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2018/09/09

反古のうらがき 卷之二 獵師

 

   ○獵師

 武藤孫之丞といへる人は、英雄の大力なりしが、家の養子、亂心して、後(あと)へより腹迄、刀にて突拔きたれども、殊(こと)ともせず、取(とつ)て控(おさ)へ、いましめたり。扨、刀は其儘置て、目釘を拔(ぬき)、つかまへをはづし、前の方へ拔取らせ、療用せしに、不日にして癒けり。かくせざれば、血、胴に落入(おちいり)て、療用、六づケ敷(むづかしき)よし、自(みづ)から言(いひ)けり。されども、惡虐、增長して、人を殺す事も多かりけるよしにて、甲府勝手小普請となり、其孫、孫之丞、畫名(ぐわめい)「竹石」といふ人、御免にて、江に出たり【不山門人、武藤定五郎の父を「石樹」と云(いひ)、「竹石」は非なり。[やぶちゃん注:これは本文割注ではなく、この箇所の頭書である。]】。

 其人の話に、甲府はおそろしき所といへば、誰(たれ)もしる所なれども、其中、人氣(じんき)のたけきこと、一事(ひとこと)にて推(おし)て知るべきことあり。

 獵師の獸を取(とる)は、何れの國にても、多く矢玉を用ひずして打取(うちとる)を上殺(じやうせつ)とするならひなるに、此國にては、左にあらず、少しよわりたるを生取(いけど)るを上殺として、直(ただち)に打殺したるをば、大(おほい)に笑ふ事なり。如何にとなれば、獵師の山に入(いる)は、二里、三里、山坂峻阻をふることは常なり。猪鹿に限らず、十貫廿貫の重きものを、人を雇ひ荷ひ來(きた)る事、煩勞(はんらう)なれば、自身に步ませ連來り、扨、打殺(うちころ)すとなり。故に武士などの山がりに行て、一玉に打殺荷ひ來るを見れば、大に笑ふゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、自然(おのづと)、獵師にあらざる人も、生(いき)ながら引來るを手柄とする習ひなり。

 扨、其打樣(うつさま)は、猪鹿ともに、犬をかけ、かり出し、其間合(まあひ)を見て、手・足・首・胸等の所をよけて、一玉、打留(うちとめ)、所謂、手負となし、荒れ𢌞る所を、かけ寄りて組取(くみとる)なり。或は急所をよけて薄手なれば、常の時とかわらず[やぶちゃん注:ママ。]、猛きこといふ斗なし。されども本より手取になすべき心得なれば、ことともせず、但し、一玉、打留ざれば、捉(とら)ゆる[やぶちゃん注:ママ。]によしなければ、無ㇾ據(よんどころなく)打留(うちとむ)るのみ。たゞ急所に當り死(しな)んことを恐るゝといへり。故に組合(くみあふ)時、上に成り、下に成り、或は疵を蒙ることもあれども、數里の路を荷ひ來るより恥とせず、死力を出(いだ)し、組伏せて繩をかけ引來り、扨、家に來りて後、打殺すを手柄とするよし。かゝる危險なることをおかし[やぶちゃん注:ママ。]、手柄とするは、益なきことなれども、人氣の猛き所斗(ばか)り、古への風(ふう)ありて、なり。「竹石」といふ人も英雄の後なれば、ふつう人(じん)より、心も猛くあるよしなれども、此國の風には大におそれたる、といへり。

[やぶちゃん注:禁欲的に改行を施した。

「武藤孫之丞」不詳。

「刀は其儘置て、目釘を拔(ぬき)、つかまへをはづし、前の方へ拔取らせ、療用せし」誤解されて困るが、この乱心した養子に武藤孫之丞が背後から腹部にかけて、刀を突き通されたのである。突き通されたままで、その養子を捕って押さえて組み伏せ、縛り上げたというのである。しかも、その後、刀を背後から抜かせたせず、柄の目釘を抜かせて、刀身だけにした上で、刃先に革などを巻かせて、前方へ引き抜かせというのである。想像するだに凄絶にして「イタイ!」。

