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« 進化論講話 丘淺次郎 第十九章 自然に於ける人類の位置(五) 六 血淸試驗上の證據 | トップページ | 諸國里人談卷之五 橫山狐 »

2018/07/29

進化論講話 丘淺次郎 第十九章 自然に於ける人類の位置(六) 七 猿人の化石 / 第十九章 自然に於ける人類の位置~了

 

     七 猿人の化石

 

 斯くの如く、人間の猿類に屬することは、解剖學上及び發生學上に明であるのみならず、血淸試驗によつて明に證することも出來るが、他の猿類と共に猿類共同の先祖から漸々分岐して生じたものとすれば、その先祖から今日の人間に至るまでの途中のものの化石が、地層の中に少しは殘つて居さうなものである。さて實際さやうなものが發見せられたことがあるか否かと尋ねるに、澤山にはないが、既に種々の階段に屬する化石が見出され、現に處々の博物館に鄭重に保存せられてある。素よりこの種の化石が十分に揃つて人間と猿類との共同の先祖から今日の人間に至るまでの進化の順序を遺憾なく完全に示すといふわけではないが、發見せられた化石は皆人間と猿類の先祖との中間に立つべき性質を具へたものばかり故、全く進化論の豫期する所と一致して居るのである。

 全體動物の死體が化石となつて後世まで殘るのは、餘程都合の好い場合に限ることで、先づ水の底に落ち、細かい泥にでも埋もれなければ、殆ど化石となる機會はないやうである。犬・猫などは昔から何疋棲んで居て、每年何疋づゝ死んだか解らぬが、その化石を見出すことは決してない。人間もその通りで、石器を用ゐて居た時代にも人間は相應に多數に生存して居たであらうが、石斧や石鏃は澤山に出ながら、それを造つた人間の骨の發見せられることは極めて稀である。それ故、今日知られて居る人間の化石は、世界中のものを悉く集めても、その數は決して多くはない。

 今より殆ど五十年ばかり前に、ドイツデュッセルドルフ市の近邊のネアンデルタールといふ處の地層から、一個の人間の頭骨が發見になつたが、その頭骨は餘程今日の人間とは違つて、頭蓋部が小く[やぶちゃん注:「ちいさく」。]、眉の處が著しく突出して居て、全體が大いに猿の頭骨に似て居た。その頃之に就いては種々の議論があつて、或る人は之を人間中の猿に近いものと見倣し、或る人は之を人間と猿との間の子[やぶちゃん注:「あひのこ」。]であらうなどと論じたりしたが、有名な病理學者ウィルヒョウが之は畸形者の頭骨であると斷言したので、一時は誰もその説に服し、この貴重な化石も暫時は學問上大なる價値のないものとして捨て置かれた。

[やぶちゃん注:「今より殆ど五十年ばかり前」ネアンデルタール人(ヒト属ホモ・ネアンデルターレンシスHomo neanderthalensis:命名は一八六四年)の頭骨化石が見つかったのは、一八五六年(本書(新補改版・第十三版)は大正一四(一九二五)年刊であるから、正しくは六十九年前で修正し忘れ)。なお、学術研究の対象とは成らなかったが、それ以前にオランダやジブラルタルの鉱山で断片骨が発見されている)。発掘ではなく、石灰岩採掘作業中に作業員によって掘り出された。

「ドイツ國デュッセルドルフ市の近邊のネアンデルタール」ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州を流れるライン川支流のデュッセル川(Düssel にある小さな「ネアンデル谷」或いは「ネアンデルタール」(ドイツ語:Neanderthal 又は Neandertal)。この附近(グーグル・マップ・データ)。

「ウィルヒョウ」ルードルフ・ルートヴィヒ・カール・フィルヒョウ(Rudolf Ludwig Karl Virchow 一八二一年~一九〇二年)はドイツ人医師・病理学者・先史学者・生物学者・政治家。白血病の発見者として知られる。この一八五六年からベルリン大学で病理学教授を務めていた。病理学の世界的権威であった彼は、この頭骨を佝僂(くる)病や痛風によって変形した現代人の老人の骨格と主張した(ウィキの「ネアンデルタール人」に拠る)。]

