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2018/08/06

諸國里人談卷之五 無間鐘

 

    ○無間鐘(むげんのかね)

遠江國佐夜中山(さよのなかやま)、街道より三里北に光明山(こうめうさん)あり。此寺の鐘を撞く人は、かならず、福德を得て冨貴すれども、來世は無間地獄に墮(おつ)といひつたへたり。今は土中(どちう)に埋(うづ)む。よつて撞く事、あたはず。然〔しかれ〕ども、貪慾(とんよく)の人は、せめてもに、鐘を埋(うづみ)たるうへに至つて、足を以て踏鳴(ふみな)らすと云〔いへ〕り。惣じて金銀を倦(あく)まで貯ふに耽るものは、神佛を蔑(ないがしろ)にして五常を離れ、大慾無道(たいよくぶどう[やぶちゃん注:ママ。])にして、他の憐みをしらず。利欲のために「胸鐘(けうしやう[やぶちゃん注:ママ。])」といひて、我胸(わがむね)の鐘(かね)を朝夕撞(つい)て諸行をつとめ、無常を弁(わきま)へぬ慾心を以て人を寂滅す。これ、すなはち、「無間の鐘」なり。

[やぶちゃん注:「無間鐘」「無間(むげん)」は無間地獄のこと。八熱地獄の最下層にある阿鼻(あび)地獄の異名。真っ逆さまに落ち続けて二千年かかるという深淵にあり、怖ろしく永い時間、ありとあらゆる責め苦を絶え間なく受け続ける、殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒人(尼僧・幼女などへの強姦様行為)、及び父母や阿羅漢(聖者)の殺害などを犯した者が墜ちるとされる、最悪最強の地獄である(より詳しくは、参照したウィキの「八大地獄の当該項を読まれたい)。しかし、これ、例えば辞書にも載るが、そこには『静岡県、佐夜の中山にあった曹洞宗の観音寺の鐘。この鐘をつくと』、『現世では金持ちになるが、来世で無間地獄に落ちるという』(小学館「大辞泉」)、『遠江国(現在の静岡県)佐夜(さや)の中山にあった観音寺の鐘。これをつけば』、『この世では金持ちになれるが、来世では無間地獄に落ちるという』(三省堂「大辞林」)、小学館の「日本国語大辞典」も同様の記載である。「アンドーさん」氏のサイト「街道歩き旅どっとコム」のこちらの説明には、現存しないその「観音寺」について、粟ヶ岳(ここ(グーグル・マップ・データ))の『中腹には「東海道名所図会」によると「無言山・観音寺」という寺があり、小夜の中山の観音寺にある梵鐘を撞くと、現世では金銀財宝を得るが、来世では無間地獄に落ちて苦しむといい、この鐘を「無間の鐘」とよんだ。その後この鐘は井戸に投げ込まれ「無間の井戸」というのが残っているらしい』とあり、ロケーションがやや東にずれて、寺名も異なる。この粟ヶ岳の方がこのブラッキーな伝承としてはメジャーな場所らしい。石原周次氏のサイト「山岳信仰の山2000」のこちらの「粟ヶ岳」の記載に拠れば、現在この粟ヶ岳の山頂附近には阿波々(あわわ)神社があり、その『境内は巨岩がごろごろし、神々が降臨された岩座であると説明してあ』り、『岩の間に深い割れ目があり、底知れぬ深い地獄穴であるとい』い、また、『無間の井戸』というのがあって、『空道上人がこの山に無間の鐘を掛け、これを突けば願いが叶うと言ったので、人々が競って山に登り、危険となったので』、『住職(昔は神仏習合)が鐘を井戸に落としてしまったという。その井戸が無間の井戸であり、人々が落ちていったのが』、『無間地獄の穴だという』とある。「東海道名所図会」は、沾涼没後の「諸國里人談」再刊本で本書に跋文を附している江戸後期の読本作家秋里籬島(あきさとりとう 生没年未詳)の作で、丸山応挙・土佐光貞・竹原春泉斎・北尾政美など錚々たる絵師約三十名が二百点を越える挿絵を担当し、寛政九(一七九七)年に六巻六冊で刊行されたものである。幸い、国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここでその「無間山(むげんざん)觀音寺」を視認出来るが(この山号、何ともヤバくねえか?!?)、確かに現在形で書かれていて、当時現存したことが判る。曹洞宗で、本尊は千手観音とするが、寺の所領や収入が当時は既になく、『堂舍栗等(とう)大(おほい)に零落(れいらく)し境内荒廢の体(てい)也』。『今時(こんじ)住僧もな』い、という惨憺たる様子を記している。なお、その後、この危険がアブない「無間の鐘」の話を挙げつつも、その伝承を退け、芝居なんぞで捏造されたものとした上、極めて現実的な解釈――この山に登る道は険阻で足場が悪く、落ちれば命がなくなるような「無間」地獄のような悪路であり、滑落者が出ると、「この鐘を撞き鳴らして人々を呼び集めて救助した」から「無間の鐘」と言うのではないか――という腑には落ちるものの、逆に詰らない説を述べているそれにしても、「貪慾(とんよく)の人は、せめてもに、鐘を埋(うづみ)たるうへに至つて、足を以て踏鳴(ふみな)らすと云〔いへ〕り」という部分は、すこぶる面白い。来世の無間地獄より現世の富貴を望むのは至極理解は出来るというのでもなく、或いは、実際に鐘を浅く埋めると、足踏みで特殊な反響を起したかの知れない、或いは特異な地層・地下構造、地表面から程遠からぬ直下に何らかの自然空洞があって、それが鳴ったのかも知れない、などと考えて、私はなおのこと、面白くなるのである。以前、四国の遍路の山道で歩くとポンポンと音がするという場所があるという擬似怪談をテレビで見たことがある。それも何か空洞層が土中にあるからだったように思う。

「光明山」現在の静岡県浜松市天竜区佐久にある標高五百四十・三メートルの山で、嘗て明鏡山光明寺(行基(七一七)年の開創。昭和六(一九三一)年の火災で周囲の森林とともに全焼。山の南西麓の山東地区に移転している。ここ(グーグル・マップ・データ))があった。現在も同山には石段や石垣などの跡が残っている。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「五常」これは儒教で説く五つの徳目。仁・義・礼・智・信。

「胸鐘(けうしやう)」語としては、早鐘を打つように、激しく起こる胸の動悸を指す。胸掻き毟るような、貪欲の渇(かつ)えから生じる心悸亢進というわけか。]

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