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2018/06/24

進化論講話 丘淺次郎 第十六章 遺傳性の研究(四) 四 各性質の獨立遺傳

 

     四 各性質の獨立遺傳

 

Endoudainidai

 

[碗豆の第二代雜種

(上右)靑、丸、(上左)黃、皺、(中)第一第雜種、黃、丸]

[やぶちゃん注:豆の様態が判り易い、学術文庫版を用いた。]

 

Toumorkosizatu

 

[「たうもろこし」の雜種]

[やぶちゃん注:学術文庫版を用いた。但し、原本では縦に配されてある図が学術文庫版では横に配されているので、九十度回転させ、立てて示した。]

 

 メンデルの實驗研究によつて明にせられたことの中で最も有益なのは、兩親の各性質がそれぞれ獨立に分離し、遺傳することである。前には兩親が何かたゞ一つの點で相異なつた場合を例に擧げて、その第二代以後に分離することを述べたが、初め兩親が二つ以上の點で相違するときには如何といふに、メンデルの實驗によれば、この場合には、兩親の相異なる各性質は、他に構(かま)はず獨立に分離し遺傳する。例へば、豆が靑くて丸い碗豆と豆が黃色で表面に皺のある碗豆との間に雜種を造つて見ると、靑に對しては黃、皺に對しては丸が優勢であると見えて、第一代雜種には悉く黃色で丸い豆ばかりが生ずるが、更に第二代となると、黃色で丸いもの、黃色で皺のあるもの、靑くて丸いもの、靑くて皺のあるものの四種類が出來て、然もその數が約九と三と三と一との割合に生ずる。これは何故かといふに、メンデルの考へた如くに、黃性と靑性と、若しくは丸性と皺性とが、同一の生殖細胞内に雜居せぬものとすれば、第一代雜種が成長して花の咲く頃には、その花粉にも胚珠にも、右の四種類のものが出來て、これが相合する時には十六通りの異なつた配合が行はれるが、混合性のものは、何時も外見上優勢の性質だけを現すから、之を通算すると以上の如き數の割合となるのである。ここに圖を掲げた「たうもろこし」の果實は、粒の色と形との二點で異なつた二品種間の第二代雜種であるが、粒に四種類あることは前の碗豆に於けると少しも違はぬ。動物界から同樣な例を一つ擧げれば、曾て外山氏が蠶に就いて行つた明瞭な實驗がある。卽ち、體が白くて黃色い繭を造る品種と、體に黑い橫紋があつて白い繭を造る品種との間に、雜種を造つたら、第一代のものは悉く體には橫紋があつて黃色の繭を造つたが、第二代には體に橫紋があつて黃色の繭を造るもの、體に橫紋があつて白い繭を造るもの、體が白くて黃色の繭を造るもの、體が白くて白い繭を造るものとの四種が、約九と三と三と一との割合に出來た。總べてこれ等の場合にも、初め兩親の相異なつた性質、例へば、豆の色の黃と靑、豆の表面の丸と皺、もしくは蟲の體の白と斑[やぶちゃん注:「まだら」。]、繭の色の白と黃の如くに相對した性質か二組づゝ別に離して考へると、孰れもメンデルの「分離の法則」に隨つて遺傳して居るが、各組が他に構はず恰も自身だけであるかのに分離し、遺傳するから、それが同一體の内で重なり合つて斯く樣々の性質の組合(くみあはせ)が出來るのである。また以上は各組の兩性質の間に優劣の判然したものに就いて述べたのであるが、若しも各組の兩性質の間に優劣の差が十分でない場合には、純優性のものと混合性のものとが外見上已に明に違ふから、第二代に於て相異なる種類の數が更に多く出來て、複雜になるはいふを待たぬ。

