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« 柳田國男 うつぼ舟の話 一 /始動 | トップページ | 柳田國男 うつぼ舟の話 三 »

2018/09/15

柳田國男 うつぼ舟の話 二

 

        

 

 うつぼ舟は空洞の木を以て造つた舟、卽ち南方の小さい島々に於て、今尚用ゐられて居る所の、刳舟(くりふね)丸木舟のことで無ければならぬが、多くの日本人はもう久しい間、その元の形を忘れてしまつて居る。我々の親たちの空想の「うつぼ舟」には、潜水艦などのやうに蓋が有つた。斯うしなければとても荒海を乘切つて、遙々遣つて來ることは出來ぬものと、思ふ者が次第に多くなつた爲であらう。加賀での出來事から更に四十二年を經て、享和三年二月廿二日の眞晝頃、常陸の原やどりとか云ふ濱に、引上げられたと傳ふるうつぼ舟などは、其形たとへば香盒の如くに圓く、長さは三間あまり、底には鐵の板金を段々に筋の如く張り、隙間は松脂をもつて塗り詰め、上は硝子障子にして内部が透き徹つて隱れ無く、覗いて見ると一人の生きた婦人が居り、人の顏を見てにこにこして居たとある。

[やぶちゃん注:冒頭注で示した、次段で示される通り、滝沢馬琴の「兎園小説」の琴嶺舎(馬琴の子息滝沢興継のペン・ネーム)の報告になる、「うつろ舟の蛮女」である。私の高校国語教師時代のオリジナル古典教材授業案「やぶちゃんと行く江戸のトワイライト・ゾーン」©藪野直史)の『【第一夜】「うつろ舟の異人の女」~円盤型ヴィークルの中にエイリアンの女性を発見!』で原文と電子化訳注を参照されたい。附帯する諸図もリンクで添えてある。

「享和三年二月廿二日」グレゴリオ暦一八〇三年四月一日。この年は閏一月があったために、新暦ではかなり後ろにずれ込んでいる。

「常陸の原やどり」同話を載せる別な随筆「梅の塵」では「原舎浜(はらとのはま)」と記載。現在の鹿島灘の大洗海岸とも言われるが、実在地名には同定出来ない。上記リンク先で私の詳細な考証をしてあるので参照されたい。

「香盒」原文は「はこ」と読んでいるが、正しくは「かうがふ(こうごう)」で、香料を入れる容器。漆塗・蒔絵・陶器などがある。香箱。香合。円盤状である。

「三間」約五メートル五十センチメートル。]

 此話は兎園小説を始めとして、當時の筆豆人の隨筆には幾らも出て居る。例れも出處は一つであるらしく、疑ひも無く作り事であつた。その女は年若く顏は桃色にして、髮の毛は赤いのに、入れ髮ばかりが白く且つ長かつた。敷物二枚の他に甁に水二升ほどを入れ、菓子樣の物及び肉を煉つたような食物もあつたとある。又二尺四方の一箇の箱を、寸刻も放さず抱へ持ち、人に手を觸れしめなかつた。浦人の評定では、多分蠻國の王の娘などで、密夫あつて其事露顯に及び、男は刑せられたが王女なれば殺すに忍びずして、此の如くうつろの舟の中に入れ、生死を天に任せて突き流したものであらう。然らばその大切にする木の箱は、定めて愛する男の首でゞもあらうかなどゝ、言語は不通であつたと謂ふにも拘らず、驚くべき確信を以て説明する者があつたと記して居る。

[やぶちゃん注:「兎園小説」江戸後期の随筆。全十二巻の他に外集・別集・余録など九巻が附帯する。編者は瀧澤解(とく:曲亭馬琴の改名本名。当初は興邦(おきくに)であった。馬琴は江戸深川の旗本松平信成の用人の五男)。文政八(一八二五)年成立。同年、馬琴と随筆家で雑学者の山崎美成(江戸下谷長者町の薬種商長崎屋の子)を主導者として、屋代弘賢・関思亮・西原好和ら計十二名の好事家によって、江戸や諸国の奇事異聞を持ち寄る「兎園会」と称する月一回の寄合いが持たれ、その文稿が回覧されたが、その集大成が本書。三百話に近い怪談奇談が語られ、当時の人々の風俗史を語る上でも貴重な資料と言える。

