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2018/06/11

諸國里人談卷之二 鵜飼石

 

    ○鵜飼石(うかひのいし)

甲斐國石和(いさわ)川にて、日蓮上人、漁夫が菩提のため、「法華經」、一石(いつせき)に一字づゝ書(かき)て、川に沈め、弔ひ給ふ、と也。その石の文字消(きへ[やぶちゃん注:ママ。])ずして、此川邊にあり。年來(としごろ)、皆、拾ひつくして、今、適(たたま)に、これを得る、となり。まことに、權者(ごんしや)の筆跡、奇なりといふべし。○又、凡人(ぼんじん)の、石に書(かき)て消(きへ)ざる法あり。蒼耳子〔さうじし〕の油にて、墨をすりて、石に書〔かく〕時は、石中(せきちう)に通りて消ず、と也。此蒼耳子の油は、物をよく通すもの也。故に何の器に入れても、漏(もる)る也。但〔ただし〕、玉子の壳(から)に入〔いれ〕れば、もらず。

[やぶちゃん注:山梨県笛吹市石和町市部にある日蓮宗鵜飼山遠妙寺(おんみょうじ:(グーグル・マップ・データ))に伝承される日蓮の奇瑞譚。ウィキの「遠妙寺笛吹市)によれば、この寺は謡曲「鵜飼」の『発祥の史跡として知られ』、『境内に鵜飼堂と供養塔があ』るとし、謡曲「鵜飼」は『榎並左衛門五郎が原曲を作成し、世阿弥が改作して』、『応永年間』(一三九四年~一四二七年)『後期から永享年間』(一四二九年~一四四一年)『初期に成立したという。「石和川」や日蓮を想起させる「安房清澄の僧」が登場し、法華宗を賛美する内容となっている』。『一方、遠妙寺の由緒では謡曲』「鵜飼」『と似た「鵜飼伝説」を伝え、文禄・慶長年間』(一五九三年~一六一五年)『にはすでに成立しており、慶長年間には山号を「鵜飼山」に改めている』。『遠妙寺の「鵜飼伝説」は、平家没落後の元暦年間』(一一八四年~一一八五年)『に平家一族・平時忠』(謡曲「鵜飼」では「漁翁」として出る)が『殺生禁断の石和川において鵜飼を行ったため』、『観音寺の僧により殺され、怨霊となったという。その後』、文永六(一二六九)年に『日蓮が同地を訪れ』、『時忠の亡霊と遭遇する。このとき』、『日蓮は怨霊を成仏させることができず』、文永一一(一二七四)年に『弟子の日郎・日向を伴い』、『再び同地を訪れ、一字一石の経石で施餓鬼供養を行ない』、『怨霊を成仏させた。これにより、川施餓鬼根本道場として遠妙寺が創建されたという』とある。「YAMANASHI DESIGN ARCHIVE」の鵜飼橋には、より詳しい記事が載る(許諾申請をしなければならないので引用はしない)。また、サイト「まんが日本昔ばなし」の鵜飼いものがたりは読み易い。なお、ウィキの「石和鵜飼に拠れば、この「石和川」は「鵜飼川」とも称され、現在の笛吹川のことを指していると考えてよいであろう(以下の引用の私の引いた下線部を参照のこと)。同ウィキによれば、『石和鵜飼は漁師が直接川へ入る「徒歩鵜飼」と呼ばれる類例の少ない鵜飼で、幕末期の成立であると考えられている『甲州道中図屏風』に描かれる桂川の鵜飼も徒歩鵜飼として描かれている』とあり、現在も行われている。『江戸時代に鵜飼山遠妙寺に伝わった伝承によると、石和鵜飼の起源は平氏の公家であった平時忠が流刑先の能登国から逃れ、当地で漁を始めたのがはじまりとされている』。『室町時代には、猿楽師である世阿弥により改作された能の演目』「鵜飼」が『江戸期の石和鵜飼伝承に似た筋書きとなっている』。『遠妙寺には漁師・鵜飼勘助が日蓮に救われたという伝承が伝わり、勘助を祀る「漁翁堂(りょうおうどう)」が所在している』。『さらに、寺宝にも鵜飼伝説に関わるものがあり、「七字の経石」は鎌倉時代のものと伝わる経石で、七つの石に「南無妙法蓮華経」の七文字が書かれている』。『遠妙寺に伝わる「鵜飼天神像」も同じく鎌倉時代のもので、日蓮が平時忠を勧請して鵜飼天神とし、日蓮自ら開眼した像であるという』。『笛吹川もかつては石和川(いさわがわ)あるいは鵜飼川(うかいがわ)とも呼ばれていたことなど』、『石和で古くから鵜飼が行われていたと考えられている』。『江戸時代後期の天保元』(一八三〇)年)から天保五(一八三四)年『頃には、浮世絵師の葛飾北斎により富士山を題材とした連作『冨嶽三十六景』が刊行される。『冨嶽三十六景』に含まれる甲斐国を描いた六図には「甲州伊沢暁(こうしゅういさわあかつき)があり、甲州街道沿いの石和宿から見える富士が描かれている。中央には鵜飼川が描かれており、右手には遠妙寺門前で分岐する鎌倉街道(御坂路)の板橋が描かれている。遠妙寺は画中には描かれていないが、板橋の描かれている右手に所在している。北斎は日蓮宗を信仰しており、日蓮ゆかりの地を画題に選んだとも考えられている』とあり、この図をもとに地図上で考えても、「鵜飼川」は現在の笛吹川である。

「權者(ごんじや)」神仏などが衆生を救うため、この世に仮に人の姿となって現れた権化(ごんげ)。

「蒼耳子〔さうじし〕の油」キク目キク科キク亜科オナモミ属オナモミXanthium strumarium の果実(正確には偽果。フグのハリセンボンみたようなトゲトゲのフットボール状の緑色の「ひっつき虫」、ほら、最初の担任した教え子諸君、君らがこっそり僕の背中に多量に附けた、あれだよ)から採った油で、解熱・頭痛・発汗などに用いられ、中国では食用油としても利用されているとあるが、調べてみると、オナモミの全草には有毒成分のキサンツミン(Xanthumin)などが含まれ、毒性は果実が最も強く、過量に服用すると、眩暈・頭痛・嘔吐・下痢・蕁麻疹、さらには意識障害・痙攣・肝機能障害などを引き起こし、死亡することもあるとあるので注意が必要。ここに書かれたようなこの油で「墨をすりて、石に書〔かく〕時は、石中(せきちう)に通りて消(きえ)ず」という効果は不詳。識者の御教授を乞う。

「壳(から)」「殼」。]

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