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« 諸國里人談卷之五 伯藏主 | トップページ | 進化論講話 丘淺次郎 第十九章 自然に於ける人類の位置(四) 五 人は猿類に屬すること »

2018/07/29

進化論講話 丘淺次郎 第十九章 自然に於ける人類の位置(三) 四 人は獸類の一種であること

 

     四 人は獸類の一種であること

 

 前の節に述べた通り、人間といふものは、身體の構造・發生等を調べても、精神的動作の方面から論じても、犬・猫の如き普通の獸類と比較して根本的の相違は少しもない。知力・言語だけは著しく進んで居るが、之も單に程度の相違に過ぎぬ。されば犬・猫等を動物界に編入して置く以上は、人間だけを動物界以外に離す理由は少しもない。このことは改めていふまでもないことで、動物學の書物を開いて見れば、必ず人間も動物の一種と見倣して、その中に掲げてあるが、世間にはまだ人間だけを動物界以外の特別のものの如くに考へて居る人も、甚だ多いやうであるから、動物界の中で人間は如何なる部に屬するかを、少し詳細に述べて置く必要がある。

 動物界を大別して、先づ若干の門に分つことは前にもいうたが、その中[やぶちゃん注:「うち」。]脊椎動物門といふのは、身體の中軸に脊椎を具へた動物を總べて含むもので、獸類・鳥類・蛇・蛙から、魚類一切まで皆之に屬する。人間も解剖して見れば、犬・猫とも大同小異で、猿類とは極めて善く似て居るもの故、無論この門の中に編入せなければならぬ。動物界には人間の屬する脊椎動物門の外に、尚七個或は八個の門があるが、これらの門に屬する動物は、人間とは身體の構造が著しく違つて、部分の比較をすることも出來ぬ。昔は動物學者の中にも人間は最も完全な動物である。他の動物は總べて人間の性質をたゞ不完全に具へて居るなどと唱へた人もあつたが、之は素より誤で、生物進化の樹枝狀をなした系圖に照せば、動物の各門は皆幹の根基(ねもと)に近い處から分かれた大枝に當るもの故、門が異なれば進化の方向が全く違つて、決して優劣の比較の出來るものでない。脊椎動物である人間と軟體動物である章魚[やぶちゃん注:「たこ」。]とを比較するのは、恰も弓の名人と油畫の名人との優劣を論ずるやうなもので、雙方全く別な方面に發達して居るのであるから、甲乙の定めやうがない。動物界で人間と多少比較の出來るのは脊椎動物だけで、その他は極めて緣の遠いものばかりであるが、何十萬種もある動物の中で、脊椎動物は僅に三萬にも足らぬ位であるから、種類の數から言へば甚だ少數である。倂し大形の動物は概してこの中にあるから、通常人の知つて居るのは、多くは脊椎動物で、禽獸蟲魚といふ中の禽・獸・魚の全部と蟲の一部とは總べてこの門に屬する。されば今日動物學上知れてある何十萬種の中、大部分は人間とは關係の薄いもので、たゞ脊椎を有する動物だけが人間と同一な大枝から降り、尚その中の或る種類は特に人間と密接した位置を占めて居るわけである。

[やぶちゃん注:「動物界には人間の屬する脊椎動物門の外に、尚七個或は八個の門がある」現行では、ウィキの「動物等によれば、

海綿動物門(約7000種)

平板動物門(平板動物綱平板動物目平板動物科トリコプラックス Trichoplax 属センモウヒラムシ Trichoplax adhaerens 1種のみ。海産。一八八三年発見。12mm ほどのアメーバ状の細胞の塊りで、消化管もない)

刺胞動物門(約7620種)

有櫛動物門(約143種)

直泳動物門(25種:海産の寄生性多細胞動物。0.10.8mm程で円柱状)

二胚動物(菱形動物)門(約110種)

扁形動物門(約20000種)

顎口動物門(約100種:一九五六年発見。海・汽水産で砂中に棲息。体長0.23.5mmで円筒状)

輪形動物門(約3000種)

鉤頭(こうとう)動物門(約1100種:寄生性)

微顎動物門(微顎綱リムノグナシア目リムノグナシア科リムノグナシア属リムノグナシアLimnognathia maerski 1種のみ。一九九四年発見。湧水に棲息し、0.1mm程度。知られている最小の動物の一つ)

