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2018/07/18

諸國里人談卷之四 桜が池

 

    ○桜が池

備後(びんごの)阿闍梨皇圓は源空上人の師にて、比叡山にありて、その頃の明匠、一山の雄才なりける。皇圓曰、「長壽は蛇身にしかず。吾、蛇身となりて彌勒の出世を待(まつ)べし。遠州『桜が池』はその深き事をきく。これに住(すま)ん」と、臨終の時、此池の水を掬(きく)す。其時、池水、大きに騷ぐ。皇圓入寂と同時なりとぞ。今に至(いたつ)て閑夜には、鈴(れい)の音、池の邊(ほとり)にきこゆると云〔いへ〕り。此池は遠江國笠原庄桜村に男池(おいけ)・女池(めいけ)とて、方五町ばかりの池、二つあり。「桜が池」と云。池の社(やしろ)は牛頭(ごづ)天王なり。毎年八月彼岸の中日午の刻に、半切桶(はんきりおけ)に赤飯を盛りて、水鍊(すいれん)の達者なるもの、これを押行(おしゆく)。池の眞中(まんなか)とおもふ所にて、押(おし)はなし、其身は向ふの岸に游ぎつく也。于ㇾ時(ときに)、池水、渦卷(うづまき)て、その飯器(はんき)、水底(みづそこ)に沈むなり。此飯器は、その數、定(さだま)らず。願望にしたがひ、三ツ、七ツ、或は五ツ、年々に增減ありける。

