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2018/08/10

和漢三才圖會第四十二 原禽類 山雞(やまどり)

 

Yamadori

 

やまとり 鸐雞 山雉

山雞

     【和名夜万止利】

 

本綱雉居原野鸐居山林故得山名形似雉而小尾長三

四尺人多畜之樊中

鷮雉 似鸐而尾長五六尺者能走且鳴俗通呼爲鸐矣

鷮鸐共勇健自愛其尾不入叢林雨雪則岩伏木栖不敢

下食徃徃餓死南方人多挿其尾於冠其肉皆美于雉有

小毒傳云四足之美有麃兩足之美有鷮

鸐雉鷮雉【一類】鷩雉錦鷄【一類】此四種皆稱山雞【名同小異】

が小異がある〕。

万葉 あし曳の山鳥の尾のしたりをの長々し夜を独りかもねん

                  人丸

△按鸐形大於雉而尾長二三尺頭背尾皆赤羽端有白

 圈文頂與兩頰有紅毛如冠腹淡赤而毛端有白彪觜

 黑而末赤脚黑色其尾數二十六中最長者二俗呼曰

 引尾歌所謂絲埀尾是也有黑横紋白纎紋相双爲文

 亦如虎彪其彪凡十一二【有十三者爲珍】白彪中有黑點者爲

 常【無點鮮明者貴爲眞羽】爲箭羽以射邪魅或爲楊弓箭亦佳

 雌者黑色帶赤而腹畧白其尾短五寸許端白而頂無

 冠形色遥劣也深山中皆有之丹波之産形小於東北

 者出於薩州者極大而有尾三四尺者所謂鷮雉是矣

 肉脂多然有酸味劣於雉凡山雞性乖巧而難捕人緩

 則禹歩急則暴飛爲之終日費人力非鐵銃不可獲偶

 獲者養于樊中飼以芹性愛尾令尾不礙于物也相傳

 云鸐雌雄日則在一處夜則隔溪谷視有雌影寫于雄

 尾而啼謂之山鳥鏡【万葉集枕双紙良材集等載之】歌人爲口弄

六帖 晝はきて夜は別るゝ山鳥の影みる時そねはなかれける

 

 

やまどり 鸐雞〔(てきけい)〕

     山雉〔(さんち)〕

山雞

     【和名、「夜万止利」。】

 

「本綱」、雉は原野に居り、鸐は山林に居る。故に「山」の名を得〔(う)〕。形、雉に似て、小さく、尾の長さ、三、四尺あり。人、多く、之れを樊〔(かご)の〕中に畜〔(か)〕ふ。

鷮雉〔(きやうち)〕 鸐(やまどり)に似て、尾の長さ、五、六尺ある者、能く走り、且つ鳴く。俗、通〔(とほ)〕し呼んで、「鸐」と爲す。

鷮・鸐、共に、勇健にして、自〔(みづか)〕ら、其の尾を愛す。叢林に入らず、雨雪するときは、則ち、岩に伏し、木に栖(す)み、敢へて下り〔ては〕食はず、徃徃、餓死す。南方の人、多く、其の尾を冠〔(かんむ)〕りに挿す。其の肉、皆、雉より美なり。小毒、有り。傳へて云はく、『四足の美〔なる〕は麃〔(おほじか)〕に有り、兩足の美〔なる〕は鷮に有り』〔と〕。

鸐雉と鷮雉【一類。】、鷩雉〔(へつち)〕と錦鷄〔(きんけい)〕【一類】、此の四種、皆、「山雞(やまどり)」と稱す【名と同じくして小異〔あり〕。】

「万葉」

 あし曳きの山鳥の尾のしだりをの長々し夜を独りかもねん

                  人丸〔(ひとまろ)〕

△按ずるに、鸐、形、雉より大にして、尾の長さ、二、三尺。頭・背・尾、皆、赤く、羽の端に白〔き〕圈文〔(けんもん)〕有り。頂と兩頰とに、紅〔き〕毛、有り。冠(さか)のごとし。腹、淡赤にして、毛の端に白き彪〔(ふ)〕、有り。觜、黑くして、末、赤く、脚、黑色。其の尾の數、二十六〔の〕中、最も長き者、二つ、俗に呼んで「引尾〔(ひきを)〕」と曰ふ。歌に所謂〔(いはゆ)〕る、「絲埀尾(しだりを)」、是れなり。黑〔き〕横紋有り、白く纎(ほそ)き紋、相ひ双びて文(あや)を爲す。亦、虎の彪(ふ)のごとし。其の彪(ふ)、凡そ、十一、二【十三有る者、珍と爲す。】。白〔き〕彪の中に黑點有る者を常と爲す【點、無く、鮮明なる者、貴〔(とうと)〕し。「眞羽」と爲す。】。箭〔(や)〕の羽と爲して、以つて、邪魅を射る。或いは、楊弓の箭と爲〔すも〕亦、佳し。