「不日にして」日数をあまり経ずに。直に。

「血、胴に落入(おちいり)て、療用、六づケ敷(むづかしき)」後ろに引き抜く場合と、前に刀身のみを引き抜く場合とでは、内臓その他への損傷の容態は違いがあるとは思う。前者では、引いて斬るように作られている刀剣類の場合、新しい別な創傷が発生し、損傷がより拡大する感じは感覚的には高まるようには思われ、胴体の内部(内臓)に激しい出血が起こるというのは、何となくは判るようには思われる。

「されども、惡虐、增長して、人を殺す事も多かりけるよしにて」ちょっと判り難いが、主語はその乱心した養子であろう。乱心が公に知られれば、その場で、その養子は罰せられてしまうから、元祖の武藤孫之丞は秘密裏に処理した。しかし、その後もその養子の乱心は悪化し、複数の殺人に関わってしまったとかで(しかしそこで厳罰には処されていないから、これも上手く処理されたものであろう)、という意味で採っておく。

「甲府勝手小普請」あまり理解されているとは思えないので、一言言っておくと、甲府勤番(江戸幕府の役職で、江戸中期に設置され、幕府直轄領化された甲斐国に常在して甲府城の守衛・城米管理・武具整備及び甲府町方支配を担った)となるということは、実は実質上の処罰的左遷人事であり、別名を「甲府流し」と称したのである。例えばウィキの「甲府勤にも『甲府勤番は元禄年間に増加し』、『幕府財政を圧迫していた旗本・御家人対策として開始されているが、旗本日記などには不良旗本を懲罰的に左遷したとする「山流し」のイメージがあり、「勤番士日記」にも勤番士の不良旗本の処罰事件が散見されている』とあり、さらに『老中松平定信が主導した寛政の改革においては、不良幕臣対策として甲府勝手小普請が併設され』ている、とあるのである(下線太字やぶちゃん)。私の「耳囊 卷之九 賤妓孝烈の事」を参照されたい。則ち、当時のかぶいた旗本連中(特に次男以下)にとって甲府勤番を命ぜられることは、生涯、江戸に戻ることも出来ぬ、致死的窓際族を命ぜられることに他ならぬ、〈恐怖の人事〉、流刑に等しいものであったのである。それを何とか食い止めるために、実父や兄などは賄賂を用いたりもしたのである。

「其孫、孫之丞」乱心者の養子には子がおり、それが祖父の名を継いだのであろう。「御免にて、江に出たり」とあるから、この孫は、父(乱心者の養子)の甲府勝手小普請を継いだものの、幸いにして御役を解かれ、江戸へ戻ることが出来たという意で私は採る。ただ、ここで面倒臭いのは、その孫の孫之丞は絵もよくし、画号を「竹石」と言ったと、桃野は書いたが、恐らくは後の誰かが、そこに頭書(かしらがき)して補正注を入れ、――「不山」(不詳)という絵師の門人に「武藤定五郎」(不詳だが、武藤孫之丞の通称と採るほかはない)「の父」なる者がおり、その画号は「石樹」であって、この本文にある「竹石」というのは誤りである――と書いたのである。正直、この話を読む今野読者にとってはどうでもいいことなのではあるが。

「其人の話」迂遠である。この以下の話をしている「その人」とは、

①豪傑武藤孫之丞

の養子で

②乱心して甲府勝手小普請にされたトンデモ男

の実子で

③武藤定五郎と名乗り、画号を「竹石」(頭書によれば「石樹」の誤り)と言った武藤孫之丞

③の人物であるということである。

「人氣(じんき)のたけきこと」甲府人の気性の「猛(たけ)き」ことと言ったら。

「一事(ひとこと)にて」以下の狩猟方法の節操一つをとってみて。

「ふる」「經る」。行く。

「十貫廿貫」三十七・五~七十五キログラム。

「自身に」大猪や大鹿自身に。

「山がり」「山狩り」。]

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