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2018/08/06

諸國里人談卷之五 長樂寺鈴

 

    ○長樂寺鈴(てうらくじのれい[やぶちゃん注:ママ。])

上野國新田、長樂寺(てうらくじ)の什宝に、ひとつの鈴(れい)あり。これを鳴(なら)す時は、洪水あり。當寺に御靈屋(みたまや)あり。御建立の所也。一年(あるとし)、御修復あり。見分として御用をつとむる諸職人、當寺に來る時、宝物を拜しけるが、その内に、紙にくるみて、八重にからげたるもの、あり。解(とひ)て見れば、鈴なり。何心なく、これをふり鳴(なら)すに、衆僧、奔(はしり)來りて、「その鈴の音をすれば、竜神感應あるとて、かならず、雨くだりて、洪水す」と制する内、晴たる空、俄(にはか)に、黑雲、覆ひて、雨、篠(しの)をつき、雷(かみなり)、頻(しき)りになりて、洪水せり。其席に御蒔繪方(〔おん〕まきゑ〔かた〕)栗本雪朝(くり〔もと〕せつてう)ありあひて、まさに見たる所也。

當寺は京建仁寺榮西和尚の弟子栄朝和尚の開基にて禅宗なり。今は天台宗にして寺領二百五十石あり。

[やぶちゃん注:この鈴は現存しないか。ネット検索ではその存在が見えない。

「長樂寺」現在の群馬県太田市世良田(ここは古えの新田荘の遺跡地区に相当する)に天台宗ある世良田山長楽寺。(グーグル・マップ・データ)。ウィキの「長楽寺太田市)によれば、承久三(一二二一)年、『世良田義季の開山、臨済宗の僧』『栄朝を開山として創建されたという。早い時期から官寺として扱われていた。室町時代初期(南北朝時代)には室町幕府から関東十刹のひとつに列せられた』。『鎌倉時代の開基』から『江戸時代までは新田家および足利家(鎌倉公方)の帰依を得、臨済宗関東十刹中でも大寺院であった』。『徳川家の祖とされる世良田義季(得川義季)が創建したとされることから』、『徳川家の帰依を得、江戸時代』、『江戸幕府に起用された天台宗の僧天海により』、『天台宗に改宗となった』とある。

「當寺に御靈屋(みたまや)あり。御建立の所也」これは神仏分離令によって別になった、長楽寺の南に隣接する世良田東照宮のこと。現存する。東照大権現としての徳川家康を祭神とする東照宮の一つで、元和三(一六一七)年に駿河国久能山(久能山東照宮)より下野国日光(日光東照宮)へ家康の遺骸を改葬した際に建てられた社殿を、寛永二一(一六四四)年(年)に上野国世良田へ移築して創建された(以上はウィキの「世良田東照宮に拠る)。

「栗本雪朝」幕府御用の蒔絵師(東照宮修復の工芸者の一人)であろうが、不詳。但し、江戸末期から近代にかけてと思われるが、蒔絵師に栗本幸阿弥・栗本宗清という名を見出したので、「栗本」は蒔絵師の名家であったものと思われる。]

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