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2018/08/28

ブログ1130000アクセス突破記念 《芥川龍之介未電子化掌品抄》(ブログ版) ロレンゾオの戀物語

  

[やぶちゃん注:芥川龍之介の第一高等学校時代の作文で、底本(後述)では大正元(一九一二)年頃の作かとする。大正元年(明治四十五年七月三十日、明治天皇崩御により改元)ならば、第一高等学校二・三年次(当時の旧制高校は九月進級)で、満十八、十九歳(龍之介は三月一日生まれ)当時のものということになる。本文末に丸括で括られた『我がのれる汽船の舵手が、嗅煙草かぎつゝ、語れる物語をしるす。九月二十二日――「休暇中の事ども」。』とはあるが、この年及び前年の夏季休暇中には汽船に乗るような旅はしていない。大正元八月十六日から二十日まで友人(中塚癸巳男(きしお)か)と信州から木曾・名古屋を旅してはいる。しかし、言わずもがなであるが、そもそもがこの附記全体が私は作品本文にリアリズムを与えるための確信犯の虚構であると言ってよい。それは、この「嗅煙草かぎつゝ」「汽船の舵手が」「物語」「語れる」というシークエンスが、すこぶるハマりまくった西洋画風の素材であり、この大正元年の七月から八月にかけて龍之介はオスカー・ワイルドの作品を複数読んでおり(宮坂年譜の書簡からの確認で三冊)、この潮風と嗅ぎ煙草の匂いは私には主人公ロレンゾオの故郷イタリアの、ヴェニスやナポリは言うに及ばず、如何にもそれこそ、この「語りの男」の姿はアイルランドの船乗りにこそ相応しいと感じるからである。因みに、この執筆されたとも推定し得る大正元年九月には、東京帝国大学一年の山宮允(さんぐうまこと)に伴われて、吉江孤雁を中心とした「アイルランド文学研究会」に初めて出席してさえいるのである。また、宮坂年譜ではこのクレジット(同年とするならば)の直前の九月二十三日にはガブリエーレ・ダンヌンツィオ(Gabriele D'Annunzio 一八六三年~一九三八年)の一九〇〇 年の小説Il fuocoの英訳 The Flame of lifeを読了しており、長崎まで流れ流れてきた主人公イタリア人水夫ロレンゾオの香りと親和している事実である。以上から見ても、大正元年執筆の可能性は堅いと私は思う。

 底本は一九六七年岩波書店刊葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」の「初期の文章」に載るものに拠った。作品末の葛巻氏の註によれば、これは先に電子化した「菩提樹」同様、『「ロレンゾオの戀物語」も、「寒夜」』(これに続けて電子化する)『も、同じ「作文」答案かも知れない。――が、必しも、そうとのみは云い切れないものも、持っている。それらは半紙にも書かれている跡がある』とある。

 以下、私が躓いた語に注を附す。

 三段落目の「蛋白石」(たんぱくせき)はオパール(opa l)の和名。

 四段落目の「ゐや」は「禮(礼)(ゐや(いや)」で敬意を表わして頭を下げることの意。

 同じ四段落目の「マルクス寺」はヴェネツィアで最も有名な大聖堂サン・マルコ寺院 Basilica di San Marco)のこと。

 同じく四段落目の「ヘリオトロウプ」はムラサキ目ムラサキ科キダチルリソウ属ヘリオトロープ Heliotropium arborescens 及びその仲間を広く指す。ウィキの「ヘリオトロープによれば、『ペルー原産』であるが、『フランスの園芸家が』一七五七年(宝暦七年相当)に『パリに種子を送り、ヨーロッパ』から『世界各国に広まった。日本には明治時代に伝わり、今も栽培されている』。『ヘリオトロープには約』二百五十『種があるといわれる』。『日本語で「香水草」「匂ひ紫」、フランス語で「恋の花」などの別名がある』。『バニラのような甘い香りがするが』、『その度合いは品種によって異な』り、また、『花の咲き始めの時期に香り、開花後は、香りが薄くなってしまう特徴がある』という。『ロジェ・ガレ社(フランス)の『Heliotrope Blanc』(フランスでは』一八九二年(明治二十五年相当)に』『発売)は、日本に輸入されて初めて市販された香水といわれている』。『大昔は南フランスなどで栽培されており、天然の精油を採油していた』が、『収油率の低さ、香りの揮発性の高さというデメリットから、合成香料で代用して香水が作られるようになった(有機化合物であるヘリオトロピンがヘリオトロープの花の香りがすることが』一八八五年(明治十八年相当)に『判明し、それを天然香料の代用として普及した』)。夏目漱石の「三四郎」(明治四一(一九〇八)年)の第九章にも、ヘリオトロープの香水が登場している、とある。