[やぶちゃん注:「外山氏」遺伝学者で蚕種改良家でもあった外山亀太郎(慶応三(一八六七)年~大正七(一九一八)年)。蚕を用いて、世界で初めて、動物で「メンデルの法則」を確認した学者として知られる。相模国愛甲郡小鮎村生まれ。明治二五(一八九二)年、帝国大学農科大学卒業。在学中に養蚕学教室で動物学教授石川千代松の指導の下、蚕の精子形成を研究し、明治三三(一九〇〇)年、その遺伝学的研究に着手した。主としてこの研究は農商務省の蚕業技師長としてシャム(現在のタイ)帝室養蚕研究所へ派遣されていた間(一九〇二年~一九〇五年)に行われた。研究成果は明治三十九年の大学紀要で発表されており、メンデルの遺伝研究の価値の「再発見」(一九〇〇年)からわずか六年後という早さは高い評価の対象となっている。大学卒業後、同助手・水産講習所教師を勤めた。明治二十九年には福島県蚕業学校の校長となるが、研究に熱中してしまい、排斥運動を受け、明治三十二年に退職、その後にシャムへ渡り、帰国後の明治三十九年に農学博士の学位を受け、明治四十一年に帝大助教授、三年後には原蚕種製造所の技師を兼務した。同年、ヨーロッパの養蚕事情視察に赴き、大正元(一九一二)年に帰国、大正六年には東京帝国大学教授となったが、この頃から、脊髄の病いに侵され、加療するも効なく、五十二歳で他界した。著書「蚕種論」(明治四一(一九〇九)年刊)で蚕の第一代雑種利用を提唱し、日本の蚕種業の発展に貢献、帝国発明協会から恩賜記念賞を贈られている(以上は「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。]

 

 次に兩親が三つの點で相異なつて居る場合には如何といふと、之も全く前のと同樣で、第一代雜種には總ベて優勢の方の性質のみが現れ、第二代になると二の三乘卽ち八種の異なつたものに分れる。誰も知る通り碗豆には一粒每に外面に一枚の皮があり、内部は半球形の子葉二つで充ちて居るが、メンデル自身が行ふた例を擧げると、形が丸く、子葉が黃色で、外皮が茶色の碗豆と、表面に皺があり、子葉が綠色で、外皮の白い碗豆との間に、雜種を造つたら、第一代には形が丸くて、子葉の黃色い、外皮の茶色の豆ばかりが出來、第二代には次の八種類に分れた。文句を略して、表面の形と子葉の色と外皮の色とを各一字づゝ竝べて書くと、丸黃茶のもの、丸黃白のもの、丸綠茶のもの、丸綠白のもの、皺黃茶のもの、皺黃白のもの、皺綠茶のもの、皺綠白のものとの八種であるが、然も之が豫期の通りの數の割合に生じた。豫定の割合とは二十七、九、九、九、三、三、三、一の割合であるが、丸と皺、黃と綠、茶と白といふ如き相對して角力をとるべき二つの異なつた性質が、同一の生殖細胞内に雜居せぬとすれば、第一代雜種の生じた花粉にも胚珠にも、性質の組合せの異なつたものが各八種類づゝ出來て、これが相合する時には六十四通りの配合の仕方があり、而して混合性のものは總べて外見上優勢の性質を現すとすれば、以上の如き割合に成るべき筈であるから、之も學説の豫期する所と、實地試驗の結果とがよく一致したのであつて、メンデルの説の正しい證據と見倣すことが出來る。各組の兩性質の間に優劣の著しくない場合には、第二代雜種が外見上更に複雜になることはいふを待たぬ。

 かやうに兩親が二つ以上の點で相異なる場合に、それらの相異なつた性質が、各獨立に分離して遺傳するといふことは、メンデルの發見の最も大切な部分であつて、培養植物の品種改良を圖るに當つては頗る有望なものである。已に英國の或る學者はこの知識を應用して小麥の改良を試みた。卽ち收穫は多いが、白錆という黴[やぶちゃん注:「かび」。]のための病に罹り易い小麥と、收穫は稍少いが、この病に對して一向平氣な小麥との間に、雜種を造り、第二代に現れた種々の性質の組合の違ふものの中から、收穫が多くて白錆に罹らぬものを選び出し、終にこの兩性質を兼ね具へた新しい品種を造ることに成功した。かやうな例は今日の所では植物にもまだ極めて少く、動物には一つもないが、今後は恐らく同樣の方法で動植物ともに種々の良種が造られ得るであらう。