[やぶちゃん注:「備後(びんごの)阿闍梨皇圓は源空上人の師」「備後」は「肥後」の誤り。「源空上人」は法然のこと。皇円(承保五(一〇七四)年?~嘉応元(一一六九)年六月十三日(ユリウス暦一一六九年七月九日))ウィキの「皇円」から引く。平安『後期の天台宗の僧侶』。『熊本県玉名の出身で肥後阿闍梨とも呼ばれ、浄土宗の開祖法然の師でもある。王朝も末期に成立した、編年綱目の体裁を採る国史略のうち』、『「扶桑略記」を撰した(ほかに「日本紀略」「帝王編年記」)。弥勒菩薩が未来にこの世に出現して衆生を救うまで、自分が修行をして衆生を救おうと、静岡県桜ヶ池に龍身入定したと伝えられる。湖畔の池宮神社では秋の彼岸の中日に池の中に赤飯を奉納する「お櫃納め」の行事が営なまれる。また』、『皇円を本尊として祀る熊本県玉名市の蓮華院誕生寺では、皇円大菩薩ないし皇円上人と尊称されて人々の信仰をあつめている。浄土宗の僧で、多念義』(終生念仏を続けることによって極楽往生出来るとするもの。「一念義」の対概念)『を主張した隆寛は甥である』。『関白藤原道兼の玄孫(孫の孫)で、豊前守藤原重兼の子として肥後国玉名荘(現熊本県玉名市築地(ついじ))に生まれた。兄は少納言藤原資隆』。『母親は玉名の豪族大野氏の娘とも推測されるが不明。幼くして比叡山に登り椙生(すぎう)流の皇覚のもとで出家得度し』て『顕教を修め、さらに密教を成円に学んだとされ』、『二人の名前からそれぞれ一字を取り』、『皇円と称したとされる。比叡山の功徳院に住み、その広い学徳により』、『肥後阿闍梨(あじゃり)と尊称された。浄土宗の開祖である法然は、皇円の下で学んだが』、後に離れている。『皇円は史才のある学僧でもあり、「扶桑略記」(扶桑は日本の異称)を撰している』。「扶桑略記」は『日本最初の編年体の歴史書としてよく知られ、神武天皇から堀河天皇までを、主に日本への仏教伝来や発展史、神社寺院の縁起に着目して記述した貴重なものである』。『皇円の事績に関する同時代の直接の記録はほとんどなく、鎌倉時代末期に編まれた法然に関する「拾遺古徳伝」や「法然上人絵伝」に頼らざるを得ない。それらによると』、嘉応元(一一六九)年六月十三日に、『遠州桜ケ池に大蛇の身を受けて入定したとされる。平安末期に盛んとなった弥勒下生信仰つまり弥勒菩薩が釈迦入滅後』五十六億七千万年後に『この世界に現われて三度説法をして衆生を救済するという信仰のために、そのときまで菩薩行をして衆生を救うという願いを立てたものと思われる。遠州桜ケ池は静岡県御前崎市浜岡に現存する直径約』二百メートル余りの『堰き止め湖で、湖畔には瀬織津比詳命(せおりつひめのみこと)を祭神として祀る池宮神社(御前崎市佐倉5162)があり』(グーグル・マップ・データ))、『桜ヶ池主神として皇円阿闍梨大龍神をも祀っている』。約十キロメートル『離れた応声教院(静岡県御前崎市中内田915)には、大蛇のウロコと称されるものが祀られている』((グーグル・マップ・データ))。『皇円の生地である熊本県玉名市築地には、恵空(えくう)による官立ではない私建立の寺院として、鎌倉時代に高原山蓮華院浄光寺が建立されたが』、『戦国時代に焼失。その後江戸、明治、大正と約』三百五十『年を経る間に、伽藍は朽ち果て山野となり、築地、南大門の地名や』二『基の五輪の塔など』、『わずかを残すのみとなってしまった』。昭和四(一九二九)年十二月のこと、『当時荒尾市在住の祈祷師であった川原是信が、荒ぶる地霊を治めるよう』、『築地の村人に請われてこの地に来た。寺伝によると、是信がここの草堂で経を唱えていると、突然皇円から「我は今より』七百六十『年前、遠州桜ケ池に龍身入定せし皇円なり。今心願成就せるをもって、汝にその功徳を授く。よって今から衆生済度と蓮華院の再興をはかれ。」との霊告を受けたとされる』。『是信はこれにより、ますますその霊能を高め、衆生済度に努め、同時にまた寺院の再興をはかった。再興なった寺院は本尊を皇円大菩薩とし、寺名は皇円誕生の地であることから蓮華院誕生寺とされた。現在、住職は川原是信から三代目となり、蓮華院誕生寺は奈良西大寺を本山とする真言律宗の別格本山として、本堂、五重塔、多宝塔、南大門、庫裏などの伽藍を整え、また築地より北方』四キロメートル『の小岱山中には奥之院を構えるに至っている』という。最後は、ふ~ん、という感じだね。別にウィキの「御前崎市によれば、『敏達天皇の御世に瀬織津姫が池に出現された。それが縁起で池宮神社が創建された。桜の名所で』、『ほとりには竜神を祀る池宮神社がある』。『南方以外を丘陵の原生林に囲まれており、およそ』二『万年前に風や波により運ばれてきた砂が溜まり』、『せき止められて出来上がったと考えられている。 面積はおよそ』二万平方メートルで、『深さは具体的な数値は定かではなく、後述する竜神伝説から底無しと言われている』。皇円が『自ら桜ヶ池の底に沈んで竜神(大蛇)となった』と伝えられ、『以降、秋の彼岸の中日には赤飯を詰めたお櫃を池に沈めて竜神に供える奇祭「お櫃納め」が行われている。数日後には空になったお櫃が浮いてくると言われ、遠州七不思議のひとつになっている』。『桜ヶ池に沈めたお櫃が、同じく竜神伝説の残る長野県の諏訪湖に浮いたことがあるとされ、諏訪湖と地底でつながっているという言い伝えがある。これに関連して、静岡県浜松市の池の平では』七『年周期で池(幻の池)が湧くという不可思議な現象が起こるが、これは桜ヶ池の竜神が諏訪湖に赴く際に休息するためであるという言い伝えがある』とある。

「男池女池」個人ブログ「富士おさんぽ見聞録桜ヶ池によれば、『往古は男池と女池の』一『対だったが、ひとつは枯れてしまった。現存する池がどちらなのかは諸説あり判然しない』とされ、十八世紀に編纂された「遠江国風土記伝」に『は「女池周凡九百歩、深不可知、南方有堤、池中鯉鮒蓮生」と記し、女池=桜ヶ池と紹介している』とある。本「諸國里人談」は寛保三(一七四三)年の刊行であるから、十八世紀前半までは二つの池があったものか。

「方五町」約五百四十六メートル四方。この数値と謂い方からみると、現在の「桜ヶ池」は男池と女池が通じて一つの池になったものか。

「半切桶(はんきりおけ)」普通の桶を半分に切った形に似ていることから「半切」などと呼ばれる、有意に平たい桶のこと。

「水鍊」「水練」に同じい。]

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