腹毛動物門(約450種)

外肛動物門(約4500種)

箒虫動物門(約20種)

腕足動物門(約350種)

紐形動物門(約1200種)

軟体動物門(約93,195種)

星口動物門(約320種)

環形動物門(約16,650種)

内肛動物門(約150種)

有輪動物門(3種以上:一九九五年発見。真有輪綱シンビオン目シンビオン科シンビオン属 Symbion。エビ類に付着寄生)

線形動物門(約15,000種)

類線形動物門(約320種)

動吻動物門(約150種)

胴甲動物門(約23種)

鰓曳動物門(約16種)

緩歩動物門(約800種)

有爪動物門(約160種)

節足動物門(約110万種)

毛顎動物門(約130種)

無腸動物門(約130種)

棘皮動物門(約7000種)

半索動物門(約90種)

脊索動物門(約51,416種)

以上で実に三十四門を数え、分子系統解析によってさらに修正・細分化される可能性が高い

「通常人の知つて居るのは、多くは脊椎動物で、禽獸蟲魚といふ中の禽・獸・魚の全部と蟲の一部とは總べてこの門に屬する」不審に思った方もいるであろうから、注しておくと。この「蟲の一部」の「蟲」は古典的博物学上での広義のそれであって、「昆虫」の意ではない。具体的には両生類・爬虫類、及び、丘先生ならば、脊索動物門 Chordata の原索動物亜門 Urochordata の、頭索動物亜門ナメクジウオ綱ナメクジウオBranchiostoma belcheri などと、尾索動物亜門ホヤ綱ホヤ綱 Ascidiacea のホヤ類なども含んで考えておられるものと思われる。

 

 脊椎動物を、哺乳類・鳥類・爬蟲類・兩棲類・魚類の五綱に別けるが、人間は溫血・胎生で皮膚に毛が生じてあるから、明にその中の哺乳類に屬する。また哺乳類を分けて胎盤の出來る高等の類と、胎盤の出來ない下等の類とにするが、人間はその中の有胎盤類に屬する。胎盤といふのは胎兒を包む膜と母の子宮の壁とが合して出來たもので、母の血液から胎兒の方へ酸素と滋養分とを送る道具であるが、人間の子が産まれた後に臍の緒の先に附いて出て來る蓮の葉の如き形のものが、卽ちこれである。人間と犬・猫との身體構造上極めて相似て居る點は前に述べたが、動物學上哺乳類の特徴と見倣す點で人間に缺けて居るものは一つもない。それ故、人間の哺乳類であることは確であつて、哺乳類である以上は犬・猫等の如き獸類と共同な先祖から分かれ降つたといふこともまた疑ふことは出來ぬ。

[やぶちゃん注:「脊椎動物を、哺乳類・鳥類・爬蟲類・兩棲類・魚類の五綱に別ける」現行、現生の脊椎動物は、

無顎動物亜門(無顎上綱頭甲綱ヤツメウナギ目 Petromyzontiformes のヤツメウナギ類と無顎上綱ヌタウナギ綱ヌタウナギ目ヌタウナギ科 Myxinidae のヌタウナギ類のみ)

魚類亜門

四足動物亜門

に分かれ、魚類亜門は、

軟骨魚綱

硬骨魚綱

に、四足動物亜門は、

両生綱

爬虫綱

哺乳綱

鳥綱

に分かれるから、都合、現在は八綱となる。]

 

 生物學の進んだ結果として、人間が獸類の一種であることを明に知るに至つた有樣は、天文學の進んだ結果として、地球が太陽系統に屬する一の惑星であることを知るに至つたのと極めて善く似て居る。天文學の進まぬ間は、僅に十萬里[やぶちゃん注:三十九万二千七百二十六メートル。地球と月との距離は三十八万四千四百キロメートル。]と隔たらぬ月も、三千七百萬里[やぶちゃん注:一億四千五百三十万八千六百二十キロメートル。地球と太陽との距離は一億四千九百六十万キロメートル。]の距離にある太陽も、また太陽に比して何干萬倍もの距離にある星でも、總べて一所に合せて、その在る處を天と名づけ、之を地と對立せしめ、我が住む地球の動くことは知らずに、日月星辰が廻轉するものと心得て居たが、段々天文學が開けて來るに隨ひ、月は地球の周圍を廻り、地球はまた他の惑星とともに太陽の周圍を廻つて居るもので、天に見える無數の星は、殆ど皆太陽と同じやうな性質のものであることが解り、宇宙に於ける地球の位置が多少明に知れるに至つた。地動説が初めて出た頃には、耶蘇教徒の騷ぎは大變なことで、何とかしてかやうな異端の説の弘まらぬやうにと、出來るだけの手段を盡して、そのため人を殺したことも何人か算へられぬ。倂し眞理を永久壓伏することは到底出來ず、今日では小學校に通ふ子供でも、地球が太陽の周圍を廻ることを知るやうになつた。