[やぶちゃん注:「白錆という黴」一般の植物の錆(さび)病は、カビ(黴)の仲間である担子菌門 Basidiomycota サビキン(錆菌)亜門 Pucciniomycotina サビキン目Pucciniales(またはUredinales)に属する種によって引き起こされる病気で、日本では五十六属約七百五十種が知られており、ムギ・マメ・マツ・ナシなど、多くの重要な農作物や林木に寄生して被害を与える(寄生を受けた植物は葉や茎に胞子の塊(胞子層)を多数作るが、そのの胞子の塊が金属に生じた錆によく似ていることに由来する)。しかしながら、ここで丘先生の言われるムギの「白錆」病は、調べる限りでは、真正のサビキン類ではなく、全く別の不等毛類 Heterokonta に属する卵菌門 Oomycota シロサビキン目 Albuginales シロサビキン科 Albuginaceae に属するる菌類によって引き起こされるものである。ところが、ムギの白さび病で調べてみても、出てこない。寧ろ、サビキン目の錆菌類によって引き起こされれるムギ類の「黒さび病」「黄さび病」(サビキン目Puccinia属であるが、それぞれ発生する植物種により菌種も異なる)がある。或いは、丘先生は何か勘違いをしておられる可能性があるのかも知れない。失礼乍ら、「白」は余計なのかも知れない。なお、この時代、「白錆病」(根菜類に多く見られるらしい)がサビキン目の種によるものと考えられていた可能性は高いように思われる。]

 

 以上は雜種を造る兩親が、ただ二つか三つの性質だけで相異なるものと假定して述べたのであるが、實際に於てはかやうなことは極めて稀であつて、たとひ同一種に屬する個體と雖も、單に一點もしくは二三の點だけで相異なり、他の點に於ては悉く絶對に相同じといふ如きものは滅多にない。されば假に總べての性質がメンデルの考へた通りに第二代以後に分離すると見倣しても、實際に於て兩親の孰れかと寸分違はぬ子孫の出來る望みは極めて少ない。兩親がたゞ一つの性質で相異なる場合には、第二代に至つて兩親の各と相同じものが總數の四分の一づゝ出來る勘定であるが、兩親が二つの性質で相異なる場合には、第二代雜種の中、兩親の何れかと相同じものが僅に十六分の一づゝよりなく、兩親が三つの性質で相異なる場合には六十四分の一づゝ、四つの性質で相異なる場合には、二百五十六分の一づゝよりない。若し兩親が十の性質で相異なるとすれば、孫の代には約百萬の中に一つづつだけより、兩親の何れかと全く同じものがない勘定になる。かやうな次第であるから、一個一個の性質は分離するものとしても、個體としては皆兩親の性質の種々に相混じたもののみである。メンデルが特殊の材料について實驗するまで、誰も遺傳する性質の分離に氣が附かなかつたのもこの故であらう。

 遺傳する性質の優劣にも不完全なものが多く、分離にも不十分なものが幾らもある如く、各性質が獨立に遺傳するといふても、決して總べての場合に獨立に遺傳する譯ではない。近來の研究によると、二つ以上の性質が組み合つたままでなければ遺傳せぬこともあり、また他の性質から影響を蒙つて左右せられることもある。これ等に就いて詳しく述べることは略するが、遺傳の現象はなかなか複雜なもので、研究すればするほど一定の型に嵌まらぬものが出て來る。今日遺傳を研究する學者は、斯かる場合をもメンデルの型に嵌めて説明せんと試み、樣々の想像的の性質を考へ出した。例へば、雜種の第二代に色の變異が豫定通りにならぬ場合には、色を生ぜしめる性質の外に、色の發生を止める性質、色の發生を軟げる性質、色の發生を促す性質、色を深くする性質など、やう々な性質が兩親に具はつてあつたものと假定し、これ等の性質の組合によつて眼前の變異が生じたものと考へて居る。

 メンデルの發見した優劣の法則でも分離の法則でも、またはメンデル以後の雜種研究でも、兩親が已に有した性質が如何に子孫に傳はるかを調べるだけであるから、生物の進化を説明するに當つては、寧ろ間接に相觸れるのみである。幾億萬年の昔から今日までの間に、極めて簡單な先祖から次第に進化して複雜な生物各種が生じたのは、常に新しい變異が現れ、新しい性質が附け加はつて、子孫に傳はるの外に途はないから、新な變異は如何にして起るかといふ問題の方が、進化論に對しては遙に大切である。

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