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2018/07/19

小泉八雲 神國日本 戸川明三譯 附やぶちゃん注(45) 社會組織(Ⅰ)

 

 社會組織

 

 故フイスク教授は、其の著『世界論槪説』の中で、支那、古代埃及、古代アツシリアのそれのやうな社會に就いて、頗る興味深い敍述を試みてゐる。曰く『これ等の諸〻の社會が現代ヨオロツパの國家の姿に似てゐたことは、丁度石炭時代の沙羅木(ツタイフアアン)が現今の外方生樹(エキゾゼナス)の風態をしてゐたのと同一である、と私は考へるのであるが――かく言ふ場合、私は單に類推以上の事を語り、發達の徑路に關する限りに於ては、實際の同一關係を述べて居るのである』と。此の説が支那に關して、眞實であるとすれば、等しく日本にあてはめても眞實である。古代日本の社會の組織構成は、家族の組織構成――原始時代に於ける族長的家族の擴大されたものに外ならない。現代西歐の社會も、すべて族長的の狀態から發展し來たつたものである。ギリシヤ、ロオマ古い文化も、より小さい規模の上にではあるが、これと同樣にして建立されたものであつた。併しヨオロツパに於ける族長的家族は、既に數千年以前に、崩壞し去つて居た、氏族(gens)と種族(curia)とは分散し消滅して居た、本來分かれて居た諸階級は、融合するに至り、到る處、社會の全改造が徐に行はれ、その結果制的協同に代つて、任意的協同が行はれて來た。産業を主とする型の社會が發展して、國家的宗教が古代の挾い一地の祭祀に取つて代つた。併し日本の社會は、現代に至る迄、一つの疑集した國體とはならず、氏族的狀態以上には發達しなかつた。日本の社會は、宗教上にも行政上にも他と關係を持たない、幾多の氏族團體或は部族團體の團結の緩い集團たるに止まつてゐた。而して此大集團は、任意的協同に依らず制に依つて纏められて居たのであつた。明治時代に至るまで、又幾年か其後に及んでさへも、中央政府の強壓力が薄弱の徴候を見せた際には、社會は分裂して切れ切れに分散する傾向を示して居た。吾々は此の社會を、封建制度と呼んでも良からうと思ふ、併しそれは沙羅木が樹木に似て居るといふ意味に於てのみ、ヨオロツパの封建制度に似てゐると云へるのである。

[やぶちゃん注:「故フイスク教授」「其の著『世界論槪説』」アメリカの歴史家・哲学者であったジョン・フィスク(John Fiske 一八四二年~一九〇一年)は一八六五年にハーバード大学法学部を卒業後、ボストンで弁護士を開業したが、スペンサーの社会進化論に刺激を受け、一八七三年から翌年にかけてヨーロッパを訪問し、ダーウィン・スペンサーらに会った。帰国したその一八七四年にここに出るOutlines of Cosmic Philosophy(「宇宙哲学概説」)を刊行し、進化論哲学をアメリカに伝えた。一八八〇年以降の彼の関心はアメリカ合衆国史に移り、進化論の立場から、それを解釈した(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「石炭時代」原文“Carboniferous period”(以下同じ)。石炭紀。古生代後半で、デボン紀の後、ペルム紀の前の時代。三億五千九百二十万年前から二億九千九百万年前までの時期。陸上ではシダ植物が発達し、昆虫や両生類が栄えた。

「沙羅木(ツタイフアアン)」“a tree fern”。「ツリー・フアァン」。木生羊歯(シダ)植物。

「外方生樹(エキゾゼナス)」“the exogenous trees”。「エクサァジネス・ツリー」。外生性植物。根或いは根のみではなく、植物体の茎やそこからの分枝相当部分の、表皮及びその下層組織で細胞分裂をして、地上部の植物体の表面が盛り上がることで形成される植物群。ここは現生の広汎な草本・木本類を指すと考えてよかろう。石炭紀の木生シダ類は代表的なリンボク(レピドデンドロン:ヒカゲノカズラ植物門 Lycopodiophyta (現生シダ類は現在、シダ植物門 Pteridophyta と本門を含める)ミズニラ(水韮)綱リンボク(鱗木)目リンボク科リンボク属 Lepidodendron)は木本様草体で樹高は四十メートル、幹は直径二メートルに達し、湿地帯に群生して大森林を形成した。]

 