[やぶちゃん注:コペルニクスが地動説を唱えたのは一五四三年(本格的に地動説の着想を得たのは一五〇八年から一五一〇年頃と推定されており、一五二九年頃から論考を纏め始めている。但し、その時点では発表する意思はなかったとウィキの「ニコラウス・コペルニクスにはある)、天動説では周転円により説明され、ガリレオに対する異端審問は一六一六年と一六三〇年、ローマ教皇庁並びにカトリックが正式に天動説を放棄して地動説を承認したのは一九九二年。

 自然界に於ける人間の位置に關しても、丁度その通りで、初めは人間を以て一種靈妙な特別のものと考へ、天と地と人とを對等の如くに心得て、之を三才と名づけ、殆ど何の構造もない下等の生物も、人間同樣の構造を具へた猿や猩々も總べて一括して之を地に屬せしめた有樣は、光線が地球まで達するのに一秒半もかゝらぬ月も、八分餘で屆く太陽でも、または何年も何十年もかかる程の距離にある星も、同等に思ふたのと少しも違はぬ。而して生物學の進むに隨つて、先づ人間を動物界に入れて、獸類中の特別な一目と見倣し、次には猿類と同目に編入し、更に進んで人間と東半球の猿類とのみを以て猿類の中に狹鼻類と名づける一亞目を設け、人間は比較的近い頃に猿類の先祖から分かれ降つたものであることを知るに至つて、初めて、自然に於ける人類の位置が明に解つた具合は、また地動説によつて地球の位置が明になつたのと少しも違はぬ。

 凡そ一個の新しい眞理が發見せられる每に、そのため不利益を蒙る位置にある人々が、極力反對するのは當然であるが、たとひ私[やぶちゃん注:「わたくし」。]の心が無くとも、舊い思想に慣れた人は、惰性の結果で之に反對することも多い。ダーウィンが「種の起源」を公にした頃には、宗教家は素より、生物學者の一部からも劇しい攻擊を受けたが、人も猿も犬・猫も共同の先祖から降つたといふ考は、地球の動く動かぬの議論と違ひ、人間に取つて直接の關係のあることで、人類に關する舊思想を基とした學問は、過半はそのため根抵から改めざるを得ぬことになるから、攻擊者の數は頗る多かつた。且進化論は純粹な生物學上の問題で、その根據とする事實は總べて生物學上のもの故、この學の素養のない人には、到底十分に理會も出來ぬため、生物學者間には學問上最早確定した事實と見倣されて居る今日に於ても、進化論はまだ廣く一般に知られるまでには至らぬが、その眞理であることは、地動説と少しも違はぬ故、人智の進むに隨ひ、漸々誰も之を認めるに至るべきことは、今から豫言して置いても間違はない。ガリレイローマ法王の法廷に呼び出され、地動説を取り消しながら、低聲[やぶちゃん注:「ひきごゑ」。]で「それでも動く」というたのが、コベルニクスが天體の運動に就いての論文を公にしてから九十年目であることを思へば、今日既に進化論が學者間だけにでも認められるに至つたのは、甚だ進步が早かつたといふべきであらう。

[やぶちゃん注:「コベルニクスが天體の運動に就いての論文を公にしてから九十年目」ガリレオの二回目の異端審問から溯ること、八十七年前となる。但し、ウィキの「ガリレオガリレイによれば、『有罪が告げられたガリレオは、地球が動くという説を放棄する旨が書かれた異端誓絶文を読み上げた』。『その後につぶやいたとされる “E pur si muove”(それでも地球は動く)という言葉は有名であるが、状況から考えて発言したのは事実でないと考えられ、ガリレオの説を信奉する弟子らが後付けで加えた説が有力である』とある。]

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