雌は黑色に赤を帶びて、腹、畧〔(ほぼ)〕白く、其の尾、短く、五寸許〔り〕。端、白し。頂に冠(さか)無し。形・色、遥かに劣れり。深山の中、皆、之れ有り。丹波の産、形、東北の者より小さし。薩州より出〔(いづ)〕る者、極めて大きにして、尾、三、四尺の者、有り。所謂る「鷮雉」、是れならん。

肉脂、多し。然れども、酸〔(す)〕き味有りて、雉より劣れり。凡そ山雞の性、乖巧〔(りこう)〕にして捕へ難し。人、緩(ゆる)きときは、則ち、禹歩〔(うほ)〕す。急なるときは、則ち、暴(には)かに飛ぶ。之れが爲に、終日、人力を費す。鐵銃に非ざれば獲るべからず。偶〔(たまたま)〕獲る者、樊〔(かご)の〕中に養ひて、飼ふに芹(せり)を以てす。性、尾を愛す。尾をして物に礙〔(さ)〕へ〔ぎら〕ざらしむなり。相ひ傳へて云はく、『鸐は雌雄、日(〔ひ〕る)、則ち、一處に在り、夜、則ち、溪谷を隔〔(へだ)て〕て、雌の影、雄の尾に寫ること有るを視て、啼く。之れを「山鳥の鏡」と謂ふ』〔と〕【「万葉集」「枕双紙」「良材集」等に之れを載す。】。歌人、口弄(〔くち〕ずさみ)と爲す。

「六帖」 晝はきて夜は別るゝ山鳥の影みる時ぞねはなかれける

[やぶちゃん注:日本固有種であるヤマドリは、

キジ目キジ科ヤマドリ属ヤマドリ Syrmaticus soemmerringii scintillans

ウスアカヤマドリ(薄赤山鳥)Syrmaticus soemmerringii subrufus

シコクヤマドリ(四国山鳥)Syrmaticus soemmerringii intermedius

アカヤマドリ(赤山鳥)Syrmaticus soemmerringii soemmerringii(基亜種)

コシジロヤマドリ(腰白山鳥)Syrmaticus soemmerringii ijimae

の五亜種がいる。ウィキの「ヤマドリ」によれば、『名前は有名だが、野外で出会うのは少し困難な鳥でもある』とし、全長はで約一メートル二十五センチメートル、翼長二十・五センチメートル。は約五十五センチメートル、翼長十九・二~二十二センチメートル。体重は九百グラム~一・七キログラム、七百グラム~一キログラム。尾はの方がかなり長く、尾長はで四十一・五~九十五・二センチメートルあるのに対し、は十六・四~二十・五センチメートルしかない。尾羽の数は十八~二十枚。の『羽色は極彩色のキジと異なり、金属光沢のある赤褐色を呈す。およそ頭部の色が濃く胴体から脚にかけて薄くなる傾向があるが、その程度は亜種により様々である。よく目立つ鱗状の斑がある。目立つ冠羽はないが、興奮すると頭頂の羽毛が逆立ち冠状に見えることもある。顔面にキジ同様赤い皮膚の裸出部がある。尾は相対的にキジよりも長く、黒、白、褐色の鮮やかな模様がある。脚には蹴爪を持つ』。の羽色は褐色で、キジのに似る。』主に標高千五百『メートル以下の山地にある森林や藪地に生息し、渓流の周辺にあるスギやヒノキからなる針葉樹林や下生えがシダ植物で繁茂した環境を好む』。『冬季には群れを形成する』。『食性は植物食傾向の強い雑食で』、『植物の葉、花、果実、種子、昆虫、クモ、甲殻類、陸棲の巻貝、ミミズなどを食べる』。は『鳴くことはまれだが、繁殖期になると』、は『翼を激しくはばたかせ、オートバイのエンジン音に似た非常に大きな音を出す(ドラミング、ほろ打ち)ことで縄張り宣言を』すると同時に、の『気を惹く。また、ドラミング(ほろ打ち)の多くは近づくものに対する威嚇であるともされる』。『木の根元などに窪みを掘り木の葉や枯れ草、羽毛を敷いた直径』二十センチメートル、深さ九センチメートル に『達する巣に』、四月から六月にかけて、六~十二個の『卵を産む』。『殻は淡黄褐色』。のみ『が抱卵』する。『婚姻形態は一夫多妻であると推定されていたが、実際は一夫一妻であることが』、『三重県津市の獣医師によって突き止められた』とある。