 同じ四段落の「ミルテ」とはフトモモ目フトモモ科ギンバイカ属ギンバイカ Myrtus communis のドイツ語呼名(Myrte)。ウィキの「ギンバイカによれば、地中海沿岸原産の常緑低木で、『花が結婚式などの飾りによく使われるので「祝いの木」ともいう』。『夏に白い』。『弁の花をつけ、雄蕊が多く目立つ。果実は液果で、晩秋に黒紫色に熟し』、『食べられる』。『葉は揉むとユーカリに似た強い芳香を放つことから、「マートル」という名でハーブとしても流通している』らしい。『サルデーニャとコルシカ島では、果実や葉を用いてミルト(Mirto)というリキュールを作る。古代ローマにおいてはコショウが発見される以前はコショウの地位を占めており、油と酒の両方が作られていたと言われる』。『シュメールでは豊穣と愛と美と性と戦争の女神イナンナの聖花とされ』、『古代ギリシアでは豊穣の女神デーメーテールと愛と美と性の女神アプロディーテーに捧げる花とされた。古代ローマでは愛と美の女神ウェヌスに捧げる花とされ、結婚式に用いられる他、ウェヌスを祀るウェネラリア祭では女性たちがギンバイカの花冠を頭に被って公共浴場で入浴した。その後も結婚式などの祝い事に使われ、愛や不死、純潔を象徴するともされ』て、『花嫁のブーケに使われる』。『生命の樹』『や、エデンの園とその香りの象徴ともされる』とある。

 同じ四段落の「覆盆子」は「いちご」と読む。

 同じ段の末に出る「きほふ」は「競ふ」で「争う・張り合う」の意。

 第五段落「ひさぎぬ」の後の空欄は(句点たるべきところ)はママで、その下の「絶ゑて」の表記もママ。

 第六段落「ジェルザレムメリベラアタの曲」は不詳。識者の御教授を乞う。

 なお、本電子テクストは、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1130000アクセスを、昨日、突破した記念として公開した。【2018年6月28日 藪野直史】]

 

     ロレンゾオの戀物語

 

 やよひになりて、ロレンゾオは懸になやみぬ。

 悲しくうれしき思たえまなく胸にあふれて、あやしき旅やどりのすまゐなれど、そこはかとなくかぐはしきもののといきのかよひ來て、くれなゐの罌粟の花ざかりにも似たりや。あはれサンタルチアも見そなはせ、ふる里以大利亞(イタリア)を去りしより――かのなつかしきヴェニスの水と鍾のびゞきと白きくゞひの歌とにわかれしより、あるは南、埃及、亞刺比亞の國々、睡蓮の花さく川ぞひの市に黄玉の首環したる遊び女のむれに親み、あるは東印度支那の島々無花果の葉かげの港に、おしろい靑きざればみたる女の數々を見たれど、未此處日本の長崎にて始めてかのひとにあひしばかり、あつきまことの戀を覺えしはあらず。ゆひ髮ふくよかに、小猫の眼ざししたるかのひとのまぼろし、薄べにの薔薇(さうび)の如く、うつゝにもロレンゾオの眼にうかびぬ。かくて蔦の葉しげき赤瓦の軒に群つばめのさゞめきとだえて蛋白石の空に夕月の光うすくにほひそむれば、かれはさびしくひとり夕餉ものしつ。

