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2018/06/13

諸國里人談卷之二 柏葉石

 

    ○柏葉石(かしはばいし)

陸奧國南部領燒山(やけ〔やま〕)は慈覺大師の開基なり。大師、此山にて護摩修行ありし時、莚席(ゑんせき)なかりければ、柏の葉をとりて、石のうへに敷(しき)給ひしと也。その石、方二丈ばかり、薄く※(へげ)て[やぶちゃん注:「※」=「耒」+「片」。]、長、〔ながさ〕、二、三寸、幅一寸ばかりの柏の葉の形にして、文理(もんあや)ありける。人、これを拾ひて去。〔燒山の事、委〔くはし〕く、山野部見〔みゆ〕。〕

[やぶちゃん注:最後の割注は、本「諸國里人談卷之五」の「五 山野部」の五条目にある、同じ陸奥の「燒山」の記載を指す(そこまで電子化注が進んだら、リンクを張る)。「陸奧國南部領」の「燒山」とは「恐山」の別名である。現在の青森県むつ市田名部字宇曽利山(うそりやま:これも恐山の別称。「恐」は当て字で、「おそれ」はこの「うそり」の転訛したものであり、さらに元の「うそり」もアイヌ語で「窪み」を意味する「ウショロ」に由来するとされる)にある曹洞宗釜臥山菩提寺(本坊・円通寺)を指す。この寺の創建年代等については不詳であるが、小学館の「日本大百科全書」によれば、貞観四(八六二)年。天台僧慈覚大師円仁がこの地を訪れ、創建したと伝えられ、高野山・比叡山とともに日本三大霊場の一つとされ、信仰の山として知られる。ウィキの「菩提寺むつ市によれば、その後、衰退していたが、大永二(一五二二)年、曹洞宗の僧聚覚が南部氏の援助を受け、円通寺を建立し、恐山菩提寺(菩提寺の別称)として中興し、曹洞宗に改められた。明治四(一八七一)年には本坊である円通寺には斗南藩(旧会津藩)の藩庁が置かれていた。また、むつ商工会議所公式サイト内の「霊場恐山」由来によれば、『慈覚大師円仁が入唐求法中の一夜、霊夢に聖僧現れ、「 汝、国に帰り、東方行程』三十『余日の所に至れば霊山あり。地蔵尊』一『体を刻し、その地に仏道をひろめよ。」とのお告げをうけ』て、大師は『直ちに帰国し、霊山を探して諸国を行脚』、『辛苦の巡錫を重ねてこの地に至り、山川大地まさに霊山なりし所がここ恐山であ』ったとする。『全てが霊夢と符号』した『ので、大師自ら』、丈六尺三寸(一メートル九十一センチ弱)『の地蔵を刻し』、一『宇を建立後』、『本尊として安置し、仏道教化に精進された』とある。なお、この「柏葉石」が現存するかどうかは確認出来なかった。葉脈化石というよりも、ある種の石の文理(きめ)がそのように見えたものか。【2018年6月22日追記:この後の 諸國里人談卷之三 燒山の考証によって、本条は、先行する寺島良安の「和漢三才図会」の地誌部の巻第六十五「陸奥」の中の「燒山」にある内容を安易に引いたに過ぎないことが判明した。リンク先の注で同原典を翻刻したので、見られたい。

「莚席」修法を行うための座席。

「方二丈」六メートル六センチ四方。

「※(へげ)て」(「※」=「耒」+「片」)「折(へ)げて」或いは「剝(へ)げて」。

「長、〔ながさ〕、二、三寸、幅一寸」長さ六・二~九・一センチ弱、幅約六センチ。]

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