「通〔(とほ)〕し呼んで」通称で。

「鸐」と爲す。

「麃〔(おほじか)〕」東洋文庫訳では『なれじか』とルビする。漢和辞典「麃」には「おおしか」(大鹿)及び「なれしか」(馴鹿)と同義として示してある。「なれじか」なら、私には「麋」の方が漢文では馴染み深い。現行では狭義に「馴鹿」とは哺乳綱獣亜綱鯨偶蹄目反芻亜目シカ科オジロジカ亜科トナカイ属トナカイ Rangifer tarandus を指すが、トナカイは北極圏周縁地域にしか棲息せず、中国にはいない。しかし、私はしばしば漢文の中で「麋」に出逢ってきた。その場合、私は大きな鹿という意味で認識してきたし、「本草綱目」のそれも、見たことも恐らくは食ったこともないトナカイを指しているなどとは逆立ちしても思えない。大鹿でよい。

「兩足」二脚類(鳥類)。

「鸐雉と鷮雉【一類。】、鷩雉と錦鷄【一類】」「一類」とは今風に言うなら、同じ仲間であるが、完全な同一種ではない亜種か、或いは同一種でありながら有意な変異が認められる個体変異と言った意味であろう・異なった「名」も持つの「と同じくして小異〔あり〕」と言っているからである。「鷩」は漢和辞典にヤマドリに似た鳥とあり、実は次の独立項が「錦雞」(=「錦鷄」)であり、その異名欄には「鷩雉」が挙げられてある。しかしながら、そのそれぞれの解説は、明らかに「鷩雉」と「錦雞」を個別に違ったコンセプトで間接してある(「本草綱目」準拠)。これらは無論、中国産の別(亜)種等にそれぞれ当て嵌めることが出来るように思われるが、それは中国のユーザーに任せる。

「あし曳きの山鳥の尾のしだりをの長々し夜を独りかもねん」「小倉百人一首」で柿本人麻呂の歌とされて人口に膾炙している、この歌は「万葉集」では詠み人知らずの一首であるから「人丸」とするのは誤りである。「万葉集」巻第十一の中の一首(二八〇二番)、

 思へども思ひもかねつあしひきの山鳥の尾の長きこの夜を

という歌の左注に、「或る本の歌に曰はく」として、

 あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長長し夜をひとりかも寢む

と補注する中に出るばかりなのであり、あくまで作者は未詳であり、しかも異形歌なのである。これが人麻呂の歌として所収されたのは「拾遺和歌集」で定家はそれに基づいて「百人一首」に選んだわけであり、古文の序詞の授業ではこれがまた必ず引かれるわけだが、私は教師になる以前、高校時代から、この異様に迂遠な序詞が甚だ嫌いであり、嫌悪の対象であった。『こんなことを捏ねくりませる余裕があるということは、独り寝も楽しかろう』と、皮肉の一つも投げたくなるぐらいなのである。従って、私は和歌嫌いだが、それでもこれが歌聖人麻呂の真作だと思ったことは一度もないのである。

「冠(さか)」既出の通り、鶏冠(とさか)の古語。

「彪〔(ふ)〕」「斑(ふ)」の積りで訓じたのであるが、「まだら」(斑)と訓じてもよいと考える。「彪」(音「ヒュウ」(歴史的仮名遣:ヒウ)。「ヒョウ」(同前:ヘウ)は実は慣用音である)は「まだら・鮮やかな虎皮模様・縞模様」の意である。

「箭〔(や)〕の羽と爲して、以つて、邪魅を射る」矢に矧(は)ぐ鳥の羽根は主に鷲・鷹・鳶・雉・山鳥などの翼の羽と尾羽が用いられ、プラグマティクには矢の飛行方向を安定させるために附けるものである。「護田鳥尾(うすべお)」・「中黒」・「切り斑(ふ)」など、まさにその斑紋の名で呼称される。矢には「破魔矢(はまや)」の文字通り、魔を払う意味があり、しかもそこではこの矢羽(やば)が(特に白い部分で)非常に目立つから、そこに邪悪な気や魔物を射抜き、破る呪力があると信じられたことは容易に想像がつく。