 やがて色褪せたる天鵞絨のきぬに、靑き更紗模樣のはんけちを頸に結びて、古びしマンドリンをかい抱きつゝ、ものうげにすまゐを出づるは近き海べの酒場に其日のかてを得むとてゆくなり。黃色き窓かけをかけたる酒場の窓は暗き長崎の入江にのぞみて、其處にあかきともしびの光にてらされつゝ、にがよもぎの精なりと云ふ異國の酒を酌みかはす船乘の一むれつどひぬ。ロレンゾオは、物怯ぢしたるさまにて主の翁にゐやをなしつゝ、部屋のかたすみなる椅子に腰かけて、さながら懸人を撫するが如くうれしげにマンドリンを手まさぐるが常なり。もし客の一人「歌へ」と命ずれば直に立ちて歌ふ。歌ふは南歐の俗歌なれども、此時ばかりかれの面の晴れやかなるはあらず。マンドリンの糸のびゞきははなれて久しき以大利亞の夢をよびかへして、其上に櫻草の色したる思ひ出の經緯をひろぐ。日は暖にマルクス寺の金の十字架を照らして、狹き水路は月桂の若葉のかほりにみちたり。白き鳩のむれたや石甃に紅き帽の土耳古人ありて忙しく步みゆくが見ゆ。靑き水にのぞめる家々の窓にはヘリオトロウプ、薔薇、黃水仙などにほへり。音もなくリアルトオの橋をすぎゆくゴンドラよ、いましは何處に行かむとする。南國の日の光に橄欖の如く黑めるロレンゾオの面は、醉心地に赤らみて、マンドリンのトレモロはミルテの靑葉をふく風のやうにすゝりなきぬ。曲終れば、人々拍手して銀貨を投ぐ。其時もしかのひと入り來ればロレンゾオは一杯の麥酒に疲れをいやすさへ忘れて、再マンドリンをかいならしつゝ歌ふ。かのひとはこのあたりの町々に林檎、蜜柑、覆盆子など商ふ「むすめ」の一人なり。年は十五六なるべし、黄なる「べべ、ニッポン」に長き帶むすびさげて、黑く淸らかにほゝゑめる目の媚びたるも、髮にかざせる紅椿のやうに艷なり。ロレンゾオが心には昔ブエノスアイレスの謝肉祭に樓の窓よりかざしの花を落して、待ちたる戀人にくちづけなげたる人と、きほふとも見劣りすまじくや。

 かのひとはかく夜每に來りて果物をひさぎぬ されど絶ゑて、こ若き以大利亞びとがやるせなき思ひをさとらざりき。ロレンゾオはかく夜每に來りて歌ひぬ。されど彼は、かのひとの聲をきく每に絃を彈ずる指のあやしくもをののきて、マンドリンの調べの屢亂るゝを知らざりき。

 卯月これの夜、ロレンゾオは黄さうびの鉢おきたる酒場の机にひと夜を明したれども、かのひとの影は見えざりき。つぎて七夜かれはあだにかのひとを待ちぬ。かくて八日の夜、アプサントの醉頰にのぼりて玻璃圓閣にたばしる霰の如くマンドリンかきならしつゝ、ジェルザレムメリベラアタの曲をうたへる時、客の一人は主の翁にむかひて問ひぬ。「かの果物うる娘はいかにしたる」、耳遠き翁の答はものうかりき。「熱をやみてうせぬ、今宵にて三日目なりときゝしか、あはれなることしてけり。」

 たちまち人々は、青琅玕を碎くやうなるもののびゞきにおどろかされぬ。ロレンゾオがマンドリンの絃斷へたるなり。「如何にしたる」と人々たづぬれど、かれは唯うつむきて聲もなく泣きぬ。黄さうびのかほりほのかにたゞよへる酒場に、唯聲もなく泣きぬ。

 そのあしたより、酒場の人々はロレンゾオの影をみずなりぬ。かれの住める家のあるじに問へど知らずと答ふ。あるは身投げて死しぬと云ひ、あるは以大利亞に歸りぬと傳ふ。かれが部屋の壁には猶、絃斷えたるマンドリンかゝりて、きらびやかなる蔦の葉のまつろへる軒には今も懸わたる燕のかたらひしげけれども。(我がのれる汽船の舵手が、嗅煙草かぎつゝ、語れる物語をしるす。九月二十二日――「休暇中の事ども」。)


 

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