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2018/06/03

諸國里人談卷之一 大觀音 (鎌倉長谷観音)

 

○相州鎌倉海光山長谷寺【淨土宗、光明寺末。】本尊十一面觀音立像二丈六尺二分。和州長谷寺の本尊の末木(すへき[やぶちゃん注:])を以て、佛師春日、造ㇾ之(これをつくる)なり。每年六月十七日會(ゑ)日、參詣、群集(ぐんしふ)す。坂東順禮四番。

常は堂の扉を閉(とぢ)て開(ひら)かず。よつて暗(くら)し。靑銅十疋(ぴき)を以〔もつて〕開帳す。于時(ときに)、燈篭(とうろう)に灯(ひ)を點じ、車を以〔もつて〕、御頭(みぐし)のうへまで引上て拜ㇾ之(これをはいす)。

[やぶちゃん注:本条は項「○大觀音」の二番目の条であるが、前条で述べた通り、分離して示す。なお、①②は冒頭の「長谷寺」には「てうこくじ」とルビするが、③にはルビはなく(ということは写した本人が正しく「はせでら」と読んでいると判断できる)、この「ちょうこくじ」という読みは次の江戸の「長谷寺」のそれとするのが正しく、鎌倉のこれはあくまで「はせでら」であるから、ここでは振らずにおいた

 これは神奈川県鎌倉市長谷にある現在は浄土宗の海光山慈照院長谷寺(はせでら)、通称「長谷観音」の記載。ウィキの「長谷寺(鎌倉市)」によれば、『長谷寺の創建は奈良時代とされているが、中世以前の沿革は明確でなく、創建の正確な時期や経緯についても解明されていない』。『寺伝によれば』天平八(七三六)年に、前条の『大和の長谷寺(奈良県桜井市)の開基である徳道を藤原房前』(ふささき:藤原不比等の次男で藤原北家の祖)『が招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。この十一面観音像は、観音霊場として著名な大和の長谷寺の十一面観音像と同木から造られた』ものだとし、以下の壮大な伝承が残る。則ち、養老五(七二一)年に『徳道は』一本の『楠の大木から』二『体の十一面観音を造り、その』一体を『本尊としたのが』、『大和の長谷寺であり、もう』一体を『祈請の上』、『海に流したところ』が、それから十五年の『後に相模国の三浦半島に流れ着き、そちらを鎌倉に安置して開いたのが、鎌倉の長谷寺であると』いうのである。本尊木造十一面観音立像は、像高九・一メートルの『巨像で、木造の仏像としては日本有数のもの』である。残念なことに後世の修復部分が有意に多くの箇所に亙っており、『造立年代は定かでないが、室町時代頃の作と推定されている』。昭和三九(一九六四)年の調査により、文明一七(一四八五)年の『修理銘札が見出され』ており、また、延宝五(一六七七)年にも『修理が行われたことがわかっている。元の』木製の『光背は関東大震災による被害の後』、『取り外され』た(現在のものは『アルミ製で、平成三(一九九一)年、西村公朝の監修で造られたもの』)。『左手に水瓶、右手に数珠と地蔵菩薩の持つ錫杖を持ち、方形の磐石の上に立つ、いわゆる「長谷寺式十一面観音(長谷型観音)」様式を採る。左小指を立てているのも、本像の特徴』である。なお、長谷寺は奈良の長谷寺と同じく真言宗であったが、江戸初期の慶長一二(一六〇七)年に『徳川家康による伽藍修復を期に』、『浄土宗に改宗し』ている。

 さても、私は長谷観音と言えば、もう、あれを思い出さずにはいられない。

 小泉八雲の名品「知られぬ日本の面影」の「江ノ島巡礼」の中の長谷観音拝観のシークエンスである。私の注釈及び英語原文附きの『小泉八雲 落合貞三郎訳「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(一二)~(一五)』の「一二」を是非、読まれたい(「十三」も八雲が(正しくは、この“Glimpses of Unfamiliar Japan”執筆・刊行(明治二四(一八九六)年)時はまだ Patrick Lafcadio Hearn であった)前に出した伝承を彼らしい優しさで纏めた珠玉の伝承話で、こちらも是非、読まれたい)。因みに、ここで沾涼が説明している非常に印象的な観音の拝観方法――「燈篭(とうろう)に灯(ひ)を點じ、車」(滑車を用いた蠟燭の昇降機である)「を以〔もつて〕、御頭(みぐし)のうへまで引上ゲて拜ㇾ之(これをはいす)」――というのと全く同じ体験を八雲がして感銘を受けているさまが生(ナマ)で伝わってくるのである!!!

 また、本書刊行(寛保三(一七四三)年の五十八年前、貞亨二(一六八五)年に完成した、水戸光圀の「新編鎌倉志」の巻之五(私の電子化注)の「〇長谷觀音堂」も参照されたい。

「二丈六尺二分」七メートル八十八センチ四ミリ。ここも沾涼にしては珍しく過小表記である。

「佛師春日」彫った鶴に乗って去って帰らなかったという話のある伝説の仏師(例えば「河内飛鳥の伝説」の冒頭を参照)。さらに非常に興味深いのは先にも引いた水戸光圀の「新編鎌倉志」の巻之五のの「〇長谷觀音堂」の本文に長谷観音の作者を『春日(カスガ)が作』と記した後に割注で、『按ずるに、春日と云ふは佛師の名なり。佛像のみにあらず、樂(ガク)の假面にも春日が作數多(あまた)あり。舊記に、稽文會・稽主勳は、河内の國春日部の邑(むら)の人。兄弟共に佛師なりとあり。是を春日が作と云なり。浮屠附會の説に、春日大明神の作と云(いひ)て、世人を迷はせり。不可信(信ずべからず)』とあることである。稽文會・稽主勳は前条を参照されたい。彼等はまさに奈良の長谷観音の作者(いやいやここで同じ作者が彫ったと言っているのだから「まさに」でも「実は」でもないんだが)とされている仏工なのである。因みに、次の「普陀山長谷寺」(ふださんちょうこくじ)の条も必ず参照されたい。実は、私が注したのと、同んなじことが書かれているのである。

「六月十七日會(ゑ)日」「長谷寺」公式サイトの「年中行事」によれば、現行の鎌倉の長谷寺では、毎月十八日に本尊十一面観音菩薩の御縁日に因んで「観音会」が営まれているが、ここは現在、七月十八日に行われている法会「観音大施餓鬼会」(餓鬼道に落ちて苦しむ先祖や無縁の亡者のために行う法要)が当該する行事であろう。

「坂東順禮四番」坂東三十三箇所観音霊場巡礼の第四番札所。

「靑銅十疋(ぴき)」銭百文二千五百円ぐらいか。

「于時(ときに)」二字へのルビ。

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