 先づ第一に、古代の日本社會の性質を、筒單に考へて見よう。其の起原となる單位は一家ではなくて、族長的家族である――換言すれば、それは同族(ゼンス)[やぶちゃん注:前に出た“gens”。]卽ち氏族(クラン)[やぶちゃん注:前に出た“clan”。]と云ふもので、同じ祖先から血統を引いて居るか若しくは共通の祖先崇拜――氏神の祭祀に依つて宗教的に結び合つて居る幾百は幾千の人々の團體である。既に前に言つた通り、この種の族長的家族には二の階級がある、大氏卽ち大氏族、小氏卽ち小氏族と云ふのである。小氏は大氏から一分派したもので、前者は後者に從屬する。又それ故、小氏を結合した大氏の一團は、大略、ロオマの種族(キユリヤ)[やぶちゃん注:“curia”。「民団」などと訳す。]とか或はギリシヤの種族(フラトリ)[やぶちゃん注:“phratry”。「胞族」などと訳す。]に比べることが能きる[やぶちゃん注:「できる」。]。農奴或は奴隷の大集團は、諸〻の大氏に附屬して居たらしい。そしてこれ等奴隷の數は、極古い時期にあつてすら、氏族そのものの人數よりも多かつたらしい。これ等從屬の階級に與へられたいろいろな名は、服役の階級とその種類とを示してゐる。場所或は一地方に所屬することを示す品部(トモベ)、家族に所屬することを示す家部(ヤカベ)、圍ひ地或は領土に所屬することを示す民部(カキベ)等があるが、それよりももつと一般的なものは『民』[やぶちゃん注:tami”。「たみ」。]と云ふのである。之は昔の意義からすれば『寄食者』の意であろが、現今では英語の Folk の意味に用ひられて居る。……人民の大多數が、服役の狀態に在り、從つて服役にもいろいろな種類のあった事は疑を容れない。スペンサア氏は、奴隷制度と農奴制度と云ふ言葉の差異を、通常それに伴なつて居る意味から、大體に區別することは、決して容易な事ではない事を指摘して居る[やぶちゃん注:底本では「指」は脱字。この原文の動詞部分は“pointed out”。平井呈一氏の訳も同じ。]。蓋し特に社會の初期の狀態に在つては、從屬階級の實狀は、特權と立法との事實に依るのではなくて、主人の性格と社會の發達の實狀とに依るのである。日本に於ける初期の制度を述べるに際しても、この差別を立てることに頗る困難である。吾々は古代の從屬階級の狀態に關して、今尚ほ知る所甚少いのである。が、併し當時に在つては實際只だ二個の大階級――多數の段階に分かたれて居た支配者の寡頭政治と、これ亦多數の段階に分かたれて居た從屬的人民と――が存在して居たと斷言して可い[やぶちゃん注:「よい」。]と考へる。奴隷は、顏其の他身體の或る部分に、彼等の所有者を示す記號を、文身[やぶちゃん注:「いれずみ」。]してゐた。近年に至る迄、この文身の制度は、薩摩地方に殘つてゐるらしい――其處では、記號は主として、手の上に施され、其の他多くの地方では、下層階級の人達は、一般に其の顏面に文身を施されて居たのである。古代にあつては、奴隷は家畜の如く賣買され、或は其所有主に依つて貢物として献納されたのであつた――この習慣は、古代の記錄の内にたえず記されてあつた。奴隷の團結は認許されなかつた、これはロオマ人の間に行はれ connubiumcontuberniunとの區別を想ひ起こさせる[やぶちゃん注:「connubium」平井呈一氏は後に丸括弧で『既婚者』、同じく「contuberniun」の後に『奴隷の既婚者』とする。]、【註】奴隷なる母と自由の人たる父との間に出來た兒達は、矢張り奴隷となされた。第七世紀に至り、私人の奴隷は國家の財産であると宣告され、當時の大多數の奴隷――殆ど全部――否、恐らくは全部――が解放された、が、其の全部は工匠か若しくは有益なる職業に從事して居た者であつた。次第に自由に解放されカ一大階級が出來て來たが、併し現代に至る迄、一般人民の大多數は、農奴に近き狀態に置かれてあつたらしい。大多數の者は確に姓を持つてゐなかつた、之は以前奴隷の境遇に在つた證據と考へられるのである。眞の奴隷は、其所有主の姓名を以て登錄され、少くとも上古にあつては、自分自身の祭祀を持つてゐなかつたらしい。明治時代以前にあつては、貴族、武士、醫者、教師――恐らく二三の例外はこの外にあつたらしいが――のみが、姓名を名のることを許された。此の問題に關するなほ一つの奇妙なる事は、故シモンズ博士に依つて示されたものであるが、博士は隷屬階級の頭髮の蓄へ方を述べてゐるのである。足利將軍時代(紀元一三三四年)に至るまで、貴族、武士、神官、醫者を除いて、凡ての階級は、頭髮の大部分を剃り落して丁髷[やぶちゃん注:「ちよんまげ(ちょんまげ)」。]を着けたが、この頭髮の恰好を奴頭[やぶちゃん注:“yakko-atama”「やつこあたま(やっこあたま)」。]或は奴隷頭[やぶちゃん注:“dorei-atama”「どれいあたま」。]と呼んでゐる――この言葉は卽ち『奴隷の頭』の意味で、此習俗の隷屬時代に發生したことを示してゐる。

