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2018/06/18

諸國里人談卷之二 片輪車 / 諸國里人談卷之二~了

 

     ○片輪車(かたわぐるま)

近江國甲賀(こうか)郡に、寬文のころ、「片輪車」といふもの、深更に車の碾(きしる)音して行(ゆく)あり。いづれより、いづれへ行〔ゆく〕を、しらず。適(たまたま)にこれに逢ふ人は、則〔すなはち〕、絶入(ぜつじゆ)して、前後を覺えず。故に、夜更(よふけ)ては、往來(ゆきゝ)、人、なし。市町も門戸(もんこ)を閉(とぢ)て靜(しづま)る。此事を嘲哢(ちやうろう)などすれば、外(そと)より、これを詈(のゝし)り、

「かさねて左〔さ〕あらば、祟(たゝり)あるべし。」

などいふに、怖恐(おぢおそれ)て、一向に聲も立(たて)ずしてけり。

或家の女房、これを見まくほしくおもひ、かの音の聞ゆる時、潛(ひそか)に戸のふしどより、覗見(のぞき〔み〕)れば、牽(ひく)人もなき車の片輪なるに、美女一人、乘(のり)たりけるが、此門にて、車をとゞめ、

「我を見るよりも、汝が子を見よ。」

と云〔いふ〕におどろき、閨(ねや)に入〔いり〕て見れば、二歳ばかりの子、いづかたへ行〔ゆき〕たるか、見えず。歎悲(なげきかな)しめども、爲方(せんかた)なし。明の夜、一首を書〔かき〕て、戸に張りて置(おき)けり。

 罪科(つみとが)は我にこそあれ小車〔おぐるま〕のやるかたわかぬ子をばかくしそ

その夜、片輪車、闇にて、たからかによみて、

「やさしの者かな。さらば、子を皈(かへ)すなり。我(われ)、人に見えては、所にありがたし。」

といひけるが、其後、來らずとなり。

 

里人談二終

[やぶちゃん注:特異的に改行を加えた。知られた妖怪「片輪車」譚である。私は既に『柴田宵曲 續妖異博物館「不思議な車」』で本条を電子化しており、そこには類話の中国版(但し、私はこれらが「片輪車」の原型だとは考えていない)や、本邦の類話(これは全通底)を纏めていて手っ取り早く流れを摑めるという点ではよい。無論、それぞれに原典を私が注で翻刻してある。また、そこに出る「諸國百物語卷之一 九 京東洞院かたわ車の事」カテゴリ「諸國百物語」(完遂)で独立して電子化注しているので、必ず比較参照されたい。何故なら、この「諸國百物語」(著者不詳)の「片輪車」が板行された現存する本妖怪の「片輪車」と確かに名指された最古形で(本「諸國里人談」は寛保三(一七四三)年刊であるが、「諸國百物語」は延宝五(一六七七)年刊で六十六年も前である)あり、本「諸國里人談」や、宵曲が先の「不思議な車」で紹介し、私が原典を示した、それと酷似した構成(ロケーションが「信州某村」となっている以外はそっくり写されていると言ってよい)の津村淙庵(そうあん)の「譚海」(安永五(一七七七)年から寛政七(一七九六)年の見聞録)「片輪車」が、《子どもが無事に返される大団円和歌霊験譚》であるのに対し、原型である「諸國百物語」「いかに、それなる女ばう、われをみんよりは内に入りて、なんぢが子を見よ」と云ふ。女ばう、をそろしくおもひて内にかけ入りみれば、三つになる子を、かたより股(もゝ)までひきさきて、かた股(もゝ)はいづかたへとりゆきけん、みへずなりける。女ばう、なげきかなしめども、かへらず。かの車にかけたりし股(もゝ)は、此子が股にてありしと也。女の身とて、あまりに物を見んとする故也」をコーダとする真正の《子どもが同時に問答無用で引き裂かれる猟奇凄惨怪奇譚》だからである。私? 和歌嫌いの私は無論、「諸國百物語」版「片輪車」に軍配を上げる

「近江國甲賀(こうか)郡」①は「こうか」、③は「こうが」。正しい①で採った(但し、①はルビでは濁点を打たない傾向は強い)。現在の滋賀県甲賀(こうか)市((グーグル・マップ・データ))と湖南市((グーグル・マップ・データ))の全域及び蒲生郡日野町下駒月(しもこまづき:(グーグル・マップ・データ))が旧郡域。因みに、「甲賀」を「こうが」と読むのは正確には《昔も今も誤り》で、清音「こうか」と読まねばならない。「こうが」とも読むのではなく、「こうが」は、本来、あくまで誤読であることを知っている人は実は少ないと思う。しかし、ウィキの「甲賀市によれば、『市内の公共施設における「甲賀」はほぼ「こうか」と発音する』とあるのである。「伊賀」は「いが」でよく、時代劇の「伊賀者」は「いがもの」でよいが、対する「甲賀者」は「こうかもの」でなくては正しくないのである。と、偉そうに言っている私も、つい先日まで「こうが」と読んでいた。この驚愕の事実は、朗読ボランティアをしている妻から知らされたものであった。

「寬文」一六六一年~一六七三年。第四代徳川家綱の治世。因みに、最古形を載せる「諸國百物語」は延宝五(一六七七)年刊であるが、その話は「京東洞院通に、むかし、片輪車と云ふ、ばけ物ありけるが」で始まる。則ち、原型は最低でも江戸初期、安土桃山時代頃までは溯る話柄として設定されていると読むべきであろう。

「碾(きしる)音」「軋る音」。

「絶入(ぜつじゆ)」失神。

「嘲哢(ちやうろう)」対象を馬鹿にして軽口をたたいて嘲(あざけ)ること。ここは「片輪車」の存在を信じて忌み籠っている者を馬鹿にし、そんな妖怪なんぞいるはずがないと豪語することを指す。

「外(そと)より、これを詈(のゝし)り」無論、以下、これは、その妖怪「片輪車」が、その嘲弄した者に言いかけた脅し文句である。

「かさねて左〔さ〕あらば」再び、そんなことを口にしたら。

「祟(たゝり)あるべし」必ずや、祟りのあると思え!

「戸のふしど」これは「戸の」とある以上、「節所」で節穴のことであろう。

「覗見(のぞき〔み〕)れば、牽(ひく)人もなき車の片輪なるに、美女一人、乘(のり)たりけるが、此門にて、車をとゞめ、

「我を見るよりも、汝が子を見よ」「我を」の「を」は③。①には「を」は、ない。

「二歳」数え。

「罪科(つみとが)は我にこそあれ小車〔おぐるま〕のやるかたわかぬ子をばかくしそ」畏れ多き御車(おくるま)を覗いた罪咎(つみとが)は私にこそあるけれども、御車がどこへ行ったやら判らぬのと同じに、ああっ! 私の可愛い幼(おさな)子も、どこか判らぬ知らぬところへと、隠されてしまった!]

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