けたのである。

 

「あれは計算外でしたなあ。もちろん金属棒を入れるんだから、少しは感じるだろうと思っていたんですがね。衝動が全身にとどろき渡りましたよ。膜といえどもばかにはならんです」

 野原は手真似入りで説明した。

「あれ以来、ぼくは女性に同情を感じるようになったですな」

「なに? 膜と女性と、一体どんな関係があるんだ?」

「いや、なに、それはこちらの話です」

 彼はあわててごまかした。彼は時々突拍子もないことを口走るくせがあって、私は理解に苦しむ。

「で、棒を色々動かして、肝臓の色や形を見るわけですね。ところが先端に豆電球がついている。そいつはかなり熱いのです。直接内臓に触れたら、火傷(やけど)をする。火傷しないとしても、火ぶくれが出来る。そうなったらたいへんですからねえ。熟練した医師でないと、いけないんです」

「君は大丈夫だったのか?」

「ええ。ぼくのはその方の名人と言われるような医師でね、時々棒の動きを止めて、こちらの端にカメラをつけ、パチパチと写真をとりました。これがその一枚です。記念のために、ゆずり受けました」

 彼はポケットから大事そうに、色彩ネガフィルムを取り出した。私はかざして見たが、何だかよく判らない。彼は得意げに説明した。

「こちらの茶褐色のかたまりが、ぼくの肝臓です。ヤキトリのレバーに似てるでしょう。これが悪くなると、豆板みたいに凸凹になる」

[やぶちゃん臨時注:「豆板」は「まめいた」で、炒った豆を並べ、それに溶かした砂糖をかけて固めた菓子。グーグル画像検索「豆板 菓子」をリンクさせておく。]

「ふうん。そう言えば凸凹はないな。しかしぶつぶつして、やぶれ饅頭みたいだ」

「縁起でもない。やぶれ饅頭みたいだなんて」

 彼は興ざめた風(ふう)に、フィルムを取り返し、大切そうにポケットにおさめた。

「そりや若い時にくらべりゃ、すこしはつぶつぶが出来ますよ。先輩のだって切って見れば、必ずつぶつぶが見える筈です」

「何を証拠にそんなことを――」

「いえね、さっきから先輩の胸のはだけたとこを見てたらね」彼は私の胸を指差した。

「その肩甲骨の横っちょに、赤い斑点が見えますね。それ、たしかにバスクラスパイダーです。間違いありません。肝臓が悪いと、それが出来るんですよ」

「なになに」

 こちらの倉に火がついたので、私はあわて声を出し、首を前屈した。

「これのことか」

「そうですよ」

 彼はベルを押すように、その斑点を押して、パッと放した。押されて血の気を失ったそれは、やがてじわじわと血色を取り戻して来た。

「ね。ふつうのニキビなら、押しても白っぽくならないでしょう。だから先輩の肝臓はいたんでいるんです」

 彼は得々として説明した。

「バスクラスパイダー、すなわち蜘蛛(くも)様血管腫は、毛細管がクモの足のようにひろがっている。肝臓の赤信号ですな。すこし酒をつつしんで、やぶれ饅頭でも食べたらどうですか。糖分は肝臓にいいのです」

「なるほど。蜘蛛様血管腫か。イヤな名前だねえ」

 私は自分が腹腔鏡検査を受けている状態を想像した。が、まだ実感はなかった。

「腹に穴をあけたあとを、見せて呉れないかね。まだ残っているか」

「ええ。残っていますよ」

 彼は前をはだけて私に示した。長さ一センチほどの傷あとが、そこについている。眼を彼の胸に戻すと、たくさんの斑点が取りついていた。

「君の胸にはずいぶんスパイダーがいるじゃないか。ひとつ、ふたつ、みっつ。まるで北斗七星みたいだ」

「いえ。なに」

 彼はあわてて胸をかくした。

「これは数ではきまらないんです。その人の体質によって、たくさん出る人と出ない人と――」

「医者がそう言ったのか」

「いえ。あのヘチマ爺さんが言いました」

「そのヘチマ爺さんは、意地悪でウソツキだと、さっき君は言ったね。そんな爺さんの説を信用するのかい?」

「ええ。それよりも――」

 彼は返事に困って、掌をひらひらと振った。

「現在では手術の傷口は、糸では縫わないんですね。針金でちょいと止めちゃうんです。止めてから、そのまま動き出しました」

「傷口が動き出したのかね?」

「傷口が動くわけがありません。ぼくがですよ」

「つまり起き上ったのか?」

「そうじやないですよ。何も判っちゃねえなあ。動き出したのは、台です」

「君を乗せたままか。それなら判る。台には車がついてんだろ。テレビの医者ものでよく見るよ」

「そうあれです。ガラガラ音をさせてね、廊下を通る。廊下に待っている連中、治療を待っている連中ですな、そいつらが立ち上って、ぼくの顔を見る。ものめずらしさと、お可哀想にという気分が、入り混った顔ですね。そんな表情で見る」

「よく他人の表情が、君に読めるもんだね」

「そりゃ判りますよ。今までぼくもそんな顔で、のぞいていたから」

 野原は舌打ちをした。

「のぞかれる身になると、癪(しゃく)にさわるですなあ。今にお前らもこうなるんだぞと、ぐっとにらみつけると、たいていの患者は狼狽して眼をそらしますね」

「そりやそらすだろう」

「そらさない奴も、中にはいます。それはきまって女です。中年の女。これはにらみつけても、ほとんど効果がないですな。平然としてにらみ返します。ことに付添いの女、これは見慣れているんでしょう」

「なるほど」

「こうして廊下を幾曲りして、元の大部屋に戻りました。やっとこさストレッチャー、ごろごろ車のことです。その車からベッドに移された時、どっと疲労を感じましたねえ」

 野原はそう言いながら、肩を落した。もう夜も更(ふ)けて、風がガラス戸をかたかたと鳴らす。私は盃を口に持って行きながら言った。

「いろいろ苦労したもんだね」

「ええ。苦労はしたが、勉強になったですな。ぼくは軍隊の経験はないけれど、人間がたくさん集まって生きたり、死んだり、その間の感情の起伏、経験しなきゃ判りませんね。たとえばあのヘチマ爺さん、あんな爺さんにめぐり逢い、一緒に生活をすることは、病気にでもならなきゃ不可能でしょう」

「そうだろうね」

 私はしみじみと同感した。

「そのヘチマ爺さんのことは、小説になるね。でも、大部屋というのは、男ばかりだろう。女が恋しくならなかったかい」

「女には女ばかりの大部屋がありますよ」

 彼は坐り直して、にやにやと笑った。

「女については、また別の日にくわしくお話しいたしましょう。もうそろそろ夜が更けましたね。では、また」

 にやにや笑いのまま、彼はやぶれ饅頭を、ぽいと口の中に放り込んだ。
 


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