 

Kagakukotu

 

[人類下顎の化石]

[やぶちゃん注:講談社学術文庫のものを用いた。これは思うに、若干、上部の形状や歯の残存状況に齟齬があるものの、以下に出るホモ・ハイデルベルゲンシスHomo heidelbergensis の下顎骨化石の杜撰な模写ではなかろうか? ウィキの「ホモ・ハイデルベルゲンシスの下顎骨のレプリカの写真(パブリック・ドメイン)

 

Heidelberger_mensch_replik_rosenste

 

を掲げておく。]

 

Toukotu4

 

[頭骨四個

(右上)オーストラリア野蠻人

(左上)ヨーロッパ人

(右下)猩々

(左下)猿人]

[やぶちゃん注:講談社学術文庫のものを用いたが、同文庫の振った記号やキャプションは消去してある。「オーストラリア野蠻人」は前に出した現在のアボリジナル・オーストラリアン(Aboriginal Australians)の頭蓋骨であろう(なお、「野蠻人」は差別用語である)。「猿人」はホモ・エレクトスHomo erectus のそれに近いように思われる。]

 

 然るにその後またベルギー國のスパイといふ處から前のと略同樣な頭骨が掘り出され、尚後に至つてクロアチヤ州から之に似た頭骨が八個發見せられ、尚その他にも處々から一つ二つづゝ同樣な古代の人間の骨骼が掘り出された。その中で、先年ドイツハイデルベルヒの附近から發見せられた下顎骨、一昨年英國サセックス州のピルトダウンで掘り出された頭骨・下顎骨などは時代の稍古いために最も有名である。尚十年程前にドイツ領東アフリカで、人間の化石が一個新に發見せられたが、之に關する詳しい報告の出ない中に、戰爭が始まつたから、この人間が如何なる性質のものであるかはまだ確には知ることが出來ぬ。これらを比較して調べて見ると、些細な點では皆違つて居るが、肝要な處はネアンデルタールの頭骨と餘程似たもので、孰れも今日の人間の頭骨とは違ひ、猿の頭に似た點が著しく目に立つた。かやうに遠く相離れた國々から幾つも出て來る所から考へると、決して畸形者の頭骨であるとは思はれぬ。且その時代の地層から發見せられた人間の頭骨が皆かやうなものであるのを見れば、之は確にその頃生活して居た人間の普通の性質を示して居るものと見倣さねばならぬが、斯かる頭骨を具へて居つた以上は、その頃の人間は今日の人間とは餘程違つたもので、頭が小く、眉は突出し、顎も大に[やぶちゃん注:「おほいに」。]發達して、全體の容貌が頗る猿に類して居たに違ない[やぶちゃん注:「ちがひない」。]。生活の有樣がどうであつたかは素より今日からは確に論ぜられぬが、之も今日の人間とは著しく違つて居たらうといふだけは察することが出來る。

[やぶちゃん注:「ベルギー國のスパイといふ處から前のと略〻同樣な頭骨が掘り出され」Spyここ(グーグル・マップ・データ)。ネアンデル谷の発見から三十年後の一八八六年。

「クロアチヤ州」一八九九年当時のオーストリア=ハンガリー帝国(現在のクロアチア共和国)のクラピナ(Krapinaここ(グーグル・マップ・データ))の丘の上から、多数の骨断片(最低で十二人分、数十体ともされる)ネアンデルタール人の骨が発見された。