「楊弓」楊柳(ヤナギ)で作られた遊戯用の小弓を用いて的を当てる遊戯。ウィキの「楊弓」によれば、弓の長さは二尺八寸(約八十五センチメートル)、矢の長さは七寸から九寸二分(二十一センチメートルから二十八センチメートル弱)とされる。『中国の唐代で始まったとされ、後に日本にも伝わり、室町時代の公家社会では、「楊弓遊戯」として遊ばれた』が、『江戸時代に入ると、神社や盛り場などで、楊弓場(ようきゅうば)または矢場(やば)と呼ばれる楊弓の遊技場が設けられるようになった。楊弓場には矢拾女・矢場女(やばおんな)と呼ばれる、矢を拾ったり客の応対をしたりする女性がいたが、後に娼婦の役目を果たすようになった。また、的に的中させた時の景品も』、『時代が下るにつれて高価になっていったことから、天保の改革では、売春と賭博の拠点として取り締まりの対象となった。幕末から明治初期にかけて全盛期を迎えた』。『東京へは明治初年に浅草奥山(浅草寺の西側裏手一帯)に楊弓場が現れ、一般には「矢場」と呼ばれ広まった』。『店は競って美人の矢取り女(矢場女・矢拾い女)を置き、男たちの人気を集めた。矢取り女は射た矢を集めるのが仕事だが、客に体を密着させて射的方法を教えたり、矢を拾う際に足を見せたりして媚びを売った。戯れに矢拾い女の尻にわざと矢を当てる客もあり、それをうまくかわす女の姿がまた客を喜ばせた。店裏で売春もし、客の男たちは女の気を引くために足繁く通い、出費で身を滅ぼす者も出た。しかし、次第に値段の安い銘酒屋に』『人気を奪われ、明治中期以後』、『急速に衰退した』。『東京では関東大震災の影響もあって、昭和に入る頃には楊弓場・矢場は姿を消したと』される。

「丹波の産」ウィキの「ヤマドリ」にある分布域から見て、ヤマドリ Syrmaticus soemmerringii scintillans の可能性が濃厚。別名をキタヤマドリ(北山鳥)と言うように、本州関西地区の北部名古屋の北附近に当たる北緯三十五度二十分以北、及び、島根県北部・兵庫県北部より北に分布する。『細く短い尾羽を持ち、全身の羽色は淡色』で、『腰の羽毛は羽縁が白く、肩羽や翼の羽縁も白い』とある。

「薩州より出〔(いづ)〕る者」同前により、分布域と尾が有意に長い点から見て、コシジロヤマドリ Syrmaticus soemmerringii ijimae と断定してよい。九州中南部(熊本県南部・宮崎県南部・鹿児島県)に分布するとされるが、現在、準絶滅危惧種。『太く長い尾羽を持ち、全身の羽色は濃色』で、『腰の羽衣が白く、肩羽や翼に白色斑が入らない』。

「乖巧〔(りこう)〕」「りこう」のルビは私が意味から附した。「悧巧・利巧」である。「乖」には「小賢しい」の意があり、「乖巧」は現代中国語(カタカナ音写「グゥアィ チィアォ」)でも「賢い・利口である・如才ない・頭の回転が早い」の意がある。

「人、緩(ゆる)きときは」人が知らん振りをして寛いで見せる時は。

「禹歩」たまには東洋文庫訳の注を引こう。原義は『古代の聖帝禹の步き方。まず左足を踏み出し、右足をその前へ踏み出す。次に後の左足を右足に引きつける。これで一歩。次いで右足を踏み出し』、『左足をその前へ、そして後の右足を左足に引きつける。以上を交互にくり返す步き方で』、道教に於いては、呪力を持つ歩き方とされる。ここは山鳥も、一見、のんびりと楽しむように歩いているさまであろうが、或いは、既にして道家的な呪術的結界を賢い山鳥は禹歩で形成しているのであると、匂わせているのかも知れない。