「當時の筆豆人の隨筆には幾らも出て居る。例れも出處は一つであるらしく、疑ひも無く作り事であつた」非常に不審である。「當時の筆豆人の隨筆には幾らも出て居」り、「例れも出處は一つであるらし」いから、「疑ひも無く作り事であ」るとは、どういう論か!?! 事実、多数の別人による記載がある。例えば、リンク先の「梅の塵」の原文と比較されたいが、日時や地名シークエンスの細部に異同はあるが、寧ろ、これは実際に起こった出来事の伝聞過程での許容範囲内のそれであるとしても何ら、問題ないし、この当時は鋭い随筆考証家を輩出したことを考えれば、当時の市井の好事家の関心を惹いた以上に、その中にこれが創作物だと批判する者が有意にあっておかしくないにも拘わらず、否定派のそうした資料は私の披見した限りでは、殆んど見当たらないのである。出所が一つであるというのは、これまた寧ろ、起こった原事件があったればこその強い映像的類似性を持っているものと言って差し支えない(作話ならば、作話であることを確信犯とした連中が雲霞の如く飛びつき、とんでもない尾鰭がついて変形譚が数多く出るのが世の常であるのに、同じ話と思われるものは、その全体に於いては一様に酷似している)。にも拘らず、この日本の民俗学の父とも称せられる柳田國男が、非論理的にも、一刀両断で「疑ひも無く作り事」と断じているのは、如何にも解せないと言わざるを得ない。

「此の如く」「かくのごとく」。]

 實際海邊に住む人民にしては、出來過ぎた斷定には相異ないが、以前も此近くの沿岸に、同じやうな蠻女を載せて漂著したうつぼ舟があつて、それには爼板の如きものに一箇の生首をすゑて、舟の中に入れてあつたと云ふ口碑があつたさうである。常陸の濱には今も大昔も、此種の不思議を談ずる氣風が特に旺盛であつたらしい。從つて海に對する尋常以上の信用が、噂の根をなして居たことは認めてもよいが、少なくとも記述の文飾、殊に所謂蠻女とうつぼ舟との見取圖なるものに至つては、いゝ加減人を馬鹿にしたものである。官府の表沙汰にすると雜用手數が容易で無い故に、先例に由つて再び元の如く女を舟に入れ、沖に引出して押流したと謂つて、是以外には一つの證跡も殘らぬのだが、舟の中に書いてあつたと稱して、寫し取つて居る四箇の異形文字が、今では最も明白に此話の駄法螺なることを證明する。それを曲亭馬琴が註解して、最近浦賀の沖に繫つたイギリス船にも此等の蠻字があつた。だからこの女性はイギリスかもしくはベンガラ、もしくはアメリカなどの蠻王の女なりけんか。是もまた知るべからず、尋ねまほしきことなりかしなどと、例の恐ろしく澄ましたことを言つて居る。さうして今日までまだ其儘になつて居たのである。

[やぶちゃん注:まず、柳田國男に反論したいのは、「常陸の濱には今も大昔も、此種の不思議を談ずる氣風が特に旺盛であつた」のではない! ということだ。常陸の海岸沖は北からの親潮と南からの黒潮がぶつかり合う地点に相当し、驚くべき南北遠方からの漂流物が漂着する場所である。長い砂浜海岸が多く、これは岩礁性の入り組んだリアス式のそれとは異なり、相当な距離にある対象も容易に視認出来る。則ち、「常陸の濱には今も大昔も、此種の不思議」「を談ずる氣風が特に旺盛であつた」のではなく、「常陸の濱には今も大昔も、此種の不思議」な〈何もの〉(生物やその死骸或いは本邦に存在しない物質・物体)かが漂着することが、しばしばあった、だからこそそうした「不思議を談ずる氣風が特に旺盛」となったの「であつた」と言ってこそ、真に科学的なフォークロアの考察法であると言える。