「先年ドイツ國ハイデルベルヒの附近から發見せられた下顎骨」所謂、ハイデルベルク人(ヒト属ホモ・ハイデルベルゲンシスHomo heidelbergensis:命名は一九〇八年)。一九〇七年にドイツのハイデルベルク近郊のマウアー村(Mauer)で発見された(ここ(グーグル・マップ・データ))。同種と思われる(或いは亜種)の化石はその後、南アフリカ・東アフリカでも発見された。ウィキの「ホモ・ハイデルベルゲンシス」によれば、『ネアンデルタール人と比べても、眼窩上隆起が非常に大きく、前脳部は小さい。このことからネアンデルタール人よりは原始的な種と見なされる』。『下顎骨は非常に大きく頑丈であるが、歯は小型で現生人類よりやや大きい程度で、同時代と思われる北京原人より小さい。そのため』、『この人類は、原人であるのか、原初的な旧人であるのかが議論されたが、巨大な下顎骨の形質や伴出した動物化石との比較などから、時代的に見て原人であろうと考えるのが一般的である』。但し、『現生人類へと繋がる系統とネアンデルタール人との分岐直前』(四十七万~六十六万年前)の時期』或いは『分岐後のホモ・サピエンスへと続く系統側で、ホモ・サピエンスに進化する前段階には旧人段階の「ホモ・ヘルメイ」にまで進化していたことも考えられる』とある。

「一昨年英國サセックス州のピルトダウンで掘り出された頭骨・下顎骨」一九〇九年から一九〇九年にかけて、弁護士でアマチュア考古学者のイギリス人チャールズ・ドーソン(Charles Dawson)によって「発見」された頭頂骨と側頭骨。この当時は類人猿と現生人類のミッシング・リンクを埋める存在として大いに期待されたが、実はオランウータンの下顎骨を素材に巧妙な加工を施した完全な捏造品であった。捏造と断定されたのはずっと後の一九五三年のことであった(本書は大正一四(一九二五)年刊(「一昨年」は書き換え損ない)。というより、丘先生は昭和一九(一九四四)年に亡くなっている)。

「尚十年程前にドイツ領東アフリカで、人間の化石が一個新に發見せられたが、之に關する詳しい報告の出ない中に、戰爭が始まつたから、この人間が如何なる性質のものであるかはまだ確には知ることが出來ぬ」「ドイツ領東アフリカ」は現在のブルンジ・ルワンダ・タンガニーカ(タンザニアの大陸部)の三地域を合わせた、アフリカ西岸ドイツ帝国の植民地。恐らくは、現在のタンザニア北部の「ンゴロンゴロ保護区」にある谷幅数百メートル・崖高凡そ百メートル・全長四十キロメートルにも及ぶ広大なオルドヴァイ(Olduvai)渓谷のことであろう(ここ(グーグル・マップ・データ))。ここからは多くの化石人骨や石器が見つかっているウィキの「オルドヴァイ」にある一九一三年に『ドイツのハンス・レック教授』(Hans Reck 一八八六年~一九三七年:地質学者)『が、現在ではオルドヴァイ人と呼ばれている化石人骨を発見した』というのが丘先生の言うそれであろう(但し、この「オルドヴァイ人」についての記載は不思議なことに殆んど見当たらない。欧文ウィキを見ると、彼はごく古い現生人類の化石と主張したものの、批判された経緯が記されている)。その後、一九五九年には、『イギリスの人類学者ルイス・リーキーとメリー・リーキー』『博士夫妻がアウストラロピテクス・ボイセイ』(パラントロプス属Paranthropus boisei:本種はヒト亜族アウストラロピテクス属Australopithecus に含める説がある)『の化石人骨(完全な頭骨)と最も原始的な石器を世界で初めて同一地点の同一文化層から発見』、『注目を集め』、さらに、その五年後の一九六四年には『同じくルイス・リーキーによってホモ・ハビリス』(ヒト属ホモ・ハビリスHomo habilis)『の化石が発見され、人類進化の研究にとって最重要の遺跡の一つとなった』とあり、化石人類のメッカとも言うべき場所である。『また、多くの石器も発見されており、礫石器を主体としたこの石器文化はオルドヴァイ文化と呼ばれ、約』百八十『万年前までさかのぼるアフリカ最古級の旧石器文化であると考えられている』とある。]