[やぶちゃん注:「足利將軍時代(紀元一三三四年)に至るまで」ママ。原文も“Up to the time the time of the Ashikaga shogunate (1334 a.d.)”である。まあ、南北朝から室町に含めるのは、大観として目を瞑るとして、後の「に至るまで」(原文は確かにそうであるが)は如何にもヘンである。平井呈一氏は『になると』と訳しておられる。]

 

註 六四五年代に、この問題に關して光德天皇は、次に揭げる如き勅令を發布した。――

『男子及び婦人に關する法律は次の如し、自由人たる父母の間に生まれたる兒は、其父に屬せしむ、自由人の父が、奴隷なる婦人を娶りて儲けたる兒は、其母に屬せしむ、自由人の婦人が、奴隷なる男子に嫁して儲けたる兒は、其父に屬せしむ。若しその二人が、二家の奴隷たらば、其兒は其母に屬せしむ。寺院の奴隷に生まれたる兒は、自由人に對する規則に從はしむ。その他奴隷となりたる者に在りては、奴隷に關する規則に從つて、取扱はる可きものなり』――アストン譯『日本紀』第二卷、二〇二頁

 

又男女之法者。良男(ヲホミタカラヲノコ)良女共所ㇾ生子(ウメラム)。配(ツ)ケヨ其父(カフ)。若良男娶(マ)ヒテㇾ婢(メノヤツコ)所生。配其母。若良女嫁(トツ)ギテ奴(ヲノヤツコ)所生子。配其父。若兩奴婢所ㇾ生子。配其母。若寺仕丁(ツカヘ)之子者。如良人(オホミタカラ)。若別奴婢者。如。――『日本書紀』孝德天皇紀。

 

[やぶちゃん注:「娶(マ)ヒテ」の箇所は印刷が悪く、よく判らぬ。「マクヒテ」(枕ふ:共寝する。結婚する)の脱字か。「日本書紀」の孝徳天皇大化元(六四五)年「八月庚子」の条を改めて示す。

   *

又男女之法者。良男良女共所生子配其父。若良男娶婢所生子配其母。若良女嫁奴所生子配其父。若兩家奴婢所生子配其母。若寺家仕丁之子者。如良人法。若別入奴婢法。如奴婢法。今克見人爲制之始。

   *

平井呈一氏が訓読して引いておられるのを参考に(一部、歴史的仮名遣におかしなところがあるので、そこは従っていない)、以下に私の訓読文を示す。

   *

又、男女(をのこめのこ)の法(のり)は、良男(おほみたからのをのこ)・良女(おほみたからのめのこ)、共(とも)に生めらむ子は、其の父(かぞ)に配(つ)けよ。若し、良男、婢(めのみやつこ)を娶(めと)りて生めらむ子は、其の母に配けよ。若し、良女、奴(をのやつこ)に嫁(とつ)ぎて生めらむ子は、其の父に配けよ。若し、兩(ふた)つの家(いへ)の奴-婢(やつこ)の生めらむ子は、其の母に配けよ。若し、寺-家(てら)の仕丁(つかへのよぼろ)[やぶちゃん注:全国の農民から五十戸に二人の割合で選抜され、中央官庁他で、三年間、雑役に従事した者。]の子は、良人(おほみたから)の法(のり)のごとくせよ。若し、別(こと)奴婢(やつこ)に入れらば、奴婢の法(のり)のごとくせよ。今、克(よ)く、人に制(のり)を爲(つく)るの始(はじめ)を見(しめ)す、と。

   *]

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