 さらに柳田は「所謂る蠻女とうつぼ舟との見取圖なるものに至つては、いゝ加減人を馬鹿にしたものであ」り、「舟の中に書いてあつたと稱して、寫し取つて居る四箇の異形文字が、今では最も明白に此話の駄法螺なることを證明する」と言っているが、これはまさに御用学者が原発の絶対安全性を主張し、反論する者をせせら笑い、福島第一原発の致命的なメルトダウンと放射性物質の甚大な飛散に口をつぐんでソッポを向いているのと同じ臭いを私はこの柳田國男の口振りに強く感ずるのである。明治の、自身の権威付けが絶対使命である知的指導者としては、あの文字(リンク先は私のそれ)は鼻持ちならない「いゝ加減人を馬鹿にしたもの」としか見えず、文字なんぞであろうはずがない「文字」なるものは「今では最も明白に此話の駄法螺なることを證明する」確かな児戯に等しい悪戯書きだ! だから! 全体が嘘なんだよ! と青筋立てて、幽冥界の馬琴をバキンバキンに感情的になって怒っている、という構図なのである。リンクで、私は船・婦人そして文字について、それらが事実であったものと措定して私なりの解明を試みているので是非、参照されたい。特に文字のそれは私の完全なオリジナルな説で、今でも相応に自信を持っている。「でも、あんな、文字ないよ!」と宣う方、全く知らない外国語で横書きされたものを、縦書きの和語しか知らない一般大衆が見たら、どの方向からどう読むかを考えて見られよ。しかも、この文字は円盤型ヴィークルの下半分の内部の壁面に書かれていたんだぜ? そうしてそれを、おっかなびっくり、円盤の上部の縁に手を掛けてちょいと覗き見たものを写したんだ。としたら、どんなものが出来上がるか、自分でロシア語ででも書かれたものを、その漁師に成りきって、やってみてご覧な!

「ベンガラ」縦糸が絹糸で横糸が木綿の織物である「紅柄縞」(べんがらじま)はオランダ人がインドから伝えたとされており、ここはインド半島東北部のベンガルを指すと考えてよい。]

 勿論自分たちには近世の僅かな知識を根據にして、古人の輕信を笑つてみようと云ふ考へは無い。第一そんな舟、そんな亞米利加の王女などが、流れて來る筈が無いと謂つてみたところが、然らば何故に是だけの事實、もしくは少なくとも風説が出現したかと問へば、今だつて答へ得る者はないのである。單なる耳目の誤り又は誇張であつたとしても、何か基づく所がなければならぬ。假に丸うそであつたにしても、斯う謂つたら人が騙されると云ふだけの、見込みが最初から有つたものと思ふ。現代の文學才子が必ず實驗したであらう如く、作り話が譬へば鍍金のやうなものならば、其土臺もやはり稍安つぽい金屬であつて、決して豆腐や菎蒻では有り得ない。どんな空中樓閣にも足場があつた。或は無意識にかも知れぬが、いつの間にかうつぼ舟とは斯んな物と、人も我も大凡きめて居た形式があつた爲に、その寸尺に一致した出鱈目だけが、たまたま右の如く成功し得たのである。人間は到底絶對の虛妄を談じ得る者で無いといふことが、もしこの「うつぼ舟」から證明することになるやうなら、是も亦愉快なる一箇の發見と言はねばならぬ。

[やぶちゃん注:柳田は、お得意の、伝承のプロトタイプから生ずるメタモルフォーゼという別ステージの考察に持ち込みたかったがためだけに、のっけから強引に法螺と決めつけていたことが以上から判明する。正直、前段のそれこそ人を小馬鹿にした官製御用アカデミスト柳田國男は、彼自身が嫌った妖怪バスター、妖怪存在の科学的否定を展開した井上円了のそれよりも遙かに「厭な感じ」である。その類似性に柳田もちょっと気づいたのであろう、この段落では、デッチアゲだとした舌鋒が急に後退している。読者にそうした反感を持たれると、後を読んで呉れないかも知れぬ、と彼自身が危ぶんだからに相違ない。

「鍍金」「めつき(めっき)」。

「菎蒻」「こんにやく(こんにゃく)」。「蒟蒻」に同じい。]

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