 

 近來最も評判の高い化石は、丁度二十七年前にオランダヂュボアといふ博物學者がジャヴァトリニルで掘り出したものである。そこの第三紀の地層を研究して居る中に、一個の頭骨と脚の骨とを發見したが、その形狀を調べて見ると、丁度人間と猿との中間に位するもので、人間ともいへず、猿ともいへぬから、據なく[やぶちゃん注:「よんどころなく」。]「猿人」といふ意味の新しい屬名を造り、脚の骨から考へると確に直立して步行したらしいからとて、「直立する」といふ種名を附け、この化石に「直立した猿人」といふ學名を與へた。かやうな性質を具へた化石であるから、忽ち學者間に非常な評判となり、その後の萬國動物學會にヂュボアが實物を持ち出して、大勢の批評を求めた所が、之を最も人間に似た猿であらうといふた人が二三人、最も猿に似た人間であらうといふた人が二三人あつた外、その他の人は皆之を人間と猿類との中間に位する種屬の化石であると認めた。斯くの如くそのいうたことには多少の相違はあつたが、畢竟たゞ、他の猿類と人間との境界を便宜上どこに定めようかといふ點に就いて、人々の考が違つただけで、この化石が今日の人間と今日の猿類との中間に位するといふことに就いては、誰も異存はなかつたのである。尤もこの化石を直に人間と猩々との共同の先祖の化石と見倣すことは出來ぬが、兎に角共同の先祖に最も近いものであることだけは、少しも疑がない。

[やぶちゃん注:「丁度二十七年前にオランダのヂュボアといふ博物學者がジャヴァのトリニルで掘り出したものである。そこの第三紀の地層を研究して居る中に、一個の頭骨と脚の骨とを發見した」オランダの解剖学者・人類学者であったマリー・ウジェーヌ・フランシス・トーマス・デュボワ(Marie Eugène François Thomas Dubois 一八五八年~一九四〇年)が一八九一年(本書は大正一四(一九二五)年刊だから「丁度二十七年前」は書き換え損ない)にオランダ領であったインドネシアジャワ島トリニール(Trinil(グーグル・マップ・データ))で発見した化石人類。嘗ては Pithecanthropus erectus(ピテカントロプス・エレクトス)の学名で呼ばれていたが、現在はヒト属に分類され、Homo erectus(ホモ・エレクトス)の亜種 Homo erectus erectus(ホモ・エレクトス・エレクトス)とする。百七十万~百八十万年前頃の棲息と推定される。なお、現在の知見では本種は現生人類の直接の祖先ではないとする意見が支配的である。「第三紀」新生代第三紀は六千四百三十万年前から二百六十万年前までであるから、ここは第四紀(二百五十八万八千年前から現在まで)でないとおかしい。]

 

 また猿類の化石は如何といふに、全體猿類の化石といふものは、人間の化石と同じく、餘り多くは發見せられてないが、その中或るものは確に今日の普通の猿よりは、尚一層人間に似て居る處がある。之は人間と猿類との共同の先祖から遠ざかることがまだ僅であるから、共同の先祖に尚甚だ似て居るので、斯く人間に似た如くに見えるのであらう。

 斯くの如く、人間が猿類と共同な先祖から起つたといふことは、決して單に推理上の結論のみではない。地層の中から出た化石を調べても、確にその證據のあることで、今日では最早疑ふことの出來ぬ事實である。陸上動物の化石の甚だ少いこと、特に人間・猿類の化石の極めて稀であることを考へれば、人間の進化の徑路を示すべき化石の完全に揃つて居ぬことは當然のことで、今まで發見になつた化石が一も進化論の豫期する所と矛盾せぬことだけでも、既にこの論の正しいといふ最も有力な證據と見倣さねばならぬ。

 

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