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2018/07/16

諸國里人談卷之四 入梅井

 

    ○入梅井(つゆのゐ)

攝津國矢田郡(やたのこほり)丹生庄(にふのしやう)原野村、栗花落(つゆり)左衞門がやしきの内に井あり。徑(わた)り三尺、深さ一尺ばかり、凹める所、常は、水、なし。入梅(つゆ)に入〔いり〕て、水、涌(わき)いづる也。入梅は立春の後(のち)、凡(よそ)百三十五日にあたる。此(この)候(こう)、柘榴花(ざくろのはな)、はじめて開き、栗花(くりのはな)、徐(ゆくゆく)落(おつ)。「本草」、梅黃(ばいわう)の説を以〔もつて〕、「入梅(つゆ)」の字を用(もちゆ)る也。此〔この〕左衞門、始祖は眞勝(まかつ)といふ。橫佩右大臣(よこはぎうだいじん)の聟(むこ)にて、累代久しき家也。豐成卿(ちょなりきやう)の娘白玉姫は、中將姫の妹(いもと)なり。中夏のころ、此地におゐて[やぶちゃん注:ママ。]薨ず。遺骸(ゆいがい)を納(おさむ)る所に祠(ほこら)をたてゝ、辨財天に祭る也。其地について、水、涌出(ゆうしゆつ)し、今に中夏の候をしらしむると云〔いへ〕り。

[やぶちゃん注:「攝津國矢田郡(やたのこほり)丹生庄(にふのしやう)原野村」「矢田郡」は「矢田部」の誤り(「八田部」「八部」等とも書く)。現在の神戸市北区山田町原野で、同地区の札場(ふだば)に「栗--落(つゆ)の井」として現存する。ここ(グーグル・マップ・データ)。「兵庫県立歴史博物館ネットミュージアム ひょうご歴史ステーション」内の「ひょうご伝説紀行 ―語り継がれる村・人・習俗―」の「栗花落の井」に掲げられた現地の掲示画像(神戸市北区役所及び山田民俗文化保存会のもの)を以下に電子化する(和歌の部分は行間を詰めた)。

   *

     「栗花落(つゆ)の井」伝説

 丹生山田の住人、矢田部郡司(やたべこおりのつかさ)の山田左衛門尉真勝(さえもんのじょうさねかつ)は、淳仁(じゅんにん)天皇に仕えていたが、左大臣藤原豊成の次女白瀧姫を見初め、やみ難い恋慕の情に苦しんだ。真勝の素朴で真面目な人柄に感心された天皇は自ら仲立をして夫婦にされたので、真勝は喜んで姫を山田へ連れ帰ったという。才色優れた白瀧姫と真勝との幸福な生活は、結婚三年にして男の子一人を残して姫は亡くなってしまった[やぶちゃん注:文章の呼応がおかしいが、ママ。]。真勝はその邸内に弁財天の社を建て姫を祀った。毎年五月、栗の花が落ちる頃、社の前の池に清水が湧き出て、旱天(ひでり)でも水の絶えることがなかったという。それにより姓を「栗花落(つゆ)」と改め、池を「栗花落(つゆ)の井」と名付けたという。

 

  真勝から白瀧姫へ送った恋歌

『水無月の 稲葉の末もこかるるに

          山田に落ちよ白瀧の水』

  白瀧姫から真勝へ送った恋歌

『雲たにも かからぬ峰の白瀧を

     さのみな恋そ 山田をの子よ』

  *

リンク先の解説には、『長方形の石組みがある井戸は、さほどの深さもない。しかし毎年梅雨のころになると必ず清水がわき出し、どんな日照りでも秋までかれることがないというのは、不思議な話である。この井戸は、主人公である山田左衛門尉真勝(やまださえもんのじょうさねかつ)の子孫(栗花落氏)によって整備され、今も大切に祭られているというから、子孫にとっても地元の人々にとっても、まさしく伝説が生きている場所である』。『栗花落の井にわく水は、水路をめぐり、あたりの田を潤してきた。「白滝姫」という美しい名とともに、伝説は里人の間で息づいてきたのだろう』とある。「淳仁天皇」(淡路廃帝:あわじはいたい:敵対した女帝孝謙天皇(淳仁天皇の後に重祚して称徳天皇)により長く天皇の一人と認められなかった。彼は彼女に殺されたと推定されている)の在位は天平宝字二(七五八)年から天平宝字八(七六四)年。「左大臣藤原豊成」(大宝四(七〇四)年~天平神護元(七六六)年)は藤原鎌足の曾孫。最終官位は右大臣従一位。彼の娘中将姫(天平一九(七四七)年~宝亀六(七七五)年)は長谷観音のお告げで奈良当麻寺(たいまでら)にある「当麻曼荼羅」を織ったとされる伝説的女性。なお、この「栗花落の井」はさらに調べてみると、現在は「原野厳島神社」となっていて、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を主祭神とし、配祀神を白瀧姫としている。兵庫県神社庁公式サイト内同神社を参照されると、解説は勿論、祭祀堂の写真が先のリンク先と同一建物であることが判る。

「本草」「本草綱目」の「巻之五 水部」の「梅雨水」に、

   *

發明藏器曰江淮以南、地氣卑濕、五月上旬連下旬尤甚【「月令」。】。土潤溽暑、是五月中氣。過此節以後、皆須曝書畫。梅雨沾衣、便腐黑。浣垢如灰汁、有異他水。但以梅葉湯洗之乃脱、餘並不。時珍曰梅雨或作霉雨、言其沾衣及物、皆生黑霉也。芒種後逢壬爲入梅、小暑後逢壬爲出梅。又以三月爲迎梅雨、五月爲送梅雨。此皆濕熱之氣、郁遏熏蒸、釀爲霏雨。人受其氣則生病、物受其氣則生霉、故此水不可造酒醋。其土潤溽暑、乃六月中氣、陳氏之誤矣。

   *

そこで時珍は「芒種」後の最初の壬の日(グレゴリオ暦六月十日頃)が梅雨入りであり、「小暑」後の最初の壬の日(七月十二日頃)が梅雨明けであるとしている。今年(二〇一八年)は驚くべきことに六月末に梅雨明けしてしまった。最早、人間だけでなく、季節も狂い始めている。「梅黃の説」とは「梅の実が黄ばむ頃に梅雨が始まるという説」の意。]

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