「急なるときは」人が山鳥に注意を向け、俄然、捕獲しようと動かんとした瞬間には。

「暴(には)かに飛ぶ」危険を事前に察知して俄かに飛び立ってしまう。

「終日、人力を費す」日がな一日、山鳥を捕えようとして、失敗に終わり、無駄に過ごすことになってしまう。

「鐵銃」鉄砲。

「芹(せり)」セリ目セリ科セリ属セリ Oenanthe javanica

「尾をして物に礙〔(さ)〕へ〔ぎら〕ざらしむなり」東洋文庫訳では、『尾が物に触れたり、さまたげられたりしないようにする』とある。

「日(〔ひ〕る)」昼間。

「夜、則ち、溪谷を隔〔(へだ)て〕て、雌の影、雄の尾に寫ること有るを視て、啼く。之れを「山鳥の鏡」と謂ふ」「万葉集」の巻第十四の「相聞」に(三四六八番)、

 山鳥の尾(を)ろの初麻(はつを)に鏡懸け唱(とな)ふべみこそ汝に寄(よ)そりけめ

という一首がある。「初麻」はその年に最初に穫(と)れた麻で拵えた緒。それで祭具である鏡を懸けるのである。「唱ふ」は「呪文を唱えて神を祀る」ことを指す。「べみ」は「べきこそ」で「~するに違いないので」。講談社文庫版の中西進氏の注によれば、この歌は『男の誘い歌』であり、この「唱ふ」までが、祝婚の祭事』(男の願望か)なのであり、その『祭儀を示す表現に下句』(私をそなたの傍に寄せるに違いない)『をついだ歌』であるとある(挿入した訳は私の勝手な解釈であるので注意されたい)。しかし、この山鳥はやはり長い麻緒を引き出すための序詞であって、ここで言っている「山鳥の鏡」という語句形成とは関係がない(ように私には見える)。「枕双紙」=「枕草子」では「鳥は」(「鳥尽くし」)の章段に、

   *

山鳥、友を戀ひて、鏡を見すればなぐさむらむ、心若う、いとあはれなり。谷隔てたるほどなど、心苦し。

   *

とある。石田穣二訳注「枕草子 上巻」(昭和五四(一九七九)年角川文庫刊)では、『以上の記載』は『歌学的な知識であろう』と脚注した上、補注で以下のように詳細に述べておられる。

   《引用開始》

『俊頼髄脳』は「山鳥のをろのはつ尾に鏡かけとなふべみこそなによそりけめ」(原歌、『万葉集』巻十四)の解として「この歌の鏡のこと、たしかに見えたることなし。昔、隣の国より山鳥を奉りて、鳴く声たへにして聞く者うれへを忘るといへり。みかど、これを得て喜び給ふにまたく鳴くことなし。女御のあまたおはしけるに、この鳥鳴かせたらむ女御を后には立てむと宣旨を下されたりけれは、思ひはかりおはしける女御の、友を離れて独りあれは鳴かぬなめりとて、明かなる鏡をこのつらに立てりければ、鏡を見て喜べるけしきにて鳴くことを得たり。尾をひろげて鏡のおもてに当てて喜び鳴く声まことにしげし。これを鳴かせ給へる女御、后に立ちて、かたはらの女御、ねたみそねみ給ふこと限りなしと言へり。是が心を取りてよめるとぞ」とある。続いて「足引の山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかもぬる」(『拾遺集』巻十三、人麻呂)の解として、山鳥の雌雄、夜は山の尾を隔てて一所には臥さないものである云々の説が見える。『奥義抄』には、先の『万葉』の「鏡かけ」の歌の解として、同様の、女御の説話を挙げ、「或説には、山鳥は夜になれば、め鳥と山を隔ててべちべちにぬるに、暁になりて雄鳥の尾をもたげて見るにめ鳥のある所の鏡にて見ゆる也」という異説を挙げる。『袖中抄』にも諸説が列挙されている。

   《引用終了》

とあった。因みに辞書を見ると、「尾ろの鏡」(をろ(おろ)のかがみ)の語が載るものの、先の「万葉集」の当該歌から出た中世の歌語としながら、『語義未詳。異性への慕情のたとえに用いられる。山鳥の尾の鏡。はつおの鏡』などという半可通な解説が載るばかりである。石田氏の上記の記載が唯一納得出来る内容と言える。どうも、山鳥の雄は尾羽の中に鏡を隠し持っていると伝承があったらしいのである。

「良材集」「歌林良材集」。東洋文庫版「書名注」に、『二巻。室町中期。一条兼良撰。歌学・歌論の書』とある。また、東洋文庫版本文注に同書の巻五の『由緖ある歌、十九に「山鳥の尾の鏡の事」という項があり、そこに『萬葉集』の』『歌(三四六八)を引いて故事の説明をしている』とある。

「六帖」「古今和歌六帖」。平安時代に編纂された私撰和歌集。全六帖。成立時期・撰者ともに不明。ウィキの「古今和歌六帖によれば、『おおよその目安として、天禄から円融天皇の代の間』(九七〇年から九八四年の間)『に成立したといわれており、撰者については紀貫之とも、また兼明親王とも具平親王ともいわれるが、源順が撰者であるという説もある』。『およそ四千数百首の和歌を題別に収録する(伝本によって歌数に相違があり、重複して採られている和歌がある)』とある。

「晝はきて夜は別るゝ山鳥の影みる時ぞねはなかれける」これは「新古今和歌集」の巻第十五の「戀歌五」に詠み人知らずの一首として(一三七二番)、

 晝(ひる)はきて夜(よる)はわかるる山鳥(やまどり)の影みるときぞ音(ね)はなかれける

と採録されてある。]

 

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