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2018/09/23

柳田國男 炭燒小五郞が事 三

 

      三

 前代の地方人が傳承に忠實にして、はなはだ創作に拙であつたことは、四箇所の炭燒長者の名が悉く藤太であつたと云ふやうな、些細な點からも窺ふことが出來る。是が心あつての剽窃であつたならば、寧ろ名前ぐらゐは變へたであらう。然るに幾つかの山川を隔てゝ信州園原の伏屋長者(ふせやちやうじや)なども、先祖は金賣吉次で其父は亦炭燒藤次[やぶちゃん注:ちくま文庫版では『炭燒藤太』。]であつた。阿智川(あちがは)の鶴卷淵は亦例の通り、鶴は飛び立ち小判は沈むという故迹であつて、是も物語の要點はすべて皆、豐後の長者譚の第一節と異なる所が無い。豐後の眞野長者は小五郞であるが、それは炭燒の子に養はれてから後の名で、童名はやはり藤治と呼ばれて居たとある。數多の國所を經𢌞つて、此だけの月日を重ねて後迄、話の興味とはさして關係も無ささうな、名前すらも變化をしなかつたと謂ふのは、恐らくは歌の口拍子の力であらう。

 此序に尚少しばかり、名前の點に付て考へてみたいのは、同じ盆踊りの歌でも筑前朝倉郡に現存するのは、藝州に於て臼杵の小五郞を説くに反して、別に「豐後峰内炭燒又吾」と謂ひ、「又吾さんとも謂はれる人が、こんな寶を知らいですむか」ともうたうて居た。峰内は卽ち三重の内山觀世音の地をさしたものらしく、今も彼處[やぶちゃん注:「かしこ」。]に傳はつて居る長者の記錄では、又吾は小五郞を養育した親の炭燒の名であつて、爰に亦一代の延長を見るのである。大野郡の三重と海部[やぶちゃん注:「あま」。]郡の深田とは、山嶺を隔てゝ若干の距離がある。長者が船著きの便宜の爲に、海に臨んだ眞名原(まなばる)の地に、居館を移したと云ふのは説明であるが、然らば兩處で炭を燒いて居たと云ふ言ひ傳へは成立せぬ。兎に角に蓮城寺と滿月寺と、二箇の佛地の緣起には矛盾があり、之を流布した者の間にも、近世東西本願寺の如き爭奪のあつたことが、稍推測し得られるやうである。其上に更に一つの錯綜は、周防大畠浦の般若寺の方からも加はつて居るらしいが、是はまだ目が屆かず、且つ直接に炭燒の話とは緣が無いから殘して置く。之を要するに豐後の本國に於ては、却つて後代の紛亂があつて、昔の物語の單純なる樣式は、別に四方に散亂した首尾整然たらざる斷片の中から、次第に之を辿り尋ねるの他は無いやうになつたものと考へられる。

 舞の本の「烏帽子折」[やぶちゃん注:「えぼしをり(えぼしおり)」。]の中に、美濃の靑墓(あをばか)の遊女の長[やぶちゃん注:「をさ(おさ)」。]をして語らしめた一挿話、卽ち山路(さんろ)が牛飼ひの一段は、文字の文學として傳はつた最も古い眞野長者であらう。用明夫皇職人鑑[やぶちゃん注:「ようめいてんわうしよくにんかがみ(ようめいてんのうしょくにんかがみ)」近松門左衛門作の時代物浄瑠璃で全五段。宝永二(一七〇五)年大坂竹本座初演。出語りで出遣い方式及びからくりを用いた舞台機構が、当時、評判となった。]を始めとし、近世の劇部は概ね範を此に採り、現に豐後に行はるゝ長者の一代記の如きも、或は飜つて其説に據つたかと思ふ節があるが、固より必ずしも之を以て、久しい傳承を改めざりしものと信ずるには足らぬのである。長者の愛娘が觀世音の申し兒であつて、容色海内に隱れ無く、天朝百方に之を召したまへども、終に御仰せに從はなかつたと謂ふのは竹取以來の有りふるしたる語り草ながら、之を假り來たつて後に萬乘の大君が、草苅る童に御姿をやつして、慕ひ寄りたもふと云ふ異常なる出來事を、稍實際化しようとした所に文人らしい結構がある。然るに其皇帝を用明天皇とした唯一つの理由は、生れたまふ御子が佛法最初の保護者、聖德太子であつたと謂はんが爲であつたらうに、其點に付ては何の述ぶる所も無い。しかも牛若御曹司の東下(あづまくだ)りの一條に、突如としてこの長物語を傭ひ[やぶちゃん注:「やとひ(やとい)」。]入れたには、何らかの動機があつた筈である。今は章句の蔭に隱れて居る笛の曲に、山路童(さんろわらは)[やぶちゃん注:真野長者伝承に於いて花人(はなひと)親王(後の用明天皇)が真野長者の草刈り童となって名乗ったとされる名。「山路が笛」という成句もあり、恋心を寄せさせる道具とされる。]の神祕なる戀を、想ひ起さしむる節があつたか。或は海道の妓女たちが、眞野長者の榮華の物語を、歌にうたつて居た昔の習慣が、斯うして半ば無意識に殘つて居るのか、はた又金賣吉次三兄弟の父が、かの幸運なる炭燒であつたと云ふことが、將に漸く信ぜられんとする時代に、最後の烏帽子折の詞章は出來たのであらうか。何れにしても此中に保存せらるゝ、山路と玉世姫の世にも珍しい婚姻は、卽ち長者[やぶちゃん注:ちくま文庫版では「長者」の前に『豐後の』という限定が入る。]の大なる[やぶちゃん注:「おほいなる(おおいなる)」。]物語の一節であつて、而も或時に語部(かたりべの)[やぶちゃん注:ちくま文庫版では「語部」の前に『中世の』という限定が入る。]の興味から、早既に著しい改作を加へて居たことを知るのである。

 

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